それでも私はやってない
千春 ♀
真澄 ♀
昼過ぎの電車は、こんな中途半端な時間帯だと言うのに、割合混み合っていた。心峰の生徒らしきギンガムチェックの制服を着た高校生や、家族連れ、カップル、オタク風の青年に、老婦人の団体――車内は冷房が効いている筈だが、人々の発する熱気でプラスマイナスゼロとなっている。それでも不快指数は低い。私たちはドア近くを陣取った。
「それで、何で電車なんですか」
いつまでも車窓を眺めていても仕方がない。こちらから、おもむろに本題に入る。
「彼女とはだいぶ話し込んだんだよ。さっき話した、異性装をする理由の下りだ」
異性装、の部分で少しだけ声のトーンを下げる。その程度の常識はあるらしい。
「しばらく、納得してもらえなかった、って話でしたね」
「それでまあ、初日こそ駅で別れたんだが、二日目からは電車までついてくるようになってな。もちろん、ついて来いなんて言ってないぞ。松前ひかるの意思だ。電車内であれだこれだと話し込んでね……事件は三日目、つまり七月三十一日に起きた」
「何があったんですか」
「痴漢だよ」
数瞬の、間。
「……触られたんですか?」
改めて、目の前の真澄を凝視する。
「まさか。この風貌の私を触ろうとする奇特な男なんていないよ」
「じゃあ、別の人が?」
「被害者は見知らぬ女子高生だった。その時は今以上に混雑していてね。満員電車だった。周囲は心峰の生徒ばかりだったな」
心峰学園の制服は、男女共にギンガムチェックで、割と分かりやすいのだ。
「彼女はちょうど私の真正面に立ち、こちらに背中を向けていた。時折、チラチラと振り向くので気になってはいたんだが……」
「ちょっと待って下さいよ! それって――」
大きな声を出す私に人差し指を突きつけ、黙らせる真澄。
「その通り。彼女は松前ひかるとの話に集中する私の左手を掴み、持ち上げ、『この人チカンです!』と叫んだんだ。これには言葉を失ったね。何が起きているか、一瞬理解できなかった」
まさか。そんな。
「……触ったんですか」
「そんな訳ないだろう! 君は私を何だと思ってるんだ?!」
目を見開いている。ショックだったらしい。
「だって、真澄さんは……」
その先を言うのは躊躇われた。だが、それだけで伝わったらしい。
「……そりゃ、私はバイだ。男も女も大好きだし、肌に触れるのだって大好きだ」
声のトーンを落としてはいるが、語っている内容は最悪だ。
「でもね、人の嫌がる行為はしないと、私は固く心に誓ってるんだ。特に、女性を泣かすような輩は人間のクズだよ。私は断じて――」
「真澄さん」
熱が籠っていく真澄の肩を叩き、自分のスマホを突きつける。
そこには鳴川からのメール文面が表示されている。
『私の友達も、何人かあいつに泣かされてる』
当該部分を指で指し示すと、真澄は唇を歪めて視線を俯ける。
どうやら無言で論破できたらしい。
「――前言撤回。私は何度も女性を、ついでに言えば男性も、多く泣かしてきた。何故なら私は人間のクズだからだ」
それでも――私はやっていないんだよ。
「痴漢は犯罪行為だ。バイでもクズでも、その程度は弁えている。大体、冷静に考えてみろ。バイセクシャルだったら女性の体を触ってもおかしくないとでも言うのか? とんでもない暴論だ。言っちゃあ悪いが、私はパートナーに不自由したことなどないし、欲求不満でもない。そもそも、痴漢だと騒ぎ立てた女子高生は、全く私のタイプではなかった! あんなソバカス顔の目付きの悪い女、誰が好き好んで触ったりするものか!」
何だろう。聞けば聞くほど、クズに磨きがかかっていく気がする。溜息を吐くと同時に、電車が駅に到着する。乗降客をやり過ごした後で、話を再開する。
「要するに、痴漢冤罪ってことですね」
「その通り。よくある話だが、まさか自分の身に降りかかるとは思わなかったよ」
「それで、どうしたんですか」
「どうもこうも……もちろん、無罪を主張したさ。こんな格好をしてはいるが、私は女だ。よく見れば分かるだろ」
確かに女性にしては背が高いが――言ってしまえば、それだけのことだ。ちゃんと観察すれば、骨格や声の高さなどで充分に判断できる。彼女が両性愛者であることは、この際考えないことにしよう。
「次の駅で降ろされ、駅員に話を聞かれたんだが、女性だと分かったら簡単に解放された。助かったよ。駅のホームでサラシを外す真似だけはしたくなかったからね」
……助かったのは、相手をした駅員の方ではないのか。
「痴漢だって言った女子高生は?」
「それが酷いんだ。あの女、私が女性だと分かった途端、ダッシュで逃げ出したんだ。叱責されるのを恐れたんだろうね。腹立たしい」
それは酷い。でも、そういうことはよくあることなのかもしれない。今回は真澄が女性だからよかったが、そうでなかったとすると――考えるだけで恐ろしい。
「腹立たしいで思い出したが、問題は松前ひかるだよ」
「何をやらかしたんですか、アイツは」
「写メを撮っていたんだよ! 信じられるかい!? 必死で無実を主張する私の写真を撮っていたんだ。直近で見ていたんだから、擁護をしてくれたってよさそうなものだろう! 後で聞いたら、記念撮影だと答えていた。本当に信じられないよ。怒るのを通り越して、呆れてしまったね!」
真澄の話を聞きながら、私は頭の芯が冴えていくのを感じていた。
TSアプリだ。
咄嗟の判断で、アイツは目の前の女装男子を、男装女子へと変えたのだ。普通の感覚ならば、女性が痴漢するとは思われない。痴漢してないと証言するよりも、よっぽど冤罪を晴らすことになる。痴漢の疑いをかけられた人間が女装男子だとバレれば一発アウトだが、男装女子ならば救われる。
それが分かっていたから、アイツは――。
「まあ……アイツは、アホですからね」
しかし、真澄相手に本当のことを言う訳にはいかない。ひかるの名誉を守れないのは残念だが、この場合はどうしようもない。話をそらす。
「それより、その後はどうなったんですか。冤罪が晴れて、女子高生が逃げて、それで終わりですか」
「終わり――にしたかったんだけどな」
不意に、車窓に視線を転じる真澄。
「どうも、この沿線では妙なことが起きているらしい」
「妙なこと?」
「詳しくは扇町に着いてから話そう」
そこで、会ってほしい人がいる。
外を見たまま、そう言う。程なくして、電車は扇町に到着する。
話は、とうに次のステージに進んでいるらしい。




