ダニエル・フォン・シーゼ子爵
ベアトリーチェは動くことができなかった。
心臓の音がうるさくて、身体中が熱くて、
時が止まった気がした。
「公女様」
はっと我に返り、前を見るとダニエル・フォン・シーゼ子爵が爽やかな笑顔でベアトリーチェに手を差し伸べていた。
「僕と踊っていただけますか?」
「あ…えぇ…もちろんです」
ちゃんと笑えているだろうか。
周囲は騒がしく、ヒソヒソと話し声が会場中から聞こえてくる。
「まさか侯爵が出てくるとは…」
「手にキスを…」
「どういうつもりなんだ?」
「私生児とでは身分が違いすぎる」
公爵の周りにも人が集まる。
嬉しい誤算だ、とでも言うように上機嫌だった。
一方で、公爵夫人と異母兄は冷ややかだった。
帝国貴族に取り入るのはいいが、自分たちより地位が上がっては気が悪いのだろう。
「公女様、突然で驚かれましたよね。」
優しくダニエルが声をかける。
アルフォンスのリードは無駄なく洗練されたものだったがダニエルは少しぎこちなかった。
慣れていないのだろうか、と少し気持ちが楽になった気がした。
「まさか、僕も侯爵閣下が動くと思っていなくて…。先を越されてしまいました。」
「あら…セカンドダンスを申し込むおつもりだったのですか?」
「もちろんです。公国側のお気持ちは分かっていますよ。こちら側との婚姻を結び、国境を安定させることでしょう?侯爵閣下からも僕が有望だと言われていましたし。」
「…」
ベアトリーチェは微笑みで返した。
この人もきっと、私を取引道具として見ているのだろうと思った。
「あぁ…いえ、警戒しないでください。見下してるとか、そういうのではなくて…。貴族間の婚姻とはそう言うものだと分かってはいるんですけど、なにぶん商人上がりなもので。少しばかり戸惑いがあるのです。だって公女様ですよ?高貴すぎて…。」
正直なところ、侯爵が自ら動いたのならダニエルがしゃしゃり出るべきではない。せっかく重用されているのだから余計な軋轢を生みたく無かった。
焦りでダニエルのステップが乱れる。
「…ダンスは、苦手ですか?」
「あまりする機会がありませんでしたから。足を踏まないかヒヤヒヤしています。」
「ふふっ」
思わず、笑みが溢れた。
「…いまのお顔、とても素敵ですよ。」
「え…」
そういえば、久しぶりにちゃんと笑ったかもしれない。子爵の言葉には嘘がないと感じた。
「あの、一応お聞きしますね。結婚相手としてどうですか?僕は商人上がりの子爵ですけれど侯爵の信頼も厚くて、なによりお金をたっぷり持っています。」
ダニエルは冗談めかして笑った。
えくぼがかわいいな、と思った。
つられて、ベアトリーチェもにっこり応える。
「光栄です。考えておきますね。」
心が温かくなり、今までの緊張も困惑も苛立ちも、
胸の痛みもおさまっていた。




