仮面の少女
ベアトリーチェは驚いた。
背後から急に声をかけられたこと、そして今まで聞いたことのない声だったことに。
低く、少し威圧感があった。
おそるおそる振り返ると、目に映るのは漆黒の男。
黒地に銀の飾りのついた質のいい礼装からして、高位貴族だろう。まずい、と思った。
まだ人に会うべきではなかったし、こちらも会う心づもりで出てきたわけではない。
咄嗟に、顔を作ることができなかった。
「…誰か、と聞いている」
再び問われた。
より威圧的に。
ベアトリーチェを見ても正体に気付かない。
つまり公国の人間ではないと気づいた。
明日の記念祭に招待された帝国貴族だ。より一層まずかった。正体がバレたら、父の計画が台無しだ。
「…名乗るほどのものではございません。失礼いたします」
ふわり、といつものように美しい笑みを浮かべ、屋敷に足早に戻ろうとした。
「待て」
「共も連れず1人で歩き回り、名も名乗らず背を向けて去るのが公国の礼儀か」
呼び止められてしまった。
その冷たい声と視線が突き刺さる。
ちょっとイラっとした。
お前もだろう、と。
顔には出さないよう努めた。
明日の「その日」を控えておそらく私もピリピリしているらしい。
にこやかに振り返る。
「宴は、楽しんでおられますか?公爵邸は少し分かりにくいですよね…。庭園は反対側にございます。庭園の薔薇も見頃を迎えております。クレマチスも素敵ですよ。他の使節団の皆様もご心配されているでしょう…。どうぞ、あちらからお戻りください。」
先ほどと同じく、美しく微笑んで応える。
『お前に言われたくない。さっさと去れ。』
と言外の意味を添えて。
美しく微笑み、スカートの裾を掴んで膝を折る所作は完璧な淑女のそれだった。
「あちら」と言われ視線をやった隙に
ベアトリーチェは屋敷の中へ消えた。
逃げた。
アルフォンスはそう思った。
だが不思議と無礼な態度に対する怒りはなかった。
むしろ少し面白いと感じた。
完璧な淑女の姿をしていたが、少女から怒りや焦りが読み取れた。
おそらくだが、『目の前からさっさと消えろ』と言外に言っていたと思う。
威嚇する子猫のようだった。
ふ、と口の端だけ少し上げて
「あちら」と言われた方へ歩き出す。
美しい笑顔だったが、それよりも
最初声をかけたときの驚いたような、怯えたような顔が印象に残っていた。




