決意
ダニエルがレオナルドとの勝負に勝った日。その夕刻、ベアトリーチェは裏庭のリンデンバウムの木の下で花を見ていた。数日前よりも多く咲いている。
実は2時間前、公爵はベアトリーチェを呼び出し
「イーゼンブルク侯爵との婚姻を進める」と告げた。
昨日までダニエル推しだったはずだが、一体どういう風の吹き回しだろう。困惑はすれども、もちろん了承した。
(侯爵と…結婚…)
あの日のダニエルの言葉を思い出す。
『閣下なら覆せます』
(侯爵が押し進めたのかしら…。いえ、でも、待つと言っていたし)
ベアトリーチェは部屋に戻り、ソファの隅で膝を抱えて座り、ショールを手で弄ぶ。
(突然なぜ?そもそも…)
ベアトリーチェはハッとした。
(そもそも、私まだ好きって言ってない。)
貴族間の婚姻において相手を好きかどうかなんて全く意味のないものである。だがベアトリーチェとアルフォンスの場合は違った。
すでにアルフォンスからは「惹かれている」と言う言葉やそれらしい行動を受け取っている。
そして「待つ」と。
アルフォンスはベアトリーチェが完全に心を預けるのを待っている。
(つまり…私が言葉にしなければ彼はこの婚姻を進めず待ち続けるのでは…?)
当然恋を自覚しているベアトリーチェにそんな選択肢は無い。そしてアルフォンスが昨日「まだ、待てる」と言ったことが抜けていた。まだ、なのだ。だからベアトリーチェが言葉にしなかったところでアルフォンスの「待つ」の限界が来たら無理やり囲い込まれるだけなのだが、ベアトリーチェは気づかない。
ここで問題にぶち当たった。
(どうやって、伝えればいいの)
そして約2時間、ベアトリーチェはショールの中で「好き」だと伝えるためのシチュエーションを考え続けた。
(そうだ、手紙にしよう)
しかしこんな大事なことを書面で伝えるわけにもいかない。自分で、言葉にしなくては。
果たして言えるだろうか。あの人を前にして言葉がでるか?
(でも、いま。伝えなきゃ。)
ベアトリーチェは手紙を書いた。
《午後16時、リンデンバウムの木の下で待っています》
そして、現在15時50分。
ベアトリーチェは木の下で膝を抱えてしゃがみ込んでいる。緊張で押しつぶされそうだった。
どうやって伝えようか、ずっと考えているがまとまらない。
「具合でも悪いのか?」
アルフォンスが背後から声をかけてきた。
隣にしゃがみ、顔を覗き込まれる。
「大丈夫か?」
黒い瞳が心配そうにこちらを伺う。
ベアトリーチェの心臓がぎゅっとなった。
「…婚約の話を聞いたか。」
「…はい」
急に本題を振られて、ベアトリーチェは心の準備が追いつかなかった。アルフォンスは片膝をつき、2人ともしゃがみこんだまま話し始める。
「シーゼ卿がレオナルド公子を説得したそうだが…昨日の今日だ。焦る必要は無い。まだ無理なら無理と言えばいい。」
「…え?」
「昨日、ずいぶん怖がらせてしまった。」
どうやら昨日ベアトリーチェを怯えさせてしまったことが後を引いているらしい。ベアトリーチェがしゃがんで考え込んでいたのも「結婚するのが怖い」と思っていると解釈したようだ。
「君の気持ちを尊重する、と言っておきながら追い詰めてばかりだな。」
確かにベアトリーチェはいつも追い詰められていた。初めてここで出会った時も、バルコニーでも、庭園でも。でも今、ベアトリーチェの目線に合わせて片膝をつき、心からベアトリーチェを見てくれている。
(優しい人…)
「…シーゼ卿なら、もっとうまくやれるだろうな。」
アルフォンスがすっとベアトリーチェから視線を外し小さく呟く。その言葉を聞いた瞬間、咄嗟にアルフォンスの腕の服を掴む。
「私は、貴方がいい」
まっすぐにアルフォンスの黒い瞳を見つめる。
エメラルドの瞳には強い意志が宿っていた。
アルフォンスの驚いた顔が目に入る。
ベアトリーチェはもう一度、確かめるように言った。
「私は、貴方じゃないと、いやです。」
風が吹き、リンデンバウムの甘い香りがする。
乾いた葉がカサカサ音を立てている。
陽が徐々に傾き始め、淡いオレンジ色が広がっていく。
「…もう逃げることは出来ないが、いいか?」
アルフォンスは目元を細め、優しく問いかける。
「もう、逃げないって決めました」
ベアトリーチェははっきりと、アルフォンスの目を見て答えた。
アルフォンスはゆっくりとベアトリーチェを立ち上がらせ、目元をそっと撫でる。
「…綺麗だな。」
そう言って、ベアトリーチェの髪にキスを落とした。
心臓がドキドキしている。
全身に甘い熱が広がっていく。
とうとう、言った。だんだんと恥ずかしくなってきて視線を落とす。
「部屋まで送ろう。」
大きな手に引かれてゆっくりと歩き出す。
「ベアトリーチェ」
低くて優しいこの声が好きだな、と思った。
「はい」
「君が帝国に来る日が待ち遠しい」
「…はい」
ずいぶん気が早いなと思った。
ベアトリーチェはこの時初めて、アルフォンスの前で笑った。




