侯爵の理由
「出ていけ」
アルフォンスはドミニクらに冷たく命令した。
ダニエルは「すみません」と小声でベアトリーチェに謝り、袖を掴んでいた手を優しく降ろさせた。
バタン。ティールームの扉が重々しい音をたてて閉じられる。窓の外は雨足が強くなり、昼間なのに薄暗い。窓に当たる雨の音がやけにうるさく感じた。
「…随分と、仲がいいんだな。」
ベアトリーチェはいまだダニエルが出て行った扉の方に体を向けていた。顔は下を向き、手を握りしめて緊張が伝わる。
そんなベアトリーチェをアルフォンスは冷たく見下ろしていた。
「俺はお前が欲しいと言ったはずだが。もう忘れたか。」
「忘れてなんか、いません。」
忘れられるはずない。だが、緊張と恋心と恐怖でうまく言葉が出てこない。アルフォンスは苛立ったように言葉を続けた。
「ではなぜシーゼ卿に縋る。俺の嫉妬心を煽りたいなら成功だな。」
「…っ!違います!」
「なにが違う。」
ベアトリーチェはとっさに顔をアルフォンスに向けた。アルフォンスの黒い双眸からは一切の温度を感じない。体の芯が冷え切るような気がした。
「…彼は…友人です…」
ベアトリーチェはその瞳を見ることができず俯いた。それでも精一杯声を絞り出した。ドレスを掴む手は強く握りすぎて白くなっている。緊張と恐怖で、喉の奥から何か込み上げてきそうだった。
アルフォンスからため息が聞こえる。
びくり、とベアトリーチェの肩が震える。
「…すまない。八つ当たりだ。君は何も悪くない。」
ドレスを握りしめていた手をそっとほぐされる。
「もちろん君の友人も悪くない。…悪いのはみっともなく嫉妬して自制できなかった俺だ。」
優しくベアトリーチェの手を取り、席に着かせる。
「すまない。」ともう一度小さく謝り、先ほどまでダニエルが座っていた席へ腰掛ける。
「…っ、あの、新しいお茶を、用意させます。」
ベアトリーチェは鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。
「…レモンの砂糖漬け」
「え?」
「いらないのか?昨日、食べたいと言っていただろう。」
今日メイドたちが準備してくれたお菓子はクッキーとフィナンシェだ。アルフォンスが昨日のほんの少しの会話を覚えていたことにベアトリーチェは驚いた。
「言ってみると良い。」
声はとても穏やかだった。
「お呼びでしょうか。」
「あの…新しい紅茶と…レモンの、砂糖漬けを。」
「かしこまりました。」
数分後届いたそれをみて、ベアトリーチェは感動した。自分で昨日選んだものを、今日自分の言葉で欲しいと伝えることができた。ベアトリーチェにとって大きな一歩だった。
エメラルドの瞳が輝いてる。
アルフォンスは少しだけ微笑んだ。
「それで…。2人だけで何を話していた。」
ドキリとした。貴方に恋をしているようです、なんて今この場で言う勇気がない。先ほどまでの恐怖は消え、別の緊張が生まれた。
「その…貴方と結婚する、正当な理由を伺いました。」
「正当な理由?」
アルフォンスの片眉が吊り上がる。
「私が大帝国の侯爵夫人となれば、イーゼンブルク侯爵の地位をより堅固なものにできると…。これからの戦いの場は宮廷サロンで、美と知性そして権力によって政治を動かすことができると、言っていました。」
ベアトリーチェは、少し怖いことに気づいた。
ダニエルは友好的だったが、腹の底ではベアトリーチェの利用価値を計算している。
この目の前にいる侯爵も、やはり自分のことをそう思っているのではないか、と。
「余計なことを聞いたようだな。」
心底呆れたような声が返ってきた。
ベアトリーチェは身構える。
「それらは全て奴の持論だ。美と知ならずして権力成り立たず。正しいと言えば正しい。公国を説得する理由としても十分だろう。だが俺の理由は違う。」
「違う、とは…」
「言っただろう。俺が求めるのはお前の心だ。ただ惹かれている。宮廷での地位など興味は無い。別に社交界など出なくてもいいし、あまり見せびらかしたくも無い。」
顔にじわじわと熱が集まる。
つまり彼は、私を利用するつもりなど毛頭なくただ本当に私という存在を求めているのだ。
「シーゼ卿は壮大な計画を立てているが…目をつけられたな。奴の頭の中で今頃パズルのピースがハマっていることだろう。」
(計画?)
ダニエル・フォン・シーゼ子爵という人物が一気に分からなくなってきた。気のいい好青年かと思いきや、突然鋭い目になり淡々と話し出したりと、一体何者なのかとベアトリーチェは訝しげな表情を浮かべた。
「別に不穏なものでは無い。だが、相応の権力下にないと出来ないから奴は私についている。言うなれば私はただのパトロンだ。」
ますます分からない。けれど2人の間で利害が一致しているのだろう。そしてそのダニエルの計画にベアトリーチェも組み込まれているらしい。
「それで、結論は出たか?」
「え?」
「昨日。続きは後日聞くと言っただろう。」
「あ、」
アルフォンスが立ち上がり、ベアトリーチェに手を差し出す。ベアトリーチェは自然に手を取り立ち上がった。
「待つ、というのは難しいな。」
ベアトリーチェの髪を優しく耳にかける。
繋がれた手も、触れられた耳も、髪さえも熱い。
思わず目をそらす。
あの冷たかった瞳は今はもう無く、ベアトリーチェを優しく見つめていた。
ベアトリーチェが顔を真っ赤にして固まっているのを、アルフォンスは「まだ答えが出ていない」と解釈した。
「さっきは、怖がらせてすまなかった。」
そういうと、ゆっくりと繋いだ手を離し扉へと歩いていく。
「あのっ…侯爵…」
「焦らなくていい。まだ待てる。」
ベアトリーチェの方を振り返らず、片手を軽く上げて扉から出ていった。
アルフォンスがティールームから出たところを、レオナルドが遠くから見つめていた。
「まずい」




