好きの違い
ベアトリーチェは例の如く、1人ソファのすみでショールを頭からかぶり丸くなっていた。
心が忙しかった。
『お前の心が欲しい』
あの、渇望するような黒い瞳が忘れられない。
これまでの人生で心を求められることなど一度もなかった。ベアトリーチェ自身も、求めたことはない。
心が欲しい、とはなんだ。
(落ち着いて、ベアトリーチェ)
そう、自分に言い聞かせた。
『最後に残るのが私であって欲しい』
またあの声が頭の中に響く。
(最後…好きの、最後…?)
ふと、ダニエル・フォン・シーゼの顔が浮かんだ。
優しく『心に従う』ことを教えてくれた。
初めて、明日はレモンの砂糖漬けが食べたい、と選んだ時の心の震えは今も鮮明に残っている。
いつも笑顔でベアトリーチェを気遣ってくれる青年であり、公爵家が望む縁談相手だ。
(シーゼ子爵は、好き。)
すっ、と心に浮かぶのはその言葉だった。
話していてとても安心する。
明日も会いたい。
では、イーゼンブルク侯爵は?と考えてみる。
姿を思い出すだけで、胸の奥が鈍く痛んだ気がした。
正直に言うと最初の出会いは最悪だったと思う。
この公爵家でベアトリーチェは必要以上に誰かと口を聞くことはなかった。だから、あの時初めて会ったにも関わらず少々棘のある言葉を投げかけられてムッとしたことを覚えている。
(苛立ったのは、初めて。)
そしてセカンドダンスの時にもまたベアトリーチェは苛立った。『人形のようだ』『心はどこにある』と好き勝手言われて、ベアトリーチェの17年間を否定された気がした。自分の意志ではどうにもできない公爵家の圧力を受け入れて、諦めて、自分自身を偽りの仮面に隠してきた。だが今となっておもえば、
(私は、自分に苛ついていた)
これまで一度も感情が出なかったわけではない。
愛されない悲しみや、道具としか思われていない虚しさは常に感じていた。
どうにもできないことに怒りを覚えるなどそれこそ虚しいだけだと思っていたが、心の根底ではそんな諦めしかできない自分に苛ついていたのかもしれない。
そんなの、私が一番分かってる、と。
(あのときに、心を呼び起こされたんだ)
あの黒い瞳はいつも私を追い詰める。私の心の奥を見透かすような強い眼差しにいつも逃げたくなる。
なぜ、逃げたくなるのだろう。
いつもいつも、胸が苦しくなるのだ。
(あの人の言葉はいつも、鋭く胸に突き刺さる。…そうか、あの人の心の声をそのまま伝えられているからだ。)
すべて偽ることのない本心をぶつけられている。
『心のままに生きていい』も『俺を選べ』も『君の意志を尊重する』も『お前が欲しい』も。
すべて、本心。
ぎゅっと膝を抱きしめた。
顔が熱い。胸が痛い。苦しい。
でも、(うれしい)
あの自信に溢れた黒い瞳が、偽ることなく自分に投げかけられる言葉が、好きだと思った。
『もう、逃げないでほしい』
そうだ、あれも本心なんだ。
もう逃げない、と言ったが、果たしてできるだろうか。今自覚した自分の心に、素直に従えるか。
明日、もし会ったら、一体どんな顔をしたらいいのだろう。会いたくない、でも、
(会いたい…)
ふと、疑問に思う。
この『好き』の違いは、何?
シーゼ子爵にも、イーゼンブルク侯爵にも、
明日会いたいと思った。
しかし何か違う。安心感と、胸の痛みと。
ここまで頑張って考えたのに、行き詰まってしまった。
(明日、シーゼ子爵に聞いてみよう)
またしてもダニエルに矛先が向いた瞬間だった。




