心のまま
視察3日目。
ダニエルは困り果てていた。
今日も昨日と引き続き首都近郊の視察日だったが、ダニエルは数人の護衛と書記官とともに公爵邸で書類を確認していた。
応接室の間に使節団用の執務机が設けられており、そこで仕事をする。
トントントン。
(また来た)
ダニエルは警戒した。
「失礼いたします。子爵様、そろそろご休憩されてはいかがですか?」
1時間ごとにメイドが来るのだ。
もう3回来た。
「いやぁ〜、ははは。なかなかキリのいいところにならなくて。」
本当だ。
「承知いたしました。」
そしてあっさり下がる。
レースの間から窓の外をちらり、とマイヤー書記官が確認する。
「シーゼ卿…公女様、まだおられます…」
本当に心苦しい。だって本当に仕事は山積みなのだが、アルフォンスがいない隙に公爵家が圧力をかけてくる。ベアトリーチェを人質にして。
だがここで誘いに乗ってしまったら、侯爵にあとで刺し殺されるのではないかという恐怖心が勝っていた。
トントントン。
応接室に緊張が走る。
先程の訪問からまだ5分も経っていない。
「シーゼ子爵様、お部屋に篭りきりではお体にも障りますし…お外の空気でも吸いに行ってはいかが?」
真打の登場だった。
公爵夫人直々に言われたらもう着いていくしか道はない。
「…はい、…お気遣いありがとうございます…」
書記官が、あぁ…という憐れみの目をむけていた。
庭園の薔薇は見頃を迎え、色とりどりに咲き誇っている。その庭園の傍には白い石造りの東屋が建っている。ベアトリーチェは1人、何時間もそこに座ってダニエルを待っていた。エメラルドの瞳には、なんの感情も映っていない。
「あら、ベアトリーチェ。ここにいたの。」
(白々しい。)
ダニエルはこっそりため息をつく。
テーブルの上には茶会のセッティングがされている。
「お母様。…シーゼ子爵、よろしければご一緒しませんか?」
ふわりと微笑むベアトリーチェに、ダニエルは心が痛くなった。
「…光栄です。」
メイド達が紅茶を準備し、公爵夫人は仕事を終えたと言わんばかりに笑顔で去って行った。
「…いつから、ここに?」
「つい先程です。」
「…お疲れではないですか?お体が弱いと伺っていましたが。」
「お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。」
ベアトリーチェの瞳からは何の感情も得られなかった。たまらず、ダニエルはメイド達を下げる。
「あまり、心を殺すのはよくありません。」
「…」
「お体は大丈夫ですか?」
「体は…弱くありません。いたって健康なのです。」
ベアトリーチェは苦笑いした。
ダニエルの穏やかな話し方と心遣いに心が少しほぐれた。
「それは良かったです。お待たせしてすみません。」
「いえ、こちらが勝手なことを…。謝るのは私のほうです。」
「公女様が謝る必要は微塵もありません。…一応、お伝えしておきますが僕は結婚する意思はありません。」
「えっ…」
「侯爵閣下がいますからね。」
「…」
侯爵。
ベアトリーチェはドキリとした。
昨日の『俺を選べ』という声が頭の中に蘇る。
「心のままに…とは、どういうことでしょうか。」
「え?」
ベアトリーチェは、つい昨日から疑問に思っていたことを聞いてしまった。すぐに余計なことを言った、と思い訂正しようとする。
「あ、いえ、なんでもありません。」
「自由に、ということですよ。」
ダニエルはニコリと笑って続けた。
「今日は紅茶じゃなくてハーブティーがいいな、とか。肉よりも魚が食べたい、とか。…公女様は何色がお好きですか?」
色。頭に思い浮かぶのは、あの漆黒だった。
何故かは、わからない。
「特には…。」
困らせてしまっただろうか。
そっとダニエルを見るが、気にした風もなく続けた。
「ふむ…。『心のまま』も『自由』もざっくりしすぎですね。そうだなぁ。…好きだと思うものを増やして、これとこれならどっちが好きかな?って選択することですかね。嫌いなものがあってもいいです。これは嫌いなんだって選択肢から避けることができますから。それが自由に心に従うということだと思います。」
ベアトリーチェは戸惑った。
「私は、好きとか嫌いとか、考えたことがありません。」
ダニエルは頷きながら優しく話をつづける。
「今からでも遅くはありませんよ。まずは公女様自身をより知ることです。目につくものを「これは好き?嫌い?」とご自分に聞いてみてください。」
これはどうですか?とダニエルが2つ指す。
「マカロンはお好きですか?」
甘くてサクサクした食感は紅茶にとても合う。
「…これは、好きです。」
「では、レモンの砂糖漬けは?」
酸っぱいけれど砂糖で甘くコーティングされ、つい手が伸びる。
「これも、好きです。」
「では、明日も食べたいのは?」
明日。明日を想像する。私は明日、どちらが欲しい?
「レモンの、砂糖漬け…。」
ダニエルは一層笑みを深くした。
「いま、公女様はご自分で選んだのですよ。心が欲しいと思うものを。」
ベアトリーチェは、初めて心が震えるのを感じた。
「できましたね。」
「…はい。」
ダニエルがまるで小さな子供を褒めるように優しくベアトリーチェを見つめる。
ベアトリーチェもまた、今まで感じたことのない安らぎが胸に広がり優しく微笑んだ。
「シーゼ卿っ!シーゼ卿!!」
ダニエルの視界の端で、何かが動く。
ドミニクが囁き声で、かなり焦ったように身振り手振りで伝えている。
こちらを今にも刺し殺しそうな形相でアルフォンスが睨んでいた。
終わった、とダニエルは思った。




