駆け引き
ベアトリーチェ・ディ・トスカ トスカ公国公女
アルフォンス・フォン・イーゼンブルク 帝国侯爵
*帝国貴族
ダニエル・フォン・シーゼ 商人上がりの子爵
ドミニク・フォン・シュルツ 40代半ばの伯爵
*トスカ公国
レオナルド・ディ・トスカ ベアトリーチェの異母兄
アルフォンスが少しばかり穏やかだったのには理由がある。
今朝、シュルツ伯爵に諌められたからだ。
「閣下。未婚の女性、しかも公女様の手にキスはやりすぎです。」
「…わかっている。」
「帝国の侯爵閣下なのですよ。紳士に。スマートに。」
「たとえば」
「紳士たるもの『待つ』ことを覚えねば。早急すぎるのです。貴方が望めばなんでも手に入るでしょうが、それでは心は手に入りませんよ。」
「…」
「なんですかその顔は。」
という会話をダニエルは柱の影から聞いていた。
あの侯爵閣下が臣下に諌められている。
シュルツ家は代々イーゼンブルク家に仕えてきた家系で繋がりが深い。シュルツ伯爵もまた、アルフォンスが生まれた時から彼のことを知っている兄のような…言っていることは父親のようだが、気安い関係のようだ。
この会話は聞かない方がいいだろう。
ダニエルは軍事関係の書類を抱え直し、そっと立ち去ろうとした。
「おや、シーゼ卿。」
見つかった。
「僕は何も聞いていません。」
「まだ何も言っていない。」
「閣下、シーゼ卿を見習うことです。昨日の彼はステップは確かに覚束なかったですが、とてもスマートに公女様とお話していましたよ。ねぇ。」
そういう振りはやめていただきたい。
「いや、まぁ、その、ねぇ?」
だめだうまい返しが思いつかない。
「追ってはいけない、と言うことだろう。つまり。」
かなり不機嫌そうだ。
「…まぁ、そういうことになるんですかねシュルツ伯爵?」
「…極論すぎますが、そうです。」
「あの、そもそもの確認なのですが…」
ダニエルは勇気を出して、できる限りの小声で話を続けた。
「閣下は、公女様を、その、正妻に迎えたい…であっていますか…?」
「……」
アルフォンスは腕を組んで考え込む。
「あれだけのことをしておいて、それは違う、は通用しませんよ。」
すかさずドミニクの厳しい声が飛ぶ。
男3人が肩を寄せ合いコソコソと話す姿はかなり異様だった。公爵家の使用人たちは、なにかまずいことでも起こったのではないかと遠巻きに見ている。
「…欲しいとは思っている。」
ダニエルとドミニクは顔を見合わせる。
これはおそらく、長い戦いになるぞ、と。
「仕事に戻る。」
気まずくなったのか、アルフォンスは足早に執務室へと戻って行った。
その後ろ姿をみて、「…初恋ってやつだな。」とドミニクが小さく呟いた。
この一連の会話を踏まえてのベアトリーチェとの対峙だったのだ。
アルフォンスは、『追わない』を頭に刻み込んでいた。しかし、『気安く触れない』はインプットされていなかった。そのためベアトリーチェはさらなる混乱に陥った。
そして、トスカ公爵側でも密かな会話がなされていた。
「侯爵に嫁げば実質的に我々より地位が上がります。公国防衛や経済発展でいえばかなりいい条件ではありますが…やはり私生児ですから…」
「レオナルド、言いたいことは確かだが。侯爵が動いてしまったらどうしようもない。」
「…私は嫌ですよ。私生児ごときに頭を下げるなんて。なんと言ったかしら、あの…」
「シーゼ子爵」
「そう。シーゼ子爵でも十分だと思います。」
「だがなぁ…」
「あれでも一応公女ですから。爵位だけ見れば侯爵よりも上です。ベアトリーチェが子爵を選べばいいのですよ。」
「うーん…」
「母上、街の視察の時にそれとなく2人にするのはいかがですか?」
「そうね。それがいいでしょう。レオナルド、頼みましたよ。」
公爵は、夫人の侍女に手を出したことで夫人の実家から問い詰められベアトリーチェの件に関して強く言えない。
私生児だが高貴な血が流れていることと将来性を見込んで生活の質は確かに保証していたが、夫人の「ベアトリーチェと必要以上の口を聞いてはいけない」という公爵家全体への命には何もいえなかった。
そしてこの件に関しての一番の被害者は
ダニエル・フォン・シーゼだった。




