17
三日目の午後、街道が川沿いに変わった。
窓から見える川は広く、水が透き通って見えた。
「綺麗な川ね」
アルシアが呟いた。
「ヴェルナ領を流れる川だよ」
とアルベルトが言った。
「領地に入ったんだ」
「もう領地なの?」
「端の方だけどね」
アルシアは川をじっと見た。
川沿いに村が見えた。小さな村だった。
馬車が村の近くで止まった。
「少し休憩しよう、馬にも水を飲ませてやらないとな」
村の人たちが馬車に気づいて集まってきた。
アルベルトの顔を見て、深々と頭を下げた。
「伯爵様、お帰りなさいませ」
「久しぶりだ。みんな不自由はないかい?」
「へぇ、おかげさまで」
アルシアは村を見渡した。川のすぐそばに家が並んでいた。
川から直接水を汲んでいる人がいて、洗濯をしている人もいた。その側で子どもが川で遊んでいる。
その少し上流に視線をやると、釣りをしている人と釣ったのであろう魚を捌いている人がいた。
アルシアは何も言わず、しばらくそれを見つめる。どのくらい眺めていただろうか、不意にアルベルトに話しかけた。
「ねぇお父様」
「なんだい」
「あの人たち、川の水をそのまま飲んでるの?」
「そうだよ。この辺りは川の水が綺麗だから」
「煮沸しないの?」
アルベルトが首を傾げた。
「しゃふつ?」
「火にかけて、沸かすことです」
「……なぜそんなことを?」
アルシアが少し考えた。
「お肉って、生で食べたらどうなりますか?」
「お腹を壊すね」
「なんで?」
「中に悪いものがいるから火を通すんだよ」
「じゃあ水は?」
アルベルトが止まった。
「水は……」
「水にだって、悪いものがいるかもしれないじゃないですか」
「水は透き通っているから」
「エドが病気になった時、体の中の悪いやつは目に見えなかったですよね」
アルベルトが黙った。
「見えないだけで、水の中にもいるかもしれない」
しばらく沈黙が続いた。
アルベルトとアルシアの話を近くで聞いていた、村人の一人が言った。
「あの川の水で腹を壊すことも、たまにありますよ」
アルシアが勢いよく振り返った。
「たまに?」
「ええ、夏場とか、雨の後とか」
「どのくらいの人が?」
「そんなに多くはないですが、子どもはよく……」
村人が少し言いづらそうにした。
「子どもは特に、腹痛がひどいことも……」
アルシアが真剣な顔になった。
「やっぱり水の中に何かいるかも…」
「アルシア様」
とヴィクター先生が羊皮紙を持ちながら近づいてきた。
「川の水に目に見えないなにかがいると?」
「うん、でも煮沸すれば悪いやつはいなくなると思うの。」
「煮沸する……」
「だってお肉も焼いたら大丈夫なのだし、エドの時も、熱が出てたじゃないですか。体が悪いやつと戦ってた。だから体自体が熱くなった」
先生が止まった。
「体が熱くなるのは……防御反応?」
「そうだと思う。だから水も熱くして、悪いやつをやっつければいい」
「…………」
先生の羊皮紙を持つ手が震えていた。
エドワードが小声でアルシアに言った。
「アリー」
「なに」
「それ、本当にそうなのか?」
「わからない。でも多分」
「多分って……」
「試してみないとわからないけど、きっとそう」
エドワードはしばらく川を見た。
「……俺が病気になったのも、水が原因だったりするか?」
アルシアが少し考えた。
「わからない。でもエドの時は違うかも。悪いやつがいるのは、水だけじゃないのかもしれないし」
エドワードが川を見たまま黙った。
それから静かに言った。
「……領地の井戸や川は大丈夫なのか」
「それを確かめたい」
エドワードはもう一度ため息をついた。
今度は呆れではなく、少し違う色のため息だった。
アルベルトは子供達の会話を全部聞いていた。考え込むように黙って川を見つめる。水面に光が反射し、透き通ったみずがキラキラと輝いている。
ヴィクター先生がアルベルトに近づいて来た。
「伯爵」
「……わかっています」
「アルシア様の話が正しければ…」
「領地の衛生を根本から、見直さないといけないかもしれない」
その言葉に先生も頷いく。
今までの真剣な表情が崩れ、アルベルトからふっと笑みがもれる。
「面白い考えだな」
温室で品種改良の話を聞いた時と、同じ声だった。
たっぷりと休憩をとった馬車が再び動き出した。川沿いの道を進む。窓から先程の川が見えている。さっきまで綺麗だと思っていた川が、今は少し違って見えた。
アルシアはエドワードだけに聞こえる声で話しかける。
「エド」
「なに」
「汚れた水と飲む水を分ける方法ってないのかな」
「……水をわける?」
「水をきれいに使うための仕組みなんだけど」
「それは」
「領地でできるかな」
エドワードが窓の外、川を見る。そして、深く、深くため息をついた。
「……着いてもいないのに」
「気になるんだもの」
しばらく進むと窓の外に、領地の村々が見え始めた。遠くに、大きな屋敷の屋根が見えた。
「見えてきた」
とアルベルトが言った。
「領地の屋敷だよ」
アルシアが窓に顔を近づけた。その目が輝いていた。
エドワードは興味深々に外を見つめる、アルシアの横顔を見た。
(この人と一緒にいると、世界がどんどん変わっていく気がする)
そう思った。悪くなかった、少しだけワクワクする。
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