15
出発の朝は早かった。馬車が三台、荷馬車が二台、ヴェルナ家の一行は夜明けとともに王都の門をくぐった。
カリナが馬車の窓から身を乗り出す。
「おおきいー!!」
「リナ、落ちるから座って」
初めてみる城壁の外景色に大興奮のカリナをレオナルドが引き戻した。
「でもでもー!!」
「座って」
「はーい」
アルシアは静かに窓の外を眺めていた。王都の石畳が、少しずつ遠くなっていく。
馬車が街道に入ると、景色が変わった。石畳から土の道へ。建物が減って、緑が増えた。
「空が広いね」
隣のエドワードに言った。
「ああ」
「領地ってどんなところだろう」
「行けばわかる」
「それはそうだけど」
エドワードが少し口元を緩めた。窓の外に、麦畑が広がっていた。
しばらくして、昼過ぎに最初の宿場町に着いた。
昼食をとるために立ち寄った町は小さかった。街道沿いに宿と食堂と雑貨屋が並んでいる。行き交う人は少ないが、のんびりとした空気があった。
馬車から降りると、アルシアは手のひらを見た。
「手を洗いたい」
「……は?」
エドワードが振り返った。
「馬車に長く乗ってたから、手が汚れてる気がして」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないと思う」
「貴族の令嬢が宿場町で手を洗うとか……」
「だめなの?」
エドワードがため息をついた。
「水を頼んでみる」
「ありがとう」
エドワードが宿の人間に声をかけた。
しばらくして、桶に汲んだ水が運ばれてきた。その水でアルシアが手を洗った。
それを見ていた宿の主人が首を傾げた。
「何かございましたか?」
「いえ、手を洗いたかっただけです」
主人がもっと首を傾げ、エドワードがため息をついた。
夕食の後、アルシアはトイレに行った。
戻ってきた時、少し考え込んでいた。
「どうした?」
エドワードが聞いた。
「……トイレが、その」
「その?」
「穴だった」
「……宿場町だからな」
「においが、その」
「仕方ない」
「なんとかならないのかな」
「なんとかって……」
アルシアが真剣な顔で考え込んだ。
エドワードはしばらくアルシアを見てから、深くため息をついた。
「アリー」
「なに?」
「今夜は考えるのをやめて寝ろ」
「でも」
「寝ろ」
アルシアは少し考えてから、頷いた。
「……わかった」
エドワードはほっとした。
その夜、ヴィクター先生は部屋で羊皮紙に熱心に書き込んでいた。
「宿場町の衛生環境に対する反応……汚れてないのに手を洗う習慣……排泄設備への関心……」
書きながら呟いた。
「……神よ」
領地まで、まだ数日ある。
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