-40- 託された手紙
エバンのところへ向かおうとしたルミアーナだったが、それはできなかった。
隣の部屋から襲撃(確証はないが、そうである可能性が高いと思っていた)の物音が聞こえたあとで、すぐに多くの村人が扉を突き破り、ルミアーナの泊まる部屋へとなだれ込んできた。狂気の滲み出るような彼らの目つきや、手にした凶器を見れば、もはや正常な人間ではないのは明らかだった。
多勢に無勢と判断したルミアーナは、逃走という選択肢を即決した。
剣の柄で窓を叩き割り、そのまま飛び降りた。杖を手にしていたので、それを使うことで無傷で着地することができた。
振り返った彼女はエバンが泊っている部屋にも多くの村人が乗り込んでいるのを目にした。しかし襲われている様子はなく、『追え!』、『逃がすな!』という叫び声が聞こえた。
(あなたも逃げられたのね、エバン)
きっと彼も、今の自分と同じように宿から逃走したのだろう。
風呂に入ったばかりで、ルミアーナは全身をまた雨に打たれることになってしまった。しかし、そんなことを気にしている状況ではない。
きっと、すぐに追手が来るはずだった。それにエバンを探さなくてはならず、とにかくこの場に留まっている理由はない。
どこに行けば、と思った時、ルミアーナはゆかるんだ地面に刻まれた足跡を見つけた。
まだ新しく、周囲のそれとは違って宿から遠ざかる方向に付いている――エバンのものである気がした。この先に、彼がいるのかもしれない。
「今は少なくとも、これくらいしか手がかりがないわね」
ルミアーナの声が、雨音に吸い込まれていく。
これが、本当にエバンの足跡かどうかは分からない。しかし、あてもなく闇雲に進むよりは合理的であると思えた。
時間が経てば、雨がこの足跡をかき消してしまうだろう。ルミアーナは、足跡が向かう先に進もうと決めた。
その最中で幾度か村人の襲撃を受けた。魔物と化しているようだが、どうやら彼らに飛び道具はないようで、魔法の光弾を放てるルミアーナは簡単に対処できた。
「悪いけど、そこを通して」
今は魔物であるとはいえ、彼らも元はこの村で暮らしていた。畑を耕したり、漁に出たり、それぞれ仕事を持っていて、それぞれ家族もいたであろう罪のない人々だ。
倒すことに心が痛まなかったわけではないが、魔物のまま生き続けることを彼らが望むとは思えない。ルミアーナの脳裏に、バルバーラやアロスティーネのことが思い浮かぶ。魔物にされた時点で、すでに人としては生きていないのだ。
光弾を受けて吹き飛ばされ、動かなくなった村人のそばで、ルミアーナは足を止めた。
(この人達を魔物に変えたのは、一体……!?)
その時だった。
「があああああっ……!」
雨音を裂くような悲鳴に、ルミアーナは振り返る。
エバンの声ではないことは分かった。同時に何かを振り下ろす音や、ズシャリという嫌な音も聞こえてきた。
「まさか……!」
駆け出したルミアーナは、家屋の陰に位置する場所で、その光景を目の当たりにした。
見開いた彼女の目に映し出されたのは、複数の村人がひとりの騎士を取り囲み、斧や短剣で嬲られている現場だった。騎士の鎧には、ロヴュソールの国章が刻まれていた。
すでに抵抗できないほどの傷を負わされている彼は、ロヴュソールの兵士だ。
それを認識したのと、ルミアーナが叫んだのはほぼ同時だった。
「やめてっ!」
村人達が振り返る。
顔を見ただけで、全員が魔物化しているのが分かった。そもそも、こんな惨くて残酷な仕打ちができる時点で、正常な人間ではないことは明らかだった。
村人達がルミアーナのほうへ向かってくることはなかった。
ルミアーナの放った多数の光弾が、何よりも先に彼らを吹き飛ばして行動不能にさせたからだ。
「はあ、はあっ……!」
オプスキュリアの魔力を使ってはいなかった。
それでも焦りと怒りを伴った光弾にはそれなりの魔力、それに威力が込められており、村人達を蹴散らすには十分だった。
ルミアーナはすぐに、兵士へと駆け寄った。
建物に背中を寄りかからせている彼は、腹部や腕などを何か所も刃物で傷つけられていた。
「う、ぐ……」
朦朧となって見開かれた彼の目が、ルミアーナのほうを向く。
ルミアーナは地面に腰を下ろした。近くで彼の顔を見て、魔物化していないことを確認する。短い赤毛と左頬の傷が印象深い、年若い騎士だった。見たところ、年齢は20代中盤くらいと思われた。
「その黒薔薇……君はロヴュソールの者か……?」
口の端から血を流しながら、彼は問いかけてきた。
ルミアーナが身に着けていた、黒薔薇のブローチに気づいたのだろう。
「違うけど、エバンの協力者よ。国王陛下の命を受けて、あなた達を助けに来たの」
「副団長の……? そうか、礼を言う……ごほっ!」
騎士が血反吐を吐き出した。
致命傷を負っているのはもはや明らかで、すでに瀕死の状態にある。
「待っていて、すぐに助ける……!」
ルミアーナは杖を持つが、助けられる自信はなかった。
多少の傷ならば魔法によって治癒できるが、ここまで傷つけられた人を救おうとした経験はない。
「いや、いい……もう、どうせ間に合わない……!」
騎士は手を伸ばし、ルミアーナを制した。自らの命がもはや風前の灯であることは、彼自身がもっとも理解していたのかもしれない。
やっと見つけ出した生存者を、ルミアーナは助けたかった。
しかし成す術がない。彼女ができたのは、せめて伸ばされた彼の手を握りしめることだけだった。どうしてそんなことをしたのかは、分からない。
「これを、持って行ってくれ……中身を読んでも大丈夫だ」
震える手で差し出されたボロボロの紙切れを、ルミアーナは受け取った。
瀕死の騎士は、じっとルミアーナを見つめてきた。
「せめて、看取ってくれる人がいただけでも……幸せ、か……」
その言葉を最後に、彼の瞳から生気は失われた。
彼はもう、それ以上何かを話すことはなかった。
救うのは無理だった。ルミアーナにできたのは、騎士が村人に殺害されるのを阻止して彼の寿命を少しだけ延長し、手紙を託されることくらいだった。
握っていた手を、ルミアーナはそっと彼の胸元に置いた。
まぶたを下に撫で下ろし、見開かれていた目を閉じる。それくらいしか、ルミアーナは彼にできることは思い浮かばなかった。
託された手紙を、開いてみた。
――いつまで生きていられるか分からないから、この村について分かったことを、できるだけ書き残しておく。
俺達ロヴュソール兵団が到着した時、このアズル村はもはや魔物の巣窟と化していた。しかも、そこらの魔物じゃない。正体を隠して人間に擬態し、獲物を確実に包囲して殺害する狡猾さを持ち合わせた化け物どもだ。
何も知らずに踏み入ってしまった俺達は、まさしく火に飛び込む蛾だった。
この手紙が誰かの手に渡る頃には、おそらく俺含め兵団は全滅しているだろう。魔物と化した村人どもは個々の戦力は低くとも、恐ろしいほどの大群で襲い掛かってくる。奴らも魔物に変えられた被害者であることは間違いないだろうが、とてもじゃないが同情している余裕などなかった。
姿形は人間だが、人間性を残さず刈り取られたあいつらに、もはや容赦はない。
それからもう一点、この村の端にある『湖』には近づかないほうがいい。
偶然にも連中の話を盗み聞いたのだが、そこには村人とは比較にならない、恐るべき化け物がいるという話だ。
連中いわく、この村では古くから豊穣と息災を祈願して赤ん坊を湖に投げ込み、殺害するというおぞましい風習があったそうだ。少なくとも俺には、『口減らし』だとしか思えない理不尽で身勝手極まりない悪習としか思えないが……
そうして積もり積もった赤ん坊の魂、それを元に生み出された恐ろしい化け物……さすがに何かの嘘だと思いたいが、連中がそう言っていたのは間違いない。どうか用心してくれ。
書きたいことはまだあるが、もう書けそうにない。
ロヴュソールの国王や団長、副団長に心から礼を言いたい。
それから、残してしまうであろう妻と娘のことが心残りだ……こんな俺と家族になってくれてありがとう、本当にすまないと伝えてほしい。
雨に打たれながら、周囲を警戒するのも忘れ、ルミアーナは手紙を黙読した。
有益な情報とともに、胸に込み上がるものは多かった。
この手紙は、絶対にエバンに渡さなければ。そう決意して、今一度騎士のほうを見やる。
「たしかに、受け取ったわ」
ルミアーナは駆け出した。しかし足を止めて、今一度彼を振り返った。
(もう少し早ければ助けられたかもしれない……本当にごめんなさい……)




