三十八 その声に背中を押され
ショッピングモールの屋上で、爆発音が何度も響いていた。
元々は駐車場だったその場所で断続的に閃光が迸り、土煙が巻き上がる。
その中心に一つ、黒い影が浮かんでいて、その周りを青いパーカーの男が目まぐるしく動き回っているのが見えた。
戦っているのか。
エニグマと、オーガが。
「命中だあっ! 今のは十点ってところだな!」
だが、戦況は一方的なようだった。
逃げるオーガに向かって、エニグマが例の魔法を放ち続けるだけ。
ボンっと音がして吹き飛ばされ、オーガがコンクリートの上を転がる。
「楽しいなあ、おい。こうやってお前を追い詰める日を、待ってたんだよ」
膝に手を添えて、やっとのことで立ち上がろうとするオーガをもう一度魔法で弾き飛ばして、宙に浮かんだエニグマは満足そうに笑う。
まるで勝負になっていない。
とどめを刺さないのは、いたぶって遊ぶためなのだろう。
「俺、的当ても好きなんだよなあ。腕が飛んだら二十点、足なら五十点、首が飛んだら百点ってところか? そんでお前が死んだらボーナスでもう百点ってことでいいや。よし、ルールは決まりだ。それでいこう」
空中でゆらゆらと揺れるエニグマが、倒れたオーガに手をかざす。
魔力の集まり出したその手の平が淡く光りはじめるのが見えた。
その瞬間を見計らって、俺は動きだす。
割り込むなら、今だ。
「いって!」
俺が投げつけた瓦礫の破片がエニグマの頭に当たって、狙いから逸れた魔法があらぬ方向の地面を削る。
「おい、なんだよ! 外れちまった! 今のはナシだ! 誰が邪魔しやがった!」
不意を突かれたエニグマが喚き散らし、俺の方を向いた。
様子を見る限り、本気で悔しがっているらしい。
だけど、そんなのは知ったことじゃない。
俺は宙に浮かぶ魔族を見上げ、肩をすくめてみせた。
「的当てが好きなんだろ? お前に当てたら何点なんだ」
「ああ? ちょっと待てゴーグル、お前、何で……」
気持ちよく暴れていたところを邪魔されたエニグマの顔が、俺の姿を見て訝し気な表情に変わった。
なぜ生きているのか、とか、刃物で刺された傷はどうした、とか、そんなことを考えているのかもしれない。
ここからはオーガじゃなく、俺が相手をする。
そのためにまず、盛大に煽ってやるとしよう。
「なぞなぞも好きなんだったよな。お前。一問付き合ってくれないか」
エニグマが向こうの世界からやってきた魔族なのはわかってる。
だけど、あいつは俺のことを知らない。
これまでにどこで、何と戦ってきたのか、わかるはずがない。
だったら、相応しい問題がある。
「どうして俺はまだ、生きているんでしょうか? ほら、さっさと当ててみろよ」
俺の言葉を聞いたエニグマの表情が一瞬消え、すぐに笑みが戻ってくる。
「ははっ、てめえ、なかなかいいじゃねえか。決めたぜ。お前を殺したら五百点だ。絶対殺す」
どうやら挑発の効果は抜群だったらしい。
にやけ面を浮かべてはいるが、冷静さを欠いているのが目で分かる。
込められた殺意がオーガから、俺に移った。
どこまでもゲーム感覚なのは、こいつの性分なんだろう。
もう逃げ出すことはできない。
こいつを倒すか、俺が死ぬか。
結末は二つに一つ。
「最後に見る景色にしちゃ、酷い有様だな」
俺はほんの少しの間だけ、目の前に浮かんでいる魔族から視線を外し、辺りを見回す。
エニグマが暴れたせいであちこちのコンクリートが砕け、骨組みの鉄骨がむき出しになったショッピングモールの駐車場。頭上では夜の闇よりも黒い雲が、この場所を中心にして風もないのに渦を巻いている。
青いパーカーを血と埃で汚し、ボロ雑巾のようになって転がるオーガが、それでもまだ立ち上がろうとしているのも見えた。
あいつもまだ、諦めていないらしい。
傷だらけになっても足掻くと、決めているみたいだ。
「お前が力を取り戻して、やりたかったのはこんなことか」
息を吐いて、エニグマを見据える。
くだらない。と、思った。ふざけるな。と、怒りが込み上げてくる。
「そうだよ! この平和ボケした世界で、俺がやりたいようにやる! そのために五年もクソみたいな生活に耐えてきたんだ。五年だぞ、五年! わかるか、ゴーグルくん!」
わかるさ。
五年という時間の長さなら知っている。
苦しみ続ける地獄なら味わった。
こんな奴のせいで。
こんなくだらない奴の身勝手な企みのせいで、苦しんだ人、悲しんだ人、犠牲になった人がいる。
殺された古森と尾長。
攫われて、今もどこかに一人でいるはずの妻崎。そして。
いろはは、あいつはずっと後悔し続けてきた。
自分は生きていていいのか、なんて。
あの時、自分は死ぬべきだったんじゃないか、なんて、そんな想いを抱えながら。
自分が悪かった。
生きたいと願わなければ良かったなんて、悲しいことを考え続けていたんだ。
だとしたら、俺は。
「殺してでも、お前を止めるぞ」
「へえ、そうかよ」
どうでもよさそうに鼻を鳴らしたエニグマの手が光るのと、俺が駆けだしたのは同時。
一瞬前まで自分が立っていた場所が消し飛ぶ爆風を背に受けて、俺は加速する。
「どうした、かかってこいよ! ゴーグル!」
可能な限りの大股で一歩一歩踏み出し、跳ね、転がる度に、すぐ後ろの地面が爆ぜるのがわかった。
止まれば当てられる。だから、動き続ける。
一定のペースで、エニグマの周りに円を描くように走り回る。
焦るな。
あいつはまだ遊び半分で、適当に攻撃してきている。
こうして逃げ回っていればあの爆発を使える頻度が、タイミングが、読めるようになる。
手が光って、爆発。手が光って、爆発。手が光って、爆発。
次も同じだ。
エニグマの手が光った瞬間、俺は外套の裾から抜いたナイフを投げつけた。
「うおあっ! ぐああっ!」
俺の投げたナイフが手の平の前を遮ったことで、エニグマの魔法が自らの手元で暴発した。
その隙は逃さない。
すかさず投げたもう一本のナイフは、エニグマの肩口に真っ直ぐ突き刺さった。
「痛ってえ……ひひっ、はははっ、あああ! 面倒臭えなあ、てめえは!」
ナイフを引き抜くと同時に叫んだエニグマの体から、濃い黒の影が吹き出した。
ショッピングモールの屋根を吹き飛ばした時と同じだ。
途轍もなく密度の高い魔力の気配を感じる。
ここからは、あいつも本気ということだろう。
あの黒い影を使って攻撃してくるはず。
俺は狙いを定められないよう、できるだけ屋上のスペースを広く、速く、不規則に動き回る。
「ゴキブリかよ、てめえは! いいさ、潰されねえよう、頑張って逃げてろ!」
苛立たしそうに吼えたエニグマの体を覆っていた影が膨れ上がり、俺に向かって一気に襲い掛かってきた。
枝分かれし、意志を持っているかのように折れ曲がりながら、俺の体を貫こうと鋭利な形になった影の先端が迫ってくる。
その数は、十か、二十か、とにかく多い。
それでも、躱し切るしかない!
目を凝らせ。反応しろ。予測して、動き続けるんだ。
「もっとだ! そおら、がんばれって!」
身をかがめ、反らし、捻り、跳んで、回って、前に出て、下がって。
避け続ける俺に向かって、追い打ちのように黒い影の槍がさらに数を増して伸びてくるのが見えた。
今度は無理だ。
最小限の動き、最適、最善を尽くしても、全てを無傷でやり過ごすことはできないのがわかる。
「ぐ、ううぅっ!」
頬と、二の腕、脇腹を影が掠めていったことで、肌が裂ける。
致命傷じゃない。動き回るための脚も無傷だ。
だが、俺はすぐに自分が置かれている状況に気付く。
「……くそっ」
周りをエニグマが放った影に囲まれてしまっていた。
茨のように絡み合った無数の黒い線が、俺の動きを阻んでいる。
走り出すことができない。
脚を、動きを止めてしまった。つまり。
「さあ、吹き飛べよ!」
あの爆発が、来る!
エニグマが俺に向かって手をかざしているのを見て、咄嗟に腕で顔の前を覆う。
せめて意識だけは保たないと。
ここで終わるわけにはいかないんだ!
「…………?」
空気が震える轟音は聞こえた。
しかし、覚悟していた衝撃はいつまでたってもやってこない。
まさか、外れたのか?
俺は顔を庇っていた手を下ろし、目を開ける。
「……あんた、何で」
ゴーグルの向こう側に青い背中が見えた。
フードを被った男が腕を交差させ、俺の前に立ちはだかるようにして両脚を踏ん張っている。
オーガが俺の盾になってくれている。
その事実を一瞬、理解できなかった。
「ごちゃごちゃ言ってる暇はない。倒すべき相手が誰かは俺もわかっている」
振り返らずに言って、オーガは構えを解いた。
濃紺のパーカーは血と粉塵と擦り切れでボロボロになり、満身創痍だ。古森に踊らされていたせいで、俺がつけた傷もある。
それでも青い鬼は宙に浮かぶ本当の敵を見据えて、立っていた。
「俺はもう、壁くらいにしかならん。お前が仕留めろ」
低く呟いたオーガの言葉の意味が理解できないほど、俺も間抜けじゃない。
力を合わせようと、一緒に戦ってくれるのだと、言っているのだ。
「ありがとう。恩に着る」
短く礼を言って、俺は二歩前に出た。
オーガと並びながら、エニグマを倒す方法に考えを巡らせる。
安全策はない。
一か八かの方法で、しかも失敗すれば命を落とすようなやり方しか思いつかなかった。
それでも今は、賭ける。
やるしかないと腹を括るんだ。
「一気に突っ込むぞ。俺が前に出たら、あいつの所に届くよう飛ばしてくれ」
言いながら、俺は腰元から異世界から持ち帰ったナイフを抜き、右手に意識を集中させる。
このナイフはただの刃物じゃない。
向こうの世界で元々の魔力が少なかった俺の能力を底上げしてくれる力が宿っている。
刃に使われている金属が空気中の魔力を吸収し、柄を通して使用者に与える。
こっちの世界じゃ普段は使い物にならないが、エニグマが派手に暴れてくれたおかげで、今は本来の働きができるようになっている。
そのことはさっき腹の傷を魔法で塞いだ時に確認した。
魔力を吸収すると言っても、その量はたかが知れている。
でも今は、そのたかがで十分だ。
「正面から行くのか? またあの黒い影みたいなのに捕まるぞ」
「それは全部避けるしかない。気にしないで力一杯やってくれ。後は自分でなんとかする」
「……そうか」
できたできなかったは結果で判断すればいい。
俺は外套の留め具を外して、ナイフとは逆の左手に握る。
準備らしい準備はそれだけ。
ここから先は、自分を信じてやるしかない。
「行くぞ」
「ああ」
交わした言葉は短かった。
だけど、お互いの覚悟は伝わったはずだ。
猛然と走り出したオーガの背中を、俺は追いかける。
姿勢を低くし、その陰に隠れるようにして走る。
「邪魔だ! くたばりぞこないが!」
すかさずエニグマが黒い影の槍を伸ばしてきたが、オーガはひるまなかった。
その鋭利な切っ先をはねのけ、引きちぎり、押しのけて、進み続ける。
当然、無傷ですむわけがない。
オーガが負った傷のせいで散った血飛沫がゴーグルに当たったが、気にしない。
信じて、前進する。
あと五歩だ。五歩だけ、耐えてくれ。
五、四、三、二、一……今だ!
俺は脚に力込めて一気に加速し、オーガの脇を抜けて前に出る。
そして。
「押せ!」
力の限り、跳び上がった。
自分の足の裏にオーガの手が添えられたのを感じる。
そうだ。それでいい。
ここからは真っ直ぐ、あいつに向かって、ただ真っ直ぐに!
「ゴ、アアアアアアアアアアアアアッ!」
オーガの渾身の咆哮が耳を貫いたのと同時に、身体が重力を振り切ったのを感じた。
集中だ。
使う魔法は感覚の強化。目で、耳で、肌で、感じろ。
どうすればあそこに届くか、感覚のままに動くんだ。
エニグマが操る黒い影がゆっくりとこちらに近づいてきているのが見えた。
引き延ばされた時間の中で、俺は目を凝らし、最小限の動きで襲い掛かってくる影の先端を躱していく。
額に、頬に、肩に、脚に、掠めていったが関係ない。
勢いが死ななければ、それでいい。
「届け!」
叫びながら左手に握っていた外套を前方に投げつける。
広がった黒い布地のせいで視界が遮られるが、それは相手も同じだ。
一瞬、俺の姿を見失う。
その一瞬を作り出す。
目を閉じて、聞こえてきた音だけで、最後の黒い影の槍をかいくぐり。
「ぐ、ああああああああああああああ」
身体ごとぶつかるようにして、右手に握っていたナイフをエニグマの胴へと突き刺した。
悲鳴が聞こえても容赦しない。
刃を捻って、さらに深く捩じり込む。
もう二度とこんなチャンスはやってこないだろうから、とどめを刺すしかない。
「う、がっ、はあっ」
しかし、俺もただではすまなかった。
宙に浮いていられなくなったエニグマと一緒に落下し、そのままアスファルトに叩きつけられて地面を転がる。
落ちることまで考えていなかったせいで受け身も取れなかった。
衝撃と同時に、脇腹から激痛が走った。
まずいな。塞いだ傷が開いたようだ。
「痛え! ああ、くそ、いってええええええええええ!」
地面に倒れこんだ俺の視界の向こうで、エニグマが叫びながら立ち上がっているのが見えた。
脇腹に刺さっていたナイフを力任せに引き抜いて、それでもまだ、立っている。
嘘だろ。
今ので終わりじゃないのか。
あいつはまだ、動けるのか。冗談じゃない。
だったら俺も、立たなきゃならなくなっただろうが。
「ぐ、ああ! はっ、はあっ! ふ、あああ!」
腕を使って上半身を起こし、膝を立てる。
笑いだす脚を叱咤し、立ち上がる。
普段なら一秒もかからない動作だ。
だけど、今は一つ一つの動きがとてつもなく重い。気が狂いそうなほどに、しんどい。
「クソ、クソが! ゴーグル、てめえ、まだやろうってんだな! 何なんだよ、お前! 何で俺が人間なんかに刺されてんだよ! ふざけんなふざけんなふざけんな! 何で、思い通りにいかねえんだ!」
駄々をこねるように喚き散らすエニグマに向かって一歩進みながら、思う。
かすむ視界の中で、荒い息の中で、俺を支えてくれるたくさんの人のことを思い浮かべる。
「……当たり前だ。この町には、この世界には、誰かのことを大切にしようとする人が山ほどいる」
久郎、久郎、久郎、と俺の頭の中に名前を呼ぶ声が響くように。
自分ではない人を思いやり、少しだけ身を削ったり、我慢したりして、支え合うことを幸せだと感じる人達がいるんだ。
俺が帰ってきたこの町に、そんな人達がいる限り。
「お前の好きになることなんて、一つだってあってたまるか!」
俺一人だけだったら、諦めていた。
立ち上がることも、こうして拳を握ることもできなかっただろう。
それでもまだ、俺は前に進める。
走り出せる。
背中を押す声が聞こえてくるから。
「こっちに、来るんじゃねえ!」
突っ込む俺に向かって、エニグマが右手をかざすのが見えた。
しかし、遅い。
その右手を下から弾き上げ、俺は自分の右の拳を振りかぶる。
強く、大きく、力の限り、脚を踏み出して。
「これで、終わりだ!」
振り抜いた拳が、エニグマの顎を捉える。
肉と骨を衝撃が貫く手応えと共に、黒い魔族が後ろに倒れ込んでいった。
最後は気合と根性論です。




