三十六 名前のない謎
「お、前は……誰だ?」
途切れることなく襲ってくる痛みを堪え、寝そべったまま顔を上げる。
こいつは妻崎じゃない。
だとしたら、本物の妻崎を見つけるためには、まず目の前の奴の正体を見極める必要がある。
「いーい質問だ。なあ、ゴーグルくん、お前、なぞなぞで遊んだことあるか?」
パチンと一度手を叩いて、妻崎の姿をしたそいつはしゃがみ込み、俺の顔を覗き込んでくる。
「あの遊びで楽しいのはよ、どう考えてもなぞを出す方だよな? 相手が考えても考えてもわからないって表情を楽しんで、最後の最後に勿体つけて答えを教えてやるんだよ。お前より、俺の方が賢いってな。あの瞬間がたまんねえんだよ! わかるだろ! なあ! はははははははっ」
けたたましく笑い声をあげながらそいつは立ち上がり、俺の頭を踏みつけてきた。
「だあから、答え合わせが終わるまでお前は殺さない。俺が、楽しむためにな」
足の裏で、何もできない俺の頭をひとしきり床に擦り付けた後、勿体をつけるようにゆっくりと歩き出し、そして、くるりとふり返ったその瞬間。
「まあ、まず、この顔を見ろよ」
そいつの顔が、一度歪んで、姿を変えた。
妻崎の顔ではない別の人間のものに変わったのだ。
「……なんだよ、それ」
「じゃじゃーん! 久しぶりだな、ゴーグルくん。この間は俺を脅してくれてどうもありがとよ」
変化の後でそこに立っていたのは、古森だった。
尾長の手下の一人で、大した特徴もなければ、根性もない。
少しずる賢いばかりのチンピラだと思っていた相手。
顔だけじゃない。
背の高さや身なりに至るまで、妻崎から古森へと完全に変わってしまった。
「まさか、お前も、魔物の力を持ってたのか……っ」
「あっあー、半分はずれだな。確かに俺には自分の見た目を自由に変えられる力があるけどよ。このさえない顔した奴ならもうくたばってる。五年くらい前にな」
「五年、前、だって?」
「この顔がスタートってだけで、真実じゃない。言ってる意味、わかるか? おい」
愉快そうに笑みを浮かべる古森の言葉の真意を、俺は考える。
自由に姿を変えられる力。
妻崎でも、古森でもない、別の誰か。
魔物の力。
いろは。
全ての、始まり。
「……お前、五年前にここで暴れた奴か」
全てが繋がった。
こいつが何者なのか。
元々居た誰かではないのなら、こいつは別の場所からやってきた、本来居るはずのない誰かだということ。
「あれ? おい、お前なんでそれ知ってんだよつまんねえ……いやいやいや、そうか、お前あの女と繋がってるんだもんな。全然おかしくねえか。おっけおっけ、むしろ、話が早くて助かるわ」
俺の言葉を聞いて真顔になった古森が、すぐにへらへらとした表情に戻る。
それを見て、わかった。
こいつは、楽しくて笑っているわけじゃない。
相手の心を乱して、不快感を植え付けるために笑う奴なのだ。
だからいつでもにやけ面を消せるし、可笑しくもないのに笑い声を出せる。
「俺が元々こっちの世界の人間じゃねえことは、お前も知ってるんだよな? 魔族っつったもんな、お前。その通りだよ。俺は現代っ子がみんな大好き剣と魔法の世界からやってきました悪の使いです、よろしくね」
わざとらしくおどけて見せながら、古森はぺらぺらと喋りだす。
真実を語りたくて堪らないと言わんばかりの様子で、その口が、ジェスチャーを交えた手が、目まぐるしく動く。
「五年前に初めてこっちの世界にやってきた俺は、嬉しさのあまりはしゃぎすぎてちょいとしくじっちまってな。情けねえことに警察の、なんか、すげえバージョンみたいな奴らに殺されかけちまった。銃ってやつ? あれ怖えんだよ。下手な魔法より速くて痛いし、いっぱい飛んでくるから避けらんねえんだもの」
マジであの時は死ぬかと思ったね、と軽く言って、古森は肩をすくめる。
「仕方ねえから、俺は近くにいたコイツを殺して、入れ替わった。そっからはまあ、しょうもないクズどもの下っ端としての生活だよ。こそこそこそこそ暮らしながら、たまーに学校に通ってるクソガキとか、会社とかいうので働いてるオッサンになりすまして、こっちの世界について色々とお勉強してきた」
「勉強、だって?」
なぜ魔族のお前が、そんなことをする必要がある?
そんな俺の疑問に、古森は即座に答えた。
「チャンスを待ってたんだよ。その時が来るのを待つことにしたんだ」
両手の人差し指を立てて、くるくると意味もなく回しながら古森は落ち着きなく歩き回り、言う。
「俺はな、我慢したんだ。都合のいい女に種を蒔かせて、町の不良どもにちょっとした力を与える。そうしてこの町が変わっていくのを待つことにした。本当はもっと、早く片付くはずだったんだがよお」
ぎょろり、と古森の目が動いて、俺ではない方を向く。
「そこの青パーカーが余計なことしやがったせいで、思っていた以上に時間がかかっちまった」
古森が眉間に皺をよせ、不愉快そうに見ているのはオーガだった。
その視線には明確な敵意が宿っている。
「だっておかしいだろ! 力を持ったバカが山ほどいるんだぞ! 五年も時間があればもっと滅茶苦茶のぐちゃぐちゃになってるはずだろ! この町はよ!」
大袈裟に両手を広げた後、古森はぐしゃぐしゃと自分の髪の毛をかき混ぜる。
納得いかないと、訴えるように。
自分の思い通りにならないことに腹を立てた子どものように。
見るに堪えないような苛立ちをわざと形にする。
「バランスができちまったんだ。頭の悪いガキどもが暴れ過ぎないようにするための掟みたいなもんを、そいつが作りやがったせいでな。ほんと、予想外だったぜ」
はあああああーあ、と長ったらしい溜息を吐いて古森が肩を落としたのは僅かな間のこと。
「でも、やっとそのバランスが崩れる日がやってきた。ほんと、嬉しくて涙が出るかと思ったぜ」
目元に手で覆い、鼻を鳴らす下手くそな泣き真似の後、古森はまた俺を見る。
「全部、お前のおかげだよ。愛してるぜ、ゴーグルくん」
「……俺のおかげ、だって?」
「ああ、そうさ。覚えてるか? お前が尾長っつうトカゲ野郎をぼっこぼこにしたあの日だよ! 俺はお前を見て思いついた! こいつは使える、この青パーカーを潰す方法があるってなあ!」
尾長と戦った、あの日?
あの時からすでに、始まってたってのか?
古森の言葉を信じるなら、こいつはあの日、尾長と一緒に居たことになる。
俺はこいつを脅して情報を得ようとさえしたんだ。
あそこからもう、こいつの思惑通り進んでいた?
俺が気付いていなかった何か。
古森の計画。その目的はつまり。
「お前と、青パーカーを戦わせる。そんで決着がついたら俺がどっちもまとめて始末するアイディアだよ。そのために、俺はずうっと動いてきた。表からも、裏からもなあ」
べろりと舌を出し、片目をつぶって、古森は囁くように問いかけてくる。
「さて、お前は今日までに何度も俺に会って騙されています。それは、いつでしょうか?」
俺に答える時間は与えられなかった。
古森は自分の顔を指さして、すぐさま続ける。
「最初はこの顔の時だ。俺はお前に脅されてるふりをして、オーガを意識させる布石を打った」
そう言った古森の顔がまたぐにゃりと歪んで、鱗のような編み込みのある特徴的な髪形の男へと変わる。
「……お、なが?」
「そう、次はこの顔だ。俺は尾長と入れ替わって、沢尻や岩田とお前を引き合わせた。オーガの奴が一番悪い。あいつが自分たちの敵だって思い込ませるためにな」
そういうことだったのか。
俺は尾長に二度目に会った時のことを思い出す。
岩田や沢尻と戦った廃工場で、尾長は蹴りの一発であっさりと気を失った。
あの時、俺はリザードマンの姿になっていなかったから、不意をつけたから倒せたのだと判断した。
それが、こいつの演技だとも知らずに。
そして、俺は岩田や沢尻と二度目に戦った後、オーガが危険な奴だと感じることになった。
それは何故だったのか。
決定的な原因を作ったのは、そう。
「じゃあ、尾長の奴を殺したのは……」
「ああ、俺だよ。お前のおかげであいつ、気を失ってたからな。楽だったぜ」
何の躊躇いも、罪の意識も感じられない顔で、尾長の顔をした古森が頷く。
人一人の命を奪っておいて、大した手間ではなかったかのようにへらへらと自分の行いを認める。
こいつは、異常だ。
尾長や岩田や沢尻や、オーガとは、違う。
ただの悪人なんじゃない。
自分を悪だと思っていない。
目的のためならなんでもできてしまう、本当の意味での邪悪な存在。
「お前が、尾長を!」
「あ? うるせえよ」
古森の言葉に声をあげたのは、今まで黙って寝そべっていたオーガだった。
怒声をあげて立ち上がりかけた青いパーカーの男に向けて、古森が手をかざす。
その手の平から目に見えない魔力が膨れ上がり、オーガの体の前で爆ぜた。
「おいおい、まだ答え合わせの途中だろ? 先生が喋ってる時は静かにしなさいよ」
なすすべなく吹き飛ばされて壁にぶつかったオーガをせせら笑う姿が、尾長から古森のものに戻る。
今の爆発には見覚えがあった。
公園で俺がオーガにやられたのと同じやり方だ。
「三回目はまたこの顔な。路地裏でわざとお前に捕まって、オーガについての情報を与えてやった。この時にはもう、お前はそこの青パーカーが人殺しの極悪人だとしか思えなくなってたよなあ?」
こいつの言う通りだ。尾長を殺した犯人。
町の不良を影で支配する存在。
目的のためなら手段を選ばない残虐性。
古森から聞いたことを元に、俺は頭の中にオーガの人物像を作り上げた。
それが古森にとって都合のいい思い込みだと気付きもせず、鵜呑みにした。
「そんで、この姿はお前に直接見せたわけじゃねえけどよ。そこの青パーカーになりすまして、警察のえらい奴の娘を攫った。警察には誘拐犯を、町のチンピラどもには尾長殺しの犯人を、お前だっつって探させる。お前とお前のお仲間にはオーガがやったと伝えて、こいつのアジトまでの痕跡を与える。これで準備完了」
古森の姿はオーガと同じ、青いパーカーの男に変化していた。
図書館の横の公園で俺と妻崎を襲ったのも、こいつだったわけだ。
確かに、さっき戦ったオーガは一度もあの魔法の爆発を使ってこなかった。
「ここまでの流れは理解できたか、ゴーグルくん? んん?」
「…………」
「おいおいおい! 頼むから黙って死ぬのだけはやめてくれよ! まだあるだろ、俺に訊きたいことがさ。ほら、質問タイムだ。なぞなぞを楽しもうぜ」
戦い方にしても、この場所で交わした言葉にしても、違和感はあったはずなんだ。
だけど、俺は最後までこいつの手の平で転がされ、いいように使われてしまった。
「お前の……目的は? ここまで手の込んだ真似をして、何がしたいんだ」
「そうだよ、そう! いいねえ。そういうのを訊いてくれなきゃやったかいがねえ。よかろう。冥土の土産に教えてやる。これ、一度でいいから言ってみたかったんだよな! はははははははっ!」
体をくの字に折り曲げて、手を叩きながら古森が耳障りな笑い声をあげだす。
かと思えば、唐突に声を落とし。
「力を取り戻すためさ。この俺、本来のな。五年間、それだけを考えてきた」
両手を広げ、深く息を吐いて、本当は古森でも尾長でもオーガでも妻崎でもないそいつが言う。
「苦労したぜ。ほんと、この世界は魔力が溜まらねえんだよ。力がほとんど使えねえ」
天井を仰いでうんざりしたように呻くその言葉の意味を、俺は理解できた。
本来ならばこの世界では有り得ない感覚だ。
魔族だというこいつと、向こうの世界で経験を積んだ俺だけが自覚できている感覚だろう。
「足りないんだよな。どいつもこいつも安心しきってる。上辺を取り繕って、本来の姿を隠してやがるんだ。窮屈で息が詰まりやがる。もう、うんざりなんだよ」
魔力とは文字通り、魔の力。
そのことを教えてくれたリファさんは言っていた。
誰にでも黒い部分、負の部分があるのだと。
人々の心のどこか、世界の端っこに溜まったマイナスのエネルギーを利用するのが魔法なのだと。
それだけに、気をつけなければいけないのだと。
「だから、俺がちょっと揺すってやったんだよ。この町に、不安と、恐怖と、怒りと、憎しみが満ちるようにな! お前も感じるか? 俺は感じるぜ、もう十分だ」
こいつの思惑通り、俺とオーガが争うまでの間に、尾長が死んで、妻崎が誘拐された。
今、不良たちが町を歩き回って見境なく暴れ始めている。
警察も物々しい様子で捜査をしているはずだ。
その様子をたくさんの人達が見ているんだろう。感じているんだろう。
秩序とそれを守る存在に綻びが生まれて、普段は陰に潜んでいる危険が剥き出しになった時。
魔族や、魔物の力の糧となる何かが溢れ出す。
安全なはずの、この世界であってもそれは同じだ。
「俺が作った混乱は、俺の力になる。ようやく取り戻せた。いい気分だ、ああ、マジでな。はははっ」
また、姿が変わった。
だけど、そいつは今度こそ初めて見る誰かの形をしていた。
黒い髪、どちらかといえば白い肌、背は高くもなければ低くもない。
手足はやや細いくらいだろう。
顔立ちに特徴らしい特徴はない。
男を描けと言われて適当に描いたらそうなったような、平凡で、物語の主人公にも、通行人にもなれそうな、その姿。
「はははははははははっ、あはっ、ははははははははははははははははははっ」
どこにでもいるような顔をしたそいつは、濁った眼を細め、狂ったように嗤っている。
「答え合わせは終わりだ。手始めに一発、派手なのをかましてやるからよ!」
声を張り上げたその全身から、黒い闇が溢れ出し、建物全体が揺れているような地鳴りが始まった。
魔法だ。それもかなり大きな規模の。
まずいのは分かっているのに、身体が動かない。
「お前には世話になったな、ゴーグルくん! 感謝の気持ちを込めて教えてやるよ。これから死ぬまでの短い間、覚えときなあ! 俺の、名前は!」
男の体から急速に膨れ上がった闇が、一本の太い柱となって天井と床を貫いた。
轟音と共に生まれた爆風が周りにあった全てのものを飲み込み、破壊し、消し飛ばしていく。
『名前の(ネーム)ない(・)謎!』
舞い上がる粉塵と、降り注ぐ瓦礫の中。
俺は、そう名乗った男のけたたましい笑い声が遠のいていくのを感じた。
私はなぞなぞ遊びというのが、昔から苦手です。
わからないと悔しいし、わかると相手が嫌そうな顔をするからです。
その感覚を敵役の姿にしてみました。




