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三十一 変身

 梶さんから貰った特別製のスーツに着替えた俺は、犬走の家の地下を出て夜の町を走り出していた。


 かなり激しく動いているはずなのに、衣擦れの音がほとんどしない。

 なるほど、これは確かに、気をつけないとバサバサやかましい音を立てるビニール製の合羽とは大違いだ。


「犬走、次は?」

「右」


 道順を尋ねると、隣を走る犬走から相槌のように短い言葉が帰ってきた。


 今回は犬走も最初から魔物の姿になって、四足で走っている。

 こっちもかなり速度を出して移動しているつもりだが、まだまだ余裕がありそうだ。


 犬走の答えた通り目の前の道を右に進みながら、俺は頭の中にいろはからの指示と、町の大雑把な地図を思い浮かべた。

 スタート地点は、妻崎と一緒に居た図書館近くの公園だ。


『久郎くんが襲われた場所がここで、防犯カメラにオーガからのメッセージが残されていた場所がここ。時間的にあんまり差がないことを考えると、オーガは妻崎ちゃんを攫ってからこっちに向かったと思うんだあ』


 俺達は今、闇雲に妻崎を探し回っているわけではない。

 いろはがオーガの行動を予想して、身を潜めていそうな場所を割り出してくれた。


 目的地は、学校から一キロほど南に離れた位置にある。


『それでね、今、街中のいろんな場所の防犯カメラの映像を覗いたんだけど、ちょうどオーガが向かってそうな方角で、こわーいお兄さんたちがたくさん集まりだしてる場所があるの。これ、多分、偶然じゃないよね』


 いろはの言っていることが事実なら、チンピラどもは見張り役といったところだろう。

 これはオーガの指示、というより、尾長殺しの犯人にされているらしい俺が、そっちに向かっているという情報を流されたと考えた方が良さそうだ。


 事情はよく知らなくても、襲ってくる。

 体のいい番兵だ。


 ただ、守りを固めるということは、そこに何かあると宣言しているようなものでもある。


『そして、その場所っていうのがさあ……』

「あそこか」


 見えてきた。

 俺はゴーグルの下の目を凝らして、オーガの根城らしい大きな建物を見据える。


 そこは、見覚えのあるショッピングモールの跡地だった。

 五年前に異世界へと飛ばされる直前まで、俺が居た場所。


 魔族が現れ、力を振るい、いろはが死にかけた場所でもある。

 町に現れた魔物まがいの連中や、そいつらを支配している奴が引き起こした誘拐事件。

 今回の件は全て、ここから始まったとも言えるはずだ。


 まさか、よりにもよってこの場所とはな。

 偶然にしては、できすぎているだろう。


 遠目に見ても、モール跡の外壁には、内装がむき出しになるほど大きく壊れている場所があるのがわかった。

 魔族の奴が引き起こした爆破騒ぎとやらの爪痕だろう。

 どれだけの間、人の手が入っていないのか、三階建ての大きな建物からは、廃墟特有の寂しさや不気味さが感じられた。


「橋爪、ちょっと待って」


 そこで、犬走が声をあげピタリと立ち止まった。

 そのまま進もうとしていた俺も、一旦、足を止めて振り返る。


 何か理由があるんだろう。今さら怖気づくような奴じゃないのはわかっているが。


「どうした?」

「やっぱり、多いね。このまま突っ込むと面倒くさいことになるよ」


 犬のように伸びた長い鼻面をすんすんと鳴らして、犬走が顔をしかめた。


 多い、というのはチンピラの数のことか。

 俺もモール跡の方にもう一度注意深く視線を飛ばす。


「煙草に、お酒、あとこれは……髪の毛につけるベタベタしたやつの臭いか。ろくでもない連中の臭いが嫌んなるほど入り混じってるよ。十人以上、下手したら二十より多いかもしれない」

「なるほど。それだけいるんじゃ、流石に見つからないまま中に忍び込むのは厳しいか」


 いくら俺が闇に紛れてこそこそ行動するのが得意でも、限度がある。

 廃墟とはいえ、目の前の建物は元々ショッピングモールだ。

 入り口までの間に身を隠し続けられるような遮蔽物の数は少ない。


 大勢に見張られていたら、気付かれずに侵入するのは不可能に近いだろう。


『おい、橋爪。そのスーツなら町のゴロツキが持ってる武器ぐらいなら問題にもならんはずだ。いっそ、強引に突っ込んで行ってみたらどうだ?』


 耳元の無線機から、今度は梶さんのじれったそうな声がした。

 俺はもう一度、自分の格好を確認する。


 合羽の代わりに身に着けているのは、上半身を丸ごと覆うような黒い外套。形だけならポンチョに近い。表の黒い布地には刃物を通しにくい特殊な素材が使われているんだそうで、裏側には大量の投げナイフが仕込まれた収納が備えられている。

 ポンチョの下は、胸元と手に異世界から持ち帰った金属板が組み込まれている黒の長袖。

 そして、顔の下半分から首元にかけては、肌にぴったりと張り付くようなグレーのフェイスマスクで覆われている。マスクにはご丁寧にも鼻の下あたりに三つ、紫色のV字模様が入っていた。


 何の素材でできているのかは知らないが、軽いし、よく伸びるし、肌触りも風通しもいい。


 これに丸いゴーグルを合わせて、高い建物の縁にでもしゃがめば、確かに枝にとまったフクロウのようなシルエットに見えるはずだ。


 梶さんがかなりこだわって作ったところなんだとか。


「……できるだけ、武器の類は節約したいんですけどね」


 俺は背中の収納と、腰元のホルスターに収まった投げナイフ、そしてもう一本。

 異世界から持ち帰った刃渡りの長いナイフに意識を向けた。

 かなりの量を持ってきたはずだが、二十人を殺さずに相手して余裕があるかと言われれば、ギリギリのところだろう。


 だからといって、ここでこのまま尻込みをしているわけにもいかない。


 今はとにかく動かなければ、貴重な時間が無駄になっていってしまう。


「仕方ない。行こう」


 俺は割り切って走りだそうとしたのだが。


「どうした、犬走」


 犬走がついて来ていない。

 そのことに気づいた俺は、すぐに足を止めて振り返った。

 見ればこれから敵陣に乗り込もうとしているはずなのに、犬走はいつの間にか魔物化も解いてしまっている。


 日本人離れした明るい髪の色とやや褐色の肌をした女子の姿に戻った犬走は、俺を見て少し気まずそうに顎の下のあたりを指先で掻き、視線をそらした。


「何か、気になることでもあるのか?」

「いや、その、なんていうかさ。大したことじゃ、ないんだけど」

「なら、後にしてくれないか。今は……」

「後でじゃ、駄目なんだよ。ごめん。ちゃんと言うよ」


 時間がないってのに煮え切らない返事をされたことで、声色に少し苛立ちが混じってしまった。

 それを感じ取ったのだろう。

 犬走は頭を振って、もう一度、俺を見る。


「また、助けてもらってるね。橋爪」


 それは、とても小さな小さな声だった。

 でも、ちゃんと聞こえた。

 これは、お礼なんだろうか?


 だとしたらとても珍しい。

 犬走は基本、俺のことが嫌いなのだと思っていたから。


「お互い様だ。俺も、お前らに支えられてる」


 特に犬走には直接、助けられてきた。

 確かに最初、俺は尾長からこいつを救った。

 だけど、その後すぐに岩田や沢尻に半殺しにされたところを助けてもらったし、倒す時にも力を合わせた。

 今回の件でも、危険なのがわかっていてついてきてもらっている。


 本心を伝えたつもりだったが、犬走から返事はなかった。

 そのかわりに。


「とりあえず倒さなきゃいけない敵は五人。正面の入り口の所に固まってる」


 そう告げて、犬走が目を細める。

 確かにモールの入り口に、いくつかの人影が見えた。


 偶然通りがかった感じじゃないな。張り込まれている。

 このままではあそこから中に入ることはできそうにない、か。


「仲間を呼ばれると、面倒だな。別の入り口を探すか?」

『残念ながらあ、中に入れそうなところにはぜーんぶ怖いお兄さん達が待ち構えてるみたい。空でも飛べない限り、相手をしないで入るのは難しいかもねえ』

「やっぱり、片付けるしかないんだな」


 いろはも今の状況を何かしらの方法で確認しているんだろう。

 その報告に思わずため息が出た。


 無理矢理突っ切って、中にまで追いかけてこられたらそれこそ厄介だ。

 ここで全部倒しておくしかない。


 俺が諦めて、駆け出そうとした時だった。


「私が、やるよ」


 すっと、一歩、犬走が長い脚を踏み出して前に出た。

 やるって、こいつ、意味わかってるのか。


「雑魚っぽいのは全部、私が相手しとくからさ。橋爪、あんたは中で、やることやってきなよ」

「お前、あの人数から、まだどんどん増えるんだぞ? 大丈夫なのか」

「いいから。任せときなって」


 俺の心配をよそに、犬走には全く退く気配がなかった。

 いつもの仏頂面で、睨み付けてくる。


「私、こんな感じだから、伝わりづらいとは思うけどさ。あんたには感謝してるんだ」

「感謝? なんのことだ?」


 不意に、犬走の表情が柔らかくなったことで俺も面食らう。

 その通りだ。こいつの感情は読みづらい。


「いろはのこと、助けたいって言ってくれた。私はそれが、すごく嬉しかった」


 おい。嘘だろ。まさか。見ているもの、聞いている言葉が信じられず、絶句する俺の前で。


「友達は、大事だもんね。ちゃんと助けてきなよ」


 犬走が微笑んでいた。

 俺に向かって、目を細めて、本当によく見なければわからないけれど。


 確かに、笑っている。


「く……くく、犬走、お前な」

「な、なに? あ、ちょ、わ、笑うなコラ!」


 この状況、このタイミングでかよ。不器用にもほどがある。

 おかしさを堪え切れず、俺が吹き出してしまったせいで、犬走のせっかくの笑顔が消えてしまった。


 それを残念だと思ってしまうくらいには、可愛い顔だった。

 もうちょい、とげのない表情をしてれば、こいつも間違いなく美少女なんだけどな。

 損な性分だよ、まったく。


「おい! 笑うのをっ! やめろっ!」

「わかった、わかったから! あんまでかい声出すなって! 気付かれるだろ」


 ボスボスと拳を振り下ろして殴りかかってくる犬走を止めて、俺はふうっと息を吐く。

 そういうねらいがあったのかどうかは知らないが、今のでだいぶ肩の力が抜けた。


 なんとかしなければならないと、胸の中で張り詰めていた緊張が、緩んだ心の隙間から空気のように抜けていく。


 なんとかなるさ、なんとかするさ。


 ほどよい硬さで、ほどよく柔らかい考え方が戻ってきた。


「犬走。任せて、いいんだな」

「うん。そう言ったでしょ。でも、私が暴れだしたら立ち止まったり、振り返らないこと」

「……? なんでだ」

「本気を出すとさ、見境がなくなるんだよ。自分でも抑えきれなくなる」


 躊躇うように呟いた犬走の言葉から、察する。

 こいつはどうやら今まで、本気を出していなかったらしい。

 あの犬のような魔物の姿は、全力じゃなかった。

 そういうことなのだろうか。


「わかった。ただし、誰も殺すなよ」

「あー……ちょっと、自信ない」


 そこまで危ないのかよ。


 言っていることの物騒な感じとは裏腹に、犬走が困ったように小首をかしげる。


 調子に乗ってからかって、こいつを怒らせるのはやめよう。

 とりあえずそれは肝に銘じておくとして。


「私が先に行く。あんたはついてきて、敵のところで追い越す。それでいい?」

「ああ」


 前に出ようとする犬走を、今度は止めない。

 心配なことはあるけれど、今は信用して任せる。


「いろいろ、ありがとね。頑張りなよ……久郎!」


 橋爪の、は、まで出かかっていたのを飲み込んで、犬走が最後に呼んだのは俺の名前だった。

 その表情を見ることができたのはそこまで。


 犬走が猛然と、弾丸のように敵の方へ突っ込んで行く。


 俺が後を追うその背中が、みるみるうちに姿を変えていった。


 始めはぞわりと明るい茶色の髪が逆立って、全身に広がりだす。

 走る脚が二本から四本に変わって、一気に加速する。

 そこから先は初めて見る変化だった。


 犬走の毛の色が根元から変わっていく。

 白、でも、灰色、でもない。


 夜の微かな月明かりに照らされて波打つその色は、銀だった。


 淡い光を帯びて俺の目の前を疾駆する獣は、もう飼い慣らされた犬じゃない。

 狼、と、そう呼ぶのが相応しい姿だった。


 俺が昔、恐れた、殺されかけた、あの怪物によく似ている。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 人の姿を捨てた犬走が吠えた。


 高らかに、太く、強く咆哮して、猛然と目の前の敵に襲い掛かっていく。


「なんだコイツ! 犬?」

「でかすぎんだろ! やべえよ! 人呼べ、人! 早く!」


 その牙と、爪に蹂躙され始めた五人のチンピラ達が怯え切った悲鳴をあげた。

 とてもじゃないが、俺なんか視界にも入っていないだろう。


 追い越す直前、チンピラの一人を前脚で抑え込んだ犬走と目が合った。


『早く行け!』


 血のように赤く染まったその瞳が、それだけを俺に伝えてくる。

 グズグズしてたら噛み殺されそうだ。


「ありがとな、犬走」


 互いに頷き合ったのは一瞬のこと。

 相手の無事を願う、短いやり取りだ。


 俺は轟く獣の遠吠えを背に、妻崎がいるはずのショッピングモールの中へと踏み込んだ。

 私は正直、猫より犬の方が好きです。

 猫派の人、すみません。

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