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三十 ナイト・クロール

 家族に連れられて一度家に帰ってから、俺はすぐに自分の部屋の窓から抜け出した。


 母さんや、姉ちゃんには「疲れたから寝る」と伝えてある。

 運が良ければ、明日の朝まで俺がいなくなっていることには誰も気がつかないだろう。


 ゴーグルと、雨がっぱや投げナイフ入りのホルスターを突っ込んだ鞄を持って、俺は犬走の家まで走った。


 電車を待っている時間はない。

 幸い、もうすっかり夜も更けていたので、人目を気にすることなく屋根の上を走ったり、他所様の家の敷地を突っ切ったりすることができた。


 十分ほどで犬走の家までやって来たが、今日はインターホンを使わなかった。


 あまり考えたくはないが、いろはとあの青いフードの男が本当にグルなのだとしたら、ここで鉢合わせする可能性は十分にある。

 侵入、という方法を選んだのはそれを警戒したからだ。


 これまでに何度も訪れる中で、犬走邸の防犯装置の位置は把握していた。

 カメラやら、センサーやらをやり過ごして、俺は例の秘密基地に繋がるエレベーターに向かう。


 降りる時に基地の中の連中にはどうしても気づかれてしまうが、こればっかりは他に入り口がないんだから仕方がない。

 エレベーターの扉が開いた瞬間に青いフードや、犬走に襲い掛かられることも考えに入れて、俺はいつでも動けるよう身構える。


「……橋爪! あんた、どうやって!」


 予想通り、エレベーターの扉が開いた先には犬走が待ち構えていた。

 しかし、俺の姿を見て驚きはしているようだったが、いきなり攻撃してくる様子はない。


 あの青いフードの男らしい人影もなし、か。


 地下の基地の中に居たのは、目の前の犬走と、パソコンの前のいろは、作業台の所の梶さんだけだった。


 いつも通りだ。

 俺は少しだけ警戒を解いて、エレベーターから降りる。


「悪いな、犬走。ちょっと思うところがあって、勝手に入らせてもらった」

「勝手にって……あんた、警備は?」

「すり抜けるのに大して苦労はしなかったぞ? もう少し金のかけ方を考えたほうがいい」


 唖然とする犬走の横を通り過ぎて、俺は真っ直ぐいろはの所まで歩み寄る。


「やっぱり、来ちゃったんだね。久郎くん」


 俺の顔を見たいろはは、いひひ、と意味ありげに笑った。

 昨日のやり取りのせいで思うところはあったが、今は妻崎の件が最優先だ。

 ごちゃごちゃ言っている時間はない。


 この町で起こっていることの全体像を掴むためには、こいつの協力が不可欠だろう。


「いろは、友達が妙な奴に攫われた。その犯人として警察がグレムリンを捜してる。なんでこんなことになっているのか、俺にはさっぱりわからない。知ってることがあるなら教えてくれ」

「私達のこと、疑ってないの?」


 質問をした俺を訝しむように、いろはが首を傾げてみせた。

 まあ、最悪こいつが黒幕かもとは思ったが。


「ここに妻崎を監禁してるっていうなら、今からでも暴れるぞ。でも、そうじゃないんだろ?」

「……ありがと。信用してくれて」

「疑ってなかったわけじゃない。いいから、話してくれ」


 色々考えてはみたが、いろはとあの青いフードの男が繋がっているとすれば、不可解な点が多すぎる。

 俺を襲って妻崎を攫う理由も、わざわざ警察に自分達を捜させることの利点も、こいつにはない。


 消去法というにはあまりにも雑な、ただの勘みたいなものだったが、俺の予想は当たったらしい。


「あのね、簡単に説明すると、私達、罠に嵌められちゃったみたいなんだぁ」

「罠ってことは、まずい状況なのか」

「うん。敵さんのこと、甘く見過ぎてたみたい」


 いろはは苦々しい表情で爪を噛み、パソコンの画面を見つめていた。

 どうやら軽口も叩けないくらいに、追い詰められているらしい。


「まずは今、町中で尾長さんの手下だった人達がリーダーを殺した犯人として丸いゴーグルの男、つまり久郎くんを捜してる。そして、警察も、妻崎ちゃんを誘拐した容疑者として私達、グレムリンについての捜査を始めた。まあ、ここまでなら大丈夫だったんだけど……」


 簡単に現状を整理した後、いろはは深い溜息を吐いた。


 そう。

 不良にしても、警察にしても、俺達を見つけようとしているなら身を潜めていればいいだけの話だ。

 俺や犬走はそのために正体を隠していたし、いろはや梶さんは表舞台にすら出てきていない。


 グレムリン、なんて呼び名だけで、この場所に辿り着くのは不可能だろう。


 問題があるとすれば、一つだ。

 どうしても見過ごせない条件に、俺もすぐ気がついた。


「……妻崎、か」

「そうなんだよねえ。誘拐犯から直接、私達宛ての要求があったんだよ。町の防犯カメラにいくつか、このメッセージが仕込まれてた。ほら、見て」


 いろはが指差したパソコンの画面に、白黒の画像が映し出される。


 どこかの道端だろうか?

 妻崎を肩に担いだフードの男が歩いてきて、カメラに何かを貼り付けた。


『姿を現せ。女を殺すぞ』と、そんな手書きのメモで映像が埋め尽くされる。


 つまり、このフードの男は俺達に自ら捕まれと言っているわけか。

 妻崎はそのための人質。


 こいつは俺達が人助けをしているのを逆手にとって、炙り出すつもりなんだ。

 公園での口ぶりを聞く限り、俺が目的のグレムリンの協力者だとは気付いていないようだったが、この場合は関係ない。


「いやらしい手口だよねえ。完全に、逃げ道を潰されちゃったよ」


 いろはが三つ編みをほどいた状態の長い髪を、ぐしぐしとかき混ぜる。

 こいつが妻崎を見捨ててしまわない限り、あのフードの男の企みは上手くいってしまう。


「これを全部、あの男が仕組んだのか」

「……もう大体わかったよね。あの青いフードの人が、オーガなんだよ。この町でずっと、私がばら撒いた力の持ち主たちを支配してきた人。その人に、グレムリンは目をつけられた」


 やっぱり、あいつが尾長を殺した奴なのか。


 目的のためなら人殺しでも何でもする、そういう危険な相手なのはわかっていたのに。


「私達は今、この町で一番悪い奴らってことに仕立て上げられた。これはもう、どうしようもないかなあ」


 ぐるりと椅子を回して、いろはがパソコンの画面に背を向ける。


「これが年貢の納め時、ってやつ? 私が捕まっちゃえば、ぜーんぶ丸く収まるもんね」


 お手上げ、と言わんばかりに万歳をしてみせ、いろはが投げやりに言う。


「ちょっと! いろは! あんた何言ってんの?」

「元はと言えば自分で蒔いた種だしね。いつか責任を取らなきゃいけなかったんだよぉ」


 驚いたように目を見開き、声をあげた犬走をちらりと見て、いろははへらへらと笑った。

 まるで、それが当然の報いだと言わんばかりに、突き付けられた理不尽を受け入れようとしている。


「因果応報って本当なんだねえ。その時が、いよいよ来たって感じ?」

「待ってよ。駄目だって、そんなのっ……」

「そうだな。お前は責任を取らなきゃならない」


 説得しようとしたらしい犬走の言葉を遮って、俺はいろはと向き合った。


 自分が元凶だから責任を取るべきだという、こいつの言い分には筋が通ってる。

 それで妻崎が無事に帰って来るんなら、選択肢としては最善かもしれない。


「橋爪! あんたねえ!」

「ただ、そのやり方は間違ってる。お前が捕まって、本物のクズ野郎の思い通りになるなんてこと、俺は絶対に許さないからな」


 俺が言い放った言葉に、こっちに殴りかかってきそうな剣幕だった犬走がぴたりと動きを止めた。

 その代わりに、いろはが視線を上げ、俺を見る。


「じゃあ、どうするの? 久郎くん」

「オーガを潰して、妻崎も助け出す。でも、俺一人じゃ無理だ。手を貸してくれ」

「……ねえ、久郎くん。それがどういう意味か、わかってるんだよね?」


 いろはは念を押すように言いながら、どこか冷めた目で俺を見つめていた。

 その話はもうしただろうと、視線で訴えかけてくる。


 思い出せ、と、いろはは無言で俺に伝えようとしている。


 いろはに手を貸してもらうということ。

 そして、目的はどうあれ、自分から戦う道を選ぶということ。

 それは、つまり、普通であることを捨てるということだ。


 普通の高校生にはもう戻れなくなる。


 頭の中に家族のことが思い浮かんだ。

 父さんや母さんには心配をかけることになる。

 俺に一生懸命、勉強を教えてくれる姉ちゃんの気持ちも踏みにじることになるかもしれない。

 遠華ちゃんも、悲しむだろう。


 もうどっか行っちゃ、ヤだよ。


 確かにそう言われたのに、約束を破ることになるのはわかっているつもりだ。


「こっちの世界に居場所がないって、お前は言ったよな。確かに、その通りだよ」


 ずっと、考えていた。

 こっちに戻ってきて半年。学校で過ごした二週間。ずっとだ。

 自分はどうなってしまったのか。

 どうすべきなのか。

 何が、できるのか。


「けどな、お前たちと一緒に何かしてる時は、そうでもなかったんだよ……だから」


 俺は、できることなら、許されるのなら、ただの橋爪久郎でありたかった俺は。


 拳を握りしめて、いろはの問いに答える。


「認めるよ。俺はもう、昔の俺じゃない。元通りにも、戻れない」


 何をしてでも妻崎を救わなければならない。

 でもそれは、単なるきっかけだ。


 幸せな毎日に戻ってきて、失ったものがたくさんあることに、嫌でも気づかされた。


 この世界で暮らすには、俺は危険で、異様で、歪な何かになってしまった。


 それでもだ。

 だからこそ、言えることがある。


「俺は、妻崎を助けたい。そして、それと同じくらいお前のことも助けたいと思うんだよ」


 普通の高校生に、ただの橋爪久郎に、それはできない。


 でも、そうじゃない俺になら、可能性はある。


「いろは、頼む。力を、合わせよう。」


 この言葉を選んだのは、こいつが好きな表現だと言ったからだ。

 この町で何かを失くした者同士、何かを得た者同士、似た者同士の俺達は出会ってしまったから。


 こいつを助けてやれるなら、俺にだって救いはあるのかもしれない。

 この世界に帰ってきて良かったと、心の底から思える。


 そんな気がするんだ。


「久郎くんてさ、ほんと、ずるい人」


 口を尖らせて呟いたいろはは、小馬鹿にするような、残念そうな、だけど確かに嬉しそうな表情を浮かべていた。

 その長い髪が、風もないのにざわざわと揺らめき始める。


「言っとくけど、私、重い女だからね? 優しくされると、離れらんなくなるからね?」


 淡い紫色の光が、いろはの体から放たれる。

 魔族としての力。


 過去の過ちで得た、こいつの呪い。


「後から突き放しても、遅いんだから。覚悟するんだよ、久郎くん」

「ああ。わかってるよ」


 いろはの差し出した真っ白な手を、俺は握る。

 冷たい手だ。

 だけど、優しい感触がした。


 これも魔族との契約ってことになるんだろうか。

 そんなことを思いはしたけれど、まあいい。


 どの道、俺は元々まともじゃない。毒を喰らわば皿まで、だ。


「いひひひ、そうと決まれば気合入れて、久郎くんの彼女の居所を見つけちゃうぞぉ」

「彼女ではないな。友達だ、友達」


 おーっ、と手を挙げて改めてパソコンの方を向いたいろはには、釘を刺しておく。

 テンションを上げすぎて、冷静さを失われても困る。

 こいつが一応、俺達の司令塔なのだから。


「さて、と」


 俺も着替えをしなければならない。

 そう思って、持ってきた鞄からいつものセットを取り出した時だった。


「橋爪。もうそのカッパも、マスクも必要ないぞ」


 突然、目の前にドンと、大きなアタッシュケースを置かれた。


「なんですか、これ」

「中を見りゃ、わかる」


 鈍く銀色に光るそれを運んできた梶さんは、俺の疑問に曖昧に答えて、片方の口の端を上げて不敵に笑った。


 開けてみろ。ということらしい。


 頷いて、見るからに頑丈そうな留め具に手をかけ、ケースを開いた。

 そして、息を呑む。


「待たせたな。それがお前のスーツだ。これから大勝負に挑むヒーローには、欠かせない」

「…………すごいっすね」

「だろう? 機能はまだ粗削りだが、自信作だ。ちゃんと使いこなしてくれよ」


 梶さんはゴツい拳を握って、俺の胸を軽く叩いた。

 力が込められすぎていて少し痛みすらあったが、それすらも今は心地よかった。

 俺はケースの中の自分の新しい装備を見つめる。


 これ、本当に高校生が作ったんだよな?


 見た目もそうだが、梶さんが実は三十代の職人でしたと言われても、多分、今の俺は疑わない。


「この、マークと、文字は何ですか?」


 覗き込んだアタッシュケースの中に小さく何かが刻まれていた。

 大きな二つの丸い円の間に、小さな下向きの三角形が一つと、その下には横に広がったV字が三つ。

 それが何となくフクロウを模しているのはわかった。

 だけど、そのマークに添えられたC、L、O、W、L、という五文字のアルファベットには見覚えがない。


 まあ、俺は英語も最近覚え始めたばかりだから、見慣れない単語の方が多いのは間違いないが。


「そりゃ、あて字だよ。言わばお前のもう一つの名前だな。橋爪の爪と、お前さんの名前がCLAWだろ? それにフクロウのOWLを合わせてみた。読みは……クラウル、いんにゃ、クロールっていうのはどうだ?」

「クロール、ですか。なるほど」


 なんだか泳ぎ方みたいな名前だが、かえって覚えやすくていいのかもしれない。

 クロウという音が懐かしくて、耳に馴染むのも気に入った。

 衣装と一緒に、その呼び方もありがたく貰っておこう。


「橋爪、私もアンタについて行く。それで、いいよね?」


 俺がいろはに手を貸すと伝えてから、ずっと腕を組んで黙っていた犬走がそう言った。

 睨み付けるようなキツイ視線から察するに、駄目だと言っても聞かないんだろう。


「ああ。頼むよ」


 元々、そのつもりだった。

 ここから先、妻崎を助けに行くとしたらオーガとの戦いは避けられない。


 一度は手も足も出せずにやられた相手だ。

 頭が回る奴だという事もわかっている。

 俺一人でなんとかできると、意地を張るつもりは、もうない。


 使える物は使う。

 借りられる手は借りる。

 力になるものは全部合わせて、妻崎を救い出す。


「すぐに出るぞ。準備しよう」


 いろはと、梶さんと、犬走。

 みんなが頷き返してくれるのを見てから、俺はアタッシュケースの中の自分の新しい姿に手を伸ばした。

 最後の戦いの前に、コスチュームを手に入れる。

 使い古された展開ではありますが、やっぱりわくわくしてしまうのです。

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