異の肆 少年の素質
どれだけの時間、一方的に痛めつけられていただろうか。
立っているのはいつも棒を持ったおっさんで、俺は痛みを堪えながら地面に這いつくばってばかり。
いくら力一杯棒を振り回して攻めても、簡単に受け止められ、お返しに重たい一撃をもらう。
その繰り返し。
「拾え、ガキ」
いい加減、やってられない。
棒を投げ出して座り込んだ俺に向かって、おっさんが低く言う。
「さぞ惨めな気分だろうな。でも、それでいい」
何がいいんだ。
俺が黙って睨み付けてみても、おっさんは涼しい顔で受け止めて、自分の木の棒を俺の鼻先に突き付けてくる。
「見てればわかる。お前、自分がわりと動けるほうだと思ってるクチだろ? 早死にする奴の典型だ」
「…………」
楽しそうに言うおっさんに、俺は何も言い返せなかった。
確かに俺は、今までスポーツで誰かに負けたことがあんまりない。
走るのだって、クラスでは一番速かった。体育でチーム分けする時も、頼られる方だったと思う。
それが馬鹿馬鹿しいことだと言われているような気がして、今は、すごく恥ずかしくて、悔しかった。
「お前がどこから来たのかは置いとくとしても、長生きしたけりゃ、自分のことは常に弱いと思って立ち回れ。生き残るためには手段を選ぶな。目は相手をよく見るのに使え。隙を探すんだよ」
「そんなこと、いきなり言われても……」
「まだ口を開ける元気があるなら大丈夫だな。いつまでも休むな。さっさと拾え」
おっさんに促され、俺は渋々、地面に投げ出した棒を拾い上げる。
どうせまた、叩き落とすくせに。
こんなこといつまで続けるんだよ、と、腹を立てながら力任せに棒を振り回したら、予想通り、おっさんにそれを払いのけられ、顎に一発もらってしまう。
もう、いい加減、うんざりだ。
痛いのも、馬鹿にされるのも!
「相手は自分よりも格上だ。まともに攻めても軽く受けられ、やり返される。さあ、どうすんだよ!」
「うるさい!」
偉そうに言うおっさんに、俺はまた突っ込み、返り討ちにあう。
でもまだだ。
このままは、嫌だ。
「感情で物を考えるんじゃねえ、自覚しろ! 倒してやろうとか、勝ってやろうとか、余計なことは考えるな! 弱っちいお前は、命を繋ぐことに集中してりゃあいいんだよ!」
怒鳴っているおっさんの言葉の意味は、考えない。
おっさんが手にしている棒の動きを見る。
俺がどんな方向から打ち込みにいっても、あれに防がれて反撃される。
絶対と言ってもいいくらい正確に。
絶対に、防がれる?
そうだ。
それが変わらないなら、できることはまだある。
「バカのっ、一つ覚えかよ!」
顔面を狙った一振り目は、やっぱり弾かれてしまった。
下から、上だ。
おっさんの腕が上がったら、次はどうなるか。
すかさず振り下ろされるはずだ。
狙われるのは顔か、腕か、脚か。どこにくる?
おっさんが持っている棒が動き出した。
高い位置から俺に向かって、斜め下に滑るように迫ってくる。
顔だ!
狙われているのは顔、だったら、俺はどう動かなきゃいけないか。
「!」
膝を曲げて、しゃがみ込んだ瞬間、頭の上をおっさんの棒の腹がかすめていった。
でも、当たっていない。
俺はまだ、動ける。
ゆっくりと進む時間の中で、俺はチャンスだと思う。
全身の毛が逆立つような、腹の底が浮き上がるような、脳がぎゅっと縮まるような、感覚だった。
「だああっ!」
渾身の力を込めて、下から木の棒を振り上げる。
おっさんの顎を狙ったその一撃は、今度こそ躱されることも、受け止められることもなく。
「……は?」
ばきっと、小気味の良い音を立てて砕け散った。
俺はおっさんに当たってへし折れた棒を、呆然と見る。
「惜しいな。不正解だ」
殴られたはずのおっさんは髭の奥の口をつり上げて笑い、お返しとばかりに棒を振り上げた。
ああ、駄目だった。
当たったのに、効いてない。
ズルじゃないか、そんなの。
また、やられる。
「そこまでだ。クライブ」
俺が諦めて目を閉じかけた瞬間、鋭い声が割り込んできた。
ぴたりと、おっさんの動きが止まる。
「何だよ、アイギス」
「今のは少し、大人げなかったんじゃないか? それに、もうわかっただろう」
忌々しそうに自分を睨むおっさんの視線を受け止めて、アイギスさんは固まったままの俺の横に立つ。
「この子は、普通の人間だよ。これ以上、傷つけても何も出てきやしないさ」
「……チッ、甘いこと言いやがって」
そうだった。
おっさんが俺をぼこぼこにしてたのは、悪い奴かどうか確かめるためだったんだっけか。
アイギスさんに言われて、おっさんも目的を思い出したのか、持っていた棒を投げ捨てる。
「よく、頑張ったね。最後、避けたのには感心したよ」
不意に、アイギスさんの手が頭の上に乗せられるのを感じた。
ポンポンと頭を叩かれて、ようやく張り詰めていた緊張感みたいなものが切れ、いつもの感覚が戻ってくる。
「私が鍛えてもらった時も、あんな感じだったなあ。厳しい人だよ」
アイギスさんは目を細めて、ぶつくさ言いながら焚き火の傍に戻っていったおっさんの背中を見る。
あ、リファさんと口喧嘩し始めた。
あの人は誰かに怒ってないと死ぬのだろうか。
「許してやってくれないか。あれで、親切のつもりなんだ。ああいう教え方しか、できないんだよ」
言いながら、俺の顔を見つめてにっこりと笑いかけてくるアイギスさん。
俺は何故か照れくさくなって、目を逸らしてしまう。
「彼に言われたこと、忘れないようにね。いつかきっと、役に立つから」
「役に……立つ」
俺は自分が握りしめていた木の棒を見つめる。
真ん中のところで無残に折れてしまってはいるけれど。
身体のあっちこっちが、めちゃめちゃ痛い。
だけど、おっさんの攻撃を避けたあの瞬間。
あの感じだけは悪くなかったと、そう思った。
久郎は感情の起伏が表に現れにくいだけで、根っこは負けん気の強い少年でした。
ここで文字通り、折れてしまっていたら帰ってくることもなかったのでしょう。




