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二十 橋爪久郎であれる場所

 家に着くと、案の定、母さんに素っ頓狂な声をあげられた。


「久郎、あなた、その怪我どうしたの⁉ 大丈夫⁉」


 地面を転がった時についた顔の擦り傷を見ただけで、この反応である。

 服の下の腕や脚や脇腹はとてもじゃないが見せられそうにない。


 ばれないように、治さないとまずそうだ。


「……友達に自転車を貸してもらったんだ。そんでミスって植え込みに突っ込んだ」


 明らかに動揺している母さんに、俺は用意していた言い訳を述べた。

 苦しいかもしれないが、後ろめたいことのある怪我の誤魔化し方なんて、転んだ、くらいしかないものだ。


「自転車って……久郎、何か危ないことしてないでしょうね?」

「したと、思うよ」

「え」

「もう少し練習してから、乗るべきだった。ごめん」

「…………そう。気をつけなきゃ、ダメよ」


 はぐらかすために吐いた俺の嘘を聞いて、母さんはかなり怪しんでいたようだったが、それ以上追及はしてこなかった。

 俺が何も喋らないと、悟ったのかもしれない。


 それに俺が言ったこともまるっきり見当違いではないしな。

 大丈夫だろうと思って油断していたら、痛い目に遭ったという点においては、自転車での事故と似たようなものだ。


「腹減った。晩御飯、なに?」

「ビーフシチューよ。もう少し、待っててくれる?」


 強引に怪我の話を断ち切って、俺はリビングのソファに腰かけた。

 体が沈み込む感触にこのまま身を任せてしまいたかったが、そうもいかない。

 今は急ぎで怪我を治さなきゃならないのだ。

 一晩普通に寝たくらいでどうにかなる傷じゃないからな。

 ちょっとした工夫が必要になる。


「さて、と」


 俺はソファの上に胡坐をかいて、目を閉じ呼吸を整える。

 そして、体の中の微かな魔力を意識して、それが全身を巡るよう操作し始めた。


 魔力を消費して傷を塞ぐ回復魔法とは少し違う方法だ。

 瞑想して、魔力を循環させながら自然治癒力を高める技術。

 これをやるだけで傷の治りがとんでもなく早くなる。

 無防備になるので戦闘中には行えないが、元々の魔力が少ない俺にとって向こうでも重宝した技の一つだ。

 こんな便利なものを教えてくれた姉弟子には、感謝してもしきれない。


 今は七時前だから、寝る前までやって、早起きしてもう一度。

 これで腕と脚はほぼ完治するだろう。

 肋骨の方はもう少しかかるだろうが、休みの間に暇を見つけてやっていれば病院に行く必要はなくなるはずだ。


 そんな算段をつけて、じっと動かず、目を閉じていたのだが。


「お?」


 ぽすん、と、胡坐を組んだ脚の上に何かが乗ってきた。


 片目を開けて確認すると、俺の懐に遠華ちゃんが行儀よくすっぽりと収まって座っている。


 重くはないが、いきなりだったから驚いたな。


「えっと……遠華ちゃん、どしたの?」

「んー? テレビ見るの」


 俺の問いかけに首を傾けにっこりと笑ってから、遠華ちゃん手にしたリモコンでテレビのチャンネルをいじり始める。

 そうか。ゴールデンタイムだもんな。納得だ。


「兄ちゃん、邪魔だろ。退こうか?」

「やー! ここがいい!」


 ええ、マジかよ。


 遠華ちゃんが何故かさらに深く座りなおしてきたせいで、俺は動けなくなる。

 まあ、いいか。軽いし、豆腐みたいな柔らかさのおかげでピタッと体に収まる感じするし、何より可愛いし。

 瞑想で体を、妹で心を癒すのもいいかもなと思った。


 うん、俺、疲れてる。


「クロ兄」


 しばらくして、遠華ちゃんは俺の手を握ってきた。

 手持無沙汰だったのかな、と思ったのだが。


「どっか行っちゃ、やだよ」

「!」


 テレビ番組の音よりもずっと小さな声だったはずなのに、はっきりと聞こえたその声に、俺は思わず目を見開く。

 遠華ちゃんがどういうつもりでそれを言ったのかは、わからない。


 でも、幼い彼女なりに今の俺から何かを感じたのだろう。


 どれだけ誤魔化しても完全には消えない嘘と、危険と、血の臭い。

 それが、遠華ちゃんを不安にさせた。

 俺が異世界に行ったのは、遠華ちゃんが生まれてしばらくした頃。

 実際、この可愛らしい妹と過ごした時間は戻ってきてからの半年ほどしかないけれど。


 彼女は俺を、家族だと受け入れてくれた。

 兄だと言ってくれたんだ。


「うん。わかってる」


 俺は妹の頭にぽん、と手を置いて、その髪をそっと撫でる。細くてさらさらだ。


「ちゃんと、ここにいるからさ」

「えへへ、じゃあ、いいや」


 嬉しそうにはにかんで、遠華ちゃんがさっきまでよりもほんの少しだけ強く俺に体重を預けてきた。


 天使かよ。と、多幸感に悶えかけたが、ぐっと堪える。

 遠華ちゃんがテレビを観るのを邪魔しちゃいかん。


「ただいまー、お母さん、お腹すいたー」


 そこで、妻崎と一緒にバレーで体を動かしてきたらしい姉ちゃんが帰ってきた。

 若干、くたびれた様子の姉ちゃんはリビングのドアを開けるなり俺と遠華ちゃんの姿を見て。


「ああ! なんか羨ましいことしてる! お姉ちゃんも混ぜて!」


 いきなりのしかかってきた。


 え、なんなのこの人。


「やー! お姉ちゃん、重いー!」

「いって! おい! 姉ちゃん頼むから今は体重かけてくんなって! ほんとに痛いから!」

「えー、なんでー? ってうわ! クロくんどうしたのこの怪我!」

「だから痛いっての! 説明するから離れてくれ!」


 もはや瞑想どころではない。

 下手したら服の下の怪我にまで気づきそうな姉ちゃんを遠ざけながら、俺は改めて思う。


 今の自分には心配してくれる人がいるのだと。


 母さんにしても、遠華ちゃんにしても、姉ちゃんにしても、自分を大切にしてくれる人の優しさを裏切りたくはない。

 そのために、自分に何ができるかを考える。


 次は、負けられない。

 心配させたくないから。

 そう心に誓った。

 久郎が戻ってきてしばらくの出来事は、けっこう暗い話でなりそうです。

 今のところ、詳しく描写する予定はありませんが、いつか書くかもしれません。

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