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十八 思い上がりと自己犠牲

 目を開けると、天井が見えた。たくさんの蛍光灯が規則的に並んでいて、眩しい。

 ここは、どこだ? 俺はどうなったんだ?


「……ってえ」


 反射的に身を起こして、それが失敗だったことを悟った。

 勢いよく動いたせいで、脇腹が軋むような痛みを訴えてくる。

 俺は顔をしかめて痛みの元を手で押さえ、そこに何か巻かれていることに気が付いた。


 包帯と、湿布だ。

 ゴーレム男にぶん殴られた脇腹と、スライム女にガラスで刺された手足を、誰かが手当してくれたらしい。

 上半身の服は脱がされていて、その代わりに肩から脇腹にかけて、微かに血の滲んだ跡がある白い布が巻き付けられていた。

 左腕と右足も同じように処置されている。


「起きたか」


 一体誰が、と思ったところで、声をかけられた。

 すぐ傍に居たその声の主へと、俺は視線を向ける。


 無骨で、浅黒い顔。今

 日、知り合ったばかりの男が、回転式の椅子にどかっと腰かけて俺を見下ろしていた。


「梶さん、でしたよね? これは、その……あなたが?」

「ああ。ネットで調べて、適当にな。腕と脚の切り傷は大したことないが、あばらにヒビが入っとる」

「……わかるんですか?」

「わかるわけないだろ。ただ、言ってみたかっただけだ」


 冗談を言ったわりに、梶さんは渋い表情のまま深く息を吐いて、立ち上がった。


「切り傷は包帯を巻いただけで、縫ってないからな。下手に動くとまた血が出る。気をつけとけ」


 それだけ忠告して、梶さんは俺から視線を外し、別の方を向く。

 その先に居るのは。


「気分はどーお?」


 髪の毛をほどいた状態のいろはだった。

 ここは例の視聴覚室か、と、今更気が付く。


「良いわけないよねえ。人の忠告を無視してぇ、けっちょんけっちょんにされたあげく助けてもらったんだからぁ。ねえ、今どんな気持ち? ねえねえ、教えて久郎くん」

「情けないのは、わかってるよ」


 目を合わせるなり鬱陶しい嫌味を投げかけてくるいろは。

 俺は近くにあった椅子を手すりの代わりにして、ゆっくりと立ち上がった。


「まだ立っちゃだめなんじゃない? 死んじゃうよ」

「このくらい、大したことない」

「くぅー、カッコいいねえ。どれだけ傷ついたって何度でも立ち上がるさって感じ?」

「……言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいだろ」


 人をおちょくったような話し方こそいつも通りだったが、いろはの言葉の端々から刺々しいものを感じる。


 その証拠に、俺を見るいろはの表情はへらへらしたにやけ面ではなかった。


「じゃあ、はっきり言っちゃうけどさ。久郎くん、自惚れすぎなんじゃない?」

「何だと?」

「怖い顔したってだめ。一歩間違えば死んでたかもしれないんだよ? そのことわかってる?」

「それが、どうした。当たり前だろ、そんなこと」

「そんなことって……」


 鼻を鳴らした俺に、いろはが息を呑んで口をつぐむ。

 腕や、足の怪我、たとえあばら骨が折れていようが、俺にとっては気にするべきことじゃない。


「町のチンピラだろうと、魔物だろうと、何かと戦うなら傷つく覚悟がいる。俺一人でやろうと、お前らの手を借りようと、それは変わらない。今日、俺はしくじった。これは、その罰を受けただけだ」

「そうならないように私は」

「町の悪党をやっつけたいんだろ? お前がやろうとしていることには、どんなに準備したって危険が伴う。犬走のことだってそうだろうが」


 俺は少し離れた所に黙って座っていた犬走を引き合いに出した。

 こいつだって、尾長を相手にした時には取り返しのつかない目に遭っていた可能性がある。

 俺が助け出せたのはタイミングが良かったからにすぎない。


 悪党、と呼ばれる連中に立ち向かう時、俺達の側に万全なんて存在しない。

 犠牲になるものがあるとわかっていても、それを捨てて、行動しなければいけないことばっかりだ。


 全部は守れない。

 だから、一番初めに自分を差し出すんだ。


「覚悟がないなら、やめろ。このくらいのことで動揺する奴には無理だ」

「わ、私だって、危ないのはわかってるよお。でも、久郎くんが一人だけでそういう目に遭わなくてもいいのかなって、思うの」

「へえ、お優しいことだな」


 こいつの口から、そんな綺麗事が出てくるとは思わなかった。

 よく言ったもんだ。


「お前は、人を使えるコマぐらいにしか考えてないと思ってたよ」


 安全なこの部屋で、便利な力を使って、俺や犬走のように動き回ることが得意な人間にあれこれ指図する。


 それがこいつにとっての人助けなんだろうと、思っていた。


 口ではなんとでも言える。

 悲しそうな表情も、消え入りそうな声色も、作れる。

 そういうところが、胡散臭いんだよ。


「……橋爪、ちょっといいか」


 黙り込んだいろはの代わりに、梶さんが近づいてきた。

 なんだ、何か反論でもあるのかと思ったのだが。


「すまんな」


 短く謝るなり、梶さんは俺の横っ面を力一杯殴りつけてきた。


 ゴーレム男ほどじゃないが、硬くて重たい拳骨。

 目の前で火花が散り、口の中に血の味が広がる。


 だが、俺は倒れてやらない。

 上等だ。

 文句があるなら受けて立ってやる。

 そのまま掴みかかろうとしてきた梶さんの手首を握り返し、正面から視線を交わす。


 怪我なんか、知ったことじゃない。


「何のつもりだよ、アンタ」

「あ? そっちこそ黙って聞いてりゃ何様だ。勝手なこと抜かしやがって」


 言葉と一緒に梶さんは、ぐっと、俺が手首を掴んでいる腕に力を込めてくる。

 相当頭にきてるらしいな。


「あのさ、梶さん。そいつムカつくけど、一応怪我人」

「わかっとる! どの道、手当てすんのは俺だ!」


 外野から犬走が投げかけてきた仲裁の言葉を無視して、がなりたてる梶さん。

 その剣幕に犬走は、あっそ、とだけ言って興味を失ったようにそっぽを向いた。


「ずいぶん頭に血がのぼってるみたいだが、アンタがそんなに怒るようなとこあったか?」

「大ありじゃ! お前がどう思っとるのかは知らんがな、俺ぁ自分の友達を傷つけられて聞き流せるほど大人じゃねえんだよ!」

「……友達?」

「いろはちゃんのことに決まっとろうが!」

「へ? わ、私ぃ?」


 突然名前を出されて、いろはが素っ頓狂な声を漏らす。

 言われた本人もよく分かっていないらしい。


「いいか、橋爪、よく聞けよ。今日、お前が馬鹿なことしてる間に、ここで何があったか教えてやる」

「いや、梶くん、それはやめよ? 別に何もなかったよ」


 梶さんが俺に顔を寄せて低く言う傍で、何故かいろはが顔を引きつらせている。


 どういうことだ?


「放課後になってすぐのことだ。お前がいなくなったことに気づいたいろはちゃんは、すぐに俺達を呼び出した。連絡は取れない。力を使って探しても、お前はなかなか見つからない。そりゃあ焦ってたさ」

「いやいやいや、焦ってないよ? いつも通りクールないろはちゃんでし……」

「本人はこう言うがな! 何とかお前の居場所にアタリをつけて、犬走ちゃんに向かってもらってる間もずっとフラフラソワソワしっぱなし。見てるこっちが不安になるほどだったんだぞ!」

「ねね、梶くん、一回黙ろ? 一回大きく息吸って落ち着こ」

「いいや、これだけは言わせてくれ! 橋爪、お前が傷だらけで担ぎ込まれてきて一番ショックを受けてたのが誰か、わかるか? お前に何かあったら自分のせいだっつって、泣いて心配してたのが誰かわかるか!」

「…………いろは、お前」

「い、いひ? なんのことかなぁ?」


 俺が視線を向けると、いろははさっと目の下に両手を当てた。


 だが、よく見ると、そのタレ目の下の濃いクマに赤い色が混じっているのがわかる。


 梶さんの言ってることは、もしかして、本当なのか?


「こうやって泣きあとを隠すのもな、お前に余計な気を遣わせたくないからなんだよ。いろはちゃんは、そういう子だ。それを、お前なんぞに人でなし呼ばわりされてたまるか!」

「も、もう、やめてえええぇ」


 自分の行動を全部暴露されてしまったいろはが、目の下に当てていた手で顔を覆いしゃがみ込む。


 なんだこれは。

 目の前にある梶さんの激怒した顔に、本気で恥ずかしがっている様子のいろは。


 これじゃまるっきり、俺が悪者のようじゃないか。


「こっち見んなよ。私から言うことなんかないから」


 どうすればいいんだと、犬走の方を見たら不機嫌そうな顔で睨み返された。


「ただ、約束は守れば?」


 約束?

 ぼそりと犬走が呟いた言葉の意味が、俺には一瞬、わからなかった。


 こいつと交わした約束の内容はたしか……そうだ。思い出した。


 お前の友達を傷つけるようなことは、二度としない。

 俺は確かにそう言った。


 頭が勝手に犬走にとっての友達が、誰のことかを思い出す。

 さっき自分が口にしたことをふり返る。

 誰の、どこを傷つけたのかを、考える。


 梶さんが激怒した理由が何か、ようやく理解できた。


 やってしまった。

 どうやらまた、俺のおかしくなっている部分が出てしまったらしい。


「梶さん、すみませんでした」

「む」


 溜息を吐いて、握っていた梶さんの手首から手を放す。

 俺の表情を見て梶さんは口をへの字に曲げはしたものの、再び掴みかかってくることはなかった。


「いろは」

「…………………………なに?」


 俺の呼びかけに、長い長い時間を空けて、いろはが顔を覆う手の間からくぐもった声を漏らす。

 まだ、話を聞くつもりはあるみたいだ。そのことに少しだけ安心した。


「お前の、言う通りだよ。俺は思い上がってた」


 いろはに突っかかったのは、情けない自分に腹を立てていたからだ。

 油断して負けた。

 その事実をうやむやにしたくて、もっともらしい理屈をこねて、助けてくれた相手を責めるなんて、みっともないにもほどがある。


「そんなこと、言われてもぉ」

「間違ったのはわかってる。助けてもらったことに、感謝しなきゃいけなかったのにな。むしのいい話だとは思うけど、もう一度、チャンスをくれないか」

「…………」


 いろはが顔の前から手をどけて、ぶすっとした表情で近づいてくる。

 その目元はやっぱり赤かった。


 そして、そのまま何も言わず俺の腕の包帯が巻かれているところに触れて。


「痛っ!」


 傷口の上に容赦なく、爪を立ててきた。


「そお! 痛いの! 久郎くんがどれだけ強くても、痛いものは痛い! わかるよね?」

「ああ、わかる。よく、わかる」


 そのままぐりぐりと肉を揉まれる痛みに、俺は歯を食いしばって耐える。

 このくらいは仕方ない。


「一番強い人が一番危なくて、苦しむのは仕方ないのかもしれないよ。でも、周りにいる人は、そんな誰かの支えになりたいと思う。助けたいと思っちゃうの!」


 俺が十分に反省したと思ったのだろうか。

 いろはは傷口から手を放し、指先についた俺の血を見つめる。


「私の言ってること、変かなあ」


 変じゃ、ない。


 強くて、不器用で、人には優しいのに自分を大切にしない。

 そんな人の力になりたいと思う気持ちには、俺にも覚えがある。

 そうだな。

 その気持ちなら、俺にもちゃんとわかる。


「ねえ、久郎くん……なんで笑ってるの?」

「いいや? 俺も前、お前と似たようなことを人に言ったことがあるんだ」


 強すぎたあの人は、放っておくとなんでも自分で背負い込もうとしていた。


 だから俺は、強くなろうと思ったんだ。

 あの人の痛みや、苦労を、少しでも減らしたくて。

 たまには人に頼って欲しいと、俺はいつも考えていた。


 まさか自分が逆の立場になるとは思わなかった。


「……今の俺じゃ、今日戦った奴らには勝てそうにない。だから、力を貸してくれ」

「は?」


 我ながら小さな声になってしまった言葉に、いろはがぽかんと口を開ける。

 ちゃんと言わなきゃ、駄目か。


「助けてほしいんだ。その……みんなに」


 いろはと、犬走と、梶さん、それぞれの顔を見て、俺はどうにか呟いた。

 反応はバラバラだった。


 犬走はわざとらしく視線をそらし、梶さんは腕を組んで苦笑い、そして、いろははというと。


「貸し借り、じゃないよお。久郎くん」


 いつものニヤニヤ笑いを浮かべて、俺の顔を覗き込み、


「私はぁ、力は、合・わ・せ・るって言う方が、好きぃ」


 ここぞとばかりに鬱陶しいことを言い出した。

 まあ、今回ばかりは俺が悪いからな。

 これで機嫌が直るんだったら、好きなだけからかわれてやる。


 黙って、調子に乗らせておくことにしよう。


「それじゃ、久郎くんも素直になったことだし? みんな、悪者退治の作戦会議といこっかあ」


 ぱん、と手を打って、いろはが残りの二人に呼びかけた。だが。


「その前に、ちょっとだけいいか?」


 俺はいろはの仕切りを遮って、口を開く。


「話しておきたいことがあるんだ」


 それは、俺がどんな力を手に入れたかの話。

 ここにいるみんなを信用するためには避けて通れないことだろう。


 異世界のことを切り出すなら、今しかないと思ったのだ。


 どこから話したものか。

 自分に集まった視線の中で俺は、ぽつぽつとこの三年間のことを語り始めた。

 ようやくいろはがヒロインらしくなってきた気がします。

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