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十七 敗走

 気を失ったのがわずかな時間で、本当に良かった。

 ゴーレム男の拳の威力を考えると、一発もらってまだ動けるだけ幸運と言えるだろう。


「終わりにしよう」


 それでも追い詰められたことに変わりはない。

 目の前には、再び俺を潰そうと拳を振り上げる男がいる。


 どうする。

 このまま逃げ回って効果のない攻撃を続けても、駄目なのはわかってる。

 今はまだ動けても、やがて力尽きてとどめを刺されてしまうはずだ。


 勝つ方法は、俺が生き残る方法は、ある。


 ゴーレム男も、スライム女も無敵ではない。

 向こうの世界でも何度も相手をしてきた。

 ただ、殺さずに倒す方法がないだけ。


 今の俺ならこいつらを、殺すことができてしまう。


 でも、相手は魔物じゃない。

 姿形は変わり果てているが、人だ。

 命を奪えば、後戻りはできなくなる。

 それがたとえ自分が生き延びるためであったとしても、取り返しがつかないことだと俺は知っている。


 ゴーレム男の拳と同時に、決断を迫られる。

 これを避けて、踏み込む。

 そして男の体でまだ柔らかさの残る部分、目にスコップの先端を突き立てればいい。

 それができれば、できてしまえば俺は。


 もう、いいか。と、心が凍てつくのを感じた。

 手が自然と腰元に伸びた、その時。


「橋爪ぇっ!」


 があん、と工場の入り口が乱暴に開かれる音がしたと思ったら、視界の外から何かが突っ込んできた。


 その茶色い毛の塊に、俺の体はかっさらわれる。

 ゴーレム男の拳がすんでのところで空を切るのが見えた。


「お、ま……犬走?」

「このバカ野郎! 面倒かけやがって!」


 飛び込んできたのは、毛がふさふさした魔物の姿となった犬走だった。

 体当たりをする形で俺を吹き飛ばした犬走は、犬感の増した顔でもわかるほどに腹を立てている様子だ。


「何で、ここに?」

「助けに来たに決まってんでしょ。外の奴ら全部片づけんの、大変だったんだからね!」


 尻もちをついた俺の傍らに立つ犬走の全身には、なるほど、あちこちに土汚れらしきものがついていた。

 もしかしたら毛並みの下に、小さな傷もできてしまっているのかもしれない。


「それ、何? おチビちゃんの仲間? いや、どっちかっていうと、ペット?」

「誰がペットよ!」

「うわ、こっわ」


 スライム女の言葉に、犬走が牙をむき出しにして吠える。

 見た目は威嚇する時の犬そのものだ。


「橋爪、あいつら何?」


 ぐるるる、と喉を鳴らして唸りながら、犬走が耳打ちしてきた。

 良かった。冷静だ。


「見ての通り、厄介な魔物に変身できる連中だよ。ちょっとばかり、てこずっててな」

「よく言うよ。死にかけてんじゃん」

「確かに、その通りだ。返す言葉もないよ」


 苦笑いをしながら、俺はどうにか立ち上がる。

 緊張の糸が切れたせいか、傷ついた体が重い。


「……じゃあ、こっからどうすんだよ。私だけであいつらを相手しろっての?」


 血の匂いでわかるのだろう。

 犬走が傷ついた俺の腕と脚を見て、嫌そうな表情を浮かべる。


「いいや、それは無理だ……犬走、お前さ、俺を乗せて走ったりとかできるか?」

「ヤダ。ムリ」


 俺の申し出にさらに嫌そうな表情になる犬走。

 気持ちはわかるが、それが思いつく限りの最善策なのだ。


「逃げたくても、足をやられてるせいで長くは走れそうにないんだ。頼むよ」

「ううう……ううううううっ!」


 犬走は俺の右足と、二人の敵を交互に見比べながら眉間に深い皺をよせて考え込み。


「毛は引っ張んなよお! 痛いんだからな!」


 渋々、といった様子で俺に背中を向けてきた。

 乗れ、ということでいいんだよな。これは。


「ありがとな。三つだ。三つ数えたら、走り出してくれ」

「……逃がすと思うか」


 俺達のやり取りを見ていて、察したのだろう。

 ゴーレム男が警戒するように低く唸った。


「一、二の……」


 静かに数えながら、俺は右の手の平に魔力を集中させる。

 こんな時のために温存しといた虎の子だ。


「三!」


 それを口にすると同時に、俺は組み上げた魔法を炸裂させた。

 発動させたのは、いわゆる目くらまし。


 ぼんっと、風船が割れたような音がして工場の中に勢いよく白い煙が広がる。


「うわっ、何!」


 スライム女が驚く声が聞こえたが、無視だ。

 俺はすぐさま犬走のふさふさとした首元に怪我をしていない手を回し、背中に乗った。


「ああもう! 落ちんなよ!」


 不機嫌そうな叫び声をあげたと思った途端、犬走の体が一気に加速した。

 その姿勢が自然と四本足で地面を蹴る形に変わる。


 流石に、速い。


 煙の立ち込める工場をあっという間に抜け出し、敷地の周りを囲む塀もひとっ跳びで越して、犬走は駆ける。

 俺を担いでいる、ということを感じさせない軽やかな動きだった。


「うひゃ! おい! 変なとこ触んな!」


 振り落とされないようにとしっかり捕まったら怒鳴られた。

 いや、揺れるから仕方ない。


「すまん。でも、落ちる」

「落ちろ! くそ! あとお前、血生臭いんだよ!」

「お前は、いい匂いだな」

「嗅ぐなあああ! 殺すぞばかああああ!」

「…………悪い。大人しく、してるよ」


 犬走の茶色い毛並みは人間のものとは言えないが、確かに女の子特有の甘い匂いが混ざっていた。

 スライム女のせいで酔いが回っているのもあるかもしれない。

 自分の意識が緩やかに色褪せていくのを感じる。


「だからあ! 抱き着くなって! おい! 聞こえてんのか!」

「聞こえ、てる、よ」


 でも、無理そうだ。

 せめて落ちないようにと、俺は曖昧な感覚の中で腕にだけ力を込め続けるだけで精一杯だった。

 初めての負けイベント。

 異世界なら久郎はこの二人のうち、ゴーレムの方は葬れていました。

 だけど、ここは現実世界。

 そうもいかないよなあ、ということです。

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