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十六 VSスライム&ゴーレム

 目的の廃工場に辿り着くのに、そんなに時間はかからなかった。


 まずは様子見だ。

 廃工場の傍におあつらえ向きのビルを見つけたので、壁をよじ登って屋上へ。

 てっぺんには戸口が一つあったが、そのドアノブは錆び付き、長いこと使われていないのが分かった。


 これ幸いと、俺は制服の上着を脱いで丸め、代わりの雨合羽に着替える。

 ズボンのベルトに釣り用の錘を六つと小さなシャベルを二本差し込んで、ゴーグルを頭に引っ掛ければ完成だ。


「さて、誰かいるかなっと」


 屋上のふちに腰かけて、目を凝らして廃工場の周囲を観察する。

 まだ日も高いし、この見晴らしの良さならなけなしの魔力を使うまでもない。

 補強しなくても、その辺の奴より目はいいのだ。


「なるほど、車の出入りはほとんどなし。でも、割と頻繁に人が来るみたいだな」


 敷地内には放置されたままの粗大ごみがいくつも転がっていて、車を停められるような開けた場所はない。

 そのくせラベルがついたままのペットボトルやら、カップ麺、袋菓子のごみが遠目でもわかるほどにたくさん落ちていた。


 風で飛ばされてきたにしては多すぎる。


 工場の壁面は古びたトタンで、窓はあるもののどれも位置が高くて小さい。侵入には不向き。

 出入口は正面に一つだけ。

 交番からも離れているし、民家との距離もやや遠めだ。


「まさに、不良がたむろするのにはうってつけってわけか」


 わざわざ五感を強化して探知をする必要はなさそうだ。

 今回は何かあった時のために、魔力は温存しておくことにしよう。

 そう決めて、俺は登ってきたルートを使ってビルの屋上から降りた。


 そしてそのまま、人目につかないよう注意して廃工場の敷地に忍び込む。


 中を進んでみて分かったが、背の高い粗大ごみがあるせいで視界が悪く、身を潜められそうな場所だらけだ。

 もしかしたら、このごみはわざと残してあるのかもしれない。


 俺は人の気配を丁寧に探りながら、工場の出入り口に向かって進んでいく。


「…………」


 建物の周りに人はなし。

 後は中だけだ。


 出入口の扉に背を預け、首を伸ばして様子を窺う。

 まだ夕方だというのに、随分薄暗いな。

 この位置からだと何があるのかよく分からない。


 仕方ない、と、俺が足音を忍ばせて中に数歩踏み入った時だった。


「……あたり、だったか」


 背後で扉が勢いよく締まり、カチャンと鍵のかかる音がした。


 この手際の良さ、まあ、待ち伏せだろう。


「よお、また会ったな、変質者」


 振り返ると、そこには見た顔が立っていた。

 尾長だ。

 昨日叩きのめしたせいか、顔のあちこちに痣ができて、絆創膏が張られていたが、この特徴的な髪形と口が耳まで裂けるような笑い方を見間違えるわけがない。


「来るんじゃねーかとは思ってたが、まさかここまで早いとはねえ」


 俺を誘い込んで、閉じ込めることができたのがよっぽど嬉しいのだろう。

 尾長が愉快そうに目を細める。


 この口ぶりからすると、昨日尋問した古森が喋ったんだろうな。

 もう少し強く脅しておくべきだった。


「わざわざ待ってたかいがあったぜ。昨日は不意を突かれちまったからなあ」


 尾長はさも不覚を取ったようなことを言っているが、俺はそこまで卑怯な真似はしていないはずだ。

 五対一だったし、ほとんど正面からぶつかり合った。


 いちいち指摘するのも面倒だから、黙っておくが。


「さあて、ここの出入り口は一つだ。建物の周りは下の連中に人払いさせてっからよ。逃げられねえし、助けも来ねえ。どうだ、最高だろ? なんか言えよ、おい!」


 俺を追い詰めたと確信しているらしい尾長は、実に楽しそうに両手を広げて声を張る。


「一人でのこのこやってきたこと、後悔すっ……」

「話が長い」


 頭の悪い前振りに付き合うつもりはなかった。

 俺は尾長との距離を一気に詰めて、がら空きだった腹に力一杯の蹴りを入れる。

 鳩尾に真っ直ぐ、突き刺さるような一撃だ。


「う、ぐぇ」


 尾長は体をくの字に折り曲げて、うめき声をあげる。

 そのまま地面に崩れ落ち、小刻みに震える頭を蹴ったら動かなくなった。


「とりあえず、あんたがアホで良かったよ」


 こんなのでもトカゲの姿に変身されると、それなりに面倒だからな。

 先手必勝で沈めるのが、最適解。


 さて、残りをどうするかなんだが。


「おー、尾長を一発かあ。やるじゃん、おチビちゃん」


 そんな声と共に、ぱちん、ぺち、ぱちん、と気の抜けた拍手の音が工場の中に響き渡った。

 もちろん、倒れている尾長じゃない。

 別の誰かが奥の方に居たのには気づいていた。


 多分、この待ち伏せで相手しなきゃいけない本命はそっち、ということなんだろうな。


 元々は何か作業をする場所だったのだろう。

 工場の中央の開けた場所に、学校の先生が使うような飾り気のない灰色のデスクが一台置かれていた。


 その上に、女が一人座っている。


「ウチらにケンカ売ってくるんだからさあ、もっとゴリゴリのゴリラみたいな奴かと思ってた」


 片膝を立てただらしのない姿勢で、話しかけてくる女。


 気だるくて、甘ったるい。

 そんな声色だ。

 波打った安っぽい色の金髪に、目が半分しか開いていないような胡乱気な表情。

 そして、あの格好は何だ?

 ビキニの水着、だよな?

 その上にダルダルのパーカーを一枚羽織っているだけ。


 わけがわからない。

 海水浴じゃあるまいし。


「ふぁあーああ、来ちゃったんなら相手したげないといけないねえ」


 女は大きな欠伸をしながら、頭を掻く。


 肌を惜しげもなく晒しているだけあって、胸と尻がとんでもなくデカいのに腰は細いという良い意味で不自然なスタイルだ。

 ただ、デスクの上に大小様々な酒の瓶が転がっているせいで、健康的というよりむしろ退廃的な印象を受けてしまう。


「挨拶代わりに、おチビちゃんも一杯やりなよ」


 中身がまだ入っている酒瓶の一つを掴んだ女は、それをぐいっとあおってから、俺に向かって無造作に投げつけてきた。

 酔っぱらいのくせにその狙いは思いのほか正確で、瓶はくるくる回りつつ俺の顔面に飛んでくる。


 俺は顔を軽く右に倒してそれを躱した。

 こんなもの受け取るつもりはない。


「あああ、もったいない。後悔するよ」


 俺の後ろで地面に落ちた瓶が割れる音を聞いて、残念そうな声をあげる女。


「お喋りは、その辺にしとけ」


 女が腰かけているデスクの脇に、ぬうっと巨体が一つ現れた。

 二メートルは軽く超えていそうな大男。

 白いTシャツに、ジーパンという飾り気のない格好だが、その首元や袖は隆起した筋肉ではちきれんばかりになっている。

 角刈りの頭に、四角くて頑丈そうな顎。

 これはなんというか、単純に強そうな奴だ。


「……小さいな。まだガキか。さっきの動きを見る限り、すばしっこそうではあるが」

「尾長が話してた通りだねえ」


 なるほど。


 この大男が尾長の上にいる奴で、女はその彼女ってところか?

 下っ端にしては口の利き方が横柄だ。ということは、こいつらも何か妙な力を持っている可能性があるわけだ。


「お前さあ、ウチらのこと嗅ぎまわってんでしょ? そのバカみたいな格好で。ご苦労さんだよねえ」


 呆れたような表情で女が肩をすくめるが、痴女みたいな格好したあんたに言われる筋合いはない。


 それにしても、いろはの言っていた通り、俺の情報は敵に筒抜けだったようだな。

 この工場の中に閉じ込められてしまった今、俺が取るべき行動は自ずと絞られてくる。


「ねー、ぱぱ、あいつ全然喋んねえんですけど。つまんねー」


 終始無言を貫く俺に苛立ちを感じたのか、女が大男の顔を見上げて、デスクから垂らした脚をバタバタと揺らす。


 悪いが、隙だらけだ。

 余計なことを話している間に片付けてしまおう。


「……ふっ!」


 呼吸は一回。

 ベルトに右手を回し、錘を指の間に挟んで投げる。

 一つは女に向けて、残る二つは大男の顔面を狙った。


 女をそれで仕留めて、大男の方は多少なりとも怯ませられる算段だったのだが。


「おろろ?」


 狙いは完璧だったはずなのに、かえってきたのは女の間抜けな声と、金属同士がぶつかるような甲高い音だけだった。


 地面に落ちた錘の数は二つ。

 おかしい。

 計算が合わない。


「…………何だって?」


 それが何故なのかを理解した時、俺は思わず自分の目を疑った。


「ねー、見て見てぱぱ。おっぱいに何か刺さっちった」

「……これは、釣りに使う錘だな。俺の顔に飛んできたのは二個だった。狙ったんなら、大したもんだ」

「ふーん、ま、ウチら相手には意味ないんだけどねえ」


 言葉の通り、女の胸に俺が投げた錘が半ばほどまで埋まっていた。

 胸の谷間に挟まったとか、そういうことじゃない。

 文字通り刺さっているのだ。


 そんなはずはない。

 あの錘に刃なんてついていないのだから。


「黙ってる割に、やる気満々なんじゃん。むっつりって言われたことない? おチビちゃん」


 大きなお世話だよ。

 女は何事もなかったかのように胸の錘を引き抜いて地面に捨てた後。


「さ、遊んだげるよ」


 デスクの上の酒瓶を全て脚でなぎ倒してから、立ち上がった。


 地面に叩きつけられ瓶が割れていくやかましい音の中、女は羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てる。


「そういうことか」


 そこで俺はようやく、自分の攻撃が女に通じなかった理由を察した。


 水着だけの姿になった女の体がゼリーのように透き通った色になり、その輪郭がぶよぶよと揺らめきだしている。

 そのうち、女の体から水の塊のような物が垂れはじめ、べしゃりべしゃりと粘り気のある音を立てた。

 顔の凹凸も曖昧になり、かろうじて人型だったというのがわかるその姿。


 俺には、見覚えがある。


「ほーら、すっぽんぽんだよ。これは、サービスね」


 とうとう水着も必要なくなったらしい。

 女は水気を含んだビキニを俺に向けて放ってきた。

 だが、その全裸をありがたがる気分にはとてもなれない。


「また、魔物の類かよ」


 予想通りではあったが、思わず口からため息が漏れてしまう。


「おい、瑞江。水着を投げ捨てるな。はしたないぞ」


 言いながら、大男の方は俺に向かって歩み寄ってくる。

 その足音が何故か、一歩ごとに重く、地面を揺らすものに変わっていった。

 見れば、男の体の表面が岩のようにゴツゴツとした硬質な角ばりで覆われている。

 まるで粗削りな石造のような姿だ。


 これもまた、見覚えがあった。


「スライム女に、ゴーレム男ってところか」


 正直、面倒だな。


 二種類とも、向こうの世界の魔物の中では癖のある部類に入る。

 どちらも、物理攻撃に滅法強いのだ。

 スライムの方は柔らかさと再生力のせいで、ゴーレムの方は岩のように硬くて重い体表のせいで、中途半端な威力の打撃や斬撃はほとんど意味をなさなくなる。


 特に、今の俺にとっては天敵と言ってもいいかもしれない。

 対処法がないわけじゃないが、使える魔法は一回きり、武器はショッピングセンターで揃えた日用品となると、流石に厳しすぎる。


 同じ魔物ではあるが犬走も、尾長も、獣人的な要素が強かった。

 こういう奴らもいると予測しなかったのは、完全に俺のミスだ。

 迂闊すぎる。


「俺達の姿を見た割には、落ち着いているな。なりは小さいくせに、肝は大きいらしい」

「……そういうあんたはデカくてトロそうだ」

「ようやく、喋ったな」


 俺の挑発にゴーレム男が低く唸り、右の拳を振り下ろしてくる。


 だが、見た目通り遅い。

 俺は軽く右に跳んでその一撃を躱した。はずだったのだが。


「……っ!」


 男の拳がコンクリートの地面を砕いた。

 なかなか、えげつない威力だ。無残にひび割れた床を見て、これは一発ももらえないなと覚悟を決める。


「うっかり殺したくはない。あまり、煽ってくれるな」


 言いながら、男が左腕を横なぎに振るってくる。

 頭を下げてその腕をくぐり、そのまま無防備な胴体に足の裏で蹴りを入れてみたのだが。


「軽いな」


 ゴーレム男の体は小ゆるぎもしない。

 まるで石の柱のような感触だ。


 つまらなさそうに鼻を鳴らした男の追撃から逃れるために、俺は後ろに跳ぶ。

 まずはあの馬鹿力が届かない範囲で戦う必要がある。


「そっちこそ、遅すぎるぞ? それじゃ俺は捕まえられない」


 この大男だけなら、倒せはしないにしてもいつまでだって相手にできる。

 あの巨体に、重さだ。

 動くだけで相当な筋力を使うのは間違いない。

 暴れるだけ暴れさせて、体力の消耗を狙えばいいはずだ。


「お前の言う通りだ。だが、捕まえるのは俺の仕事じゃない」

「そ。ウチがいるからね」


 男の返事に反応したように、足元からスライム女の液状に広がった体がせり上がってきた。

 水飴のように粘り気のある液体が枝分かれしながら細長く伸び、俺の脚を絡めとろうと迫ってくる。


 やっぱり、そうくるだろうな。


 二人組で片方が鈍重な力持ちだったら、もう一方は敵の機動力を奪うのに長けている奴をあてがう。

 単純な役割分担だが、それ故に効果的。

 これがこいつらの基本的な戦い方なんだろう。


 どのみち、今は逃げの一手しかない。

 俺はもう一度、後ろに跳んでスライム女からも距離を取る。


「そんなに嫌がらなくてもいいじゃーん?」

「な⁉」


 俺が宙に浮いたタイミングを見計らったように、女の体がぶるりと震え、粘液の塊のような物が三つ飛んできた。

 首元に来た一つは身を捩って避けたが、左腕と、右の脹脛に一発ずつもらってしまう。


 まずい。

 そう思った瞬間にはもう、遅かった。


「ほい。ざっくり!」

「う、ぐあっ」


 粘液の当たった場所から、鋭い痛みが走った。

 見れば服にへばりついた液体の中に、無数のガラス片が混ざっている。

 さっき床に落とした酒瓶の破片だ。


 この女、あれを体の中に取り込んでいたのか。


 ねばねばした液体の中に、ガラス片が刺さったことで噴き出した俺の血が混ざる。

 女の粘液は離れていても操ることができるらしく、それが蠢いているせいで断続的な痛みを生み出してきていた。


「よく動くおチビちゃんだとは思うけど、いつまでもは逃げらんないよ」


 女の言っていることは、脅しではなく事実だった。

 周囲を見渡すと、あちこちに女の体の一部らしい粘液がまき散らされている。


 あれがそれぞれで動いて俺を捕まえに来るなら、回避に徹するのは至難の業だろう。


「この場所に一人で入り込んできたのが、間違いだったな」


 ずん、ずん、と重い足音を響かせながら、ゴーレム男が近づいてくる。


 幸い、まだ脚は動く。痛みはあるが、あの大男の攻撃を躱せないほどじゃない。

 逃げろ。とにかく、逃げ続ければ。


「は……な、んだ」


 突然、くらりと目の前が揺れた。

 足から勝手に力が抜けて、よろけそうになる。


 なんだ。

 どうした。待て。

 この感じ、まさか!


「一杯やると、気分いいでしょ? おチビちゃん」


 せせら笑うようなスライム女の声。


 これは、酒だ。


 こいつの体に混ざっていたのが、傷口から直接入ってきたのか!


「く……このっ」

「じたばた、するな」


 姿勢を立て直そうと身じろぎする俺に向けられたのは、ゴーレム男の拳。

 目では見えていた。考えも追いついていた。


 だが、そのゆっくりとした一撃を、俺は避けることができなかった。

 魔物を出すなら、この二匹は外せないよなと思いました。

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