九 試金石
「はああっ⁉ 不良に絡まれてたあっ⁉」
放課後の教室に妻崎の声が響き渡った。
「おい。声がデカいよ。あんまり聞かれて気持ちのいい話でもないだろ」
周りに残っていたクラスメイト達がビクッとしてこちらに視線を向けている。
二日連続、悪い意味で注目の的だ。
こりゃあもう、俺に対する評価が普通に戻ることはないだろうな。
「なんであたしに連絡しなかったわけ?」
流石に大声すぎたと思ったのだろう。
妻崎がぐっと顔を近づけて、小声で怒鳴るという器用なことをしてくる。
朝と昼の時間はこいつが部活の練習に行ってたおかげではぐらかせたのだが、帰りにとうとう捕まった。
事情を聞くまで部活には行かないと言われ、いろはと犬走のことはふせて白状する形になった。
「いや、連絡したらお前、助けに来ちゃうだろ」
「行くに決まってんでしょ!」
「だからだよ……」
こいつは友達が危ないとなると後先考えなくなるタイプだ。
最初から尾行云々に関わらせるつもりはなかったにせよ、本当に不良に絡まれていただけでも俺はこいつに連絡しなかったはずだ。
「俺は男で、お前は女だ。差別はしないけど、身に降りかかる危険の種類はやっぱり違う」
「でもっ!」
「もし何かあってお前が傷つけられたら、俺は多分、自分を許せなくなると思う」
わかってくれ、という気持ちを込めた俺の言葉に、妻崎がぐぐぐっと唸った。
「……その言い方、なんかずるいよ」
「おっしゃるとおり。でも、こればっかりは譲れない」
体に酷い傷を負えば痕が残るように、心だって形を変えてしまう。
何かが欠けたり、削れたりすれば、物の見方が変わる。
元の自分、なんて面倒なことで悩むのは俺だけで十分だ。
「運が良いことに、財布は鞄の中だったしな。何も持ってなかった腹いせにちょっと小突かれただけだ」
「それにしたって許せないっての! 父さんに言って見つけてもらおう!」
「いくらなんでも難しいだろ。変に恨まれても嫌だし、犬にでも噛まれたと思っとくよ」
襲ってきた相手がマジで犬だったとは言えないけどな。
俺が顎の痣の辺りをさすり、苦く笑ったその時。
「こんちゃーっ、久郎くーん、いますかあ?」
ガラっと教室前方のドアが開いて、黒くて長いおさげ髪がひょいっと飛び込んできた。
「お、発見。おじゃましちゃいまぁす」
突然現れたいろはは全く遠慮する素振りすら見せず、ずかずかと教室を横断し、俺と妻崎のもとまでやって来た。
教室の中の注目がまたこっちに集まってくる。
勘弁してくれよ。
「忙しそうなところ悪いんだけどお、久郎くん、ちょっと来てくれる?」
ちらりと妻崎の方を一瞥した後、いろはは俺に向けてそう言った。
また勧誘か? 懲りない奴だ。
「お前、昨日……」
「いいから。お願い」
さっさと追い返そうとしたのだが、有無を言わさず手を握られてしまう。
隣で妻崎が息を呑むのがわかった。
そりゃ、絶句もするわな。
俺も正直驚いた。
「………………わかったよ」
握られた手からひんやりとした感触が伝わってくる。
俺はその手を振りほどくことができず、頷くしかなかった。
女に手を握られたからどうこうってわけじゃない。
いろはの顔からニヤニヤが消えていた。
真顔でじいっとこっちを見る視線に、只事じゃないなと思ったのだ。
「ありがと」
短く礼を言って、いろははそのまま俺の手を引いて教室の出入り口の方へ向かう。
「ちょ、ちょっと! 久郎! どこ行くのっ?」
「ごめんね彼女さん。このイケメンくん、ちょーっとだけ貸りるよお」
「ええっ?」
余計なこと言うんじゃねえよ。
露骨にひるんだ妻崎を置き去りにして、いろはは足早に進んでいく。
進む方向から察するに昨日の視聴覚室に向かっているようだ。
俺が大人しくついて来ているのに安心したのか、いろはは自然と手を放してくれた。
コイツの中でも、さっきのはかなりの強硬手段だったみたいだな。
「おい、どうしたんだ。何をそんなに焦ってる」
「まずいことになっちゃったあ。詳しい話は部室でね、久郎くん」
あれは部室だったのか。
何部だよ、と思わなくもないが今は置いておく方が良さそうだ。
「ちゃんと説明してもらうからな」
そこからはお互い黙って、いろはと俺は第二視聴覚室に向かう。
部室に着くなり、余計な茶々を入れることもなくいろはは口火を切った。
「ワン子が、いなくなったの」
「犬走が? 俺は何もしてないぞ」
いなくなったとはまた、微妙な言い回しだ。
この口ぶりだと今日、学校に登校していないとかだろうか。
一瞬、昨日の仕返しを疑われているのかとも思ったが、違うな。
俺を誘拐犯だと判断しているなら、わざわざ二人っきりになろうとするはずがない。
「うん、それはわかってるよお。久郎くん、昨日、話したこと覚えてる?」
「どの話のことだ?」
「私達が街の困った奴らを何とかしたいって話。ワン子は今、それを一人でやろうとしているみたい」
そう言っていろはは自分のスマホを取り出し、一枚の画像を見せてくる。
離れた場所から撮影されたのが分かる荒い画像に写っているのは、一人の男だった。
細部まではわからないが、髪形や服装、そして表情を見るにとてつもなくガラが悪そうだ。
周りには取り巻きと思しき連中も連れている。
チンピラという呼び方がここまでしっくりくる奴も珍しいんじゃないだろうか。
「こいつの名前は尾長竜也。DQNのボスみたいだったから、私達はずうっとマークしてたんだあ」
「ド……なんだって?」
「ああ、気にしないで。ただのネットスラングだよん。この場合は人間のクズをさしまあす」
「はあ。まあ、お行儀の良いタイプじゃないのは見ればわかるが」
「こいつクズだけど、かなり危ない奴みたいなんだよねえ。飲み屋街でおじさん殴ってお金を巻き上げたり、その辺歩いてる学生とか一人でいる不良なんかを狩りとか言って集団で襲ったり、ゲーム感覚で暴力を振るってるんだってえ」
「どこにでもいるもんだな、そういう奴は」
本気で嫌悪している表情で説明するいろはを見て、俺も溜息を吐く。
一般人でも、暴力を商売にする覚悟を持った外道でもない。
自分より弱い者にだけ都合よく力を振るう下衆。
街中にも出没するって意味じゃあ、そういう輩はある意味、魔物よりもたちが悪い。
「こいつをやっつけるのに久郎くんの力を借りたかったんだけど……ワン子、それが嫌で先走った」
いろはの言葉から察するに、犬走は尾長とかいう奴のところに向かったようだ。
いなくなった、ということはいろはに相談もなしにということ。
そんな危険な行動に出てしまった原因といえば、一つだろう。
「昨日のことは……悪かったよ。その、手は? もう痛まないか」
「んん? ああ、いーのいーの。すっごく痛かったけど、ぶっちゃけヤじゃなかったし」
「…………何?」
「むしろドキドキしちゃった、かも? やあん、自分でもびっくり!」
こいつ、やべえな。
赤らめた頬に両手を当てて、いひいひと身をくねらせるいろは。
正直、引く。
「大丈夫なら、もういい。それで、ワン子……犬走なんだが、あいつならチンピラくらい相手にもならんだろ」
昨日実際に戦ってみたからわかるが、犬走は腕が立つ。
たとえ人数の差で苦戦したとしても、魔物の姿になれるという切り札もあるわけだしな。
普通の相手ならあの姿を見ただけで逃げ出すんじゃなかろうか。
「んー、ただのチンピラだったら私もここまで心配してなかったんだけどお」
気持ちの悪いくねくねをぴたりと止めて、いろはが苦々し気に言う。
ただのチンピラだったら、か。
「つまり、この尾長って奴にもお前らと同じような力があるってわけか」
「ぴんぽーん、その通りなのです!」
なるほど、そりゃまずいな。
もしも尾長に犬走と同じか、それ以上の力があるんなら危険な状況だ。
噛みついていってこっぴどく返り討ちに合うならまだいい方。
だが、あいつは女だ。
顔立ちも整ってる。
尾長がどういう奴なのかは知らんが、最悪の場合どうなるのか。
それを想像するのは難しくない。
急いだほうがいい状況なのはわかった。
いろはが心配するのも納得だ。だが。
「なんで俺に頼る?」
そこが解せない。
昨日、痛めつけられた相手だろうに。何を思って俺に助けを求めたんだ。
「それはね、久郎くん、勘だよ。私ね、自分の勘を確かめたくなったの」
すっと、いろはが一歩近づいてくる。
昨日のように息が触れるような距離じゃない。
人と人が話す時の当たり前の間合いで、いろはは俺の顔をじいっと見つめてくる。
「君は良い人なのかなあ? それともこいつと同じ、ただの乱暴なDQN?」
口ぶりは冗談めいているが、いろはの目は真剣だった。
微笑みながら、何かを見透かそうとしている。
俺はどんな人間なのか。
持っている力を何に使うのか。
暴力ではなく、正しい事のために使えるのか。
「……わからない」
「言ったでしょ。わからないから、確かめさせてよ」
目を逸らした俺の手をとって、いろはが言う。
「私の友達を助けて。お願い、久郎くん」
触れた手の甲からひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
捉え方によっては心地いいと思うこともできるのかもしれない。
釘原いろはという人間を、俺がどう捉えるのか。目を閉じて考える。
こいつはやっぱり胡散臭い。嘘と、異常の臭いがする。
簡単に信用していいのかと言われれば、まず駄目だろうな。
友達を心配しているのだって演技かもしれない。
こんな時、あの人ならなんと言うだろうか。
勇者と呼ばれた優しいあの人なら、どんな決断を下すのか。
……決まってるな。
一秒だって迷わないだろう。
騙されて人が救えるなら、私は喜んで嘘に身をゆだねるよ。
そんな声が、聞こえた気がした。
どうやら俺の中にはまだ、あの人からもらったものが残っているらしい。
「いろは、二十分くれ。俺が準備をする間に、お前は犬走の居場所の目星をつけろ。できるか」
自分がどんな奴なのかは、わからない。
だから、一番正しいと思える人に倣うとしよう。
目を開けて見つめ返すいろはの顔が、みるみるうちに嬉しそうなにやけ面に変わっていく。
「くひひひ、それならもうわかってるよん。それじゃあ、道案内は任せてもらおっかな?」
にまあっと笑ったいろはの瞳が紫色に輝きだし、黒い星が浮かぶ。
握っていた手を放すと、いろはは自分のくくっていたお下げのリボンをほどいた。
解き放たれた髪が意志を持ち、ゆらゆらと広がっていく。
「そんじゃ、よーいドン、ね」
いろはの言葉と同時に室内のパソコンの電源が一斉に入ったのが分かった。
機械を自在に操れるらしいこいつには、こいつのやり方があるんだろう。
俺も、俺のやり方でいく。
そのためにまず、必要な物を揃えるとしよう。
そう思って視聴覚室を飛び出した俺は、全力で走り出した。
こういう時、普通の学生の人は大人しく警察を頼りましょう。
久郎は特別だから、いいのです。




