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八 友達のお父さんに会う

 母さんに頼んで弁当を早めに作ってもらい、昨日より一時間前倒しで家を出た。


 当然、通学鞄は持っていない。

 デカい弁当箱だけを片手に早朝の道を歩く様子は、さぞ間抜けに見えることだろう。


 昨晩、久々に再開した友達と遊ぶのに夢中になってつい時間を忘れてしまった、という言い訳で心配性な姉ちゃんを納得させることには成功した。


 だが、今から会いに行く相手に、同じ嘘は使えない。


「ここ、だったよな。あいつの家」


 おぼろげな記憶をたどって俺がたどり着いたのは、学校ではなかった。


 目の前にあるのは厳かな雰囲気の日本家屋。

 木造一階建ての平屋で、立派な屋根瓦や品の良い木の壁を見れば、この家にはきっと長い歴史があるんだろうなあと思わされてしまう。


 これまた趣のある門柱に下げられた表札に書かれているのは『妻崎』の文字だ。

 情けない話だが俺はこの家の雰囲気に気圧されて、ぱりっと剪定された庭木が並ぶ向こう側に踏み込めずにいた。


「あ」


 かれこれ五分ほど立ち尽くしていただろうか。

 庭の向こうで戸が開く音がした。


「行ってき、まーす」


 家の中から出てきたその人物も、門のところで立ちんぼだった俺に気づいたようだ。

 家の人に向けられたのであろう言葉が、途中から露骨にトーンダウンしたからな。


 妻崎は特に何も言わず、大股でずんずんと俺の方に歩いてきた。


「おはよう。その、昨日は……悪かった」

「…………」


 とりあえず謝ってみたが、返事はなし。

 口をへの字に結んだ妻崎は目だけで俺を見下ろしてくる。


 ひええ。こりゃ相当怒ってんな。

 どうしよう。

 悪いのは完全に俺だし、謝る以外にできることなんてないぞ。


「ここで立ってても仕方ないでしょ! 早く行こ。あたし朝練あるんだから」


 言うべき言葉を探していたら、胸元にボスン、と二人分の通学鞄とスポーツバックを押し付けられた。


 俺の荷物と、妻崎の荷物、どっちも持てってことなんだろうな。


「昨日はあたしが二人分持って帰った。今日はあんたが二人分持つ番。文句ある?」

「…………ありません」

「ちゃんと事情、説明してよね」


 右手に通学鞄を二つ、左手に弁当とスポーツバックを携えて、一段と間抜けさに磨きがかかった俺を、妻崎は口を尖らせながら睨み付けてくる。


 良かった。

 まだ、話くらいは聞いてくれるつもりらしい。


 俺の前を通り過ぎて、さっさと歩きだした妻崎の後に続こうとした時だった。


「おお? 君、久郎くんか!」


 後ろから声をかけられた。

 玄関からまた誰か出てきたらしい。

 反射的に振り返る。


「えっと……おはようございます」

「ああ、おはよう。久しぶりだね。私のことは覚えているかい?」


 妻崎よりもさらに十センチは高いんじゃないかという身の丈と、かっちりと後ろに固められた黒髪。

 もぞもぞと頭を下げた俺に快活な挨拶を返して、皺ひとつないスーツ姿の大柄な男性がこちらに歩み寄ってくる。


「歩美さんの、お父さんですよね」

「おいおい、どうした! 随分表情が硬いな。若いんだから、朝はもっと爽やかじゃないと」


 妻崎父は流れるような仕草で握手を求めてきて、俺は微妙な笑顔で応じる。


 いや、力強え、この人。


 なんだろう。

 いい人なのは間違いないのに、傍に立つと自然と緊張してしまうこの感じ。

 世の中には、ただそこに居るだけで周りの人間の気を引き締める雰囲気を持ったおっさんが存在する。


 体格、振舞い、経験から滲み出る話し方。

 この人の前で下手なことして、怒らせてはまずい。

 妻崎の親父さんもそういう『おっさん』の一人のようだ。


「色々、大変だったようだね。君の話は私の耳にも入ってきているよ」

「ええっと」

「おっと、不躾ですまんな。仕事柄、どうしても気になってしまってね」

「いえ、構わないです」


 俺の記憶が正しければ、妻崎の親父さんは警察のお偉いさんだったはずだ。

 行方不明になっていた娘の同級生が、最近になって帰って来たことを知っていても不思議じゃない。


「何があったにせよ、こうしてまた同じ学校に通うことになったのも何かの縁だ。娘と仲良くしてやってくれ」

「あー……それがですね」


 俺は横目で妻崎の様子を窺う。

 やっぱりさっきと変わらず不機嫌そうな顔だ。


「はははっ、気にするな久郎くん! あれはな、怒ってみせているだけだ。昨日、君が帰ってきて同じクラスになったことを話す時なんかもう……」

「父さん!」

「おっと、見ろ。あれが、本気で怒っている時の顔だ」


 妻崎の方を顎で示し、親父さんはニカッと笑いかけてくる。


「……っとに余計なこと言って」


 じゃ、私はここらで。と庭の向こうの駐車場に歩き去る父親の背中を、妻崎が恨めしそうに見送る。

 いい親父さんじゃないかと、俺は思ったんだが。


「そうだ、久郎くん。一つだけ忠告しとくよ」


 最後に妻崎の親父さんは振り返り、自分の顎をトントンと右手の指先で叩いて見せる。


「残念ながら、この街には危険な連中が増えつつある。君も、気をつけなさい」

「……わかりました」


 バレてたか。

 犬走に蹴られたせいでできた、小さな痣を見つけられたらしい。


 流石は警察ってとこなのかね。


「何、あれ? んん? 久郎、あんたその痣どうしたの?」

「長くなるから、後で話すよ。朝練に遅れると、まずいんだろ」


 妻崎にも気づかれてしまったが、はぐらかして歩きはじめる。

 詮索される前に話をそらさなきゃな。


「お前の親父さん、すっげえ貫禄だったな」

「まー、一応、警察署の署長だしねえ。多少偉そうじゃなきゃまずいでしょ」

「マジかよ」

「うん。去年からね。でも、家ではただのおっさんだよ?」

「…………」


 あれがただのおっさんならウチの親父はどうなるんだよ。

 姉ちゃんといい、遠華ちゃんといい、妻崎といい、世の娘たちは少し父親に対する認識が軽すぎると思う。

 世の中には二種類のおっさんが居ます。

 貫禄のあるおっさんと、貫禄のないおっさんです。

 私は後者なのですが、前者にカテゴリされる人って、どこで威厳というものを身につけるんでしょうかね?

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