あるわけないや
物音が聞こえてシーゲルは目を覚ます。リールと口論紛いのやり取りをした後、そのまま寝てしまったようだ。ふて寝なんていつ振りだろうか。ぶつける相手のいない悔しさを感じながらソファから起き上がる。物音の聞こえる方を見ると、鴇が窓をノックしている。
「ああ、トキさん。どうし……え!? どうしたの!?」
窓を開け、外にいる弟子が濡れ鼠だと気付いたシーゲルは目を剥いた。リールの話を聞いた後では顔を合わせづらいと思っていた事も眠気も頭から飛んだ。
「リール! リール! 布、何か拭く物を持ってきてくれ!」
大まかに髪と体の水気を取った鴇を着替えさせ、毛布と一緒に厨房の竃の前に座らせる。竃に火が入っていてよかった。リールから温かいお茶の入ったカップを渡された鴇の唇はまだ青い。通り雨でもないのに何があったのかと仰天したが、井戸から水を汲む際、桶をひっくり返したらしい。寒い時期ではないが、全身ずぶ濡れだとあっという間に体温が奪われる。寮に戻った鴇は歯の根が合わない程震えていた。
「すみません、ありがとうございます。お手数おかけします」
「お気になさらず。今日は暖かくしてお過ごしください。風邪を召されては大変です」
「もう一枚毛布要ります?」
「いえ、大丈夫で……」
くしゃん、と鴇が小さなくしゃみをする。シーゲルとリールは揃って顔を見合わせ頷いた。
「暫くお待ちください。風呂の準備をしてきます」
「うん、頼むよ」
リールは厨房を出る前、シーゲルに目配せをしてきた。物言いたげな視線をシーゲルも挑むように見返す。どうせ丁度いいから鴇に魔術の手解きを申し出ろと言いたいのだろう。余計なお世話だと一蹴したいが、今回は悔しいがリールの方に道理がある。手を払う仕草でリールを追いやり、ひたすら恐縮している鴇に声をかけた。
「リールも言ってたけど、気にしないでいいですよ。失敗も勉強のひとつです」
鴇は顔を上げないままシーゲルに問いかけた。
「……先生」
「ん?」
「同じ失敗をしない為には、どうすればいいんでしょう」
ぽつりと呟いた鴇。よくよく見れば背中もいつもより丸まっている。冷水を頭から被ったのが随分堪えたらしい。
「そうですね、失敗した原因と、どうすれば失敗しなかったのか対策を考えて、次に活かせばいいんですよ」
口から出た言葉があまりに酷くて笑ってしまった。内容が堅苦しくて模範的なのはともかくとして、我ながら他人事過ぎる。失敗から学んで次に活かすなんて、どの口が言えるのか。さすがに無責任だ。
「なーんて言っても、できないですよね、そんなの。失敗なんて気づいたらしてるもんですよ。途中で気付いたら失敗じゃないですから。原因とかいちいち覚えてられないですし、よしんば覚えて対策したって、どう行動するかは別の話です」
突然笑い出したシーゲルを困惑の表情で見上げる鴇に笑顔を向ける。困り顔でも、下を向いているよりましだろう。
「でもやっぱり、なんで失敗したか考えて、次は間違えないようにってやっていくしかないんでしょうね。何度も何度も失敗して、少しずつ分かっていくしかないと思います」
「……先生も失敗しましたか?」
当然、とシーゲルは頷いた。失敗した数なんて数えていられないくらいだ。
「勿論です。僕だって、死ぬ程失敗しましたよ」
死ぬ程、と鴇は繰り返して分からないという顔をした。確かにそんなの実感が湧かないだろう。
「失敗だらけの僕だって平気で生きてるんだから、トキさんも大丈夫ですよ。焦らなくていいと思います」
「……はい」
鴇はこっくりと頷いた。心なしか、いつもより目に活力があるように見える。……これは好機かもしれない、とシーゲルに欲が出た。
「ところでトキさん、勉強繋がりで魔術を学んでみる気はありませんか?」
◆
王の執務室。頑丈な拵えの椅子に座った王は調査団からの報告を聞き終え、王は眉間に皺を寄せた。
「西の病の出所が分かったか……」
「はい。岩山の近くにある小さな村です」
「原因も治療法も分からない。今のところ、重病者、死者が出ず、広がってはいないのが救いだな。だからといって放置していいものではないが」
「まだ建国祭まで間があります。余裕のあるうちに手を打つべきではないでしょうか」
そうだな、と頷いた王は大臣の一人に顔を向けた。
「では改めて本格的に調査団を派遣せよ。人員は他と相談して決めてほしい。頼めるか」
「承りました。詳細が決まりましたら報告に参ります。国土全体に広まる前に食い止めなければなりませんね」
大臣や調査団が執務室を辞したあと、王は首を回しながら窓の外を見た。ここからでは遠い西の地を望むことは叶わないと分かっていたが、つい外を見てしまう。
「病……病か。正体が分かるまではそうとも言い切れんな。病か呪いか怨念か。いや、人を害するものが病なら纏めて病でもおかしくはないか」
外を見るのを止めた王は側近に水を向ける。
「この理屈で行くなら、わが国も病を抱えていることになるな。建国以来抱え続けてきた、どうすることもできん特大の病だ」
側近は素知らぬ顔で王の言葉を黙殺した。賢い選択だ。
王は頬杖をつくと顔を背け、ふんと鼻を鳴らした。
◆
魔術を学んでみないか。ついそう言ったはいいが、シーゲルはそこから先を考えていなかった。鴇はぽかんと口を小さく開けてシーゲルを見上げている。
「いやほら、僕が亡霊を殺すまでトキさんにはもう暫くこっちに滞在してもらわないといけないですし、その間、ずっと待ってるだけっていうのも退屈かなあと」
「で、できますか!?」
「思、え……?」
予想外の食いつきの良さにシーゲルは面食らう。
「先生みたいに、私でも頑張れば先生みたいに魔法を使えるようになりますか?」
「いや、魔法じゃなくて魔術……」
半ば無意識で訂正しつつ、シーゲルは城に戻る道中、鴇に魔術を見せた事を思い出した。焚火の火を大きくしたり、小さな旋風を起こして小石や枝を浮かせただけだが、鴇の世界に魔術はないようでいたく感動していた。
「いやでも、すぐに身につくものじゃないし、できるようになるとも限りません。気が進まないなら本当にいいんですよ?」
わたわたと手振りも交えて話すシーゲル。リールに言われてふと口にした事に、ここまで反応が返ってくるとは思ってもみなかった。
「お願いします。魔術を教えてください。できるようになる、かもしれないんですよね。私でも、何かできるようになる可能性があるならやりたいです。お願いします」
切実な声だった。何もできないと当然の事のように言ってはいたが、それは鴇の中で当然ではあっても必然ではなかったのだろうか。
「分かりました。僕なりのやり方ですけど、トキさんに魔術の使い方を教えます。早速明日から始めましょう」
初めから、できる限り鴇の要望には応じようと思っていた。鴇自身が魔術を学びたいと言うなら、それを拒む理由はシーゲルにはない。
◆
目まぐるしい日。あとは寝るだけとなり、寝巻きでベッドに腰掛けた鴇は今日一日をそう纏めた。昨日と同じように外を走り回って終わるかと思っていたが、蓋を開けてみれば盛り沢山どころではない騒ぎだった。変化に乏しい日々を過ごして来た鴇には怒涛のような一日だった。魔術を学んでみないかとシーゲルに提案されたことを思い返す。まだ顔が熱い。何もできないと言ったのに、どうしてあんな提案をしてくれたのだろう。リールが何か言ってくれたのかもしれない。だとしたらお礼を言わなくては。
明日に備えて眠ろうと横になっても一向に眠気は訪れない。もしかしたらと、出来心のような思いが顔を出す。もしかしたら、リールに言われただけでなく、シーゲルも少し、ほんの少し、鴇に期待しているのだろうか。爪の先程、とは言わない。砂一粒くらいでも期待してくれているのなら。
「……あるわけないや」
それは鴇にとって過ぎた幸せ、高望みという奴だ。たまに夢想する分には楽しいが、本気にしては馬鹿を見る。大体、初日に言われた事だけで鴇には手が追えない程なのに、この上期待してほしいなんて何を考えているのだろう。鴇に何かできる筈がないのだから。




