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こどくの亡霊  作者: 由遥
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また話し相手になってあげて

 先日、王に仕える魔術師の元へ手紙を届けに行った。しかし魔術師は留守で、数日前城にやってきた弟子だという子供に手紙を渡した。憧れの人物に会えると思っていただけに落胆は大きく、ついてない日だと溜息をつきながら戻ると件の魔術師がいた。既に星占の解読が滞っていると他から聞いていたらしい。

 「カシューくんだね、わざわざ僕が住んでる寮まで手紙を届けてくれてありがとう。僕の弟子には会ったかな。君と似たくらいの歳だから、また話し相手になってあげて」

 魔術師が住む寮の玄関先で会った腑抜けた顔の小娘を思い出す。思いっきり睨みつけたとは口が裂けても言えなかった。



 「主、話があるのですが」

 「なに?」

 シーゲルが星占の解読の手伝いに行った翌々日。居間となっている談話室でリールがシーゲルに声をかけた。まだ昼にもならない時間だが、昨夜遅くに帰ってきたシーゲルの目は眠そうにぼやけている。

 「トキ様に魔術を教えてはどうかと思うのです」

 「トキさんに?」

 はい、とリールは頷く。当の本人は朝食を終えた後、外に出て行った。おそらくは体力作りのために走っているのだろう。リールには理由がわからないが、鴇はシーゲルのために何かしようとしている事をシーゲル本人には知られたくないらしい。出かける時も、シーゲルが一度自室に引き上げた隙を見計らって出かけていった。

 「名目上、トキ様は主の弟子です。形だけでも教えておいた方が、いざという時格好がつくのではと考えました」

 「まあそうだけど……トキさんにこれ以上面倒かけられないしなあ」

 シーゲルは眉根を寄せて天井を睨む。

 「魔術は一朝一夕で身に付くものではありませんが、学んで損をするという事もないでしょう。トキ様が上手く育てば、主に変わって亡霊を討つ事も可能なのでは?」

 リールが亡霊と口にした途端、シーゲルの目が暗くなる。

 「……急に人を誑かそうとするなんて、どういう風の吹き回しだ?」

 リールは内心で嘆息する。いつもこうだ。亡霊について話したり考える時のシーゲルは暗く澱んだ目になる。リールはそんな目をしたシーゲルがあまり好きじゃない。

 「わたしなりの助言です。伝わりにくくて申し訳ありません。主が亡霊の存在を知って八十三年。亡霊を倒すと言って準備に十年ほど。残った時間、何をされていましたか?」

 ぐ、とシーゲルが言葉に詰まる。何も言えないのだろう。リールも分かった上で言っているから言葉を止めない。

 「七十年あまりの時間、主はただ見続けるだけでした」

 できうる限りの用意を整えたシーゲルは、打って出る事なく亡霊の側に留まり続けた。機を待つ訳でもない。本当に、ただそこにいるだけだった。

 「主と亡霊に何か関係があるかは知りませんが、もう終わりにしてほしいのです」

 ハッとシーゲルは小さく笑う。片方の頬が不自然に上がった。

 「城に飽きたかい。それなら好きに飛んでいけばいい。寂しくなるけど、止めはしないよ」

 苛立ちに歪んだ顔でシーゲルは吐き捨てる。今度は実際に溜息をついてリールは首を横に振った。

 「違います。差し出がましいことを言いますが、亡霊に関わっている最中の主の姿は痛ましくて見ていられません」

 シーゲルが鼻白む。彼を取り巻く苛立ちが薄れた。亡霊を殺さなければと憑かれたように行動していた頃の彼を思い出す。悲痛な顔で、昼夜問わずに奔走していた様を。この男とも長い付き合いだが、あの頃が一番酷い顔だった。それこそ男の方が亡霊や幽鬼の類なのではと勘繰るほどに。

 「今更ですが、大体、亡霊(あれ)が良くないものだと言ったのは主ではないですか。それなのに何十年もその近くにいるというのは正常な判断とは思えません」

 「……それこそ今更だ」

 つむじを曲げたのか、シーゲルはそっぽを向いてそれきり口を噤んでしまう。こうなったら今は何を言っても返事はないだろう。リールは反省する。最初に言いたかったことから大きく脱線してしまった。のみならず、シーゲルの機嫌も損ねてしまった。

 「トキ様への魔術の手ほどき、どうかご一考を。トキ様も主のためにできることを探しておられます」

 リールが部屋を出て、一人残されたシーゲルは使い魔が言い残していった言葉の意味を考える。数日前、形だけの弟子になった少女。

 「……なんだよ、それ」

 何もできないと言っていた。笑うでもなく恥じるでもない。夜に眠れば朝が来るのと同じくらい、当然という顔をして。何もできないと思っているなら、それなのにどうして前を向けるのか。



 城にいくつかある井戸のひとつで、鴇は以前シーゲルに手紙を届けに来た少年と出くわした。向こうも鴇を覚えていたのか、鴇の顔を見ると目を逸らす。睨みつけた事に決まりの悪さを感じているのだろうか。

 「お先にどうぞ」

 鴇は水を汲み上げるためつるべの縄にかけていた手をどけて数歩下がる。慣れていないし腕力もないから時間がかかるのだ。走って喉が渇いたから水を飲もうと思っただけで急ぎではない。先に水を汲んでいってもらった方がいい。少年は胡乱な目を向けながらも縄を手繰って水を組み上げると、持参した桶に移していく。

 「見てて楽しいか?」

 横目で睨まれた。少年が水を汲む様子を見ていた鴇は、低い呟きが自分に向けられたとそこで気づいた。

 「……え、ああ。特別楽しくはないです」

 少年の動きが手慣れていたので、真似すれば鴇も少しは早く水汲みができるのではと思って見ていただけだ。何も気構えていなかったので思ったままを言ってしまったら少年の口元が引きつった。

 「そうだ、先生宛に預かった手紙、ちゃんと先生に渡しましたよ」

 「……それはっ、どうもっ」

 縄を引きながらの返答があった。鴇は驚いてぽかんと少年の顔を見つめる。嫌われているだろうし返事は期待していなかったのだが。

 「あんた、シーゲル殿の弟子なんだってな」

 「はい。一応」

 形だけとは言わない。

 「一応? あんた、どうやってシーゲル殿に弟子入りしたんだ?」

 「私が住んでいた集落に先生が来て、そのまま弟子にしてもらいました」

 シーゲルが作った設定を話す。あまり細かく突かれるとボロが出そうだ。

 「そのまま弟子に、ね。シーゲル殿に認められるくらいだ、今までも随分努力してきたんだろうな。普段はどんな修行をしてるんだ?」

 「修行……いえ、特には何も」

 返事どころか会話を続けてくるので鴇はたじたじだ。この少年は何なんだろう。シーゲルも一応上の立場にいるし、鴇を通じて近づこうと考えているのだろか。持参した桶を水でいっぱいにした少年は鴇に向き直る。鴇は改めて少年を見た。水汲み中は腰を屈めていたから気づかなかったが、意外と背が高い。鴇より頭一個分はあるだろう。刃物みたいに鋭い金色の目が不機嫌そうにこちらを見ている。それと、

 「おい、おーい、聞いてるか?」

 怪訝な顔で少年が読んでいる。鴇は我に返って瞬きした。

 「……あ、すみません」

 「なんだよ、急にぼうっとして。俺の相手なんざ馬鹿らしいってか?」

 「いえ、見惚れてました。髪の毛、綺麗ですね」

 少年の髪は明るい杏色で、日の光に当たって淡く光っているように見えた。毛も細いし、ふわふわしていて柔らかそうだ、と思った瞬間、少年の顔つきが変わった。不機嫌から怒りへ。煙が燻ぶる程度の漠然とした思いから、火を噴いて燃える確固とした感情に代わる。

 「この……ッ!!」

 少年は桶を掴むと鴇に向かって投げつけた。水でいっぱいだった桶は一メートルも飛ばずに落ちたが、中の水は大半が鴇にかかった。冷たい井戸水を真正面から勢いよく浴びた鴇は後ろに転んで尻餅をつく。

 「ふざけるな!」

 鴇に怒声を叩きつけると、少年は転がった桶を拾い憤然として去っていった。地面に座り込んだ鴇は濡れて顔に張り付いた髪を退ける。既に見える範囲に少年の姿はない。やってしまったなあと思う。髪は少年にとって触れられたくない事柄だったのだろう。それを知らずに、鴇は無遠慮にもそこに踏み込んだのだ。

 「……それは怒るよね」

 心に土足で踏み込まれる不快感は知っているつもりだ。それが嫌いな相手なら尚の事。水をかけられた事に怒りや悲しみはない。自らの失敗が招いた事だ。少年には申し訳ない事をした。自分にもできる事があると浮かれていたようだ。むしろ良い戒めになったと考えるべきだろう。

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