前髪、切るか
「先生は、髪を切ったりしないんでしょうか」
鴇は前々から気になっていた事をリールに聞いてみた。場所は作業用の部屋のひとつ。鴇は部屋の隅で膝を立てた三角座り。部屋の中心近くで乾した植物を束ねていたリールは作業の手を止め、鴇の方を向いた。
「考えた事がありませんでした。何か気にかかる事がありましたか?」
「気にかかるというか、先生は髪が長いので顔に髪がかかって邪魔そうだなと」
シーゲルのぼさぼさの髪は肩先まであり、よく鬱陶しそうに髪を後ろに払う姿を見る。ついでに前髪もかなり長いので、下を向いたりする度に顔が隠れて大変そうだ。切るのが嫌なら結わえるなり留めるなりすれば随分楽になると思うのだが、とそんな事を話す。
「成程、トキ様の言う事もごもっともです。後で主に提案しましょう」
リールは残った葉や枝を纏める作業に戻った。鴇も自分の手元に視線を戻す。膝に乗せた掌の上には、橙色に光ってキュルキュルと回るビー玉大の塊があった。これは鴇の内部にある魔力の一部だ。リールに言わせると強引かつ斬新であるらしい方法で魔力というものを知った鴇は、暇があればその制御に取り組んでいる。
「トキ様の方は、調子はいかがですか」
「……魔力を外に出せるようにはなりましたが、そこからは進んでいません」
数日かけて体内の魔力を外に出すまではできるようになったが、そこから先に進める気配はない。魔術師は魔力を様々に変化させるとシーゲルは言っていたが、鴇にはまだまだ先の話だ。とはいえ、すぐにできるようにはならないと言われていたので落胆はない。そもそも鴇に教わった事がすぐできるようになる訳がない。
それから少し時間をかけて、作業を終えたリールが荷物を抱えて立ち上がる。
「トキ様、少しお休みになった方がいいでしょう」
「わかりました。運ぶの手伝います」
鴇が魔力の扱いを練習する際、シーゲルは決め事を設けた。練習する時は必ずシーゲルかリールが近くにいる場所で。休むよう言われたら休むこと。どちらも理に適っているので、鴇は頷いた。
ふっと気を散らせば掌の上にあった塊も溶けるように消えた。鴇の体内に戻っているのか、薄まって空気中に散っていくのかは分からない。
◆
「いだ、いだだだ、待てリール! 痛い痛い!」
リールに頼まれた荷物を外の倉庫にしまって戻ると談話室が騒がしい。何事かと入り口から様子を伺うと、こちらに背を向けて椅子に座ったシーゲルが頭を抑えて呻いている。その後ろに立つリールの手には細い紐。シーゲルを絞め殺そうとした訳でもないだろう。何があったのか見当がつかない。
「おやトキ様、どうかなさいましたか」
入り口に立つ鴇にリールが気づいた。
「何かあったのかと思って……あ、お預かりした枝とかは倉庫の入り口向かって右側に置いておきました」
「ありがとうございます。大変助かりました」
「どういたしまして。……先生、大丈夫ですか」
「大事ないです……いってえ」
大丈夫ではあっても痛いらしい。頭をさするシーゲルは苦い顔だ。
「トキ様、宜しければ手をお貸し頂けませんか? 主の髪を結わえようと思ったのですが上手くいかないのです」
だから紐を持っていたのかと合点がいった。シーゲルがあそこまで痛がっていた理由は分からないが。
「そうだったのか……いきなり髪を引っ張ってくるから髪の毛を毟られるかと思った」
「そのような事をする理由がありません」
「というか、なんで急に髪を結わえようとするんだ。髪で遊びたいなら自分のでやってくれ」
「遊んでいるのではありません」
「すみません。私が原因です」
鴇はリールに話した事をシーゲルにも説明した。
「そういう事ですか。気にかけてもらってありがとうございます」
「いえ、気になっていたので」
「トキ様、手を離して頂いて構いません。結び終えました」
鴇は両手で持っていたシーゲルの髪を離す。鴇とリール、片方が髪を束ねてもう片方が紐で髪を結わえるという運びになると、シーゲルがリールに髪を持たせるのに断固反対した為だ。リールに髪を触らせると抜ける程強く掴むらしい。
「うわー、凄い。視界が広い。顔の周りがすっきりしてる」
それはそうだろう。
「やはり効果がありましたか。……トキ様?」
それぞれ好反応を示す主従に対して、鴇は難しい顔をしている。
「やっぱり似合わないですか?」
照れ笑いを浮かべるシーゲルに、鴇は首を横に振る。
「いえ、そうではなくて、髪を結ぶ前に一度梳かした方が良い気がして……」
今はとりあえず結んでみようと髪を束ねて紐で括った。そのせいで絡まり合った髪同士が固まり、シーゲルの後頭部にでき損ないのアフロがくっ付いているように見えてしまう。折角顔の造りが良いのだから、髪を結ぶ前に一度櫛を入れればもっと良いと思うのだが。
「確かに、これでは少々見苦しいですね」
「僕としてはこれで十分だけど。でも櫛かあ、うちにあったかな」
櫛があるか分からない、これが男所帯……。妙な所で鴇は感心した。
「私、持ってます。少し待っててください。持ってきますね」
自室に置いてある鞄の中から取り出した折りたたみコームを持って談話室に戻る。リールがシーゲルの髪を梳かすというのでコームを渡そうとすると、「待て待て待て」とシーゲルが制止の声を上げた。
「君、さっき僕の毛を毟りかけたじゃないか! なんでまたすぐにやろうとするんだ!」
「これで力加減を覚えます」
「僕で実践練習するんじゃない!」
結局鴇がシーゲルの髪を梳かす事になった。髪を結わえていた紐を解き、縺れた部分を手でほぐして櫛を入れていくと思いの外あっさり通っていく。
「先生、髪の毛さらさらですね」
「そうですか?」
癖毛ではあるが梳かしやすい。鳥の巣まではいかないが、やたら絡まっているから随分と傷んでいるのだろうと思ったがそんな事はなかった。これなら数分とかからず終わりそうだ。しかし、これだけ櫛通りがいいのになぜあそこまで絡まってしまっていたのか。謎だ。
梳かし終えた髪を改めて結ぶ。
「おお」
「見違えましたね」
「そこまで言うかい」
◆
リールの感想に片眉を寄せたシーゲルだが、鏡に写った自分の顔を見て「まあ、確かに」と呟いた。首筋や顔まわりに髪が纏わり付かない。久しぶりに自分の顔を正面から見た。案外まともな顔をしている。見栄えが良くなったのも多分に関係あるだろうが。髪を結ぶくらい大した手間でもないし、悪くない。そう思った所で視界が遮られた。横に退けていた前髪が落ちてきたようだ。鼻の頭近くまで長さのある方髪をひとすじ摘む。
「前髪、切るか」
切るのが面倒臭くて惰性で伸ばしていただけなので執着はない。服の内ポケットに入れていた短剣を取り出し、鞘を外して手でピンと張った前髪に当てた。目算で位置の検討を付けて短剣を横に引けば、さく、と微かな感触と共に前髪が切れる。眉上に新しい毛先が当たる。格段に視界が広くなったのはいいが、少し切りすぎたかもしれない。
「……どうかなあ。切りすぎたかな」
今更少し後悔しながら、使い魔と弟子を振り返る。
「良否の判断はつきかねますが、前よりは良いと考えます」
「似合ってます。すっきりしていいと思います」
それぞれ肯定の言葉が返ってきてほっとする。目敏い王や魔術師長が何か言ってきても気にしなくてもいいだろう。
「そっか。良かった」
今まで散々視界を邪魔した前髪は呆気ないほどあっさり切れた。いつも頭の片隅にちらつく嫌な記憶も、こんな風に切り捨ててしまえれば良いのに。




