東央の自習
入学してから一週間ほどが経った。
午前最後の授業が終わり、昼休みを挟んだ午後。
教室へ戻ってきた黒田先生は、出席を確認すると手元のタブレットを閉じた。
「午後は自習だ。各自、予定している場所へ移動しろ。俺に指導を頼んでる奴は時間になったら第三演習場に来い」
その言葉を合図に、教室のあちこちで生徒たちが立ち上がる。
東央では、授業時間のかなりの割合が自習に割り当てられている。
といっても、教室で好きな科目を勉強するだけの時間ではない。
剣術を磨くなら演習場、身体を鍛えるならトレーニングルーム、魔法なら魔法訓練場。座学が足りないと思えば教室や図書室で勉強してもいいし、事前に頼んでおけば教師から直接指導を受けることもできる。
自分に何が足りないのかを考え、そのために時間を使う。
それが東央の自習だった。
かなり自由だと思う。
極端な話、何もしなくても怒られない。
ただし、その結果について学校は責任を取ってくれない。年度末に行われる進級試験で基準に届かなければ、容赦なく落とされる。
そのため、自習になったからといって遊び始める生徒は一人もいなかった。
「蓮、今日どうする?」
隣の席から大和が声を掛けてくる。
「魔法訓練場に行こうと思ってる」
「やっぱ、この前のやつ?」
「うん。できるか試してみたい」
一ノ瀬さんから教えてもらった圧縮。
あれから気になって仕方がなかった。
寮で魔法を使うわけにもいかないので、試すなら今日が最初の機会になる。
「じゃあ俺も行くかな」
「大和も圧縮?」
「できると思う?」
「……まずは普通の火球からかな」
「だよな」
大和も分かっていたらしい。
この前の魔法実技では、大きな火球を作ったものの、生成も射出も安定していなかった。
「今日はちゃんと真ん中に当てる」
「頑張って」
「他人事みたいに言うなよ。お前も教えろ」
「僕で分かることなら」
そんな話をしながら、僕たちは教室を出た。
◇ ◇ ◇
魔法訓練場には、すでに十人ほどの生徒が集まっていた。
授業で使ったものと同じ黒い的が並び、それぞれが好きな場所を使って魔法を練習している。
炎を飛ばしている人もいれば、水を操っている人もいる。その中には、教師に付き添われながら何度も魔法を撃っている生徒の姿もあった。
「結構いるな」
「みんな考えることは同じなんじゃない?」
僕たちは空いている的を二つ確保した。
「じゃあ俺、あっち使うわ」
「うん」
大和が隣の的へ向かう。
僕も自分の的の前に立ち、右手を持ち上げた。
まずは普通にやってみよう。
体内で魔力を生成し、それを腕から掌へ運ぶ。
掌の外へ放出した魔力をその場に留め、炎へと変化させていく。広がろうとする炎を一つにまとめ、球体を作る。
掌の先に火球が浮かんだ。
大きさも、形も、この前とほとんど変わらない。
ここからが本番だ。一ノ瀬さんから教えてもらった方法を思い出す。
――中に魔力を込めれば、それだけ魔法は大きくなろうとする。だから外側にも魔力を使って形を固定する。
火球を維持したまま、さらに魔力を動かす。
中へ流す魔力とは別に、外側へ。
「……っ」
難しい。
火球を維持するだけなら問題ないけど、そこから別の魔力を動かそうとすると、途端に内側へ流していた魔力まで乱れ始める。
火球の輪郭が大きく揺れた。
立て直そうとした瞬間、炎が弾けるように消える。
「……失敗か」
もう一度、火球を作る。
今度は最初から外側へ回す魔力を意識し、内側と外側の二つを同時に操作しようとする。
炎が揺れる。
それを押さえようと外側へ流す魔力を増やすと、今度は火球そのものが急激に小さくなり、そのまま消えてしまった。
一ノ瀬さんは簡単そうに言っていたけど、全然簡単じゃない。
「蓮!」
突然、大和の声が飛んできた。
振り向く。
「見てろ!」
大和の掌には大きな火球が浮かんでいた。
この前と同じくらいの大きさだけど、以前より輪郭の揺れが小さい。
「いくぞ!」
大和が的を狙う。
火球が飛んだ。
ドンッ!
中心から少し右。
それでも、前よりずっと近い。
「おお!」
大和が自分で声を上げた。
「見たか!?」
「見た。かなり良くなってる」
「だろ?」
嬉しそうだ。
「昨日から魔力を流しすぎないように練習してたからな」
「昨日?」
「寮じゃやってねえぞ。身体強化の方」
なるほど。
身体強化なら魔法と違って場所を選ばない。
「前に先生から言われた通り、必要なところだけに流す練習してたんだよ。そしたら魔法も前より楽になった」
「同じ魔力操作だからかな」
「たぶんな」
大和が自分の手を見る。
「まだお前みたいに真ん中には飛ばせねえけど」
「すぐできるようになるよ」
「その前にお前に教えてもらう」
「僕の説明で分かればいいけど」
「どうやって狙ってんだ?」
「僕は――」
少し考える。
「火球と的を線で繋いでる」
「は?」
やっぱり伝わらなかった。
「頭の中で」
「もっと分かんねえよ」
「的まで一本の線があると思って、その上を火球が滑っていく感じ」
大和が的を見る。
それから自分の掌へ視線を落とし、もう一度的を見る。
「……線」
右手を構え、再び火球を作る。
「ここから……あそこ……」
何かぶつぶつ言いながら的を見つめ、やがて火球を撃ち出した。
ドンッ!
さっきより中心に近い。
「おお!?」
大和が目を見開く。
「できたじゃん」
「マジかよ!」
その声に、近くで練習していた何人かがこちらを見る。
「大和、声」
「悪い」
そう言いながらも、大和は嬉しそうだった。
僕も自分の練習に戻る。
大和だって少しずつできるようになっている。僕も負けていられない。
もう一度火球を作りながら、今度は少し考え方を変えてみる。
一ノ瀬さんは、内側へ魔力を込めながら外側から押さえると言っていた。
僕はそれを二つの操作として考え、火球を作ってから、その外側へさらに別の魔力を動かそうとしていた。
だから難しいのかもしれない。
だったら、最初から一つにすればいい。
火球へ送り込む魔力の一部を、そのまま表面へ沿わせる。中と外で別々に動かすんじゃなく、一つの流れとして繋げてみる。
火球が揺れた。
それでも魔力を止めず、火球の内側を通った魔力が表面へ回り込むようにイメージする。
少しずつ揺れが収まっていく。
「……できた?」
火球を見る。
大きさは変わらないし、威力が上がったのかも分からない。
でも、さっきまでとは違う。
火球の表面を薄い膜のように魔力が覆い、その状態のまま十秒、二十秒と維持できている。
「蓮」
大和の声が聞こえた。
「それ、さっきと違くね?」
「たぶん」
集中を切らさないまま答える。
少なくとも、さっきよりは上手くできている。なら、もう少しだけ先まで試してみたい。
火球の内側へ流す魔力を増やすと、それに合わせて炎が膨らもうとする。その動きを外側の魔力で押さえ込みながら、さらに魔力を込めていく。
僅かに火球が震えた。
それでも形を崩さないように押さえ込む。
その瞬間――。
火球が大きく揺れた。
「っ!」
制御が崩れる。
慌てて魔力を止めると、火球はその場で掻き消えた。
「……駄目か」
思わず息を吐く。
外側から押さえるところまではできた。でも、そこからさらに魔力を込めようとすると、内側と外側の両方を同時に制御しきれない。
「でも、今ちょっとできてなかった?」
大和が隣から覗き込んでくる。
「形だけならね」
「それでもすげえじゃん」
「圧縮はできてないよ」
火球を形作るだけなら問題ない。外側を魔力で覆うところまでも、どうにかできた。
でも、一ノ瀬さんがやっていたのはその先だ。
形を維持したまま、さらに内側へ魔力を込めていく。
そこまでやろうとすると、今の僕では制御が追いつかない。
やっぱり簡単じゃない。
「朝倉君」
突然、後ろから声がした。
振り返ると、一ノ瀬さんが立っていた。
「一ノ瀬さん?」
いつからいたんだろう。
一ノ瀬さんは僕ではなく、さっきまで火球が浮かんでいた場所を見ている。
「今の、もう一回やって」
「え?」
「外側を固定してたでしょ」
「たぶん」
「たぶんって何?」
「まだ成功したか分からないから」
一ノ瀬さんが少し眉を寄せた。
「いいから、やってみて」
相変わらず少しそっけない。
「分かった」
僕はもう一度右手を上げ、火球を生成する。
内側へ送った魔力の一部を、そのまま表面へ回すように動かしていく。火球の外側を薄く覆うと、揺れていた炎が徐々に安定していった。
一ノ瀬さんは何も言わず、その様子をじっと見ている。
数秒が経ったところで、ようやく口を開いた。
「……違う」
「え?」
「それ、私のやり方じゃない」
思わず火球への集中が緩みそうになる。
「違うの?」
「私は内側と外側を別々に操作してる。朝倉君は繋げてる」
「その方がやりやすかったから」
「普通はそっちの方が難しいと思うけど」
一ノ瀬さんはそう言いながらも、僕の火球から目を離さなかった。
「でも、ちゃんと外側は固定できてる」
「じゃあ成功?」
「圧縮はできてない」
即答だった。
「やっぱり?」
「魔力が足りてないから」
そこも即答だった。
でも、一ノ瀬さんはまだ火球を見ている。
「ただ……そのやり方なら、朝倉君でもできるかもしれない」
初めて、一ノ瀬さんが僕のやり方そのものに興味を持ったように見えた。
僕も掌の上で安定している火球へ視線を戻す。
まだ圧縮には届かないし、適性二十一という差が消えたわけでもない。
それでも、できないと思っていたことにほんの少しだけ近づけた。
今は、それで十分だった。




