魔法使い
入学して数日。
午前の授業を終えた僕たちは、午後から第一演習場へ移動していた。
今日の授業は魔法実技。
ディフェンダーを目指してきた僕にとって、ずっと楽しみにしていた授業の一つだ。
演習場へ入ると、正面には人の背丈ほどある黒い板がいくつも並んでいた。表面には白い円が描かれ、その中心には赤い点がある。
たぶん、あれを狙って魔法を撃つんだろう。
「全員揃ったな」
僕たちの前に立った黒田先生が、大型モニターを操作する。
「今日は魔法の基礎をやる。ただ、実際に使う前に少し復習しておくぞ」
モニターには人間の身体を模した図が表示され、その中心から腕へ向かって青い線が伸びていた。
「魔法の基本は身体強化と変わらない。まず体内の魔素から魔力を生成する。身体強化では、その魔力を体内に留めて肉体を強化したな」
画面の表示が変わり、今度は青い線が掌を抜けて身体の外へ伸びていく。
「魔法の場合は生成した魔力を体外へ放出し、それに性質を与える」
炎、水、風。
モニターにいくつかの魔法が順番に表示される。
ここまでは中学校でも習った基礎知識だ。
魔法と呼ばれているものにも、当然ながら仕組みがある。
体内の魔素から魔力を生成し、それを体外へ放出する。さらに魔力を目的に応じた形へ構築し、性質を変化させることで初めて一つの魔法として成立する。
「だから魔法で重要なのは出力だけじゃない。どれだけ正確に魔力を放出し、目的の形へ構築して、それを維持できるか」
黒田先生が右手を上げると、その掌へ魔力が集まっていく。
次の瞬間、拳より少し大きな火球が浮かんだ。
炎でできているはずなのに、その輪郭はほとんど揺れていない。
「つまり、制御だ」
何人かから感心したような声が上がる。
先生は火球をしばらく維持した後、魔力を止めて炎を消した。
今日僕たちが使うのも、今の魔法。
基礎火炎魔法。
構築が比較的単純で威力も調整しやすいため、魔法を学ぶ時に最初に練習することが多い基礎魔法だ。
「今日は基礎から確認する。まずは生成。そして維持。その後、あそこにある的へ撃ってもらう」
黒田先生が演習場の奥に並ぶ黒い板を指した。
「もちろん、しっかり狙ってくれよ。あの的以外に当てられちゃ、後の片付けが面倒だからな」
何人かが小さく笑う。
「的は魔法訓練用の特殊素材で作られている。少なくとも、お前たち一年の魔法で壊れるようなものじゃない。だから安心して撃て」
黒田先生は僕たちを見回してから、授業を始めた。
最初の何人かが順番に前へ出る。
同じ《ファイアボール》でも、出来上がったものは人によって随分違っていた。
拳より一回り大きい程度の人もいれば、直径二十センチを軽く超える人もいる。大きな火球を作れても形が安定せず、射出する前に小さくなってしまう人もいた。
適性だけじゃなく、魔力操作の技術によっても差が出るらしい。
「次。橘」
「はい!」
大和が元気よく返事をして前へ出た。
僕はそれを少し離れた場所から見る。
「橘。前に言ったこと覚えてるか?」
「魔力を使いすぎるな、ですよね」
「分かってるならやれ」
「はい!」
大和が右手を前へ出し、掌へ魔力を集め始める。
しばらくして炎が生まれると、それは一気に大きくなった。
「おお」
周囲から声が上がる。
直径三十センチほど。
これまでの生徒と比べても明らかに大きい。
ただ、炎の輪郭が安定していなかった。大きく膨らんだかと思えば、次の瞬間には少し縮んでいる。
「橘。安定させろ」
「やってます!」
「できてないから言ってる」
「はい!」
大和が火球へ意識を集中すると、揺れていた輪郭が少しずつ落ち着いていく。
完全に安定したとは言えないけど、最初よりはずっといい。
「よし。撃て」
「はい!」
大和が腕を突き出す。
火球は勢いよく飛んでいったものの、途中から僅かに右へ逸れ、的の中心から大きく外れた場所へぶつかった。
ドンッ、と音を立てて炎が弾ける。
「あ……」
大和が固まった。
「出力は十分だ。ただ、生成も射出も魔力が安定してない。身体強化の時と同じだな」
「またそれか……」
「何か言ったか?」
「何でもないです!」
周囲から笑い声が起こった。
大和は肩を落としながら僕のところへ戻ってくる。
「難しいな、魔法」
「でも大きかったじゃん」
「当たらなきゃ意味ないだろ」
「練習すればいいよ」
「次、朝倉」
名前を呼ばれ、僕は前へ出た。
的との距離は二十メートルほど。
右手を前へ出して息を整え、まずは体内で魔力を生成する。
腕から掌へ。
そこまでは身体強化と同じだ。
掌まで運んだ魔力を体外へ押し出し、その場へ留める。そこから炎へと変化させ、広がろうとする炎を一つにまとめながら球体を形作っていく。
ボッ。
掌の先に火球が生まれた。
直径二十センチほど。
大和よりかなり小さく、ここまでの生徒と比べても大きい方ではない。
それでも戦闘で使えないほど弱い魔法じゃない。
魔物へ直撃させれば、十分に攻撃として成立するだけの威力はある。
「そのまま維持しろ」
黒田先生の声に従い、火球へ意識を集中する。
魔力を流しすぎれば形が崩れるし、少なすぎれば炎そのものを維持できない。
必要な分だけを一定に送り続ける。
「……安定してるな」
黒田先生が火球を見ながら呟いた。
「そのまま撃ってみろ」
「はい」
視線を的へ向ける。
的の中央にある赤い点。
掌の上の火球とその点を、脳内で一本の線で繋ぐ。
その線の上を滑らせるイメージをしながら、僕は腕を前へ突き出した。
火球が飛ぶ。
ドンッ!
赤い点のほぼ中央で炎が弾けた。
後ろから小さなどよめきが聞こえる。
「出力は低いが、制御はかなりいいな。生成、維持、射出、全部安定してる」
黒田先生が僕を見る。
「よく練習してるな」
「ありがとうございます」
素直に嬉しかった。
魔素適性そのものを変えることはできない。
だからこそ、魔力を扱う技術だけは何度も練習してきた。
そこを評価してもらえたことが嬉しい。
大和のところへ戻ると、すぐに声を掛けられた。
「なんであんな真っ直ぐ飛ぶんだよ」
「真っ直ぐ飛ばそうとしたから」
「俺もしたわ!」
「じゃあ、魔力が安定してなかったんじゃない?」
「先生と同じこと言うなよ」
「次。村上」
呼ばれて、村上君が立ち上がった。
最初の模擬戦で僕と戦った、魔素適性五十一の生徒だ。
村上君が前へ出て右手を構えると、掌へ集まった魔力が炎へ変化していく。
出来上がった火球は大和より少し小さい。それでも僕のものより明らかに大きく、大和ほど輪郭も揺れていなかった。
「そのまま撃て」
「はい!」
村上君が火球を放つ。
勢いよく飛んだ火球は的の中心から僅かにずれた場所へ命中し、僕の時よりも大きな音を響かせた。
「いいな。出力もあるし、制御も悪くない」
「ありがとうございます!」
村上君が嬉しそうに答える。
戻ってくる途中で僕と目が合うと、少し得意げな表情を浮かべた。
「魔法なら負けないからな」
「うん。すごかった」
「……お、おう」
村上君は少しだけ拍子抜けしたような顔をして、そのまま自分の場所へ戻っていった。
「蓮」
大和が小声で呼ぶ。
「何?」
「そこはもうちょい悔しがるところじゃないの?」
「なんで?」
「いや……もういい」
大和が呆れたように息を吐く。
言いたいことは分かる。
でも、村上君の魔法が凄かったのは事実だ。それを否定する理由はない。
「次。一ノ瀬」
黒田先生が名前を呼んだ瞬間、それまで少し騒がしかった周囲の声が小さくなった。
一ノ瀬さんが立ち上がる。
魔素適性六十七。
このクラスで最も高い数値を持つ生徒だ。
最初の戦闘訓練でも、身体強化だけで危なげなく全勝していた。
当然、みんな注目している。
僕もその一人だった。
一ノ瀬さんが前へ出ると、右手を的へ向けた。
掌へ魔力が集まり、やがて炎へ変わる。
出来上がった火球を見て、周囲から戸惑ったような声が上がった。
「……あれ?」
僕も少し意外だった。
一ノ瀬さんの火球は決して小さくない。実戦で使うなら十分な大きさだけど、さっき村上君が作ったものより明らかに小さい。
僕の火球と比べても、それほど大きさは変わらないように見えた。
六十七という適性を考えれば、もっと大きな火球が出ると思っていた。
でも、何かが違う。
一ノ瀬さんの火球は、大和や村上君のものと比べてもほとんど形が揺れず、まるで一つの塊のように安定している。
同じくらいの大きさだった僕の火球とも、どこか違って見えた。
何が違うのかまでは分からない。
ただ、見た目の大きさだけで判断してはいけないような気がした。
「……なるほどな」
黒田先生が小さく呟く。
一ノ瀬さんを見る目が変わった。
「撃っていいぞ」
「はい」
一ノ瀬さんが的を見る。
火球が放たれた。
速い。
それなのに軌道はまったくぶれず、吸い込まれるように的の中央へ向かっていく。
ドンッ!!
身体に響くような音が演習場に轟いた。
「っ!」
思わず目を細める。
僕も狙った場所へ火球を飛ばすことには自信がある。
だからこそ分かる。
あれだけの速度で撃ち出した火球を、中心からほとんどずらすことなく命中させるのは簡単じゃない。
炎が消えると、それまでのざわめきが嘘のように演習場が静かになった。
火球が命中したのは、的の中央にある赤い点。
そして、その中心から一本の亀裂が伸びている。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。
ヒビ。
授業の最初に黒田先生は言った。
一年生の魔法で壊れるようなものではない、と。
そのはずの的に、一ノ瀬さんの一撃は確かに亀裂を入れていた。
「先生」
大和が手を上げる。
「これ、壊れないんじゃなかったんですか?」
「……そのはずなんだがな」
黒田先生が的へ近づき、亀裂を確認する。
それから一ノ瀬さんへ視線を向けた。
「一ノ瀬。今の、圧縮したな?」
「はい」
圧縮。
周囲がざわつく。
「どういうことですか?」
誰かが聞くと、黒田先生が僕たちへ振り返った。
「火球が小さかったから、出力が低いと思った奴もいるだろ」
何人かが頷く。
僕も最初はそう思った。
「違う。一ノ瀬は込める魔力を減らしたんじゃない。本来ならもっと大きくなるはずの火球を、高い制御技術であの大きさまで圧縮したんだ」
もう一度、周囲からどよめきが起こる。
「魔法は大きければ強いわけじゃない。同じ大きさでも、そこにどれだけの魔力を込め、それを制御できるかで威力は変わる」
僕は一ノ瀬さんを見る。
六十七という高い適性。
それだけじゃない。
それだけの魔力を僕とほとんど変わらない大きさの火球へ押し込み、さらに高速で正確に的の中心へ命中させる技術。
最初の戦闘訓練でも、身体強化だけで十分に強いと思った。
でも、違った。
一ノ瀬さんは――魔法使いなんだ。
◇ ◇ ◇
授業が終わり、更衣室へ向かっている途中で一ノ瀬さんの姿を見つけた。
そのまま通り過ぎようか少し迷ったけど、さっきの魔法がどうしても気になる。
「あの、一ノ瀬さん」
声を掛けると、一ノ瀬さんは足を止め、少し面倒そうにこちらを振り返った。
「……何?」
笑顔どころか、愛想らしいものもない。
そういえば同じクラスになって数日経つけど、こうしてちゃんと話すのは初めてだ。
「さっきの魔法、どうやったの?」
「どうって?」
「圧縮。先生が説明してたやつ」
一ノ瀬さんはすぐには答えず、何かを探るように僕を見る。
「それを聞いてどうするの?」
「僕もやってみたいから」
「無理だと思うけど」
あまりにも迷いのない返事に、僕は一瞬言葉に詰まった。
「……そんなに?」
「朝倉君、適性二十一でしょ。圧縮以前に、あれだけの魔力を一つの魔法に込めるのは無理よ」
言い方はそっけないけど、馬鹿にされている感じはしない。ただ僕の適性と魔力量から判断したことを、そのまま口にしているだけのようだった。
「同じ威力を出せないのは分かってるよ。でも、やり方くらいは知っておきたい」
「知ってどうするの?」
「練習する」
一ノ瀬さんが僅かに眉を寄せた。
「できるかも分からないのに?」
「できるかどうかは、やってみないと分からないから」
しばらく僕の顔を見ていた一ノ瀬さんが、小さく息を吐いた。
「……外側から押さえるの」
「外側?」
「中に魔力を込めれば、それだけ魔法は大きくなろうとする。だから外側にも魔力を使って形を固定する。それを同時にやってるだけ」
「中に込めながら、外からも押さえる……」
言葉にすると単純に聞こえるけど、実際にやるとなれば全く別だ。
一つの火球に対して、内側と外側で異なる魔力操作を同時に行う必要がある。
今日、自分で火球を作ったからこそ、その難しさが少しは想像できた。
「ありがとう。今度やってみるよ」
「だから、たぶん無理だって――」
そこまで言った一ノ瀬さんが、ふと僕の右手へ視線を落とした。
「……でも、形だけならできるかもね」
「僕が?」
「今日の火球、ほとんど形が崩れてなかったでしょ。それに射出した後の軌道も安定してた」
一ノ瀬さんが見ていたことの方が意外だった。
「僕のも見てたんだ」
「同じ授業を受けてるんだから、見るでしょ」
「それはそうだけど」
「適性二十一だから込められる魔力は少ない。でも、魔力操作だけならクラスでも上の方だと思う」
「ありがとう」
僕がそう返すと、一ノ瀬さんの眉が僅かに動いた。
「褒めたわけじゃない。見たままを言っただけ」
「それでも嬉しいよ」
「……そう」
それ以上話すことはないと言わんばかりに、一ノ瀬さんは前を向いて歩き出した。
少しそっけない人だとは思う。
だけど、適性二十一という数字だけを見て僕の全部を判断しているわけでもないらしい。できないことはできないと言う一方で、認めた部分についてはちゃんと言葉にしてくれる。
僕は歩き去る一ノ瀬さんを見送りながら、教えてもらった方法を頭の中でもう一度整理した。
中へ魔力を込めながら、外側から押さえ込む。
今の僕では一ノ瀬さんと同じ威力なんて出せない。それでも、魔力操作だけなら試してみることはできるはずだ。
そして、一ノ瀬さんが魔法を作った時に感じた違和感を思い出す。
あの火球を見た瞬間、僕は見た目の大きさだけで判断してはいけないような気がした。
単に形が安定していたから、そう感じただけなのか。
それとも、別の何かを感じ取っていたのか。
今の僕には、まだ分からなかった。




