模擬戦
昼休みを挟んだ午後。
僕たちは再び第二演習場へ集まっていた。
午前中と同じ訓練着。
違うのは、演習場の中央に一辺十五メートルほどの試合区画が用意されていることだ。
床に引かれた白線が、その境界を示している。
「午後は戦闘訓練をやる」
黒田先生の一言で、生徒たちの空気が変わった。
待ってました、とでも言いたげな顔をしている生徒も多い。
もちろん、僕もその一人だ。
「ただし、勘違いするなよ。好き勝手に殴り合えって意味じゃない」
何人かの表情が僅かに曇る。
本当に殴り合うつもりだったのかな。
「使用を許可するのは、午前中に確認した身体強化のみ。魔力の体外放出は禁止。魔法も使うな」
魔法。
魔力を炎や水、風などの現象として外部へ放つ技術。
身体強化と並んで、ディフェンダーが魔物と戦うために使う力だ。
「武器もなし。素手でやる」
黒田先生が白線の内側へ入る。
「勝敗条件は三つ。降参、戦闘続行不能、場外。危険だと判断した場合は俺が止める」
そこで僕たちを見回した。
「今回見たいのは、昨日の数値じゃない」
昨日。
僕の二十一。
大和の五十八。
そして一ノ瀬の六十七。
「魔力を使いながら、どれだけ自分の身体を扱えるか。実戦になった途端に制御が滅茶苦茶になる奴も珍しくない」
午前中、大和が右腕から魔力を漏らしていたのを思い出す。
横を見ると、ちょうど大和と目が合った。
「なんだよ」
「別に」
「絶対俺のこと考えただろ」
「考えてないよ」
「嘘つけ」
黒田先生の声が飛んでくる。
「そこ、喋るな」
「「はい」」
声が重なり、周囲から小さな笑いが起こった。
「組み合わせは俺が決める」
黒田先生が手元のタブレットを見る。
「最初――田辺直樹。藤井圭吾」
「はい」
「はい!」
二人の男子生徒が立ち上がった。
どちらもまだ話したことはない。
田辺君は細身で、藤井君はそれより少し身体が大きい。
二人が白線の内側へ入り、向かい合って構えた。
「身体強化のみ。顔面への攻撃は禁止。過剰な追撃もするな」
黒田先生が二人を確認する。
「始め!」
その声と同時に、二人の身体を淡い青色の光が覆った。
先に動いたのは田辺君だった。
床を蹴って一気に距離を詰め、その勢いのまま右拳を振るう。
藤井君が左腕を上げて受け止めた。
バンッ!
鈍い音が演習場に響く。
藤井君は一歩下がったものの、すぐに踏み止まって反撃に出た。
拳を振るい、田辺君がそれを避ける。さらに追撃するが、今度は腕で受け止められた。
攻撃して、防いで、離れて、また距離を詰める。
一方的な戦いにはならない。
どちらかが大きく崩れることもなかった。
「おお」
隣で大和が小さく声を上げる。
「結構激しいな」
「うん」
身体強化を使っている以上、中学までの組手とは速度も威力も違う。
それでも、見ていて気付くことは多い。
田辺君は速いけど、攻撃する瞬間に右肩が少し上がる。
藤井君は力が強そうだけど、踏み込む前に一瞬だけ身体が沈む。
僕なら――。
そこまで考えてやめた。
まだ二人とも戦っている。
まずは見よう。
二分ほどが経った頃。
田辺君が大きく踏み込み、藤井君へ拳を放つ。
それを受け止めた藤井君は、そのまま田辺君の腕を掴んだ。
「うわっ!」
勢いを利用して身体を押す。
田辺君は堪えようとしたものの、二歩、三歩と下がり、その足が白線を越えた。
「そこまで。場外、藤井の勝ち」
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
二人が頭を下げる。
大きな実力差はなかった。
最後は一瞬の判断で決まったように見えた。
「今の二人は田辺が魔素適性三十八。藤井が四十三だ」
黒田先生が言う。
「数字だけなら藤井が上だが、それだけで勝ったわけじゃない。田辺の踏み込みを利用した判断が良かった」
藤井君が少し嬉しそうな顔をする。
「逆に田辺。最後は焦ったな」
「はい……」
「適性が高い方が必ず勝つわけじゃない。身体能力、技術、判断力、魔力操作。実戦じゃ全部が絡む」
黒田先生が僕たちを見回す。
「ただし、適性の差が広がれば、それだけ覆すのが難しくなるのも事実だ。身体強化で出せる力そのものに差が生まれるからな」
二人が戻ってくる。
続いて黒田先生が次の組み合わせを読み上げた。
「次。橘大和。高橋拓海」
「おっ」
大和が立ち上がる。
僕の横を通る時、拳を突き出してきた。
「行ってくる」
「頑張って」
軽く拳を合わせる。
大和と高橋君が白線の内側へ入り、向かい合った。
「始め!」
黒田先生の声と同時に、高橋君が飛び出した。
両脚を魔力で強化し、一気に大和との距離を詰める。
そのまま放たれた右拳に対して、大和は避けようとしなかった。
「ふっ!」
両腕を顔の前で構え、青い光で覆う。
バンッ!
さっきよりも大きな音が響いた。
それでも、大和はほとんど動かない。
「硬っ……!」
高橋君の顔に驚きが浮かぶ。
その隙を逃さず、大和が前へ出た。
「おらっ!」
「うわっ!」
体当たりをまともに受けた高橋君の身体が後ろへ弾かれる。
二歩、三歩と下がり、そのまま白線を踏み越えた。
「場外。橘の勝ち」
「よっしゃ!」
大和が拳を上げる。
早い。
開始から十秒も経っていない。
さっきの二人とは明らかに違った。
これが五十八。
それに、大和には元々生まれ持った体格の良さもある。
「橘」
「はい」
「お前、タンク志望だったな」
「はい!」
「悪くない。自分の長所も分かってる」
大和の顔が明るくなる。
「だが、防御する瞬間に必要以上の魔力を腕へ流してる」
「うっ」
一瞬で顔が曇った。
「今の一発なら半分で十分だった。あんな使い方を続けてたら、長期戦になった時、どれだけ適性が高くてもスタミナ切れを起こすぞ」
「はい……」
勝ったのに少し落ち込んで戻ってくる。
「勝ったじゃん」
「褒められると思ったのに」
「ちゃんと悪くないって言われてたよ」
「その後が長えんだよ」
「先生だからね」
「もっとこう、最初くらい気持ちよく褒めてくれてもいいだろ」
そんな話をしながら、大和が僕の隣へ座る。
黒田先生がタブレットを見る。
「次――朝倉蓮」
来た。
僕は立ち上がる。
「それと、村上颯太」
「はい」
反対側から一人の男子が立ち上がった。
その瞬間、周囲が少しざわつく。
「村上って……」
「五十一の?」
「おいおい、大丈夫かよ。朝倉って二十一だろ?」
「三十も違うぞ」
そんな声が聞こえてくる。
五十一。
昨日の測定で五十を超えた生徒の一人か。
僕より少し背が高く、明らかに筋肉質な身体をしている。
格闘技か、それとも以前からディフェンダーになるための訓練を受けていたのか。試合区画へ向かう足取りも堂々としていた。
僕も白線の内側へ入る。
村上君と向かい合った。
「よろしく」
「……ああ」
村上君が少し困ったような顔をする。
そして、小さな声で言った。
「適性、二十一なんだろ?」
「うん」
「俺、五十一だから」
村上君が言いたいことは分かった。
怪我をさせないように気を遣ってくれているんだろう。
「手加減した方がいい?」
「大丈夫」
僕は首を横に振る。
「普通にやってほしい」
「……分かった」
村上君が構える。
僕も腰を落とした。
さっきの二人は五の差だった。
僕と村上君は三十。
身体強化だけなら、かなり大きな差になる。
それでも、せっかく戦えるんだ。
どこまでやれるのか試してみたい。
「身体強化のみ。顔面への攻撃は禁止。過剰な追撃もするな」
黒田先生が最後に確認する。
「はい」
「はい」
息を吐く。
緊張はしている。
でも、嫌な緊張じゃない。
むしろ、こういう時の方が頭は静かになる。
「始め!」
村上君の身体を青い光が覆う。
濃い。
午前中の僕とは全然違う。
五十一。
当然か。
村上君が床を蹴る。
速い。
一気に距離が縮まった。
だけど見えている。
肩が動く。
そして腰が回る。
右手が飛んでくる。
僕は半歩だけ左へ動いた。
ブンッ!
村上君の拳が僕の横を通過する。
「っ!」
村上君の目が僅かに開く。
すぐに左拳が飛んでくるが、今度は身体を沈めて躱した。
二発。
どちらも当たらない。
「おっ」
誰かの声が聞こえた。
村上君が一度距離を取る。
「……速いな」
「村上君も」
やっぱり身体能力も、身体強化の出力も僕より上だ。
まともに力比べをすれば勝てない。
だったら、力比べをしなければいい。
村上君が再び踏み込む。
右肩が動いた。
でも、右じゃない。
腰が回り、右脚が動く。
来る。
僕は先に左へ動いた。
直後、村上君の右脚が僕のいた場所を薙いだ。
「なっ――」
蹴り終わった村上君は軸足一本。
僕はその隙に懐へ入り、右掌を胸へ当てる。
身体強化を右脚へ集中させ、そのまま強く踏み込んだ。
「っ!」
村上君の身体が後ろへ崩れる。
すぐに距離を詰めると、体勢を戻そうとした村上君が右脚へ魔力を集めた。
次は右。
そう感じた。
僕は外側へ回り、振り向こうとする村上君の足を掛ける。同時に肩を押すと、崩れた身体がそのまま床へ落ちた。
ドンッ!
僕は追撃せず、すぐに一歩離れる。
演習場が静かになっていた。
村上君が床から僕を見る。
本人が一番驚いているようだった。
「続けるか?」
黒田先生が聞く。
「……はい!」
村上君がすぐに立ち上がる。
さっきとは顔が違う。
構えも変わった。
もう油断はしていない。
「行くぞ」
「うん」
今度は村上君が慎重に距離を詰めてきた。
放たれた拳を避け、続く蹴りも身体をずらして躱す。掴もうと伸びてきた腕には横から軽く手を当て、そのまま外へ弾いていなした。
村上君の身体が僅かに流れる。
当たらない。
村上君が攻撃する前に、僕にはなんとなく分かる。
昔からそうだった。
肩や腰、脚の動き。
視線や呼吸。
意識して見ているものはいくつもある。
だけど、それだけじゃない。
最後はいつも感覚だった。
村上君の右拳が飛んでくる。
僕はそれを紙一重で避け、そのまま懐へ潜り込む。腰へ手を回し、身体を捻りながら足を払った。
ドンッ!
二度目。
また村上君の背中が床についた。
「くそっ!」
村上君はすぐに立ち上がったが、今度は自分から距離を取った。
近づけば崩される。
そう判断したんだろう。
なら。
僕から行く。
床を蹴って一気に距離を詰める。
「!」
村上君が構えた。
僕より出力は上。
正面からぶつかれば僕が負ける。
だから、ぶつからない。
接触する直前で右へ踏み込むと、村上君の視線と身体が僕を追った。
その瞬間に左へ切り返す。
「速――」
村上君の横を抜け、そのまま背後へ回る。
振り返ろうとした背中へ手を添え、村上君自身の勢いを殺さないまま押した。
「うわっ!」
二歩、三歩。
踏み止まろうとした村上君の足が白線を越える。
「そこまで」
黒田先生の声が響いた。
「場外。朝倉の勝ち」
一瞬。
誰も何も言わなかった。
「……え?」
どこかから声が聞こえた。
僕は大きく息を吐く。
思ったより疲れた。
やっぱり身体強化を使い続けると消耗する。
「ありがとうございました」
村上君に頭を下げる。
「あ、ああ……ありがとうございました」
村上君も返してくれる。
でも、まだ少し呆然としていた。
白線の外へ出ると、大和がすぐに走ってきた。
「蓮!」
「何?」
「お前、強いじゃん!」
「声大きいよ」
「いや、だって!」
大和が僕の肩を掴む。
「圧勝じゃん! 一発も食らってねえだろ!」
言われてみれば、確かに一発も当たっていない。
「入試もあんな感じだったのか?」
「うん。だいたい」
「そりゃ受かるわ!」
大和が笑う。
その後ろ。
一ノ瀬がこちらを見ていた。
驚いたような顔。
午前中とは違う。
今度は僕の魔力操作を見ているんじゃない。
僕自身を見ていた。
「……二十一?」
小さく呟く。
昨日。
午前。
そして今。
三回目だ。
そんなに二十一が気になるのかな。
「朝倉」
黒田先生に呼ばれた。
「はい」
振り返る。
先生は僕をじっと見ている。
表情が読めない。
「お前、格闘技経験は?」
「道場には通ってました」
「何年だ」
「三年くらいです。後は自分で続けてます」
「そうか」
黒田先生が村上君を見る。
そして、もう一度僕を見る。
「攻撃が来る場所を読むのが得意なのか?」
「はい」
これは昔から自信がある。
「なんとなく分かります」
「なんとなく?」
「肩とか腰とか、いろいろ見てるんですけど……」
説明しようとして、少し困る。
「最後は感覚です」
黒田先生の眉が僅かに動いた。
「感覚、ね」
「はい」
「分かった。戻れ」
「はい」
大和の隣へ戻る。
次の二人が呼ばれ、戦闘訓練が再開された。
でも、黒田先生はすぐにはタブレットへ視線を戻さなかった。
村上君を見て。
その次に、僕を見る。
五十一と二十一。
出力。
身体能力。
格闘技術。
魔力操作。
頭の中で何かを照らし合わせるように、黒田先生はしばらく僕を見ていた。
「感覚…か」
そして、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「…本当にそれだけか?」




