才能と努力
朝六時。
目覚まし時計が鳴るより少し早く、僕は目を覚ました。
見慣れない天井。
一瞬だけここがどこなのか分からなくなる。
「ああ……寮か」
昨日から始まった東央での生活。
ベッドから身体を起こし、カーテンを開ける。
窓の外はまだ少し薄暗い。
机。
椅子。
ベッド。
クローゼット。
小さな冷蔵庫。
六畳ほどの部屋だけど、一人で生活するには十分な広さがある。
昨日は大和と食堂で夕食を食べた後、荷解きをして、ばあちゃんに電話をして。
そのまま早めに寝た。
スマートフォンを見る。
六時二分。
目覚ましは六時十分に設定していた。
「よし」
ベッドから降りる。
運動着に着替えて、ランニングシューズを履く。
昔からの習慣だ。
東央に入ったからといって、やめる理由はない。
◇ ◇ ◇
「はっ……はっ……」
校舎の周囲に整備された道を走る。
一周約二キロ。
今日は学校の敷地を覚える意味も兼ねて、少しゆっくり走っていた。
それにしても広い。
校舎。
体育館。
能力測定棟。
複数の演習場。
男子寮と女子寮。
さらにディフェンダー用の装備を整備する施設まであるらしい。
走りながら演習場の横を通り過ぎる。
高いフェンスの向こうに、昨日教室から見た市街地訓練区画が見えた。
建物だけじゃない。
信号。
ガードレール。
道路標識。
コンビニらしき建物まである。
本物の街をそのまま小さくしたみたいだ。
「すごいな……」
思わず速度を落としてしまう。
いつか、ここで訓練するんだろう。
そんなことを考えていると。
「おーい!」
後ろから声が聞こえた。
振り返る。
「蓮!」
「大和?」
運動着姿の大和が走ってきた。
……速い。
というか。
「なんでそんな格好なの?」
「ん?」
大和が自分を見る。
半袖。
短パン。
それだけだ。
「寒くない?」
「全然」
四月の朝なんだけど。
「蓮、朝走るのか?」
「毎日ね」
「へえ。何キロ?」
「普段は五キロくらい」
「じゃあ俺も走る」
「いいけど」
僕は大和を見る。
「起きたばっかりじゃない?」
「おう」
「準備運動は?」
「してない」
「してきて」
「大丈夫だって」
「駄目」
「母ちゃんみたいなこと言うなよ」
「怪我したら今日の授業出られないだろ」
「……それは困る」
大和が渋々その場で身体を伸ばし始める。
昨日会ったばかりなのに。
なんだか昔から知っているような気がしてくるから不思議だ。
◇ ◇ ◇
午前八時四十分。
一年三組。
僕と大和が教室に入ると、すでにほとんどの生徒が集まっていた。
「あ」
見覚えのある黒髪が目に入る。
一ノ瀬凛。
同じクラスだったんだ。
昨日は座席を探すことに夢中で気付かなかった。
一ノ瀬は僕たちから少し離れた、廊下側の席に座って教科書を読んでいる。
「蓮、あの子だろ?」
大和が小声で聞いてくる。
「何が?」
「六十七」
「そう」
「すげえな」
大和が一ノ瀬を見る。
視線に気付いたのか、一ノ瀬が顔を上げた。
大和と目が合う。
「……何?」
「いや、昨日六十七出した人だなって」
言うんだ。
普通に。
一ノ瀬の眉が僅かに動く。
「だから?」
「すげえなと思って」
「……どうも」
一ノ瀬はそれだけ言って、教科書へ視線を戻した。
大和が僕を見る。
「なんか怒ってた?」
「たぶん大和が失礼だった」
「褒めたのに?」
「初対面の女子をじろじろ見るからだよ」
「なるほど」
本当に分かってるのかな。
チャイムが鳴る。
教室へ入ってきたのは黒田先生だった。
「席につけ」
全員が着席する。
黒田先生は出席を取ると、教卓に置いていたタブレットを操作した。
正面の大型モニターに文字が表示される。
《魔素基礎理論》
「一限は座学だ」
教室のあちこちから、僅かに落胆したような声が聞こえる。
気持ちは分かる。
ディフェンダー養成校へ入学して、最初の授業が座学。
もっと派手なものを想像していた人もいるんだろう。
「不満そうだな」
黒田先生が言う。
誰も答えない。
「昨日入学したばかりのお前らに魔物を殴らせるほど、俺たちも馬鹿じゃない」
何人かが苦笑する。
「まずは確認からだ。中学までに習った内容も多いが、ディフェンダーを目指すなら理解しているだけじゃ足りない」
黒田先生が教室を見渡した。
「一ノ瀬。魔素とは何だ?」
「はい」
一ノ瀬が立ち上がる。
「第二次世界大戦中に落下した隕石から発見された未知の物質です。現在では大気や水、土壌などにも微量に存在していて、生物の変異を引き起こす性質を持っています」
「正解」
黒田先生がモニターを切り替える。
地球の図が表示された。
その周囲を青い粒子が漂っている。
「八十年以上前。地球には存在しなかったと考えられている物質――魔素」
黒田先生が画面を指す。
「今じゃ地球上のほぼどこでも検出される。俺たちはこうして呼吸しているだけでも、ごく微量の魔素を体内へ取り込んでいる」
画面が人間の身体を模した図へ切り替わる。
青い粒子が体内へ入っていく。
「じゃあ橘」
「はい!」
大和が立ち上がった。
「魔力とは何だ?」
「えっと……魔素を使って出す力です」
教室から小さな笑い声が漏れた。
「雑だな」
「すみません」
「間違いではないが」
黒田先生が画面を操作する。
体内へ入った青い粒子が、一度身体の中央へ集まり、別の光へ変化する。
「外界に存在するのが《魔素》」
続いて、その光が全身へ広がっていく。
「そして体内へ取り込んだ魔素を、人間が扱えるエネルギーへ変換したもの。それが《魔力》だ」
なるほど。
知識としては知っている。
でも、こうして改めて説明されると分かりやすい。
「だから混同するな。俺たちが戦闘中に直接操作するのは基本的に魔力だ。魔素そのものを腕や脚に流しているわけじゃない」
黒田先生が自分の胸元を指す。
「取り込むのが魔素。変換された後に使うのが魔力」
黒板に二つの言葉を書く。
《魔素 → 体内で変換 → 魔力》
「ここまではいいな?」
全員が頷く。
「では昨日測定した《魔素適性》とは何か」
今度は誰も指名せず、黒田先生自身が続ける。
「簡単に言えば、魔素を受け入れ、それを魔力として扱うことに身体がどれだけ適しているかを数値化したものだ」
昨日見た数字を思い出す。
二十一。
「適性が高い人間ほど、一般的に体内に保持できる魔力量が多い。魔素から魔力への変換効率も高く、高出力の魔力を扱った際の身体への負担にも強い」
一ノ瀬の六十七。
そして。
まだ会ったこともない九条玲司の七十二。
「だから魔素適性は、ディフェンダーの才能を測る上で重要な指標になる」
分かっている。
十二歳の時から何度も聞いてきた。
「だが――」
黒田先生が一度言葉を切った。
「適性と強さはイコールじゃない」
僕は顔を上げる。
「生まれ持った魔素適性そのものを後天的に大きく伸ばす方法は、現在のところ確立されていない」
やっぱり。
二十一は、これからも二十一。
「だが、体内にある魔力をどう使うかは別だ」
黒田先生が右手を上げる。
淡い青色の光が、その腕を覆った。
「魔力操作」
青い光は肩から指先まで、ほとんど揺れることなく右腕だけを包んでいる。
「例えば右腕を強化するのに三十の魔力が必要だったとする」
モニターに《30》と表示される。
「熟練したディフェンダーなら、ほぼ必要量だけを右腕へ送れる」
《30→右腕》
「だが操作が未熟なら?」
画面の数字が変わる。
《40→右腕30/他10》
「必要のない肩や胸にまで魔力が流れる。外へ漏らす奴もいる。結果、同じ三十の強化をするために四十、五十と消費する」
大和が真剣な顔で聞いている。
「当然、実戦では先に魔力が尽きる」
黒田先生が右腕の魔力を消した。
「適性が高い奴が有利なのは間違いない。持っている魔力量も、出せる出力も違う」
そして。
「だが、持っているものをどれだけ無駄なく使えるかは訓練次第だ」
僕は自分の右手を見る。
これなら。
ずっとやってきた。
「だから勘違いするな。適性が高いだけで強くなったつもりになるな。逆に適性が低いからと、できることまで諦めるな」
黒田先生がタブレットを閉じる。
「というわけで」
その口元が少しだけ上がった。
「座学はここまでだ」
教室の空気が変わる。
「着替えろ。第二演習場に集合」
今度は歓声が上がった。
◇ ◇ ◇
三十分後。
僕たちは学校指定の訓練着に着替え、第二演習場へ集まっていた。
黒を基調とした上下。
胸元にはそれぞれの名前が印字されている。
目の前にあるのは広い屋内演習場。
床には白い線がいくつも引かれている。
「二人一組。向かい合え」
黒田先生の指示が飛ぶ。
当然のように大和が隣に来た。
「俺らでいいよな?」
「うん」
「まずは身体強化だ」
黒田先生が右腕を上げる。
「全身じゃない。右腕だけに魔力を流せ。出力は普段の三割程度。昨日測った適性値は関係ない。自分が無理なく維持できる範囲でやれ」
言われた通りにする。
自分の中にある魔力へ意識を向ける。
胸の奥に感じる、僅かな熱。
それを右肩へ。
腕へ。
肘。
手首。
そして指先まで。
ゆっくりと流していく。
淡い青色の光が右腕を覆った。
「おお」
大和が声を上げた。
「何?」
「蓮の魔力、綺麗だな」
「綺麗?」
僕も自分の右腕を見る。
薄い青色。
出力自体は決して高くない。
「ほら」
大和が自分の腕を見せてくる。
僕よりずっと濃い青色の光。
五十八という適性を持つだけあって、出力そのものは明らかに僕より高い。
でも。
肩の辺りまで青い光が広がっていた。
さらに腕を覆う光も、僅かに揺らいでいる。
「なんか俺の、モヤモヤしてない?」
「ちょっとね」
「蓮のは腕にくっついてるみたいだな」
大和が顔を近づけてくる。
「近いよ」
「悪い悪い」
生徒たちの間を黒田先生が歩いてくる。
「力むな。魔力は多く流せばいいわけじゃない」
一人ずつ腕を確認していく。
「必要な場所に必要な量だけ流せ。それ以外は全部無駄だ」
やがて僕たちの前で足が止まった。
「橘」
「はい」
「右腕だけと言っただろ」
「え?」
「肩から胸まで流れてる」
大和が自分の身体を見る。
「本当だ」
「その分も全部消費してると思え。今は僅かな差でも、十分、二十分と戦えば馬鹿にならん」
「はい」
大和が集中し直す。
少しだけ肩の光が薄くなった。
そして。
黒田先生の視線が僕へ向く。
「朝倉」
「はい」
先生が僕の右腕を見る。
数秒。
何も言わない。
「……先生?」
「いつから魔力操作の訓練をしてる?」
「十二歳くらいからです」
「誰かに習ったのか?」
「最初だけ近所の道場で。後は自分で続けてました」
「毎日?」
「はい」
黒田先生がもう一度僕の右腕を見る。
「今、どのくらいだ?」
「三割くらいです」
「五割まで上げろ」
「はい」
右腕へ流す魔力量を増やす。
青い光が少し強くなる。
それでも、肩や胸へは流さない。
右腕だけ。
「七割」
さらに増やす。
腕が熱を持つ。
筋肉に負荷が掛かる感覚。
適性の低い僕にとって、ここまで出力を上げ続けるのは楽じゃない。
それでも。
形は崩さない。
「……もういい。解け」
「はい」
右腕から魔力を抜く。
少しだけ疲労を感じる。
黒田先生が僕を見る。
「かなり上手い」
思わず目を瞬いた。
「……僕が?」
「他に誰がいる」
黒田先生が呆れたように言う。
「出力そのものは低い。七割まで上げただけで負荷も出てる」
「はい」
そこは誤魔化せない。
「だが、無駄が少ない。少なくとも今見た限りじゃ、右腕以外へほとんど逃がしてない」
周囲にいた何人かがこちらを見る。
「適性二十一で大きな出力は期待できん。持っている魔力量にも限界がある」
分かっている。
「だからこそ、お前みたいな奴には重要な技術だ」
黒田先生が僕の右腕を指す。
「十しか持ってない奴が、一を無駄にするのと」
少し離れた大和を見る。
「百持ってる奴が一を無駄にするのじゃ、意味が違う」
「……はい」
「十二歳から五年か」
黒田先生が小さく息を吐いた。
「積み重ねた時間は、ちゃんと残ってるらしいな」
その言葉が。
思っていた以上に嬉しかった。
昨日。
何年努力しても、僕の魔素適性は二十一のままだった。
数字には何も現れなかった。
だけど。
全部が無駄だったわけじゃない。
「ありがとうございます」
自然と口元が緩む。
「褒めて終わりじゃないぞ」
「はい」
「お前は他の奴より一回の無駄が致命的になる。もっと磨け」
「はい!」
黒田先生が次の組へ向かう。
「おおー」
横から声がする。
大和だ。
「蓮、めちゃくちゃ嬉しそうじゃん」
「……まあね」
「顔に出てるぞ」
「いいだろ、別に」
「悪いなんて言ってねえよ」
大和が笑う。
「よし! 俺もやる!」
再び右腕へ魔力を集中させる。
ブワッ。
青い光が肩を越えて胸元まで広がった。
「大和」
「ん?」
「さっきより漏れてるよ」
「嘘だろ!?」
思わず笑ってしまった。
その時。
少し離れた場所から視線を感じる。
見ると。
一ノ瀬凛がこちらを見ていた。
まただ。
昨日の測定の時と同じ。
僕と目が合う。
でも今度は、一ノ瀬もすぐには視線を逸らさなかった。
僕の顔ではない。
右腕を見ている。
やがて一ノ瀬が小さく呟いた。
「……二十一なのに」
一ノ瀬の右腕には、僕とは比べ物にならないほど濃い青色の魔力が集まっている。
六十七。
僕は二十一。
生まれ持った適性の差は、努力したからといって消えるものじゃない。
たぶん。
これから先もずっとそうだ。
それでも。
僕には、これまで積み重ねてきたものがある。
そして今日。
それがちゃんと強さに繋がっていることを、一つだけ知ることができた。
なら。
もっと磨けばいい。
僕はもう一度、自分の中にある魔力へ意識を向けた。




