6月のある日
六月も半ばに差しかかったある日、僕たちは午前中の魔法実技のため、校舎から少し離れた場所にある屋外訓練場へ集まっていた。
梅雨入りが近いせいか、ここ数日は湿気の多い日が続いている。今日も空には薄い雲が広がっていて、日差しこそそれほど強くないものの、少し身体を動かしただけで汗が滲んできそうな陽気だった。
「今日は攻撃魔法と防御魔法を組み合わせた訓練を行う。これまではそれぞれ個別に練習してきたが、実戦では攻撃だけ、防御だけを考えていればいいわけではないからな」
担当の先生がそう説明すると、訓練場に並んでいた生徒たちの視線が、前方に設置された的へと向けられた。
今回使用するのは、魔法を受けても簡単には壊れない特殊な素材で作られた人型の的と、ボールを射出してくる訓練装置だった。
訓練装置は的の左右に一台ずつ設置されていて、生徒が攻撃魔法を放った直後、どちらか一方から高速のボールが飛んでくる仕組みになっているらしい。
「まず正面の的に攻撃魔法を当て、その直後に飛んでくるボールを防御魔法で防ぐ。攻撃に集中しすぎて防御が遅れたり、逆に防御を意識するあまり攻撃が疎かになったりしないよう注意しろ」
先生は説明を終えると、自ら手本を見せるために的の前へ進み出た。
右手を軽く持ち上げると、その掌の前に青白い魔力の光が集まり、空気を押し固めるようにして小さな球体を形作っていく。
次の瞬間、球体は鋭い音を立てて飛び出し、十数メートル先にある的の胸元へ命中した。
鈍い衝撃音とともに的がわずかに揺れた直後、今度は右側の装置からボールが放たれる。
先生はそちらへ顔を向けることもなく左手を上げ、身体の横に半透明の青い障壁を展開した。
飛んできたボールが障壁に衝突すると、表面に波紋のような光が広がり、そのまま完全に勢いを失ったボールが地面に転がった。
「今のように、攻撃から防御へ素早く切り替えることが重要だ。慣れてきたら、攻撃魔法を放ちながら防御魔法を準備することも意識してみろ」
先生が障壁を消すと、周囲から小さな感嘆の声が上がった。
僕も思わず感心してしまったけど、同時に、自分が同じことをできるかと考えると少し不安になる。
攻撃魔法だけでも十分な威力を出すのは難しいのに、その直後に防御魔法まで使わなければならないのだから、僕にとってはなかなか厳しい訓練になりそうだった。
「よし、順番にやってみろ。まずは威力よりも正確さを意識するように」
先生の指示を受け、生徒たちはいくつかの組に分かれて訓練を始めた。
僕たちの組では、最初に村上君が挑戦することになった。
「じゃあ、行ってくる」
村上君はそう言って前へ出ると、的から十メートルほど離れた位置で足を止めた。
軽く息を整えて右手を突き出すと、掌の前に青い光が集まり、やがて拳ほどの大きさの水球が現れた。
水球は表面を細かく波立たせながら宙に浮かび、村上君が腕を伸ばすのに合わせて勢いよく飛び出した。
的の胸元へ命中した水球が弾け、細かな水滴が周囲へ飛び散る。
その直後、左側の装置から勢いよくボールが放たれた。
村上君は素早く身体をそちらへ向けると、左手をかざして半透明の障壁を展開する。
先生のものと比べれば少し小さく、表面にもわずかな揺らぎがあったけど、飛んできたボールを受け止めるには十分だった。
「よし、いいぞ。攻撃から防御への切り替えも問題ないな」
先生に褒められた村上君は、少し照れくさそうに笑いながら戻ってきた。
「お前、相変わらず魔法もそつなくこなすな」
大和が感心したように声をかけると、村上君はすぐに眉を寄せた。
「そつなくは余計だ」
「褒め言葉だぞ」
「どうせなら上手いって言えよ」
「いや、もっと上手いやつがクラスにいるからな」
「お前な……」
呆れたように肩を落とす村上君を見て、僕は思わず笑ってしまった。
実際、村上君は魔法の扱いもかなり器用だと思う。
本人は剣術を得意としているけど、攻撃魔法も防御魔法も安定していて、授業で大きな失敗をするところはほとんど見たことがない。
ただ、魔法そのものの威力が特別高いわけではないため、大和の言う「そつなく」という表現も、あながち間違ってはいないのかもしれない。
「次、橘!」
先生に名前を呼ばれると、大和は村上君との言い合いを切り上げ、勢いよく前へ出た。
「よっしゃ、見てろよ!」
大和は大きく息を吸い込むと、右手を突き出して魔力を集中させ始めた。
掌の周囲に青い光が集まり、少しずつ火球が形作られていく。
ただ、その形はなかなか安定せず、膨らんだかと思えば急に縮み、表面から小さな火の粉が散っていた。
「……おい、橘。もう少し魔力を安定させろ」
「分かってます!」
先生の注意を受け、大和は顔をしかめながら魔力を調整しようとする。
しかし、次の瞬間には火球が一回り大きくなってしまい、結局そのまま的へ向かって放たれた。
勢いよく飛び出した火球は的の肩口へ命中し、村上君の水球とは比べものにならないほど大きな音を響かせた。
「威力は十分だが、狙いが甘いぞ!」
「すみません!」
大和が返事をした直後、右側の装置からボールが放たれる。
大和は迷うことなく腕を突き出した。
今度は攻撃魔法のときとは違い、スムーズな流れで腕の前に青い光が広がり、厚みのある障壁が瞬く間に形成される。
他の生徒が作るものよりも明らかに大きく、表面には幾重にも重なった魔力の層が見えていた。
高速で飛んできたボールが障壁へ衝突し、バンと音を響かせたものの、障壁そのものはほとんど揺らがなかった。
「防御はいいな。ただ、攻撃魔法はもう少し丁寧に扱え」
「はい!」
先生の言葉に大和は元気よく返事をすると、満足そうな表情で戻ってきた。
「どうだ、今の防御!」
「防御はすごかったね。……防御は」
村上君が答えた。
「なんだよ、その間は」
「いや、的には当たってたし、いいんじゃないかな」
僕が笑いながらフォローするも、大和は少し不満そうに口を尖らせた。
とはいえ、大和が防御魔法を得意としているのは今に始まったことではない。
入学してから二ヶ月の間に覚えたタンク用の防御魔法も、最初は形を維持するだけで精一杯だったのに、最近では模擬戦でも十分に使えるようになっている。
攻撃魔法の細かな制御は相変わらず苦手だけど、防御に関しては間違いなくこのクラスでもトップだ。
「次、朝倉!」
「はい」
名前を呼ばれた僕は、大和と入れ替わるようにして前へ出た。
的の前に立ち、右手を突き出して魔力を集める。
掌の前に淡い青色の光が生まれ、ゆっくりと小さな水球が形作られていった。
村上君が作ったものと比べれば一回り以上小さい。だけど表面は安定している。
以前は魔法を発動するだけでもかなり時間がかかっていたけど、最近では魔力を集める感覚にも慣れ、簡単な魔法ならそれほど苦労せずに使えるようになっていた。
「……よし」
小さく呟いて右手を押し出すと、水球はゆっくりと前方へ飛んでいった。
勢いよく飛び出した村上君の魔法とは違い、僕の水球は十メートルほどの距離を進むだけでも少し時間がかかり、的に当たったときも軽い音を立てて弾けただけだった。
「命中はしているな。もう少し威力が欲しいところだが……次は防御だ!」
先生の言葉が終わるよりも先に、装置からボールが発射された。
僕はすぐに左手を上げて魔力を集中させたけど、攻撃魔法を使った直後ということもあって、思うように魔力が集まらない。
どうにか掌の前に薄い障壁を作り出したものの、飛んできたボールが衝突した瞬間、表面に大きな亀裂が走った。
「うわっ!」
障壁が砕けるように消え、少し勢いを落としたボールが僕の肩口を掠めた。
もちろん、痛みはほとんどなかったけど、思わず身体を仰け反らせてしまった。
「朝倉、攻撃から防御への切り替えが少し遅いな。魔力を使い切らないように意識してみろ」
「はい、分かりました」
先生の言うことはもっともだけど、そもそも使える魔力が少ない僕にとっては、攻撃魔法を放ちながら防御のための魔力を残しておくこと自体が難しい。
もちろん、魔力の扱い方を工夫すれば多少は改善できるだろうけど、根本的な問題を解決するのは簡単ではなさそうだった。
僕は小さく息を吐くと、二人の待つ場所へ戻った。
「お疲れ、蓮。惜しかったな」
村上君が声をかけてくれたので、僕は苦笑いを浮かべた。
「うん。もう少し上手くできると思ったんだけど、やっぱり難しいね」
「でも、前よりはずっと発動が速くなってるだろ。相変わらず魔力操作はうまいしな」
「ありがとう。少しずつだけど、練習した成果は出てるのかな」
「そうそう。俺なんか攻撃魔法が全然安定しねえからな」
大和がそう言って笑ったけど、僕としては防御魔法をあれだけ使えることの方が羨ましかった。
それぞれ得意なことが違うのだから、比べても仕方がないとは分かっている。
それでも、もう少し魔力があればと思うことは、今でも少なくなかった。
そんな話をしていると、訓練場の反対側から小さな歓声が聞こえてきた。
何事かと思って振り返ると、ちょうど一ノ瀬さんが訓練装置の前に立っているところだった。
「次、一ノ瀬!」
「はい」
一ノ瀬さんは落ち着いた足取りで前へ進むと、的との距離を確認してから右手を持ち上げた。
その掌の前に青い魔力の光が集まったかと思うと、ほとんど間を置かずに赤い炎へと変わっていく。
炎は細長い槍のような形を取り、先端を鋭く尖らせながら空中で静止していた。
大和の火球とは違い、表面から余計な火の粉が散ることもなく、魔力が一定の形に保たれているのが見ているだけでも分かる。
「……すごいな」
隣で村上君が小さく呟いた。
僕も同じことを考えていた。
一ノ瀬さんは右手を軽く振ると、炎の槍を的へ向かって放った。
赤い軌跡が一瞬だけ空中に残り、次の瞬間には的の胸元へ正確に命中する。
鋭い衝撃音が響き、的の表面に取り付けられた衝撃吸収用の魔法が青白く発光した。
そして、攻撃が命中した直後だった。
右側の装置からボールが放たれるよりも早く、一ノ瀬さんは左手を持ち上げていた。
掌の前に半透明の障壁が展開され、飛んできたボールを正面から受け止める。
ボールは見事弾かれて、コロンと地面へと転がった。
「よし、素晴らしい。攻撃の精度も防御への切り替えも申し分ないな」
先生が満足そうに頷くと、周囲の生徒たちから感心したような声が上がった。
一ノ瀬さんは褒められても特に大きな反応を見せず、軽く頭を下げてから元の場所へ戻っていく。
ただ、その表情には少しだけ満足そうな色が浮かんでいた。
「……やっぱり一ノ瀬は別格だな」
大和が呆れたように言うと、村上君も苦笑いを浮かべた。
「そりゃ魔法戦の代表に内定するわけだよな。あれだけ正確に魔法を扱えるんだから」
「俺なんか、火球をまっすぐ飛ばすだけでも苦労してるってのに」
「大和は防御が得意なんだから、別にいいんじゃない?」
「そうなんだけどよ。ああいうのを見ると、ちょっと羨ましくなるだろ?」
その気持ちはよく分かる。
一ノ瀬さんほどの魔力と技術があれば、魔法を使うこと自体がきっと楽しいのだろう。
僕は自分の掌を見つめながら、先ほど作った小さな水球のことを思い返していた。
◇ ◇ ◇
それから数日後、僕たちは二組との合同実技のため、校舎の裏手にある対人戦用の訓練場へ集まっていた。
今日の授業は一対一の模擬戦で、武器と身体強化のみを使用する白兵戦形式だった。
訓練場にはすでに二組の生徒たちが集まっていて、僕たちが到着すると、あちこちで知り合い同士が声をかけ合う姿が見られた。
普段は別々に授業を受けているとはいえ、合同授業も何度か行われているため、クラスを越えて顔見知りになっている生徒も少なくない。
「今日は二組とか。結構強いやつ多いんだよな」
隣を歩いていた大和が、訓練場の中央に集まっている生徒たちを眺めながら言った。
「九条君もいるしね」
「そうなんだよ。できれば一回くらい戦ってみたいけど、今の俺じゃ厳しいだろうなあ」
大和はそう言いながらも、どこか楽しそうな表情を浮かべていた。
代表選考が本格化してからというもの、大和は以前にも増して実技に力を入れている。
もともと身体を動かすことが好きな性格だから、こういう授業はそれだけでも楽しいのだろう。
「九条だけじゃなくて、二組には白兵戦の候補になってるやつが何人かいるらしいぞ」
村上君がそう言うと、大和は興味深そうに顔を向けた。
「へえ、誰だ?」
「名前までは知らないけど、剣術が得意なやつと、格闘術でかなり強いやつがいるって聞いた」
「そいつらとも戦ってみてえな」
「大和は本当に誰とでも戦いたがるね」
「そりゃ、強いやつと戦った方が面白いだろ?」
そう言って笑う大和に、僕もつられて笑ってしまった。
僕としては、できれば自分と実力の近い相手と戦いたいところだけど、選考期間中の模擬戦なのだから、そう都合よくはいかないだろう。
訓練場の中央では、黒田先生と二組の担任の先生が何やら資料を確認していた。
二人はしばらく話し合ったあと、生徒たちへ整列するよう声をかけた。
「今日は二組と三組で対人戦の模擬戦を行う。組み合わせはこちらで決めてあるから、名前を呼ばれた者から前へ出るように」
黒田先生がそう説明すると、生徒たちの間に少し緊張した空気が流れた。
「なお、今回は白兵戦形式だ。魔法の使用は禁止、身体強化は自由とする。勝敗はこれまでと同じく、有効打、降参、戦闘不能、場外によって判断する。相手に大きな怪我をさせるような攻撃は避けること」
説明を終えた黒田先生が最初の組み合わせを読み上げると、名前を呼ばれた二人が訓練場の中央へ進み出た。
一人は三組の坂本君で、もう一人は二組の女子生徒だった。
二人とも剣を使うようで、模擬剣を手に向かい合うと、先生の合図に合わせて身体強化を発動させた。
試合が始まると、坂本君が先に仕掛けた。
大きく踏み込んで振り下ろされた剣を、二組の女子生徒は身体を横へずらしてかわし、そのまま相手の腕を狙って素早く剣を振るう。
かなりのスピードだし、戦い慣れている感じもある。
坂本君は慌てて剣を引き戻したものの、体勢を崩したところへ追撃を受け、最後は肩口に模擬剣を当てられて勝負が決まった。
「一本! 二組の勝ち!」
審判役の先生の声が響くと、周囲から拍手が上がった。
「今の子、上手だったね」
僕がそう言うと、村上君も頷いた。
「ああ。最初の攻撃を避けたあと、すぐに反撃してたな。あれは結構難しいと思う」
「相手の剣が戻る前に踏み込んでたからね。タイミングが良かったんだと思う」
二人でそんな話をしているうちに、次の試合が始まった。
今度はどちらも格闘術を中心に戦う生徒らしく、互いに距離を詰めながら拳や蹴りを繰り出している。
剣術とは違って攻撃の距離が短いため、少しでも相手の動きを読み違えれば、そのまま反撃を受けてしまう。
僕は二人の足運びや身体強化の使い方を眺めながら、もし自分が戦うならどう動くかを考えていた。
最近は相手の魔力の動きも以前よりはっきりと分かるようになってきたけど、それでも初めて見る戦い方には学ぶことが多い。
特に、二組の生徒たちは三組とは違った癖を持っていることが多く、見ているだけでも参考になった。
その後も何試合か続き、勝敗が決まるたびに周囲から歓声や拍手が上がった。
中には一方的な試合もあったけど、ほとんどは互いに攻撃を仕掛け合う接戦で、選手権の代表を狙っている生徒たちの気合いが伝わってくる。
僕も他の生徒たちの戦いを見ながら、自分の番が来るのを待っていた。
今日も調子は悪くない。
ここ最近の模擬戦では安定して勝てているし、相手の魔力の動きを感じ取ることにも随分と慣れてきた。
ただ、誰が相手になるのかはまだ分からない。
二組には実力の高い生徒が多いと聞いているから、今の僕がどこまで戦えるのか、良い指標になるかもしれない。
そんなことを考えていると、黒田先生が手元の資料に目を落とし、次の組み合わせを読み上げた。
「次、三組朝倉!」
「はい」
名前を呼ばれた僕は返事をすると、壁際に置いていた模擬剣を手に取った。
近くにいた大和がこちらへ顔を向け、いつものように笑いながら拳を突き出してくる。
「頑張れよ、蓮!」
「うん、ありがとう」
軽く拳を合わせてから訓練場の中央へ向かう。
さて、相手は誰だろう。
そういえば、今日はまだ九条君の名前も呼ばれていなかった気がする。
ふとそんなことを考えたところで、黒田先生がもう一度資料へ目を落とした。
「……二組、九条」
「はい」
落ち着いた声が、二組の生徒たちの中から聞こえてきた。
その瞬間、訓練場がざわめくのを僕はどこか他人事のように聞いていた。




