選考基準
六月に入ってから数日が過ぎたある朝、いつものように教室で大和や村上君と話していると、始業を告げるチャイムが鳴った。
それまであちこちで聞こえていた話し声が少しずつ小さくなり、生徒たちが自分の席へ戻っていく。僕も大和との会話を切り上げて前を向くと、ちょうど教室の前の扉が開き、黒田先生が入ってきた。
「おはよう。全員揃ってるな」
出席を確認した黒田先生は、いつものように教卓の上へ資料を置いた。ただ、今日はすぐに連絡事項を読み上げるのではなく、一度教室全体を見渡してから口を開いた。
「今日は、選手権の代表選考について話しておこうと思う」
その言葉を聞いた途端、教室の空気が変わった。
ついさっきまで机に頬杖をついていた生徒が姿勢を正し、隣同士で小声を交わしていた生徒たちも一斉に黒田先生へ顔を向ける。
一ヶ月ほど前に選手権の話が出て以来、先生から詳しい説明はほとんどなかっただけに、みんな気になっていたのだろう。
「選考を始めると伝えてから一ヶ月ほど経ったが、そろそろ代表候補も絞られてきた。後から不満が出ないように今日は改めて選考基準を説明しておく」
黒田先生はそう言うと、教卓に置いた資料を一枚めくった。
「まず白兵戦だが、これは当然ながら対人戦の実力を重視する。剣術や格闘技術、身体強化の精度、それから実際の戦闘でどれだけ適切な判断ができるかだ。単純に魔素適性が高ければ選ばれるというものではない」
教室のあちこちで、生徒たちが小さく頷いている。
白兵戦は魔法の使用が禁止されているとはいえ、身体強化には魔力を使うため、適性が高い方が有利なのは間違いない。ただ、それだけで勝敗が決まるわけではないことは、これまでの授業でも何度となく証明されていた。
「次に魔法戦だが、こちらは攻撃魔法と防御魔法の両方を評価する。攻撃魔法の威力が高いだけでは駄目だし、いくら防御が得意でも相手を倒す手段がなければ勝てない。魔法そのものの完成度や制御力、それらを状況に応じて使い分けられるかどうかも重要になる」
僕の少し前に座っている女子生徒が、手元のノートに何かを書き込んでいるのが見えた。
その隣の生徒も黒田先生の話を聞きながら真剣な表情を浮かべていて、一度は落ち着いていた生徒たちの選手権への熱が、また少しずつ戻ってきているように感じられる。
「最後に団体戦だが、これは他の二種目とは少し考え方が違う。個人の実力はもちろん必要だが、それ以上にチームとしてのバランスを重視するつもりだ」
黒田先生はそこで一度言葉を切り、生徒たちの反応を確かめるように教室を見渡した。
「五人全員が攻撃ばかり得意でも、まともなパーティにはならんだろう。前衛で攻撃を受け止める者、魔法で後方から援護する者、仲間を支援する者、状況に応じて動ける者。それぞれの役割を考えたうえで、最も機能する組み合わせを選ぶ」
なるほど。
前回の五対五の模擬戦を思い返すと、その説明はよく理解できた。
あのときは大和が前線を支えてくれたからこそ、僕も自由に動くことができたし、村上君や他の二人も自分の役割に集中できていた。
もし全員が自分の得意な攻撃ばかりを仕掛けていたら、一ノ瀬さんのいるチームに勝つことは難しかったと思う。
「先生、つまり団体戦は成績のいい生徒から十人選ぶわけじゃないんですか?」
教室の後ろの方から質問が上がると、黒田先生はその生徒へ視線を向けた。
「そういうことだ。もちろん、実力が足りなければ話にならんが、個人戦で強い生徒が必ずしも団体戦に向いているとは限らない。十人の代表を選び、その中から五人を試合に出すことになるが、控えの選手も含めて役割のバランスを考える必要がある」
「じゃあ、個人戦で選ばれなくても団体戦にはエントリーできる可能性もあるんですね」
「当然だ。三種目の出場資格はそれぞれ独立しているからな。パーティーとして連携できる且つ役割をしっかりと果たせる者を選抜する」
三種目の出場資格が独立している。その説明を聞いて、僕は先日広まった九条君の噂を思い出した。
三種目すべてに内定したという話だったけど、あれからも正式な発表はされていない。もっとも、九条君ほどの実力があれば、どの種目でも代表候補になるのは不思議ではなかった。
「さて、選考基準については以上だ。基本的にはこれまでの授業や模擬戦の成績を参考にしているから、特別な試験を行う予定はない。今後も普段の授業でしっかり実力を見せてくれ」
黒田先生が資料を揃え始めたところで、教室の緊張が少しだけ緩んだ。
けれど、先生の話はまだ終わっていなかったらしい。
「それと、現時点ですでに代表への内定が決まっている生徒が二人いる。せっかくだから、この場で発表しておこう」
再び教室が静かになった。
隣の席の生徒と顔を見合わせる者もいれば、期待するように身を乗り出す者もいる。先日の噂を知っている生徒たちの中には、すでに誰の名前が呼ばれるのか予想している者もいるようだった。
「まず一人目は、九条玲司。魔法戦、白兵戦、団体戦の三種目すべてに内定している」
「おおっ!」
教室のあちこちから歓声が上がり、すぐに賑やかな話し声が広がった。
「やっぱり本当だったんだ!」
「三種目全部ってすごいな……」
「まあ、九条なら納得だけど」
僕も思わず感心してしまったけど、驚きはそれほど大きくなかった。
九条君の実力を考えれば十分に予想できたことだし、むしろ噂が本当だったと確認できたことの方が大きい。
「静かにしろ。もう一人はうちのクラスだ」
黒田先生が声をかけると、教室は再び静かになった。
「二人目は、一ノ瀬凛。魔法戦の代表として内定している」
その名前が呼ばれた瞬間、何人もの生徒が一ノ瀬さんの方へ顔を向けた。
一ノ瀬さんは少しだけ目を伏せていたけど、すぐに顔を上げると、いつもと変わらない落ち着いた表情で黒田先生の話を聞いていた。
ただ、口元がほんの少し緩んでいるように見えたのは、僕の気のせいではないと思う。
「一ノ瀬もか。やっぱりすげえな」
近くの席から大和が小声で話しかけてきたので、僕も小さく頷いた。
「うん。あれだけ魔法が上手なんだから、当然だと思うよ」
一ノ瀬さんの魔法は、入学した頃と比べても明らかに上達している。
以前は高い魔素適性を活かした威力のある攻撃が目立っていたけど、最近では状況に応じて魔法を使い分けるようになっていて、前回の模擬戦でも何度か危ない場面があった。
魔法戦の代表に選ばれたと聞いても、少しも不思議ではなかった。
「なお、今発表した二人以外の代表については、引き続き選考を進めていく。最終的な発表は七月を予定しているから、それまでは気を抜かずに取り組むように」
黒田先生はそう締めくくると、残りの連絡事項を手短に伝えてホームルームを終えた。
チャイムが鳴って先生が教室を出ていくと、それまで我慢していたかのように生徒たちが一斉に話し始めた。
九条君の三種目内定について興奮気味に話す生徒もいれば、団体戦の選考基準について友達と意見を交わしている生徒もいる。
そんな中、僕は席を立つと、一ノ瀬さんのところへ向かった。
「一ノ瀬さん、代表内定おめでとう」
声をかけると、一ノ瀬さんは机の上に広げていたノートから顔を上げた。
「ありがとう、朝倉君」
いつもと変わらない返事だったけど、その表情はどこか柔らかく、やっぱり嬉しくないわけではないのだろう。
「でも、どうして教えてくれなかったのさ」
「聞かれてないから。内定した? って」
「それはそうかもしれないけど……」
あまりにも当たり前のように答えられてしまい、僕は思わず苦笑いを浮かべた。
確かに、これまで一ノ瀬さんと選手権の話をすることはあっても、内定しているかどうかを直接尋ねたことはなかった気がする。
だけどこっそり教えてくれてもよかったはずだ。
「そういえば、団体戦には出るの?」
「そっちはまだ分からないわ。だけど、私がいた方がパーティとしてバランスがいいなら出るつもりよ」
「なるほど。やっぱり魔法戦が本命なんだね」
「そうね。団体戦にも興味はあるけど、何が何でも出たいわけじゃないもの。私より適任の人がいるなら、その人が出た方がいいでしょう?」
そう話す一ノ瀬さんの様子には、遠慮しているようなところはなかった。
自分の魔法に自信があることは間違いないけど、だからといって自分が必ず代表に入るべきだと考えているわけでもないらしい。
必要とされるなら出場するし、そうでなければ他の人に任せる。
彼女にとっては、それがごく自然な考え方なのだろう。
「一ノ瀬さんらしいね」
「そうかしら?」
不思議そうに首を傾げた一ノ瀬さんに、僕は笑って頷いた。
すると、彼女は何かを思い出したように僕の顔を見た。
「まあ、でも朝倉君も白兵戦を狙っているんでしょう?」
「僕? いや、僕の適性、知ってるでしょ?」
「知っているわ。それに、普段の授業での勝率もね」
「……そっか」
「同じクラスなんだから、さすがに把握しているわ」
一ノ瀬さんは何でもないことのように言ったけど、僕としては少し意外だった。
確かに、これまでの模擬戦ではかなりの確率で勝てているし、剣術だけなら他の生徒にも簡単には負けないつもりだ。
ただ、それはあくまで学校の授業での話であって、全国大会に出場するような生徒を相手に同じように戦えるかどうかは分からない。
「でも、全国大会だよ? 今までの相手とは違うと思うんだけど」
「それは九条君だって同じでしょう?」
「九条君と僕じゃ、全然違うよ」
「そうかしら」
一ノ瀬さんは不思議そうに首を傾げた。
その表情には、僕を励まそうとか、気を遣おうといった様子は少しもない。ただ、僕の言っていることが本当に理解できないとでもいうように、まっすぐこちらを見つめていた。
「少なくとも、私は朝倉君が選ばれても不思議じゃないと思っているわ」
「……買いかぶりすぎだと思うけどなあ」
「どうかしらね」
そう言って微笑んだ一ノ瀬さんの顔には、どこか確信めいたものが感じられた。
その自信がどこから来るのかは分からないけど、彼女が本気でそう思ってくれていることだけは伝わってくる。
僕は何と返せばいいのか分からず、少し照れくさくなって視線を逸らした。
「まあ、選ばれるかどうかは先生たちが決めることだしね。それより、改めておめでとう。一ノ瀬さんなら全国でも活躍できると思うよ」
「ありがとう。朝倉君も、まだ諦めるには早いと思うわ」
一ノ瀬さんはそう言うと、次の授業の準備をするためにノートを閉じた。
僕も自分の席へ戻りながら、さっきの彼女の表情を思い返していた。
◇ ◇ ◇
その日の授業では、再びクラスの空気が緊張感にも似た真剣さを帯びていた。
普段なら少し気の抜けた様子で準備をしている生徒たちも、今日は先生の説明を真剣に聞き、実技が始まれば少しでも良いところを見せようと積極的に動いている。
代表選考がまだ続いていることに加えて、九条君と一ノ瀬さんの内定が正式に発表されたことで、みんな改めて選手権を意識するようになったのだろう。
もちろん、僕だって選手権にまったく興味がないわけではない。
毎年八月になると、全国高校ディフェンダー選手権はテレビでも大きく取り上げられる。小さい頃から画面越しに見ていたあの舞台に、自分が立つことができたらどんな気持ちになるのだろうと、考えたこともあった。
だけど、それはどちらかといえば憧れに近いものだった。
そもそも、魔素適性が二十一しかない僕が東央に入学できたこと自体、運が良かったと思っている。
この学校に入れただけでも十分すぎるくらいなのに、さらに全国大会の代表に選ばれたいと望むのは、高望みなように感じられる。
それに選手権に出れば、強くなれるわけでもない。
そんなことを考えながら訓練場で準備をしていると、黒田先生から模擬戦の組み合わせが発表された。
今日の相手は、同じクラスの柏木君だった。
柏木君の魔素適性は五十一。
三組の中でも五十を超える生徒は片手で数えられる程しかいないため、入学当初からそれなりに注目されていた一人だ。
席が離れていることもあって、これまで積極的に話す機会はあまりなかったけど、実技での動きは何度か見たことがある。
身体強化を活かした素早い攻撃が得意で、特に相手との距離を一気に詰める速さには目を見張るものがあった。
こういう生徒の方が、僕よりも代表に選ばれる可能性は高いのだろう。
「よろしく、柏木君」
「おう! 今日は負けねえからな!」
柏木君は気合いの入った表情で答えると、模擬剣を握り直した。
どうやら今日の選考基準の発表で、いつも以上にやる気が出ているらしい。
僕も模擬剣を構えながら、向かい合った柏木君の様子を観察する。
足の位置はいつもより少し前寄りで、今にも飛び出してきそうな姿勢を取っている。もともと攻撃的な戦い方をする生徒だけど、今日は特に積極的に仕掛けてくるつもりのようだった。
「両者、準備はいいな?」
黒田先生の声に、僕たちはそれぞれ頷いた。
「始め!」
開始の合図と同時に、柏木君が地面を強く蹴った。
「キェェ!」
気合いが入りすぎると奇声にも似た声を上げる癖があるのも、僕が柏木君とあまり積極的に話していない理由の一つなのかもしれない。
そんな失礼なことを考えている間にも、柏木君は一気に距離を詰めてくる。
適性五十一の身体強化による踏み込みは速く、普通に反応していたのでは間に合わないかもしれない。
だけど、僕にはその動きが分かっていた。
以前なら、相手の姿勢や視線、足の運び方から次の行動を予測していたけど、今はそれだけではない。
あの白い力について調べるようになってから、僕は相手の体内で動く魔力を、以前よりもはっきりと感じ取れるようになっていた。
意識して力を使おうとしなくても、相手の魔力がどこへ集まり、どの部分を強化しようとしているのかが自然と伝わってくる。
柏木君の足に集まった魔力が、踏み込みのために使われている。
そして次の瞬間、その魔力の一部が右腕へと移動しはじめた。
――動いた。
フェイトではない魔力の動き。
身体強化によって発光している模擬剣の光が強くなるよりも先に僕はステップを踏んだ。
――結局その日も2戦して僕は2勝した。




