内定者
選手権の選考が始まると告げられてから、一ヶ月が経った。
あの日、黒田先生は詳しい選考方法については後日説明すると言っていたけど、その後、選手権に関する話はホームルームでもほとんど出ていない。
もちろん、何も行われていないわけではないだろう。普段の授業や実技での成績が選考の参考になっているはずだし、先生たちも僕たちの様子をこれまで以上によく見ているはずだ。
ただ、最初こそ選手権を意識して張り切っていた生徒たちも、一週間、二週間と何の発表もないまま過ごすうちに、少しずつ普段の調子へと戻っていった。
僕自身も、選手権のことはほとんど考えずに過ごしていた。
授業が終われば榊原先生のところへ行き、あの白い力について調べる。そんな生活がすっかり日常になっていて、最近では保健室に顔を出さない日の方が珍しいくらいだった。
とはいえ、研究が順調に進んでいるかと聞かれれば、そうとも言い切れない。
あの力が魔力とは異なるものであることは、ほぼ間違いない。しかし、既存の測定機器では反応を捉えられず、正体については相変わらず分からないままだった。
それでも扱い方や能力については少しずつ分かってきている。
もっとも、黒田先生からは授業中に使わないよう言われているため、実戦でどこまで通用するのかはまだ分からない。
そんな六月上旬のある日、一つの噂が瞬く間に一年生の間を駆け抜けた。
『九条玲司が、選手権の三種目すべてに内定したらしい』
「蓮! 聞いたか!?」
朝、教室に入って自分の席へ向かおうとしたところで、大和に呼び止められた。
振り返ると、大和は何やら興奮した様子でこちらへ歩いてくる。
「九条が選手権の三種目全部に内定したらしいぞ!」
「ああ、その話ならさっき廊下で聞いちゃったよ」
「なんだ、もう知ってたのかよ」
少し残念そうな顔をする大和に、僕は苦笑いを浮かべた。
登校してくる途中にも一年生の何人かがその話をしていたし、教室の中でも九条君の名前があちこちから聞こえている。
これだけ話題になっていれば、知らない方がおかしいだろう。
「でも、まだ正式に発表されたわけじゃないんでしょ?」
「そうらしいけどよ。三種目全部ってすげえよな」
「まあ、九条君なら不思議じゃないけどね」
魔素適性七十二という学年最高の数値に加え、魔法と剣術のどちらにも優れている九条君なら、三種目すべてに選ばれてもおかしくない、というのは最初から分かっていたことだ。
実際、合同授業で何度か彼の戦いを見たことがあるけど、身体強化の精度も魔法の扱いも、他の生徒とは明らかに違っていた。
特に印象に残っているのは、相手の動きを誘導するような戦い方だ。
ただ攻撃が速いとか、魔法の威力が高いというだけではない。相手がどう動くのかを予測し、その動きすら自分の有利になるように戦っている。
僕も相手の動きを読むことには多少自信があるけど、九条君の場合はその先まで考えているように見えた。
ただそのお陰で、というのも変な話だが、僕も入学してから戦い方が少しずつ変わってきている。
以前のようにカウンターばかりを狙うのではなく、相手の動きに先回りして動けるようになっていた。
「でもよ、魔法戦と白兵戦に出るだけでも大変なのに、団体戦まで出て大丈夫なのか?」
「大会の日程にもよるんじゃないかな。さすがに全部同じ日にやるわけじゃないだろうし」
「それでも三種目全部だぞ? 俺だったら途中でへばっちまうな」
「常に全力の大和ならそうかもね」
「おい、そこは否定しろよ」
そんなやり取りをしていると、いつの間にか近くに来ていた村上君が会話に加わった。
「まあ、九条なら体力の問題もないんじゃないか? あいつ、身体強化の魔力効率も相当いいらしいぞ」
「そうなの?」
「ああ。実技で同じ組になったやつから聞いたんだけど、ほとんど無駄がないんだとさ。普通なら必要以上に魔力を使うような場面でも、最低限の強化で対応してるらしい」
それは少し羨ましい。
僕の場合、そもそも使える魔力の量が少ないから、無駄を減らすことはいつも意識している。それでも、適性の高い生徒と比べれば、身体強化の性能にはどうしても差が出てしまう。どれだけ無駄を減らしても、単純な出力でどうしても劣ってしまうのだ。
九条君は十分な魔力を持っているうえに、それを効率よく使えるということだろう。
「しかし、九条が三種目全部に出るとなると、ますます代表争いが厳しくなるな」
村上君がそう言うと、大和は大げさに肩を落とした。
「そうなんだよなあ。九条一人で三枠使うんだろ?」
「まあ団体戦には枠はまだ残ってるから、狙うならそっちの方が確率は高いかもね」
「初めから白兵戦で落ちるような言い方するなよ」
大和は不満そうに言い返してきたけど、どうやら僕の言いたいことも分かっているらしい。
「それより、他の代表候補の話は聞かないの?」
僕が尋ねると、村上君が少し考えるように腕を組んだ。
「一ノ瀬は魔法戦の候補になってるって話を聞いたな。まあ、あれだけの魔法が使えるんだから当然だろうけど」
「だよね。最近は前より魔法の制御も安定してるみたいだし」
以前の一ノ瀬さんは、魔法の威力こそ高かったものの、時折力を込めすぎることがあった。
だけど最近は、場面に合わせて必要な威力を調整できるようになってきている。
もともと高い適性を持っているうえに、魔法の扱いまで上達しているのだから、魔法戦の代表候補として名前が挙がるのも納得だった。
「けど大和も本命は団体戦なんでしょ?」
「ああ。白兵戦も出られるなら出たいけど、俺はやっぱり団体戦かな。盾を使うなら、誰かと一緒に戦う方が向いてるだろうし」
「確かに、大和の防御力は団体戦だと頼りになるよね」
「だろ?」
褒められたのが嬉しかったのか、大和が得意そうに胸を張る。
実際、大和の防御力はかなり高い。
身体強化の性能もそうだけど、それ以上に相手の攻撃を恐れずに正面から受け止めることが強みだと思う。
もちろん、ただ頑丈なだけでは駄目だけど、タンクとしては十分に頼りになる。
「村上君は白兵戦?」
「ああ。まだ代表になれるかは分からないけど、狙うならそこだな。団体戦も興味はあるけど、まずは自分の剣がどこまで通用するのか試してみたい」
村上君らしい答えだった。
入学当初の模擬戦では僕が勝ったけど、それからも村上君は熱心に剣の練習を続けている。
最近では以前より攻撃の組み立てが上手くなっていて、僕も簡単には勝てなくなっていた。
「蓮はどうするんだ?」
「僕? 前にも言ったけど、代表に選ばれるとは思ってないよ」
「またそれかよ。お前、もうちょっと自信持てって」
「そう言われてもね。僕より優秀な人はたくさんいるし」
九条君はもちろん、他のクラスにも優れた生徒は何人もいる。
僕も剣術や身のこなしには多少の自信はあるけど、魔力を使った長時間の戦闘ではどうしても限界がある。
全国から強い生徒が集まる選手権なら、なおさらだ。
「まあ、選ばれなかったとしても、僕は二人を応援するよ」
「おいおい、俺たちだってまだ選ばれてないんだけどな」
大和がそう言って笑い、村上君もつられるように笑った。
◇ ◇ ◇
午後の実技は、他のクラスとの合同授業だった。
訓練場に集められた僕たちに、黒田先生が今日の授業内容を説明する。
「今日は五人一組で模擬戦を行う。選手権の団体戦と同じ形式だが、あくまで授業だからな。勝敗だけにこだわらず、仲間との連携を意識して戦え」
五対五の模擬戦。
これまでにも複数人で戦う訓練はあったけど、選手権と同じ人数で行うのは初めてだった。
「チームはこちらで決めてある。名前を呼ばれたら指定された場所に集まれ」
黒田先生が手元の資料を見ながら、生徒たちの名前を読み上げていく。
僕は大和、村上君と同じチームになった。
残りの二人は別のクラスの生徒で、一人は魔法を得意とする女子生徒、もう一人は回復や補助魔法を中心に使う男子生徒だった。
一方、対戦相手のチームには一ノ瀬さんがいた。
「よろしくお願いします」
初めて組む二人に挨拶をすると、二人とも少し緊張した様子で頭を下げてくれた。
僕らも集団で戦うことは初めてだし、他のクラスに混じる立場の二人が緊張するのも無理はない。
「とりあえず、役割を決めようか」
僕がそう言うと、大和が真っ先に手を挙げた。
「俺は前で盾を構えてりゃいいんだろ?」
「まあ、大和はそれでいいと思うけど、相手には一ノ瀬さんがいるから、魔法にも注意しないとね」
「分かってるって。あの火力を正面から受け続けるのは、さすがにきついからな」
一ノ瀬さんの魔法は強力だ。
ただ、魔法を使うには狙いを定める必要があるし、威力の高い魔法ほど発動までに多少の時間がかかる。
それなら、こちらから積極的に動いて相手の狙いを絞らせない方がいい。
「村上君は大和の少し後ろから前衛をお願い。大和が攻撃を受け止めたところを狙えば、相手も動きにくいと思う」
「ああ、分かった」
「魔法はできるだけ相手の動きを制限するように使ってもらえるかな。威力はそこまで必要ないから、広い範囲を攻撃できる魔法があれば助かる」
「それなら、風の魔法が使えます」
女子生徒が答える。
「うん。それでお願い。補助魔法は大和を優先してもらえると助かるけど、余裕があれば村上君にもかけてあげて」
「分かりました」
他のクラスだと悪い意味で有名なはずの僕の話に、二人とも素直に頷いてくれた。
僕自身は、決まった位置で戦うつもりはない。
相手の動きを見ながら、必要な場所へ移動して味方を助ける。
僕の身体強化では正面から相手を押し切るのは難しいけど、動き回って隙を突くことならできるはずだ。
「蓮、お前はどうすんだ?」
「僕は遊撃かな。相手の動きを見て、手が足りないところを手伝うよ」
「おう、任せた」
大和が頷いたところで、黒田先生から準備をするよう声がかかった。
◇ ◇ ◇
模擬戦が始まると、予想どおり相手チームは一ノ瀬さんの魔法を中心に攻撃を仕掛けてきた。
大和が前に出て盾を構え、その後ろから村上君が相手の前衛を牽制する。
僕は二人から少し離れた位置を取り、相手チーム全体の動きを確認していた。
一ノ瀬さんはまだ魔法を使っていない。
彼女の周囲には二人の生徒が控えていて、こちらが簡単に近づけないようにしている。
おそらく、前衛で時間を稼ぎながら一ノ瀬さんの魔法で攻撃するつもりなんだろう。
「大和! 少し右に寄って!」
「おう!」
大和が盾を構えたまま移動すると、その後ろにいた村上君も位置を変えた。
相手の前衛がそれに合わせて動こうとした瞬間、僕は反対側へ回り込む。
もちろん、相手も僕の動きに気付いている。
だけど、僕を追えば大和と村上君に対する守りが薄くなる。
かといって放置すれば、一ノ瀬さんのところまで近づかれてしまう。
その迷いが生まれた一瞬を狙い、僕は一気に距離を詰めた。
「っ!」
相手の生徒が慌てて剣を向けてくる。
僕はその剣を受け流し、身体を横へ滑らせるようにして脇を抜けた。
そのまま一ノ瀬さんへ向かおうとしたところで、足元に小さな炎が走る。
「朝倉君、そう簡単には通さないわよ」
一ノ瀬さんが杖をこちらへ向けていた。
「だよね」
大技の準備をしているはずなのに、けん制の魔法まで放てるのか。
僕は足を止めると、すぐに後ろへ下がった。
無理に近づけば、今度こそまともに魔法を受けることになる。
だけど、僕が動いたことで一ノ瀬さんの注意は一瞬こちらへ向いた。
その隙に、大和と村上君が前へ出る。
「村上! 今だ!」
「分かってる!」
大和が相手の剣を盾で受け止め、村上君がその横から踏み込んだ。
相手の前衛が対応しようとするけど、そこへこちらの魔法が飛ぶ。
女子生徒の放った風が相手の足元を乱し、わずかに体勢を崩したところを村上君が捉えた。
「一本!」
審判役の先生の声が響く。
これで相手の前衛が一人脱落した。
ただ、こちらも無傷では済まなかった。
大和が相手の攻撃を引き受けている間に、一ノ瀬さんの魔法がこちらの後衛へ向かっていたのだ。
「危ない!」
僕はすぐに駆け出し、魔法を使おうとしていた男子生徒の肩を掴んで引き寄せた。
直後、さっきまで彼が立っていた場所を炎が通り抜ける。
「ありがとうございます!」
「ううん。それより、少し下がって大和の補助をお願い!」
返事を確認するより早く、僕は再び前へ向かった。
一ノ瀬さんの魔法を警戒しながら戦うのは、やっぱり難しい。
それでも、こちらには大和がいる。
大和がこの二か月間で覚えたタンク用の魔法が思ったよりも敵の壁になってくれた。
彼が前線を支えてくれているからこそ、僕も自由に動けるのだ。
その後も一進一退の攻防が続いたけど、最終的には僕たちのチームが勝利した。
ただし、最後まで残っていたのは僕と大和の二人だけだった。
一ノ瀬さんの魔法によって村上君と後衛の二人が脱落し、僕も何度か危ない場面があったがそれでも最後は一ノ瀬さんに接近して模擬剣を突きつけることができた。
もし大和が途中で倒れていたら、結果は逆になっていただろう。
それに一ノ瀬さんも授業ということもあって魔法の威力はかなり抑えていたように感じた。
「いやー、きつかったな!」
試合が終わるなり、大和が大きく息を吐いた。
「一ノ瀬の魔法、前より威力上がってねえか?」
「威力だけじゃなくて、使い方も上手くなってると思うよ」
以前なら、もっと大きな魔法を使って一気に押し切ろうとしていたかもしれない。
だけど今日は、必要な場面で必要なだけ魔法を使っていた。
その分、こちらも動きを読みづらかった。
「お前も相変わらずよく動くよな。途中、どこにいるのか分かんなかったぞ」
村上君が苦笑いしながら言う。
「僕も二人が前で頑張ってくれたから動けたんだよ。一人だったら、あんなに自由にはできなかったと思う」
これは本当だ。
大和の防御力と村上君の攻撃力があったからこそ、相手は僕だけを警戒するわけにはいかなかった。
僕自身が相手を倒せなくても、注意を引くだけで味方が攻撃しやすくなる。
今日の模擬戦では、それを改めて実感した。
◇ ◇ ◇
放課後。
生徒たちが帰った訓練場の隅で、三組の担任の黒田は学年全体の模擬戦の記録に目を通していた。
「やっぱり九条は頭一つ抜けてるな」
隣にいた別の教師が資料を覗き込みながら言う。
「魔法戦も白兵戦も文句なしだろう。団体戦でも中心になるはずだ」
「ああ。ただ、他の生徒も悪くない。橘なんかは団体戦向きだな」
黒田が別の資料を取り出す。
そこには今日の模擬戦に参加した生徒たちの評価が記されていた。
「橘は防御力が高いだけじゃなく、仲間の動きに合わせられるようになってきている。まだ粗いところはあるが、盾役としては十分候補に入るだろう」
「一ノ瀬も順調だな。魔法の制御がかなり良くなっている」
「ああ。あいつは魔法戦で期待できる」
二人はしばらく他の生徒の評価について話していたが、やがて黒田の視線が一枚の資料で止まった。
朝倉蓮。魔素適性は二十一。
「……朝倉か」
「どうした?」
「いや、こいつの動きがな」
黒田は今日の模擬戦を思い返す。
朝倉は誰よりも強い攻撃を放ったわけではないし、目立った活躍をしたわけでもない。
それでも、必要な場所には必ずと言っていいほど顔を出していた。
味方が押されれば援護に入り、相手の守りが薄くなれば迷わず攻める。
自分が相手を倒すことよりも、チーム全体が有利になるような動きを見せていた。
それにいざとなれば、あの未知の力もある。
あれから詳しい内容は知らされていないが、ずっと榊原とコソコソ研究を続けていることは把握していた。
「遊撃としては面白いんだがな」
「朝倉って、あの適性二十一の生徒か?」
「ああ。剣の腕も悪くないし、状況判断も一年生にしてはかなりいい」
「だが、魔力が足りないだろう。全国大会じゃ、相手の身体強化についていけなくなるんじゃないか?」
「……そこなんだよな」
黒田は小さく息を吐いた。
技術だけなら、代表候補に入れてもおかしくない。
ただ、全国から選ばれた生徒たちを相手にするとなれば、魔力の差は無視できない。
特に試合が長引いた場合、朝倉がどこまで動けるのかという不安が残る。
「まあ、まだ選考期間はある。もう少し様子を見るか」
そう言って黒田は資料を重ねると、次の生徒の評価へと目を移した。




