期待と落胆
東央に入学してから一ヵ月が過ぎた。
もう一ヵ月かという感慨深さと、まだ一ヵ月なのかという驚きを同時に感じる。
ゴールデンウィーク明けの教室には、朝からどこか浮ついた雰囲気が漂っていた。
今年は学校も丸々五連休だったこともあり、地元へ帰っていた生徒も多かったようだ。
寮も明らかに人の数が少なかった。
教室のあちこちから、お土産を渡したり、休みの間に何をしていたのか話したりする声が聞こえてくる。
僕はというと、結局一度も地元には帰らなかった。
ほとんど毎日のように榊原先生のところへ顔を出し、あの力についての検証を続けていた。
もっとも、検証と言っても、休みに入る頃には新しく調べられることも少なくなっていた。
既存の機械では観測できない以上、できることには限界がある。そのため最近では、正体を突き止めるというよりも、どうすればこの力を上手く扱えるのか、何ができるのかを調べることの方が多くなっていた。
僕自身は寮に残っているからいいとして、榊原先生は本来なら休みだったはずだ。
それなのに僕が保健室へ行けば毎日のように白衣姿で待っていて、むしろ普段より楽しそうに実験をしていた。
一度、休まなくていいんですかと聞いたことがあるけど、『これ以上に楽しい休みの過ごし方がある?』と逆に聞き返された。
たぶん、あの人にとっては本当にあれが休日の過ごし方なんだと思う。
そんな連休も終わり、今日からまた普段通りの学校生活が始まる。
「席につけー」
教室の前の扉が開き、黒田先生が入ってきた。
さっきまで休み中の話で盛り上がっていた生徒たちも、それぞれ自分の席へ戻っていく。
黒田先生は教卓に出席簿を置くと、教室全体を見回した。
「よーし。連休はしっかり休めたかー? ここから授業もどんどん本格的になっていくからな」
その言葉に、何人かが反応する。
入学してから一ヶ月以上が経ったけど、これまでの授業は基本的なものが中心だった。
身体強化や魔力操作、武器の扱い方に魔法の基礎。校外研修のような例外はあったものの、ほとんどがディフェンダーとして必要な基礎を身につけるための授業だった。
だけど、それもここから少しずつ変わっていくらしい。
「今までは一年生ということで基礎を中心にやってきたが、これからは実戦を想定した授業も増やしていく。二年になれば、この前のような校外実習で実際に魔物と戦う機会もかなり増えるからな」
黒田先生が黒板に簡単な年間予定を書きながら説明を続ける。
「三年になれば、教師や現役のディフェンダー同行のもとで実際の現場に派遣されることもある。それまでに最低限、自分の身と仲間の身を守れるようになってもらわないと困る」
三年生になれば本当の現場に出る。
分かっていたことだけど、改めて言われると少し緊張する。
今の僕たちが二年後には、実際に人々を魔物から守る立場になるのだ。
「それと、今からの期間は八月に行われる全国高校ディフェンダー選手権、まあ所謂『選手権』だな。その参加選手の選抜も始まる」
その言葉が出た瞬間、教室の雰囲気が明らかに変わった。
さっきまで眠そうにしていた生徒まで顔を上げ、どこかソワソワした様子で黒田先生を見る。
全国高校ディフェンダー選手権。
全国にあるディフェンダー育成高校の代表たちが集まり、日頃の訓練の成果を競い合う一大イベントだ。
毎年八月に開催され、大会期間中はテレビでも大々的に放送される。
僕も昔から毎年欠かさずに見ていた。
中学生の頃なんて、選手権の中継を見るために毎日のトレーニング時間をずらしていたくらいだ。
「知っているとは思うが、競技は三つ。魔法戦、白兵戦、団体戦だ。それぞれ学年別と総合がある」
黒田先生の言う通り、その辺りはここにいる生徒なら誰でも知っているだろう。
魔法戦はその名の通り、魔法だけを使って戦う個人戦。
白兵戦は武器と身体強化だけを使って戦う一対一の個人戦。
そして団体戦は五人一組で行われ、魔法も武器も使用できる。
「出場する生徒の選別はこちらで行う。ただ、選ばれたからといって必ず出場しなきゃならないわけじゃない。辞退したければしても構わん」
そこで一度言葉を切り、黒田先生が教卓へ軽く身体を預ける。
「まあ、出ておけば卒業してディフェンダーになった時の配属先なんかで多少融通が利くようになるぞー」
あまりにも気合いの入っていない声だった。
ここにいる生徒は、基本的に卒業後ディフェンダーになることが決まっている。
普通のスポーツなら、大会で結果を残すことが将来に直結するのかもしれないけど、僕たちの場合は少し事情が違う。
もちろん選手権で活躍すれば評価は上がるし、希望する地域や専門部署への配属で有利になることもあるようだ。
ただ、それ以上に選手権そのものがお祭りのようなものなのだ。
全国の同世代が集まり、誰が強いのかを競い合う。
視聴者は次世代の英雄を応援する。
ディフェンダーを目指してきた人間なら、憧れるのも当然だった。
「詳しい選考についてはまた後日説明する。とりあえず今は、選ばれたいやつは普段の授業からしっかりやっとけ」
「はい!」
いつもより明らかに大きな返事が教室に響いた。
◇ ◇ ◇
ホームルームが終わると、そのまま一限目の授業が始まった。
基本的に午前中は座学で、午後から実技というのがこの学校の授業構成になっている。
座学ではディフェンダーに必要な魔物や魔素に関する知識だけでなく、普通の高校で習う一般科目も勉強する。
もちろん専門科目に時間を取られる分、一般科目の授業範囲は普通の高校より狭い。
だからといって授業そのものが楽なわけではなく、最低限必要な範囲を限られた時間で終わらせるため、むしろ授業の進み方はかなり速かった。
一限目の数学が終わり、担当の先生が教室を出て行く。
「はー。マジで意味わかんねー」
隣から聞こえてきた声に顔を向けると、大和が机へ突っ伏していた。
「これだけ授業が早いとなかなか難しいよね」
「だろ? 途中までは分かってたんだよ。なのに気付いたら知らない数字が黒板に増えてんだよ」
「それはもう途中までも分かってないってことじゃない?」
「そうとも言う」
「そうとしか言わないよ」
そんな話をしていると、近くの席から村上君がやってきた。
「まあ、一般科目ならテストの点が悪くても、最悪補習になるくらいだろ。よっぽどじゃなきゃ留年まではしないらしいぞ」
「マジで?」
机に伏せていた大和が勢いよく顔を上げる。
「たぶんな」
「よし。じゃあ大丈夫だな」
「補習にならないように勉強しようとは思わないの?」
「蓮」
大和が真剣な表情で僕を見る。
「人には得意不得意があるんだ」
「まだ入学して一ヶ月なのに諦めるの早くない?」
「適材適所って言葉を知らないのか?」
「補習は休日に行われるから、しばらく休み無しだな」
村上君の冷たい一言に、大和は再び机へ突っ伏した。
◇ ◇ ◇
昼休み。
午前最後の授業が終わると、僕たちは三人で食堂へ向かった。
連休明けだからといって食堂が空いているわけもなく、今日もかなりの生徒で混雑している。
なんとか三人分の席を確保し、それぞれ買ってきた昼食を食べ始める。
「だけど、選手権か。いよいよディフェンダー高校に来たって感じがするな」
唐突にそんなことを言い出した大和に、村上君が呆れたような顔を向けた。
「いや、もっと他にもあっただろ。入学してから一ヶ月以上経ってるぞ」
「分かってるけどよ。選手権って特別じゃね?」
「まあ、それは分からなくもないけど」
僕も大和の気持ちは分かる。
テレビ番組の中で一番好きな番組を聞かれれば、選手権と答える自信はある。
そんなテレビの向こうで戦っていた人たちと同じ学校に、自分も通っている。
そう考えれば、確かに少し不思議な感じがした。
「まあ、俺たちが選ばれるとすれば、白兵戦か団体戦か」
大和が箸を動かしながら言う。
「僕ら三人は魔法主体じゃないしね」
魔法戦に僕たちが選ばれる可能性はまずないだろう。
白兵戦は武器と身体強化を使った一対一。
団体戦は五対五で、武器も魔法も使用できる実戦形式に近い戦闘だ。
「まあ、僕には関係ない話かな」
「何でだよ?」
大和が不思議そうに僕を見る。
「だって、選ばれる人数を考えたら無理でしょ」
各学年から選ばれるのは、魔法戦が五人、白兵戦が五人。そして団体戦は試合に出る五人に控えを加えた十人。
単純に数えれば二十人分の枠があるけど、実際には個人戦の代表が団体戦にも登録されることが多い。
そのため、選手権の代表として選ばれる生徒は、一学年で十人から十五人程度になるのが普通だった。
一学年百二十人の中から、たったそれだけ。
適性二十一の僕がそこに入れるとは、とても思えない。
「蓮も白兵戦ならいいところまでいけるんじゃないか?」
大和が当然のように言った。
「そうだな。いまだに俺も勝てないし」
村上君まで同意する。
「どうだろう。クラスの中だけならともかく、学年全体でってなったら無理だと思うな」
他のクラスにも強い生徒はいくらでもいる。
合同授業をする機会も増えてきたから、入学直後よりそれがよく分かるようになった。
「蓮で無理なら、俺たちじゃ期待薄か」
大和が少し残念そうな顔をする。
「まあ、うちのクラスでほぼ確定してるのは一ノ瀬さんくらいじゃないか?」
村上君の言葉に僕も頷いた。
学校に入学して一ヶ月以上。
他のクラスとの合同授業もある程度経験してきたけど、確かに一ノ瀬さんほど高い威力の魔法を使える生徒は、今のところ見たことがない。
適性六十七。
魔法戦ならほとんど出場確定だと思う。
「まあ、九条は魔法も白兵戦も確定なんだろうな」
大和が嫌そうな顔をしながら続ける。
「なんなら団体戦まで出て、全種目コンプリートしちまいそうだな」
「ありそうだな」
村上君も否定しない。
隣のクラスの九条君。
入学時の魔素適性は七十二で、現時点で学年最高。
しかも高い適性に頼っているだけではなく、魔法の扱いも上手ければ剣の腕もかなりのものなのだ。
合同授業で何度か見たことがあるけど、明らかに他の生徒とはレベルが違った。
「まあ、九条君が全部に出れば、僕らが出られる可能性がますますなくなっちゃうね」
「……あ」
大和の箸が止まった。
村上君も同じように固まっている。
どうやら二人とも、そこまでは考えていなかったらしい。
「蓮」
「何?」
「そういうことは気付いても言わない方がいいと思うぞ」
「俺も今ちょっとやる気なくした」
「僕のせいなの?」
二人して大きくため息を吐く。
さっきまで選手権の話で盛り上がっていたのに、今じゃまるでお通夜だ。
僕はそんな二人を見ながら少し笑って、そのまま昼食を続けた。




