VS 九条 後編
……いや、駄目だ。
僕は頭に浮かんだ考えを振り払うように、小さく首を横に振った。
そもそも、これは授業中の模擬戦だ。
勝ちたいという気持ちだけで、先生との約束を破るわけにはいかない。
それに、あの力を使わなければ何もできないというのも、何だか悔しかった。
ここまでだって、剣術と身体強化だけで戦ってきたんだ。
九条君の方が圧倒的に強いのは分かっているけど、だからといって簡単に諦めたくはない。
僕は一度大きく息を吐くと、模擬剣を握り直した。
「……よし」
小さく呟き、九条君を見据える。
すると、そんな僕の様子を見ていた九条君が、わずかに首を傾げた。
「何か決まったのかな?」
「……うん。とりあえず、最後まで頑張ろうと思って」
「そう。それは楽しみだね」
九条君は穏やかに微笑むと、再び剣を構えた。
その表情からは、相変わらず余裕が感じられる。
けれど、今はそんなことを気にしている場合じゃない。
僕は地面を蹴り、こちらから九条君との距離を詰めた。
これまでのように相手の攻撃を待っているだけでは、九条君の魔力操作に翻弄されるばかりだ。
だったら、こちらから仕掛けてみるしかない。
身体強化を一瞬だけ高め、九条君の右肩を狙って模擬剣を振り下ろす。
九条君は左足を半歩引き、剣を斜めに構えて僕の一撃を受け流した。
予想通りの反応だった。
僕はそのまま剣を引き戻すと、今度は左脇腹へ向かって横薙ぎに振るう。
しかし、九条君は身体をわずかに捻るだけで剣先をかわし、僕の手首を狙って反撃してきた。
右腕へ魔力が集まるのを感じる。
けれど、今度はその動きだけを頼りにしない。
九条君の肩の向き、足の位置、剣を握る手首の角度。
それらを確かめながら、僕は模擬剣を引き戻して攻撃を受け流した。
直後、九条君の左脚へ魔力が集まる。
踏み込みか、それとも僕を誘うための動きか。
判断できない以上、決めつけるのは危険だ。
僕はその場から大きく動かず、剣先を九条君へ向けたまま、わずかに重心を落とした。
すると九条君は左脚を踏み出しかけたところで動きを止め、少しだけ目を細めた。
「……へえ」
次の瞬間、九条君の右腕が動いた。
僕は剣を斜めに構えてその一撃を受け流し、すぐに後方へ下がる。
完全に対応できたわけじゃない。
それでも、さっきのように魔力の動きだけで判断していたときよりは、ずっと落ち着いて対処できた。
「なるほど。今度は魔力の動きだけを見ないようにしているのかな?」
「……やっぱり、気づいてたんだね」
思わずそう答えると、九条君は楽しそうに笑った。
「最初は分からなかったけどね。君の反応があまりにも早いから、少し試してみたんだ」
「……試した?」
「うん。僕が魔力を集める場所を変えると、君の動きも変わったから。どういう仕組みなのかは分からないけど、僕の魔力の動きを感じ取っているんじゃないかな?」
榊原先生が言っていた。
自分の操っている魔力や魔素を感じ取るなんて普通の人間には出来ない。
だから僕が魔力を感じ取っているなんて常識的にはあり得ないことなんだ。
だけど九条君はそのことに気が付いた。
—―それも、ほんの短い時間で。
「すごいね。そんなことまで分かるなんて」
「いや、すごいのは君の方だと思うよ。普通はそんなこと、できないからね」
九条君はそう言いながら、模擬剣を軽く振った。
「でも、今の戦い方なら、さっきよりずっといいと思う」
「……ありがとう」
「ただ、まだ少し動きが大きいかな」
その言葉が終わるより早く、九条君が踏み込んできた。
「っ!」
僕は咄嗟に剣を構えたけど、九条君の一撃は想像していたよりも低い位置から迫ってきた。
慌てて剣を下げて受け止めると、その衝撃で身体がわずかに浮き上がる。
続けて、九条君の剣が反対側から振るわれた。
僕は足を引いてかわそうとしたものの、今度は完全には避けきれず、模擬剣の先端が左腕をかすめた。
「……くっ!」
痛みをこらえながら距離を取る。
やっぱり、簡単にはいかない。
魔力の動きだけに頼らないようにしても、九条君の剣術の腕、そのものが僕よりもずっと上手い。
それに、九条君は僕の動きに合わせて、攻撃の速度や角度を細かく変えてくる。
こちらが一つ対策を考えると、すぐにその対策を崩すような動きをしてくるのだから、たまったものじゃない。
それでも、僕は再び地面を蹴った。
今度は真正面から踏み込むと見せかけ、途中で右へ進路を変える。
九条君がこちらへ剣を向けた瞬間、その外側へ回り込むように身体を動かし、脇腹を狙って剣を振るった。
九条君はなんなく僕の攻撃を受け止めると、すぐに反撃へ移ろうとする。
けれど、今度はこっちもそれを予想していた。
剣を引くと同時に左脚へ魔力を集中させ、一気に後方へ跳ぶ。
九条君の剣が空を切った。
「……おっ」
九条君が小さく声を漏らす。
僕は着地すると、すぐに次の攻撃へ移った。
少しでも九条君に考える時間を与えたくなかった。
剣を上段に構え、身体強化を高めて踏み込む。
九条君が防御のために剣を持ち上げたところで、僕は手首を返し、攻撃の軌道を横薙ぎへと変えた。
しかし、九条君はその変化にも対応してくる。
模擬剣同士がぶつかり合い、乾いた音が響く。
僕はそのまま押し込もうとしたけど、九条君の腕はほとんど動かなかった。
逆に、軽く剣を押し返されただけで、僕の身体が後方へ流れてしまう。
……強い。
魔力の出力が違うのはもちろんだけど、力の使い方が上手すぎる。
こちらがどれだけ工夫しても、九条君はその一歩先にいるようだった。
それでも、先ほどよりは攻撃できるようになっている。
少なくとも、一方的に攻撃を受け続けるだけではなくなった。
そう思った、そのときだった。
九条君の剣が、僕の右肩を狙って振り下ろされる。
僕は魔力の動きと剣筋を確認し、左側へ身体をずらした。
九条君の一撃が空を切る。
その直後、九条君の身体がわずかに前へ流れた。
思わず訪れた好機に、僕は反射的に踏み込もうとした。
けれど、九条君の右脚へ魔力が集まるのを感じ、咄嗟に足を止めた。
次の瞬間、九条君は身体を回転させ、僕が踏み込もうとしていた場所へ剣を振るってきた。
もしそのまま攻撃していたら、完全に迎撃されていただろう。
僕は剣を構えて攻撃を受け止めると、すぐに距離を取った。
……危なかった。
今のも誘われたんだ。
九条君は、自分に隙ができたように見せかけて、僕が攻撃してくるのを待っていた。
相手の動きを誘導する。
これまで何度も見てきた九条君の得意な戦い方だった。
それを実際に相手にすると、こんなにも厄介なのか。
「……ふう」
僕は一度大きく息を吐いた。
さっきから、呼吸がなかなか整わない。
胸が上下するたびに喉の奥が熱くなり、額から流れた汗が頬を伝って落ちていく。
それに、身体強化の感覚も少しずつ鈍くなってきていた。
魔力の残量が減っている。
これまで何度も瞬間的に強化を高めてきたせいで、思っていた以上に消費が激しい。
一方の九条君は、まだほとんど疲れた様子を見せていなかった。
「……朝倉君、大丈夫?」
九条君が尋ねてくる。
「……うん。まだ、やれるよ」
「そう。それならよかった」
九条君は穏やかに笑った。
その笑顔に悪意は感じられない。
けれど、正直なところ、今の僕には少しだけ恐ろしく見えた。
この人は、いったいどれほど余裕があるんだろう。
僕がここまで必死に戦っているのに、九条君はまだ本気で勝負を決めようとしていない。
それどころか、どこか楽しそうにすら見える。
でも―—まだ、終わりたくない。
僕は模擬剣を握り直すと、再び九条君へ向かって踏み込んだ。
右からの斬撃。
九条君がそれを受け流す。
すぐに左へ剣を返すと、九条君は半歩下がってかわした。
そのまま追撃しようとした瞬間、九条君の右腕へ魔力が集まる。
僕は反射的に防御の姿勢を取ったけど、九条君は剣を振らず、代わりに左脚へ魔力を集中させた。
また、魔力を使ったフェイントだった。
僕は慌てて後退する。
その直後、九条君の剣が僕の目の前を通り過ぎた。
どうにか避けられけたれど、着地した瞬間に足元がわずかにふらつく。
「……っ」
膝に力を込め、なんとか体勢を立て直した。
—―まずい。
身体強化が、思うように働かなくなってきている。
魔力を流しているはずなのに、さっきまでのような力が出ない。
これ以上無理をすれば、完全に魔力が尽きてしまう。
それでも、九条君は攻撃の手を緩めなかった。
右から、左から、上から。
次々と繰り出される剣を、僕は必死に受け流していく。
けれど、少しずつ反応が遅れ始めていた。
模擬剣が肩をかすめ、次の一撃が太腿を打つ。
痛みで顔をしかめながらも、どうにか剣を振り返す。
しかし、その攻撃も九条君には簡単にかわされてしまった。
……駄目だ。
もう、身体がついてこない。
九条君が踏み込んでくる。
その動きは、はっきりと見えていた。
右脚へ魔力が集まり、剣を握る腕が動き始める。
どこから攻撃が来るのかも分かる。
それなのに、身体が動かない。
僕は最後の力を振り絞り、模擬剣を持ち上げようとした。
けれど、その途中で膝から力が抜けた。
「……あっ」
視界が大きく揺れ、僕はその場に膝をついてしまう。
九条君の剣が、僕の首元のすぐ手前で止まった。
「……そこまで!」
黒田先生の声が訓練場に響いた。
「勝者、九条!」
その宣言を聞いた瞬間、僕はようやく肩の力を抜いた。
—―負けた。
最初から勝てるとは思っていなかった。
負けることは分かっていたことだけど、やっぱり悔しい。
僕は膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返した。
身体強化が完全に解けたせいか、全身が鉛のように重く感じられる。
九条君は模擬剣を下ろすと、僕の前にしゃがみ込んだ。
「大丈夫?」
「……うん。ちょっと、魔力を使いすぎただけだから」
「そう。ならよかった」
九条君は安心したように微笑むと、僕へ手を差し出してきた。
僕はその手を借りて立ち上がる。
周囲からは拍手や歓声が聞こえてきた。
「やっぱ九条、強すぎるだろ……」
「でも朝倉もすごくなかったか?」
「あそこまで九条と戦えるやつ、そうそういないぞ」
そんな声が耳に入ってきたけど、今の僕には素直に喜ぶ余裕がなかった。
九条君は、最後までほとんど息を乱していなかった。
それどころか、試合中には何度か、明らかに攻撃できるはずの場面で剣を止めていた。
僕が体勢を崩したとき。
防御が間に合わなかったとき。
そして、魔力の攪乱によって僕が動けなくなったとき。
九条君はそのたびに、決定的な一撃を放たず、僕が体勢を立て直すのを待っていた。
試合中は必死で気づかなかったけど、今になって考えると、どうにも不自然だった。
「……九条君」
僕が声をかけると、九条君は振り返った。
「ん? どうしたの?」
「……一つ、聞いてもいいかな」
「もちろん」
僕は少し迷ったあと、思い切って尋ねた。
「どうして、途中で打ってこなかったの?」
九条君は一瞬だけ目を丸くした。
けれど、すぐに納得したように笑った。
「……気づいていたんだね」
「うん。何度か、僕が完全に隙を見せた場面があったと思う。でも、九条君は攻撃してこなかったから」
「そうだね。確かに、何度か決められる場面はあったと思う」
九条君はあっさりと認めた。
その答えに、僕は思わず眉をひそめる。
「……どうして?」
すると、九条君は少し考えるように視線を上げたあと、再び僕へ目を向けた。
「君には、まだ何かあるような気がしてね」
「……何か?」
「うん。僕の魔力の動きを感じ取っているのは分かったけど、それだけじゃないような気がしたんだ」
「……ッ」
思わず息を呑んだ。
九条君は、僕が魔力の動きを感知していることに気づいていた。
それだけでも驚きなのに、さらに何か別の力があると感じていたらしい。
九条君があの力の存在を知っているとは思えないし、そもそも僕は今回の試合であの力を意識して使っていない。
魔力を感知できるのもあの力の持つ副次的な効果によるものだ。
それでも、九条君の言葉には妙な説得力があった。
「だから、もう少し見てみたかったんだ。君が追い詰められたとき、どんな戦い方をするのか」
九条君はそう言うと、少しだけ残念そうに笑った。
「でも……僕の勘違いだったのかな」
僕は何も答えられなかった。
九条君はそんな僕を見ても、それ以上追及することはなかった。
「今日はありがとう、朝倉君。とても楽しかったよ」
「……うん。こちらこそ、ありがとう」
「また機会があれば、ぜひ戦おう」
そう言って九条君は軽く手を振ると、二組の生徒たちが集まっている方へ歩いていった。
僕はその背中を見送りながら、しばらくその場に立ち尽くしていた。
—―強かった。
想像していた以上に。
剣術も、身体強化も、魔力の制御も。
どれを取っても、九条君は僕よりずっと上だった。
それに、何より恐ろしかったのは、戦いながら僕の能力を見抜き、その対策まで考えてしまったことだ。
僕がこれまで頼りにしてきた魔力感知が、あんなにも簡単に攻略されるなんて思ってもいなかった。
けれど、同時に一つだけ気になることがあった。
九条君は、僕にはまだ何かあると感じていた。
そして、その何かを引き出すために、わざと試合を長引かせていた。
……もし、あのときあの力を使っていたら。
そんな考えが頭をよぎる。
もちろん、使わなかったことを後悔しているわけじゃない。
黒田先生との約束を守ったのは、間違っていないと思う。
それでも、もし使っていたら、九条君相手にどこまで戦えたんだろう。
そんなことを考えながら、僕は手の中の模擬剣へ視線を落とした。
握り慣れたはずの剣が、今は少しだけ重く感じられた。
—―もっと、強くならないと。
僕は小さく息を吐くと、ゆっくりと訓練場の端へ向かって歩き始めた。




