戦うための武器
ドンドンドンッ!
扉を叩く音で目が覚めた。
「……ん」
重い瞼を開けると見慣れた天井が目に入る。
カーテンの隙間からは、すでに朝日が差し込んでいた。
「朝……?」
身体を起こし、枕元に置いていたスマホへ手を伸ばす。
画面に表示された時間を見て、一気に目が覚めた。
「やばっ」
完全に寝坊だ。
いつもなら、とっくにランニングを始めている時間だった。
ドンドンッ!
もう一度、扉が叩かれる。
「蓮ー? いるかー?」
大和だ。
「いる! 今開ける!」
ベッドから降りて扉を開ける。
そこには、いつもの半袖短パンのランニングウェア姿の大和が立っていた。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
どうやらもうランニングを終えて、戻ってきたところのようだ。
「おう、具合でも悪いのか?」
「いや……」
頭を掻きながら答える。
「アラームかける前に寝ちゃったみたいで」
「珍しいな」
「僕もびっくりしてる」
「まあ、体調不良じゃないならよかった。また食堂でな」
「うん」
大和が軽く手を上げて、自分の部屋へ戻っていくのを確認すると、扉を閉める。
「……寝ちゃった、のか?」
昨夜のことを思い出す。
ベッドに横になってから、あの力を色々と試していた。
魔力とあの力を混ぜようとした時に発生した眩しい光。
覚えているのはそこまで。
「……気絶したのか」
自分の身体を確認する。
腕に痛みや痺れはない。
ただ――。
「……ない」
昨日、意識を失う直前まで感じていたあの力が、どれだけ身体を探っても見つからなかった。
ただ、前のように焦ったりはしない。
「まあ、今日また先生のところに行けば分かるか」
考えていても仕方ない。
今日はランニングも休んでしまったし、シャワーを浴びる時間も浮いた。
少しのんびり準備をしよう。
僕は制服へ着替えるため、クローゼットを開けた。
◇ ◇ ◇
午前中の授業は、特に変わったこともなく進んだ。
座学の後は魔法の実技。
僕たちは訓練場へ移動し、それぞれ課題として出された魔法の練習をしていた。
僕自身は相変わらず大した魔法は使えない。
あの力がどれだけ珍しくても、僕の魔素適性が変わったわけじゃない。
そんな中、少し離れた場所から魔法を的に当てた際に生じる爆発音が聞こえた。
視線を向けると、一ノ瀬さんが魔法を放った直後のようだ。
彼女の前にはすでに別の赤い炎が浮かんでいる。
それが形を変え、細長く伸びていく。
先生から何か指示を受けると、一ノ瀬さんは一度魔法を解除した。
そしてもう一度、今度はさっきよりもスムーズに炎が形を作った。
「……」
昨日の模擬戦を思い出す。
あの時の一ノ瀬さんは、明らかに集中できていなかった。
いつもなら反応できそうな攻撃にも対応が遅れていた。
だけど今日はそんな様子はない。
少なくとも、昨日までのような迷いは感じない。
吉田さんのことを気にしていないわけではないと思うし、昨日話しただけで、全部吹っ切れるようなことでもないだろう。
それでも、少しだけ、いつもの一ノ瀬さんに戻っているように見えた。
「朝倉!」
「はい!」
先生に呼ばれ、慌てて前を向く。
今は人のことを見ている場合じゃなかった。
僕は目の前の的に集中することにした。
◇ ◇ ◇
放課後。
僕はまた保健室を訪れていた。
「失礼します」
「来たわね」
白衣姿の榊原先生が待っていた。
机の上には昨日使っていた端末と、見覚えのない小さな機械がいくつか置かれている。
「今日は実験できるんですか?」
「許可は取れたわよ」
「早いですね」
「こういう時のために日頃から真面目に働いてるの」
そうは言っても、保健医として働いている姿は僕はまだほとんど見たことがない。
初めて会った時くらいじゃないだろうか。
「何、その顔」
「何でもないです」
「ふーん。まあ、行きましょうか」
榊原先生が白衣のポケットへ端末と機械を入れる。
昨日と同じように校舎を出て、少し離れた施設へ向かった。
建物の中へ入り、そのまま地下へ続く階段を降りていく。
そして、途中まで来たところでまた魔物の気配を感じた。
「今日も分かる?」
「はい。正確な数までは分からないですけど」
「十分よ」
榊原先生が満足そうに頷く。
昨夜のことで何か変わっているんじゃないかと思ったけど、少なくとも今のところは何もわからない。
昨日、気を失ったことを先生に伝えたほうがいいのだろうか。
迷っている間に長い階段が終わり、細い道の奥にある頑丈な扉を抜ける。
左右には昨日と同じように檻が並んでいた。
その中にいる魔物の気配も問題なく感じる。
先生について奥へ進む。
そして一番大きな檻の前までやってくると、そこには見知った人が立っていた。
「黒田先生?」
「来たか」
黒田先生が振り返る。
「今日は黒田先生も一緒なんですか?」
「安全対策よ」
榊原先生が答える。
「私一人でも大丈夫なんだけどね」
「お前一人だから不安なんだ」
黒田先生がため息交じりに即答した。
「失礼ね」
「放課後に魔物を使った実験をしようとしているようなやつが言う台詞とは思えないな」
「ちゃんと許可は取ったわよ」
「そういう問題じゃない」
二人の会話を聞きながら、大きな檻へ視線を向ける。
昨日の猪型の魔物がいる。
先生たちの話し声に反応したのか、ゆっくりと顔を上げ、前足で地面を二度掻いた。
「まずは昨日と同じ状態にしてもらうわ」
「分かりました」
ゆっくりと檻へ近づいていく。
「フゴォォォッ!」
待っていたと言わんばかりに、巨体が一気に加速してこちらに向かって突っ込んでくる。
ドンッ!!
魔物が折にぶつかった、激しい音が地下に響く。
こっちには来れないとわかっているが、思わず身体に力が入る。
でも同時に――。
「よし」
身体の奥にあの力を感じた。
どれだけ探しても見つからなかったものが、今ははっきりとそこにある。
「出てきました」
「昨日と同じ?」
「はい」
意識を向けると、それに反応してすぐに動き始める。
試しに右手へ集めると、拳の周囲に淡い白い光が現れた。
「問題なさそうね」
榊原先生が手元の端末を確認する。
その隣で初めてその光を見る黒田先生の目が驚愕のあまり、見開かれていた。
「じゃあ離れていいわよ」
「はい」
猪型から距離を取る。
昨日でもうわかっている。
一度掴んでしまえば、魔物から離れても力は消えない。
「こっちよ」
榊原先生について通路を少し戻る。
立ち止まったのは、昨日も通った檻の前だった。
「……狼?」
中にいたのは、狼に似た魔物だった。
ただし、普通の狼より遥かに大きい。
四足で立っている状態でも、背中の位置は僕の胸元近くまである。
灰色の毛と口元から覗く鋭い牙。
僕たちを見る濁った黄色い目には、明らかな敵意を感じる。
「グルルルル……」
その魔物が低い唸り声をあげ、こちらを見ていた。
「中型の魔物よ」
「これで中型なんですね……」
十分大きい。
この前の校外研修で相手にした小型の齧歯類型や犬型とは一回りも二回りも違う。
ただ、それでもあの変異個体や、さっきの猪と比べるとサイズも迫力も劣るのも事実だった。
「今からこの個体に、さっきの力を使ってもらうわ」
榊原先生が黒田先生を見る。
「お願い」
「ああ」
黒田先生が一歩前へ出る。
何をするんだろう。そう思った時、黒田先生の足元から、黒い影のようなものが伸びた。
「え?」
そしてその影はまるで生き物のように床を這って、とうとう魔物のいる檻にたどり着いた。
そしてそのまま檻の隙間を抜けると、狼型の魔物の四肢へ絡みつき、一瞬のうちにその自由を奪った。
「グルァッ!」
魔物が暴れる。身体を捻り、拘束を解こうと必死に抵抗する。
だけど黒い影はびくともしない。
「すご……」
「これで動けない」
黒田先生が僕を見る。
「ただし絶対に正面には立つな。首から上はある程度動かせる」
「分かりました」
「じゃあ開けるわね」
榊原先生が端末を操作すると、ガンッという重い音を響かせて、目の前の檻の扉がゆっくりと開き始めた。
「本当に中に入るんですか?」
「入らないと触れないでしょ?」
「それはそうですけど……」
拘束されているとはいえ、相手は魔物だ。
「大丈夫。黒田先生の拘束はこの程度の魔物じゃ破れないから」
「この程度って……」
僕より遥かに大きいんだけどな。
そう思っている間に、ガチャという音と共に完全に檻が開く。
「どうすればいいんですか?」
「とりあえず――」
榊原先生が少し考える。
「殴ってみる?」
「殴るんですか?」
「剣じゃダメージを与えすぎるでしょ? まずは単純な方が分かりやすいと思う」
確かにそうだ。
剣を使ってしまうと、普通に斬ったダメージなのか、力によるものなのか分かりにくい。
「分かりました」
恐る恐る檻の中へ入る。
「グルルルル……!」
魔物の唸り声が一気に近くなった。
僕を睨みながら、必死に身体を動かそうと暴れている。
でも体に複雑に絡みついた影がそれを許さない。
それでも、唯一自由の効く首から上をこちらに向けてその口を広げてくる。
牙を見るとさすがに恐怖を感じる。
それでも僕はディフェンダーになるんだ。
こんなことで怖がっている場合じゃない。
黒田先生に言われた通り、正面には立たない。ゆっくりと側面へ回る。
無抵抗の相手を殴るのは、少し気が引ける。だけど、相手は理性のない魔物。
そう割り切るしかない。
「いつでもいいわよ」
榊原先生の声が聞こえる。
「はい」
気持ちを落ち着けるために、一度息を吐く。
まずは身体強化。
魔力を全身へ行き渡らせる。そしてさらに右腕へ、魔力を集中させた。
腕が淡い青色に光る。
その状態で、もう一つの方の力を操作する。
そっちのほうが、動かすのはむしろ簡単なのだ。
右拳へ。
昨日よりもスムーズに動かせる気さえする。
青い光に包まれていた拳へ、白い光が混じった。
「……いきます」
右脚を踏み込む。
狼型の腹部へ拳を叩き込んだ。
ドンッ!
「グゥルッ!」
狼型の声が地下施設に響く。
そこまで強く殴ったつもりはない。
もちろん身体強化は使っているけど、相手は僕より遥かに大きな魔物だ。
僕の素手の攻撃程度なら大して効いていないはず。
一応一歩後ろに下がり様子を窺うが、何かがおかしい。
さっきまで黒田先生の拘束から逃れようと激しく暴れていた狼型の動きが、止まっていた。
「グ……ゥ……」
先ほどまで力強く体を支えていた脚から力が抜けていく。
身体が沈み、やがて、黒田先生の影に支えられるような形でぐったりとしてしまった。
「……僕、そんなに強く殴ってないですよ?」
まさかの結果に思わず黒田先生を見る。
黒田先生も魔物を見たまま、僅かに目を見開いていた。
「分かってる」
その声も、普段より低い。
「今の身体強化だけじゃ、こうはならない」
僕の適性は二十一。
身体強化を使ったとしても、この大きさの魔物をたった一発殴っただけで、ここまで弱らせられるほどの力はない。
そのことは担任の黒田先生もよくわかっているはずだった。
だからこそ、僕と同じようにいまだに信じられないような目でぐったりと倒れた魔物を凝視していた。
「朝倉君」
少し間を開けて榊原先生の声が檻の外から聞こえる。
先生は僕ではなく、手元の端末を見ていた。
その表情が、どんどん変わっていく。
「……あぁ」
そして顔を上げる。
その目は、今までで一番輝いていた。
「あぁ。素晴らしいわ、朝倉君」
「何か分かったんですか?」
「ええ」
榊原先生が端末の画面を僕たちへ向ける。
ただ、その画面の数字が意味していることは僕にはよくわからなかった。
「この子の体内魔素の動きを表していた数字が、今の一撃で一気に下がった」
「魔素の動きが?」
「そうよ」
もう一度、ぐったりしている魔物を見る。
傷らしい傷はない。殴っただけなので血も出ていない。
それなのに、明らかに弱っている。
昨日まで分からなかった、僕の中に突然現れた、この不思議な力の効果。
まだ正確なことは分からない。だけど、少なくとも一つだけはっきりした。
この力があれば――。
適性二十一の僕でも戦える。




