榊原先生の人体実験
「次は君に、外から魔素を与えてみようか」
榊原先生はそう言って、楽しそうに僕を見る。
「……それ、大丈夫なんですか?」
「もちろん。別に危険なことをするわけじゃないわよ」
「でも先生が言うと、なんか人体実験に聞こえるんですよね」
「失礼ね。ちゃんとした実験よ」
「実験なのは否定しないんですね……」
大和、もしかしたら、お前の予想は当たっていたのかもしれないぞ。
「ほら、こっち」
榊原先生に案内され、研究室の奥へ移動する。
そこには、僕の身長くらいはある巨大な機械が置かれていた。
機械からは何本ものコードが伸びていて、いかにも高そうな見た目だ。
「座って」
「はい」
言われるまま近くの椅子に座る。
榊原先生は僕の胸や腕に小さなセンサーを取り付けていく。
「これは何の機械なんですか?」
「周囲の魔素濃度を調整する装置」
「そんなことできるんですね」
「できるわよ。魔素に対する人体の反応を調べる時なんかに使うの」
榊原先生が最後のセンサーを取り付ける。
「外部の魔素を感知していた可能性があるなら、実際に魔素を近くに出してみればいい。単純でしょ?」
「まあ……そうですね」
「まずは低い濃度から。少しでも変な感じがしたらすぐに言って」
「分かりました」
榊原先生が機械に取り付けられていたモニターの前へ移動する。
画面を何度か操作すると、 ブゥンという機械始動を知らせる低い音が鳴った。
「始めるわよ」
「はい」
僕は自分の身体に意識を向けた。
よく分からないけど、何か変化が起きるのを待つ。
「……」
しばらく経っても何も感じない。
「どう?」
「何も感じません」
「身体の中は?」
「いつも通りです」
榊原先生が画面を見る。
「こっちも変化なし」
どうやらモニターで僕の中の魔素の反応が見れるようだ。
数秒後、また画面を操作する。
「少し上げるわね」
「はい」
機械の音が僅かに大きくなる。
もう一度集中する。
昨日、自主練をした時と同じ。
自分の身体の中にある魔素なら、意識を向ければすぐに感じられる。
でも、やっぱりあの力はどこにもない。
「……分かりません」
「外の魔素も?」
「はい」
「結構な量なんだけどね」
「全然分からないです」
榊原先生が首を傾げる。
そのまま何度か濃度を変えた。
少しずつ。
多分、安全な範囲で、さらに高くしていく。
でも結果は変わらない。
「……変ね」
「何がですか?」
「一昨日は二十メートルくらい離れた位置にいた魔物が分かったんでしょ?」
「はい、多分ですけど」
「今は朝倉君のすぐ近くに、それなりの量の魔素がある」
「そうなんですか?」
「そうなの。でも分からない」
僕には何も感じられない。
本当に、一昨日のあれは何だったんだろう。
「もう少し上げてみるわよ」
「まだ上げるんですか?」
「もちろん」
「大丈夫なんですよね?」
「基準値以内だから大丈夫」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
思わず榊原先生を見る。
「冗談よ」
この人、本当に保健医なんだろうか。
生徒の安全性より自分の好奇心の方が大事なのではないだろうか。
そんな不安をよそに、機械が再び動く。
さっきよりも周囲の魔素が濃くなっているらしい。
でも――。
「……何もないです」
「こっちも変化なし」
榊原先生が腕を組む。
「量じゃない……?」
小さな呟きが聞こえた。
「量?」
「変異個体は通常の魔物より遥かに多くの魔素を持っていた可能性が高い。だから朝倉君は、一定以上の魔素を感じ取れるんじゃないかと思ったんだけど」
でも、今の実験では何も起こらなかった。
「じゃあ、何が違うんでしょう」
「それを考えてるの」
榊原先生が前回の記録を端末に表示する。
しばらく画面を眺めていた。
「……攻撃?」
「え?」
「朝倉君が例の力を初めて感じたのって、変異個体の攻撃を受けた直後だったわよね?」
「はい」
「じゃあ、殴ってみる?」
「嫌ですよ」
即答した。
「まだ何もしてないのに」
「してたら大問題ですよ」
「軽くでも?」
「嫌です」
「冗談よ」
あなたが言うと全然冗談に聞こえないんです。
「でも、攻撃を受けたこと自体が条件って可能性はあるのよね」
榊原先生が顎に手を当てる。
「正確には、危機的な状況になったことで身体に何かしらの変化が起きた可能性」
「火事場の馬鹿力みたいな感じですか?」
昨日、大和にも似たようなことを言われた。
「簡単に言えばそんな感じ」
榊原先生が僕を見る。
「ちょっと運動してみようか」
「運動?」
「心拍数を上げてから、もう一度試してみる」
さすがに研究室の中を走り回るわけにはいかないので、その場で何度か身体を動かす。
軽い運動から始まり、徐々に負荷を上げる。
昨日までの打撲もほとんど気にならなくなっているので、身体を動かすこと自体は問題ない。
しばらくして、額に汗が浮かんできた。
「そのまま座って」
「はい」
少し息を弾ませながら椅子に戻る。
センサーを確認してから、榊原先生が再び装置を動かした。
周囲に魔素が放出される。
目を閉じる。
身体の中へ意識を向ける。
「……」
何もない。
「どう?」
「駄目です」
「うーん」
榊原先生が画面を見る。
「心拍数はかなり上がってる。でも特別な反応はなし」
「じゃあ、危ない時に出るってわけでもない?」
「まだ断定はできないけど、その可能性は少し下がったかな」
先生が装置を止める。
研究室が急に静かになった。
僕は椅子に座ったまま、息を整え、身体を落ち着かせる。
榊原先生はモニターの前で、これまでの結果を見比べていた。
「魔素の量じゃない」
ぽつりと呟く。
「心拍数でもない」
画面を切り替える。
そこには一昨日の変異個体についてまとめられた情報が表示されていた。
「普通の魔物と、あの個体……」
僕もなんとなく画面を見る。
通常より遥かに大きな身体。
異常な速度。
一ノ瀬さんの魔法を受けるたびに強くなっていったこと。
そして――。
「……待って」
榊原先生が画面へ顔を近づけた。
「どうしました?」
「量だけじゃないのかも」
「どういうことですか?」
「あの個体、一ノ瀬さんの魔法を何度も吸収してたのよね?」
「はい」
「本来その個体が持っていた以上の魔素を、短時間で大量に取り込んでいたとしたら……」
榊原先生が何かを考えている。
「体内の魔素が安定していたとは考えにくい」
「安定?」
「人間が取り込んだ魔素は、普通は身体の中である程度制御された状態になるの。でも、あの個体は外部から大量の魔素を取り込みながら急激に変異していた」
画面に表示された変異個体の情報を指差す。
「つまり、朝倉君が感じていたのは魔素の量じゃなくて――」
そこで言葉が止まる。
榊原先生が僕を見て、ニヤリと笑った。
また、嫌な予感のする顔をしている。
「最後にもう一つ試してみよっか」
「まだやるんですか?」
「今度はちょっと面白いと思うよ」
「先生が面白いだけじゃないですか?」
「否定はしないわ」
榊原先生が再びモニターを操作する。
「今までは一定の濃度になるように、安定した状態で魔素を放出してた」
「はい」
「今度はそれを崩してみる」
「崩す?」
「出力を細かく変動させるの。魔素が安定しない状態を人工的に作り出す」
よく分からないけど、それは本当に人体に悪影響はないのだろうか。
「まずは弱くね」
装置が動き出した。
ブゥン。
さっきまでと同じような低い音。
僕は目を閉じる。
「……」
何もない。
「どう?」
「分かりません」
「じゃあ少し上げるね」
再び調整が入る。
それでも何も感じない。
「もう少し」
その後も同じような作業を何度か繰り返す。
その間も、僕は自分の身体へ意識を向け続ける。
やっぱり、ダメなのかとそう思った時だった。
「……あ」
胸の奥で何かが動いた。
気のせいだと言われれば、そう思ってしまうくらい小さな違和感。
それでも、この感覚を僕は覚えていた。
「止めるわね」
先生がそう言うとすぐに機械の音が消えた。
同時に――。
「あ……」
胸の奥の感覚も消える。
榊原先生が期待のこもった視線で僕を見る。
「今、何かあった?」
「……はい」
「どんな感覚?」
「一昨日と同じです」
思わず胸に手を当てる。
もう何も感じない。
それでも間違いなかった。
「身体の中に、あの時の力がありました」
榊原先生の目つきが変わった。
「もう一回やるわよ」
「はい」
またすぐに装置が動き始める。
さっきと同じ条件。
目を閉じ集中して待つ。
「……来ました」
またあの感覚を感じた。
それを聞いた先生がまた機械を止める。
それと同時に僕の中の違和感も消える。
「もう一回」
三度目。
魔素が不安定になると、胸の奥で、あの力が動き出す。
魔素を安定させると、それが消える。
四度目。
今度は魔素の量を少し変える。
それでも、乱れた状態になった時だけ反応した。
五度目。
魔素の量を増やすけど、今度は安定させたまま。
僕の中には何も起こらない。
「……なるほど」
榊原先生が小さく呟く。
画面に次々と記録された数値を確認していく。
「再現性あり」
その声から、さっきまでの軽い雰囲気が消えていた。
「先生、何か分かったんですか?」
「一つだけ」
榊原先生はモニターを見たまま答える。
「朝倉君のその力は、魔素が多いから出てくるんじゃない」
「じゃあ……」
榊原先生がゆっくりと僕を見る。
「魔素が乱れた時に反応してる」
乱れた魔素。
一ノ瀬さんの魔法を吸収し続け、異常な姿へ変わっていった魔物がそれを放っていたとしたら。
いや、他の魔物の気配も感じたから、多かれ少なかれ魔物の中の魔素は人の中にある時のようにそもそも安定していないのかもしれない。
そして今日も、どれだけ量を増やしても安定した魔素には何も感じなかった。
なのに、その状態を崩した途端――僕の中の何かが動いた。
「どうして……」
僕の言葉に、榊原先生はすぐには答えなかった。
モニターに表示された結果をしばらく見つめる。
「まるで――」
そして、小さく呟いた。
「暴れてる魔素を、何とかしようとしてるみたいね」




