検査
研究室の中へ足を踏み入れる。
普通、保健室の奥にこんな場所があるとは思わないだろう。
壁際には大小いくつもの機械が並び、その横には大きなモニターが三台。
机の上にも計測器のような物が置かれている。
中央には診察台のようなベッドまである。
大和の言った人体実験という言葉が、ふと頭を過った。
「そこ座って」
榊原先生が指差したのは、ベッドの横に置かれた椅子だった。
言われた通りに座る。
「まずは何するんですか?」
「一通り全部」
「全部?」
「そ。何が原因か分からないんだから、最初からこれって決めつけて調べるのはよくないでしょ?」
榊原先生は棚からいくつかの器具を取り出し、机の上に並べていく。
「血液検査、魔素適性、体内魔素量。それから魔素を動かした時の身体の変化も見てみようかな」
「結構やるんですね」
「そりゃね。人類反撃の一手かもしれないんだから」
「まだそれ言うんですか?」
「気に入ったの」
楽しそうな榊原先生を見て、僕は小さくため息を吐いた。
まずは採血からだった。
腕を出し、榊原先生が手際よく針を刺す。
チクっとした痛みが腕に走る。
「痛っ」
「魔物に吹き飛ばされた人が注射くらいで声出さないの」
「痛いものは痛いですよ」
「はいはい」
採取した血液が何本かの細い容器に分けられていく。
その後も身体にいくつかの機器を取り付けられ、検査は続いた。
入学時にも受けた魔素適性の測定。
体内に保有している魔素量。
それに身体強化を使った時の魔素の流れ。
言われるまま身体強化を発動したり解除したりしているうちに、気付けば一時間近く経っていた。
「うーん」
モニターの前で榊原先生が唸る。
「どうですか?」
「普通」
「普通?」
「すごく普通」
何だか残念そうだ。
「魔素適性は二十一。入学時と変化なし。体内の魔素量も適性を考えればおかしくないし、身体強化を使った時の流れは凄くスムーズだけど、特に異常は見当たらない」
榊原先生が画面を切り替える。
「採血した方はもう少し詳しく調べる必要があるけど、少なくとも今すぐ分かるような異常はなさそう」
「じゃあ、本当に何もないんですか?」
「今のところはね」
榊原先生は椅子を回して僕の方を向いた。
「だから次は、機械じゃなくて朝倉君に聞くことにしようかな」
「僕に?」
「一昨日のこと。最初から詳しく教えて」
「もう話しましたよね?」
「大まかにはね」
榊原先生が端末を手に取る。
「今度は戦闘の内容だけじゃなくて、朝倉君自身に何が起きてたのかを知りたい」
僕自身に起きていたこと。
そう言われても、すぐには思いつかない。
「まず森に入ったところからいこうか」
「そこからですか?」
「当たり前じゃない」
仕方なく、あの時の記憶を辿る。
あの時──
まず、班の皆と森に入った。
周囲を警戒しながら進んだけど、最初は何も起こらなかった。
そのことに大和が不満を漏らして、それを皆で笑っていた。
それから…
「あ」
「何?」
思わず漏れた声に、榊原先生がすぐ反応する。
「そういえば……一つありました」
「何が?」
「魔物がいるのが分かったんです」
端末を操作していた榊原先生の指が止まった。
「どういう意味?」
「そのままです。魔物がいるっていうか……この先に、何かいるなって」
「見えたってこと?」
「いえ」
「音が聞こえたり?」
「それもなかったと思います」
「匂い?」
「それも分かりません」
「足跡とか、木が揺れたとかは?」
「そういうのもなかったと思います」
榊原先生が考え込むようにして黙る。
少しして、顔を上げる。
「それから?」
「気になって周りを調べてみたら、本当に魔物がいました」
「どのくらい離れてた?」
「確か、二十メートルくらいだったと思います」
「方向は?」
「分かりました。たぶん、あっちにいるなって」
「それは誰かに教えてもらったわけじゃないのね?」
「違います」
「他の人も気付いてた?」
「僕が最初でした。皆も半信半疑で進んで行ったので」
榊原先生が端末へ何かを打ち込んでいく。
さっきまでより明らかに真剣だ。
「……先生?」
「続けて」
「あ、はい」
もう一度、そこから先のことを思い出す。
森の中で感じた妙な感覚。
何かがいる、とそう思った。
そして――。
「そういえば」
「まだある?」
「大きな魔物の時は、その感覚がもっと強かったです」
榊原先生の手がまた止まった。
「詳しく」
「普通の魔物の時は、本当になんとなくでした。でも、あの大きな魔物が近づいてきた時は……もっとはっきり分かりました」
あの時の感覚を思い出す。
姿を見る前から何かが近づいてくると感じた。
しかも、それまでとは比べ物にならないほど強い感覚で。
「姿を見る前?」
「はい」
「どの方向から来るかも?」
「だいたいですけど」
榊原先生が椅子の背もたれに身体を預けた。
しばらく何も言わない。
「……おかしいわね」
「何がですか?」
「朝倉君」
榊原先生が僕を見る。
「人間は魔素を直接感知できないの」
「……え?」
思わず聞き返した。
「できないんですか?」
「できない」
はっきりと言い切る。
「もちろん、自分の身体に取り込んだ魔素は別。身体強化でも魔法でも、自分の中にある魔素を動かしてるんだから、ある程度は感覚として認識できる」
榊原先生が自分の胸元を指差す。
「でも、外にある魔素は違う」
今度は僕の方へ指を向けた。
「目を閉じた状態で、十メートル先に魔素があるからって『あっちにある』とは分からない」
「でも僕は……」
「そう──だから面白い」
また楽しそうに笑った。
「まだ朝倉君が感じたものが魔素だと決まったわけじゃない。でも魔物の位置が分かって、より強い個体からはもっと強く感じた」
「はい」
「なら、生き物の気配じゃなくて、その魔物が持つ魔素を感じていた可能性はある」
僕は自分の手を見る。
一ノ瀬さんの魔法を受けるたび、あの魔物は大きくなっていった。
動きも速くなった。
「一ノ瀬さんの魔法を受けて、あの個体の中に異常な量の魔素が蓄積されていた可能性が高い」
榊原先生が端末へ何かを書き込む。
「通常個体では弱く感じた。変異個体では強く感じた。単純に距離や大きさの可能性もあるから、これだけじゃ何とも言えないけどね」
「もしかして僕は魔素を感じられるかもしれないってことですか?」
「まだ決めつけるのは早い」
即答された。
「分からないものを、不確かな状況で分かったつもりになることが一番駄目。今あるのは、朝倉君が魔物の位置を何らかの方法で知覚していたという証言だけ」
「なるほど……」
「でも、それを調べる価値は十分ある」
榊原先生が今までで一番嬉しそうに笑う。
やっぱりこの人が保健医より研究者の方が本業というのは本当のことなんだろう。
「他には?」
「他……」
さらに記憶を辿る。
魔物と合流した後。
一ノ瀬さんと班の皆と一緒に戦った。
攻撃も当たった。
だけど効かなかった。
むしろ、一ノ瀬さんの魔法を受けてより凶悪になっていった。
そして――。
「あの力に気付いたのは、攻撃を受けた後でした」
「攻撃?」
「はい」
「どの攻撃?」
「大きな魔物に吹き飛ばされた時です」
榊原先生の表情が変わる。
「一ノ瀬さんを庇った時ね?」
「はい。避けきれなくて」
あの時の衝撃を思い出す。
身体が宙を飛び、その後地面に叩きつけられて、しばらく息ができなかった。
「その後です」
「何が?」
「身体の中に、何かあるって気付いたのが」
あの不思議な感覚だった。
魔素とは違うとはっきり分かった。
もっと静かで、だけど確かに存在していた何か。
「それまでは?」
「それまで?」
「一度も感じたことない?」
「はい」
「攻撃を受けた直後に初めて?」
「そうです」
榊原先生が黙り込んだ。
端末に何かを入力しては止まり、また入力する。
「……面白い」
小さく呟く。
「何か分かったんですか?」
「逆。分からないことが増えた」
「駄目じゃないですか」
「研究なんてそんなものよ」
そういうものなんだろうか。
榊原先生が立ち上がり、壁際のモニターへ近づく。
そこに今日の検査結果を表示した。
魔素適性、二十一。
体内魔素量。
身体強化時の数値。
僕にはよく分からない数字がいくつも並ぶ。
榊原先生は右手を僕の方に付き出して、握り拳を作る。
「今日調べた限り、朝倉君の魔素に特別なところはない」
「はい」
「なのに、魔物が姿を見せる前からその存在に気付いた」
一本、指が起き上がる。
「しかも、異常な個体からはより強く何かを感じた」
二本目。
「その個体から直接攻撃を受けた後、それまで感じたことのなかった力を自分の中に発見した」
三本目。
「そして、その力を使って攻撃すると、魔物は弱体化した」
計四本の指が、その日の僕の異常性を示した。
「偶然で全部片付けるには、ちょっと多いね」
「全部繋がってるってことですか?」
「それを調べるのよ」
榊原先生は再び画面を見る。
「でも、一つ共通してるものがある」
「何ですか?」
「魔素」
魔素。
この数分で何度も出てきたキーワード。
「最初に感じた魔物はもちろん魔素を持っている。変異個体も大量の魔素を保持していた可能性が高い。未知の力を感じたのも、その強い魔素を持つ個体から攻撃を受けた直後。そしてその力を使ったら、今度は魔物が弱体化した」
榊原先生が腕を組む。
「少なくとも、魔素が何かしら関わっている可能性は高いと思う」
「それを、どうやって調べるんですか?」
「簡単よ」
榊原先生が今までとは違う、なんだか怖い笑みを浮かべて僕を見た。
嫌な予感がする。
「……何ですか?」
「朝倉君の中ばっかり調べてたのが間違いだったかもしれない」
「どういうことですか…?」
榊原先生笑みを深める。
「外から試してみればいい」
「外から?」
「うん」
机の上に置かれていた端末を手に取る。
「朝倉君」
「はい」
「次は君に、外から魔素を与えてみようか」
やっぱり。
嫌な予感は、たぶん正しかった。




