週明けの登校
休み明けの朝。
いつもの時間に教室へ入ると、すでに半分くらいの生徒が来ていた。
「おはよ」
「おはよう」
近くの席の人と挨拶を交わし、自分の席に鞄を置く。
先日の野外研修から一日休みを挟んで、今日からまた通常授業が始まる。
身体にはまだ少し痛みが残っているけど、日常生活には支障はない。
今朝のランニングでも、いつも通りのペースで走ることが出来るくらいには回復している。
教室の雰囲気も、思っていたより普段と変わらなかった。
もちろん、話題の中心は野外研修だけど。
「あの時マジでやばかったよな」
「俺らの班、十匹くらい来たぞ」
「十匹? こっちはもっといたって」
そんな会話があちこちから聞こえてくる。
大変な目に遭ったはずなのに、終わってしまえばこうやって笑って話せる。
僕も大和と昨日の朝には普通に走っていたし、案外皆そんなものなのかもしれない。
「おっす、蓮」
「おはよう大和」
登校時間ギリギリに教室へ入ってきた大和と話しているとチャイムが鳴り、教室の前の扉が開いた。
「席につけ」
黒田先生が入ってくる。
騒がしかった教室が一気に静かになった。
黒田先生は教卓に持ってきた書類を置くと、すぐには出席を取らず、僕たちを見回した。
「まず、先日の野外研修について話しておく」
教室の空気が僅かに変わる。
「今回はこちらの調査不足でお前らを危険な目に合わせてしまった。まずは謝罪しておく。だが災難だった、と言えばそれまでだ。学校側も今回の件については現在調査を進めているが…」
黒田先生が教卓に片手を置く。
「お前たちが今後ディフェンダーとして現場に出れば、ああいうイレギュラーはいくらでも起こる」
誰かの息を呑む音が聞こえた気がする。
「事前情報とは違う魔物が現れる。想定していた以上の数に囲まれる。仲間と分断される。今回のように、今まで確認されていなかった個体と遭遇する可能性だってある」
先日の森を思い出す。
突然現れた大量の齧歯類型。
そして、一ノ瀬さんを執拗に追い続けた巨大な魔物。
あんなことが、現場では珍しくないのかもしれない。
「もちろん、強くなることは大切だ。力があれば助かる場面はいくらでもある」
黒田先生が続ける。
「だが、力があるだけじゃ駄目だ。想定外のことが起きた時に周囲を見て、考えて、落ち着いて行動する。それもディフェンダーに必要な力だ」
黒田先生の視線が教室全体をゆっくりと動く。
「今回、怪我人は出たが、幸い重傷者はいなかった。全員が無事に戻れたのは、教師が対応したからだけじゃない。お前たち自身が状況を判断して動いた結果でもある」
何人かが少しだけ表情を緩めた。
「だから今回の経験を、ただ怖かったで終わらせるな。これからの訓練に活かせ」
「はい!」
皆の返事が重なる。
黒田先生が一度満足そうに頷いた。
「それと、もう一つ」
少し言葉を溜めると、手元の名簿へ視線を落とす。
「吉田だが、急に家の都合で転校することになった」
「……え?」
思わず声が漏れた。
吉田さん?
視線を動かす。
教室の中の吉田さんが座っていた席。
そこには誰もいなかった。
そういえば、今日はまだ姿を見ていない気がする。
「急だな」
「この前まで普通にいたよね?」
「家の都合って何?」
教室がざわつき始める。
「静かに」
黒田先生の声で、すぐに小さくなる。
「詳しい事情について俺から話すことはない。急な話ではあるが、そういうことだ」
家の都合。
それなら仕方ないか。
そう思ったのに、なぜか引っかかる。
頭に浮かんだのは、野外研修の日の吉田さんの様子だった。
一ノ瀬さんの班員たちが再会を喜ぶ中、一人だけ少し離れた場所に立っていた。
俯いたまま、自分の腕を抱くようにして。
『怪我はなさそうだけど、大丈夫かな』
『まあ、色々あって疲れたんじゃない?』
あの時は、それで納得した。
実際、僕だって疲れていたし、巨大な魔物から逃げた吉田さんも疲れていて当然だと思った。
「……」
もう一度、空いた席を見る。
家の都合なんだから、あの時の様子とは関係ないのかもしれない。
それでも、何となく気になった。
「じゃあ出席を取るぞ」
黒田先生の声で前を向く。
いつも通り、一人ずつ名前が呼ばれていく。
ただ、昨日まで呼ばれていた名前が、一人分、今日は呼ばれなかった。
◇ ◇ ◇
「起立」
午前の授業が終わった。
先生が教室を出ていくと、一気に騒がしくなる。
僕も教科書を鞄にしまっていると、大和が話しかけてきた。
「飯行こうぜ」
「うん」
鞄から財布を取り出し、一緒に教室を出る。
廊下を歩きながら、さっきまで受けていた授業について話していたけど、途中でふと朝のことを思い出した。
「そういえばさ」
「ん?」
「吉田さん、転校するんだね」
「ああ。急だったな」
「うん……」
「どうした?」
大和が僕を見る。
「いや、この前ちょっと元気なかったから」
「あー……」
大和も思い出したらしい。
「あの時か」
「うん」
「でも家の都合なんだろ?」
「そうなんだけどね」
「なら関係ないんじゃね?」
「……だよね」
僕もそう思う。
そもそも、吉田さんとはほとんど話したことがない。
家の事情なんて何も知らない。
たまたま転校の時期と野外研修が重なっただけかもしれない。
その時、前を歩く一人の女子生徒の後ろ姿を見つける。
一ノ瀬さんだ。
「一ノ瀬さん!」
前を歩いていた一ノ瀬さんが振り返った。
僕は手を上げながら、彼女の元へ行く。
「今から食堂?よかったら一緒に食べない?」
僕が誘うと一ノ瀬さんは少しだけ俯くように答えた。
「ごめんなさい。今日は一人で食べたい気分なの」
「そっか。ごめんね、邪魔して」
一ノ瀬さんはそう言うと、そのまま食堂へ歩きだしてしまった。
疲れているんだろうか。
ちょっとは仲良くなれたと思ったんだけど。
「何か様子が変だったな」
「うん」
大和もちょっと引っ掛かっているようだが、あまり気にしてもしょうがないか。
「それより蓮」
「何?」
「今日、行くんだろ?」
「どこに?」
「研究室」
「うん」
榊原先生から、今日から研究室へ来るように言われていた。
時間までは指定されていないけど、たぶん放課後に行けばいいだろう。
「何されんだろうな」
「昨日も似たようなこと言ってなかった?」
「気になるだろ。人体実験とか」
「やめてよ」
「人類反撃の謎を解明するために、まずは解剖から――」
「絶対行かない」
「冗談だって」
笑う大和を無視して食堂へ向かう。
僕だって気になっている。
昨日、何度も試した。
身体の中を探った。
身体強化も使ってみた。
剣を握って、あの日と同じように剣に流そうとした。
でも、何も分からなかった。
榊原先生なら、本当に何か見つけられるんだろうか。
◇ ◇ ◇
午後の授業も特に変わったことはなかった。
座学。
基礎訓練。
そして最後のホームルーム。
「今日は以上。先日の研修で怪我をした奴は、少しでも異常があったらすぐに保健室へ行け。無理はするなよ」
黒田先生が教室を出ていく。
僕も帰る準備を始めた。
「じゃあな、蓮」
「うん」
「生きて帰ってこいよ」
「だから何されると思ってるの?」
「解剖?」
「もういいよ」
大和と別れ、教室を出る。
目指すのは保健室。
……で、いいんだよね。
『半分正解』
昨日の榊原先生の言葉を思い出す。
研究室もあると言っていたけど、その場所までは聞いていない。
とりあえず保健室へ行くしかない。
校舎を歩き、保健室の前までやってきた。
コンコン。
扉をノックする。
「どうぞー」
覚えのある声が中から聞こえた。
扉を開ける。
「失礼します」
榊原先生は白衣姿で机に座り、端末を操作していた。
振り返って僕を見ると、楽しそうに笑った。
「来たわね、適性二十一君」
「その呼び方やめてもらえません?」
「分かりやすくていいと思うんだけど」
「嫌です」
「そっかー。残念」
まったく残念そうには見えない。
榊原先生は端末を置いて立ち上がった。
「じゃあ、行こっか」
「どこにですか?」
「言ったでしょ?」
保健室の奥へ歩いていく。
そこにはこの部屋には似合わない重厚な扉があった。
榊原先生がポケットから取り出したカードをかざす。
ピッ。
小さな電子音が鳴り、ロックが外れた。
「ここが私の本当の仕事場」
扉が開く。
その向こうには、保健室とはまるで違う空間が広がっていた。
見たことのない機械。
壁際に並んだモニター。
机の上にはいくつもの測定器のような機器。
「……ここ、学校ですよね?」
「もちろん」
榊原先生が先に中へ入る。
「さて」
振り返る。
「一昨日の続きを始めましょうか」
僕も榊原先生の研究室へ足を踏み入れた。
自分の中にあるはずなのに、自分では見つけることすらできない力。
その正体を調べるための、最初の一歩だった。




