不思議な力
巨大な齧歯類型の視線が、僕だけに向けられている。
さっきまで一ノ瀬さん以外には見向きもしなかったはずなのに。
「朝倉君! 気を付けて!」
一ノ瀬さんの声が飛ぶ。
その直後、魔物が地面を蹴った。
「っ!」
速い。だけどさっきと比べて少し鋭さのようなものが無くなっている。
僕は身体強化を使い、横へ飛ぶ。
巨大な爪が目の前を通り過ぎた。
地面へ着地すると同時に身体を反転させ、すれ違った魔物の脇腹へ剣を振るう。
ザシュッ!
今度はさっきより深く入った。
魔物が甲高い鳴き声を上げる。
すぐに距離を取って、その身体を見る。
やっぱりだ。
剣で斬った場所を中心に、太く浮き出ていた血管が静まっていく。
僅かではあるが、異様に膨らんでいた身体も縮んでいるように見えた。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんも気付いたらしい。
「あいつ、また……!」
「うん」
見た目だけじゃない。
さっきまで感じていた巨大な気配。
それが僕が剣で斬った直後に少しだけ小さくなっている。
なぜかは僕にもわからない。
少し考えている間に、魔物が身体の向きを変えた。
今度は迷うことなく僕を見る。
「蓮!」
横から大和が飛び込んできた。
魔物の前脚が盾へ叩きつけられる。
ガァン!!
「ぐっ!」
大和の足が地面を滑る。
それでもさっきのように吹き飛ばされることはなかった。
「……あれ?」
大和自身も気付いたのか、盾の向こうから魔物を見る。
「さっきより軽いぞ、こいつ!」
やっぱり弱くなってる。
「朝倉君が斬ったから……?」
一ノ瀬さんが呟く。
「多分」
そうとしか言えない。
僕自身、何が起きているのか分かっていない。
ただ一つ分かるのは、自分の中にあるこの不思議な何かを流した剣で、あいつに傷を付ければ、あいつは弱体化する。
「だったら!」
僕の動きよりも早く、村上君が動いた。
大和が受け止めている横から魔物へ斬り掛かる。
剣が後脚を捉えた。
「ギィッ!」
魔物が身体を振る。
村上君が慌てて後ろへ跳んだ。
傷は入った。だけど――。
「くそ……」
村上君が呟く。
村上君が斬った場所の血管は、変化していない。
「やっぱり朝倉君の攻撃だけね」
一ノ瀬さんが僕を見る。
「何をしてるの?」
「分からない」
「本当に?」
「ただやり方はだんだん分かってきた」
魔物が大和を振り払い、こちらへ向かってくる。
僕は剣を構えた。
どうして僕の攻撃だけ通じるのか。
この感覚の正体はなんなのか。
考えてもわからない。
だけど、使えるなら使う。
身体の奥へ意識を向ける。
さっき感じたもの。
魔力とは違う。
静かに身体の中に存在している、何か。
それを腕へ。
そして剣へ。
「……これだ」
さっきよりもはっきりと分かる。
僕の準備が終わると同時に、魔物が飛び掛かってきた。
僕は身体強化を使って横へ踏み込む。
この不思議な力と魔力は問題なく、同時に扱える。
前脚を避け、そのまま懐へ。
すれ違いざまに剣を振り抜いた。
ザシュッ!
刃が魔物の後ろ脚を斬る。
「ギィィッ!」
魔物は大きく身体を揺らすと、すぐに後ろへ跳ぶ。
そして、また。
斬った場所から血管の脈動が弱まっていく。
「間違いないわ」
一ノ瀬さんが魔物を睨む。
「朝倉君が斬ると、こいつ弱くなってる」
「俺が斬っても駄目だったぞ」
村上君が自分の剣を見る。
そして、その後不思議そうに僕の剣を見た。
僕にもこれがなんなのかはわからない。
でも、確実に相手の力は削いでいる。
それが分かれば十分だ。
剣を握りなおす。
「もう一回」
魔物へ向かおうとした時だった。
「待って、朝倉君」
一ノ瀬さんに止められた。
「何?」
「一人で行かないで」
一ノ瀬さんが魔物を見る。
「あなたが斬れば弱くなるなら、私たちがサポートするわ」
大和が盾を構える。
「そういうことだな」
村上君も剣を構え直した。
「俺たちで隙を作る。朝倉は斬ることだけ考えろ」
「……分かった」
魔物が低く唸る。
狙っているのは僕。
だったら、さっきまでよりやりやすい。
今度は僕が囮になればいい。
「来るよ!」
魔物が地面を蹴った。
僕へ向かって一直線に走ってくる。
その瞬間に、待ち構えていた大和が横から割り込んだ。
「おらぁ!」
盾を魔物の顔へ叩きつける。
僅かに進路がずれた。
「村上!」
「分かってる!」
村上君が反対側から前脚を斬る。
魔物の身体が傾く。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんの声。
僕は地面を蹴った。
身体の奥にある何かを剣へ流す。
狙うのは、すでに何度も傷ついている脇腹。
「っ!」
剣を振り抜く。
今までで一番深く入った。
「ギィィィィッ!!」
魔物が絶叫する。
その巨体が大きく暴れ、僕たちは一斉に距離を取った。
ドクン。
ドクン。
全身に浮き出ていた血管が激しく脈打つ。
でも、その勢いは次第に弱くなっていった。
ドクン。
ドク……。
「見て!」
一ノ瀬さんが声を上げる。
魔物の身体が縮んでいた。
ほんの少しじゃない。
三メートル近くあった巨体が、明らかに一回り小さくなっている。
異様に盛り上がっていた筋肉も萎み、太く浮き出ていた血管もかなり減っていた。
「すげぇ……」
大和が呟く。
魔物がふらつきながら立ち上がる。
さっきまでとは明らかに違う。
弱ってる。
このまま続ければ――。
突然、魔物が顔を上げた。
「……?」
僕たちへ襲い掛かってくる様子はない。
その代わり、大きく口を開いた。
「ギィィィィィィィィッ!!」
甲高い鳴き声が森中へ響き渡った。
思わず耳を塞ぎたくなるほどの声。
「何よ、急に……」
一ノ瀬さんが顔をしかめる。
僕にも意味は分からなかった。
でも。
「……え?」
気配を感じる。
一つ、二つ。
いや、違う、もっとだ。
一つ一つは小さいけれど、数えられないくらいの気配がどんどん近づいてくる。
「まずい」
「どうした、蓮?」
大和が僕を見る。
「来る」
「何が?」
僕は周囲を見回した。
どんどん増えている。
しかも、全部こっちへ向かってきている。
「大量の魔物が……近付いてくる!」
「は?」
直後。
ガサッ。
近くの茂みが揺れた。
一匹の齧歯類型が飛び出してくる。
さらに別の茂み。
二匹。
三匹。
木々の向こうからも次々と姿を現す。
「嘘だろ……」
村上君が剣を構えた。
十匹どころじゃない。
まだ増えている。
「さっきの鳴き声で呼んだの?」
一ノ瀬さんが巨大な個体を見る。
その時だった。
一匹の齧歯類型が巨大な個体へ近づいていく。
仲間のもとへ集まっている。
最初はそう思った。
でも――。
巨大な個体が突然、その一匹へ噛みついた。
「え?」
大和が声を漏らす。
齧歯類型が暴れる。
構わず巨大な個体は顎に力を込め、その身体を噛み砕いた。
そして、そのまま飲み込んでいく。
「何して……」
ドクン!
巨大な個体の身体に残っていた血管が脈打った。
「まさか……」
僕は巨大な個体を見る。
さっき縮んだはずの身体。
それが僅かに膨らんでいる。
魔物から感じる気配も――。
また大きくなった。
「こいつ……」
僕は思わず声を漏らした。
「あいつらを食べて、元に戻ろうとしてる」
「はぁ!?」
大和が巨大な個体を見る。
次の齧歯類型が近づいていく。
「近寄らせちゃ駄目!」
一ノ瀬さんが右手を向けた。
「でも一ノ瀬さんの魔法は!」
「こいつに当てなきゃいいんでしょ!」
魔力が一ノ瀬さんの周囲へ広がる。
次の瞬間。
複数の火の矢が一斉に放たれた。
巨大な個体ではない。
周囲から集まってくる齧歯類型へ。
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
次々と高熱の矢が着弾する。
齧歯類型が吹き飛ばされ、巨大な個体へ近づこうとしていた群れに穴が開いた。
「村上君!」
「任せろ!」
炎を抜けてきた一匹へ村上君が斬り掛かる。
残る二人も盾と剣を構え、左右から近づいてくる齧歯類型を迎え撃った。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんが叫ぶ。
「こっちは私たちがやる!」
大和が僕を見る。
「蓮、お前はでかい方だ!」
「分かった!」
巨大な個体を見る。
こいつが呼んだ魔物は、みんなが抑えてくれる。
だったら僕は――。
「お前を倒す」
聞こえているのかは分からない。
それでも巨大な個体が僕を睨んだ。
そして地面を蹴る。
だけど、さっきより遅い。
回復できたのは、ほんの僅かだけのようだ。
見える。
僕も地面を蹴った。
巨大な爪を避ける。
すれ違いざまに後脚を斬る。
「ギィッ!」
また身体が縮む。
怒り狂った魔物が振り返る。
もう一度。
今度は正面から爪が飛んでくる。
だけど、そんな大振りな攻撃じゃ僕には当たらない。
身体を沈めて避ける。
その勢いを利用して、低姿勢で剣を振るう。
次は前脚。
傷は深くない。
だけど魔物がよろめいた。
「効いてる!」
大和の声が聞こえる。
巨大な個体が周囲を見る。
すぐ近くに仲間がいないか探しているようだ。
いや、仲間でもない。こいつにとってはただの栄養に過ぎないのだろう。
でもこいつの近くには一匹もいない。
一ノ瀬さんの魔法が群れを吹き飛ばし、抜けてきた個体を村上君たちが倒している。
「ギィィィッ!」
巨大な個体が再び鳴く。
さらに遠くから気配が増えた。
「まだ呼ぶの!?」
一ノ瀬さんが声を上げる。
「何匹でも来なさい! 雑魚なんて何匹いても変わらないわ!」
一ノ瀬さんの前に、いくつもの炎が浮かび上がった。
一斉に放たれる。
爆発音が連続して森に響く。
その音を聞きながら、僕は巨大な個体だけを見る。
もう一度、身体の奥へ意識を向ける。
最初は偶然だった。
でも今なら分かる。
身体の中にある魔力、そのさらに奥に存在する何かへ意識を向ける。
それを意識して動かす。
身体の奥から腕へ。
腕から手へ。
そして――剣へ。
見た目は何も変わらない。
剣が光るわけでもない。
でも、確かに流れている。
巨大な個体が僕へ飛び掛かる。
その動きも、もう最初ほど速くない。
前脚が振るわれる。
それを、敵の内側へ潜るように、あえて横へ避ける。
続けて噛みつこうと大きな口が迫ってきた。
狙いどおり。
落ち着いて一歩だけ下がる。
鋭い牙が目の前を通過す。
その瞬間、僕は踏み込んだ。
「これで!」
剣を振り抜く。
弱った今なら、僕の身体強化でも十分に刃を通せる。
刃が魔物の肩から胸元へ深く走った。
「ギィィィィィッ!!」
絶叫。
巨大な身体が僕の横を通り過ぎる。
数歩進んだところで、その動きが止まった。
ドクン。
魔物の全身に残っていた血管が脈打つ。
ドクン。
もう一度。
ドク……。
そして、止まった。
魔物の身体が揺れる。
異様に盛り上がっていた筋肉が萎んでいく。
太い血管が消えていく。
三メートル近くあった身体も、急速に縮み始めた。
僕が感じていた巨大な気配も、一気に小さくなっていく。
もう、最初に感じた異様な強さの気配は残っていない。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんの声が聞こえた。
僕は振り返る。
一ノ瀬さんも分かっていた。
「今なら!」
「分かってるわよ!」
一ノ瀬さんが巨大な個体へ右手を向ける。
今度は高熱の光線でも、巨大な火の鳥でもない。
掌の前に一つの火球が作られた。
今日、何度も見た魔法。
それが放たれる。
魔物は避けられない。
火球が真正面から直撃した。
ドンッ!!
爆炎が魔物を包み込む。
その身体が地面へ倒れた。
誰も動かない。
僕も剣を構えたまま、倒れた魔物を見る。
一秒。
二秒。
三秒。
動かない。
身体が膨らむこともない。
血管が脈打つこともない。
何も起こらなかった。
「……倒した?」
大和が呟く。
「多分……」
村上君も周囲を警戒しながら答える。
僕は魔物から感じていた気配を探す。
さっきまで嫌でも分かった巨大な気配。
それがもう――。
「うん」
剣を下ろす。
「倒したと思う」
その言葉を聞いた瞬間、大和がその場へ座り込んだ。
「マジかよ……」
「ちょっと! まだ周りにいるわよ!」
一ノ瀬さんの声が飛ぶ。
「あ」
巨大な個体へ集まっていた齧歯類型がまだ残っている。
ただ、様子がおかしい。
さっきまで一斉にこちらへ向かっていた個体たちが、動きを止めていた。
やがて一匹が背を向ける。
それを追うように、別の個体も森の中へ逃げていく。
「……帰ってく?」
村上君が呟く。
一匹。
また一匹。
齧歯類型は次々と森の奥へ消えていった。
しばらくして、周囲に静けさが戻る。
今度こそ大和が大きく息を吐いた。
「終わったぁ……」
「だから座らないでって」
そう言いながらも、一ノ瀬さんの声にもさっきまでの力はなかった。
僕もようやく身体から力を抜く。
その時だった。
「朝倉君」
「何?」
一ノ瀬さんが僕を見ていた。
「ありがとう。お陰で助かったわ」
一ノ瀬さんがじっと僕を見る。
お礼を口にする一方、僕の力に疑問を抱いているようだ。
疑われても困る。
僕だって知りたい。
自分の中にあった、あの不思議な何か。
魔力とは違う。
身体強化とも違う。
あれが何なのか。
考えていると、遠くから声が聞こえた。
「おーい!」
全員が振り返る。
「誰かいるか!」
森の向こうから複数の足音が近づいてくる。
やがて木々の間から姿を現したのは――。
「黒田先生!」
大和が立ち上がった。
黒田先生だけじゃない。
他の先生たちも一緒だった。
僕たちを見つけた黒田先生が駆け寄ってくる。
「無事か!?」
「なんとか……」
黒田先生は僕たちを一人ずつ確認する。
土だらけの制服。
細かな傷。
大和の盾。
僕の剣。
そして。
その視線が、地面に倒れている魔物で止まった。
「……何だ、これは」
黒田先生の表情が変わる。
他の先生たちも言葉を失っていた。
当然だと思う。
縮んだとはいえ、他の齧歯類型と比べても明らかに大きい。
黒田先生がゆっくりと魔物へ近づく。
焼け焦げた身体。
全身に残る傷。
そして通常の齧歯類型とは明らかに違う大きさ。
しばらく観察した後、黒田先生がこちらを振り返った。
「まさか……」
その視線が僕たち全員を順番に見る。
「これを、お前たちが倒したのか?」
誰もすぐには答えなかった。
大和が僕を見る。
村上君も僕を見る。
そして一ノ瀬さんまで僕を見た。
「……なんで僕を見るの?」
思わずそう聞くと、一ノ瀬さんが呆れたように息を吐いた。
「そりゃ見るでしょ」
僕はもう一度、自分の剣へ視線を落とした。
あの力が何だったのか。
僕自身にも、まだ何も分からなかった。




