共闘
「……何だ、これ」
目の前の魔物から感じる何か。
森の中で何度も感じていたものと同じはずなのに、その大きさがまるで違う。
これまでの齧歯類型が小さな点だとしたら、目の前にいるこいつは――。
「何してるの! 早く逃げて!」
一ノ瀬さんの声で我に返る。
巨大な齧歯類型は僕たちには目も向けず、一ノ瀬さんだけを睨んでいた。
「逃げるって、一ノ瀬はどうするんだよ!」
大和が聞き返す。
「私はこいつを引きつける! あなたたちはその間に管理棟へ戻って!」
「無理だよ」
僕は一ノ瀬さんの言葉を遮った。
「……何ですって?」
「僕たちは齧歯類型の群れを避けるために、かなり遠回りしてここまで来たんだ。この辺りから管理棟まではまだかなり距離がある」
一ノ瀬さんの表情が僅かに曇る。
「それに一ノ瀬さん、ずっとあいつから逃げてたんでしょ?」
改めて見れば、制服の所々に土が付き、髪も乱れている。
何より、肩が大きく上下していた。
「……まだ走れるわよ」
「でも、このままずっと逃げ続けるのは無理でしょ」
「それくらい分かってるわよ」
一ノ瀬さんは少し苛立ったように答えると、巨大な魔物へ視線を戻した。
「ただ……あいつ、最初に戦った時より、たぶん速くなってる」
「速く?」
「ダメージは与えているはず。なのに弱るどころか、動きは速くなってる」
一ノ瀬さんの視線が、魔物の傷だらけの身体へ向けられる。
「だからって、ここで立ち止まるわけにもいかないでしょ」
「だったら、なおさら一人じゃなくて全員で戦った方がいい」
僕が言うと、大和も一ノ瀬さんの前へ出た。
「そういうことだ。一人で格好つけんなよ」
「誰が格好つけてるのよ!」
「そういうところだろ」
「あなたね……!」
巨大な齧歯類型が低い鳴き声を漏らした。
その巨体が僅かに沈む。
「二人とも、来る!」
僕が叫ぶ。
一ノ瀬さんは一瞬だけ僕たちを見ると、大きく息を吐いた。
「あぁもう! 分かったわよ!」
魔物へ向き直り、右手を前へ構える。
「一緒に倒すわよ!」
その直後、魔物が地面を蹴った。
狙いはやはり一ノ瀬さんだ。
「させるか!」
大和が前へ出る。
身体強化を使った大和の全身を魔力が覆う。
以前のように大量の魔力を一気に流し込んでいるわけではない。
必要な分だけ。
黒田先生に指摘されてから、大和もずっと練習していた。
巨大な前脚と大和が構えた盾が正面からぶつかる。
ガァン!!
「ぐっ……!」
大和の足が地面を滑った。
靴底が土を削り、二メートル近く押し込まれる。
それでも倒れない。
「重っ……!」
「大和!」
「大丈夫だ! まだいける!」
大和が歯を食いしばりながら盾を押し返す。
魔物の動きが止まった。
その横から村上君が飛び込む。
「ここだ!」
剣が振り下ろされた。
狙ったのは、すでに毛が焼け落ちている脇腹。
刃が皮膚へ食い込む。
魔物が甲高い鳴き声を上げた。
効いている。
けれど、魔物は村上君へ顔を向けようともしない。
その目は大和の向こうにいる一ノ瀬さんだけを捉えている。
「本当に一ノ瀬さんしか見てない……」
ここまで徹底しているなら、逆に利用できるかもしれない。
魔物が大和から離れる。
一ノ瀬さんへ向かって身体の向きを変えた。
僕はその動きを見る。
人間とはまるで違う四足歩行。
だけど、犬型の魔物と戦った時に少しだけ分かったことがある。
四本の脚の動きや身体の傾き、地面を蹴る直前の重心の変化。
四足歩行の魔物にも、動き出す前の兆候はある。
そして何より、こいつが狙う相手は分かっている。
「一ノ瀬さん、右へ!」
「え?」
「右に走って!」
一ノ瀬さんは一瞬だけ僕を見ると、すぐに右へ駆け出した。
同時に魔物が地面を蹴る。
やっぱりだ。
一ノ瀬さんを追って、進行方向を変えた。
「村上君!」
「おう!」
村上君が反対側から回り込む。
一ノ瀬さんしか見ていない魔物の死角。
先ほどと同じ脇腹へ剣が入った。
今度は深い。
「ギィィッ!」
魔物の身体が大きく揺れる。
「いける!」
大和が声を上げた。
僕もそう思った。
強い。
でも、動きが分からないわけじゃない。
一ノ瀬さんしか狙わないなら、次にどこへ向かうのかも予想できる。
「一ノ瀬さん、そのまま距離を取って!」
「分かったわ!」
今度は一ノ瀬さんもすぐに動いた。
さっきまで一人で戦っていた時とは違う。
一ノ瀬さんが魔物を引きつける。
大和が正面から動きを止める。
村上君が傷を狙う。
僕は魔物の動きを見ながら、二人へ声を掛ける。
残る二人も左右から牽制していた。
少しずつだけど、戦えている。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんの声。
見ると、一ノ瀬さんが魔物から大きく距離を取っていた。
「少しだけ止められる!?」
その右手に大量の魔力が集まり始めている。
「大和!」
「任せろ!」
大和が盾を構え直す。
魔物が一ノ瀬さんへ向かって走り出した。
その進路へ大和が飛び込む。
ガァン!!
「ぐぅっ!」
さっきよりも強い。
大和の身体が大きく後ろへ押される。
それでも身体強化を維持したまま踏ん張った。
「村上君!」
「分かってる!」
村上君の剣が魔物の前脚へ振り下ろされる。
魔物の体勢が崩れた。
「今!」
僕が叫ぶ。
一ノ瀬さんが右手を突き出した。
集まっていた膨大な魔力が一点へと収束していく。
今までのように炎の塊へ変えるのではない。
凄まじい熱が極限まで圧縮され、眩い光となって一ノ瀬さんの右手の前へ集まっていく。
「これで――!」
次の瞬間、眩い光線が一直線に放たれた。
ズドン!!
高熱の光線が魔物の脇腹へ突き刺さり、その表面を焼き抉る。
巨体が大きく弾き飛ばされた。
地面を何度も転がり、そのまま太い木の幹へ激突する。
「やったか!?」
大和が叫ぶ。
僕たちは倒れた魔物を見る。
動かない。
光線が直撃した脇腹は大きく焼け焦げ、その中心には深く抉られた傷が残っていた。
さすがに、これなら――。
ドクン。
「……え?」
何かを感じた。
ドクン。
魔物の皮膚に浮かび上がった血管が大きく脈打つ。
その瞬間だった。
さっき一ノ瀬さんが放った魔法。
その後に周囲へ残っていた何かが、倒れた魔物へ集まっていくような感覚がした。
目には見えない。
でも、なぜか分かる。
「何だ……?」
魔物の前脚が動いた。
「嘘でしょ……」
一ノ瀬さんの表情が強張る。
魔物が立ち上がる。
傷は消えていない。
焼け焦げた身体もそのままだ。
なのに。
ドクン。
ドクン。
全身の血管が激しく脈打つ。
次の瞬間、魔物の姿が消えた。
「え――」
違う。
速い。
「大和!」
僕が叫んだ時には、巨大な前脚が盾へ叩きつけられていた。
ガァン!!
「うおっ!?」
大和の身体が宙を浮く。
そのまま数メートル先の地面へ転がった。
「大和!」
「だ、大丈夫だ……!」
声は返ってくる。
でも、さっきまでとは明らかに違う。
一ノ瀬さんもそれに気付いたのか、自分の右手を見つめた。
「……まさか」
「一ノ瀬さん?」
「私が攻撃するたびに……強くなってる?」
その言葉に全員の動きが止まる。
確証はない。
でも僕にも、さっきの光景が引っ掛かっていた。
一ノ瀬さんの魔法が直撃した直後。
あいつの中に何かが流れ込んだ。
そんな気がした。
「だったら、もう一度試せば――」
一ノ瀬さんの右手に魔力が集まり始める。
「待って!」
思わず叫んだ。
一ノ瀬さんの動きが止まる。
「何よ!」
「分からないけど……多分、撃たない方がいい」
「でも!」
巨大な齧歯類型がこちらを見る。
いや。
見ているのは一ノ瀬さんだ。
また身体が沈む。
「来る!」
魔物が飛び出した。
速い。
一ノ瀬さんが横へ跳ぼうとする。
でも、さっきまで走り続けていた疲労が残っている。
僅かに反応が遅れた。
間に合わない。
僕は地面を蹴った。
「一ノ瀬さん!」
「えっ!?」
一ノ瀬さんの前へ飛び込む。
剣を構える。
巨大な前脚が迫る。
受け止められるわけがない。
そんなことは分かっている。
それでも――。
ガァン!!
「ぐっ!」
腕に凄まじい衝撃が走った。
身体が吹き飛ばされる。
地面に叩きつけられ、そのまま何度も転がった。
「朝倉君!」
痛い。
腕だけじゃない。
背中も肩も全部痛い。
それでも剣は離していなかった。
「蓮!」
大和の声が聞こえる。
僕は剣を地面について立ち上がった。
「大丈夫……」
魔物がこちらを見る。
いや。
まだ一ノ瀬さんを見ている。
僕なんて眼中にない。
また一ノ瀬さんへ向かおうとしている。
止めないと。
そう思った。
身体強化。
いつものように魔力を全身へ流そうとする。
その時だった。
「……え?」
何かが違う。
身体の奥に、これまで意識したことのない何かがある。
魔力とは違う。
激しく身体を強くするような感覚でもない。
むしろ逆だった。
不思議なくらい静かだった。
これまで一度も感じたことのない感覚。
それなのに、なぜか怖くはない。
身体の奥からゆっくりと広がり、腕を通って、握っている剣へと流れていく。
「何だ、これ……」
考えている時間はなかった。
魔物が地面を蹴る。
一ノ瀬さんへ向かう。
僕も走った。
さっきまでより速くなったわけじゃない。
力が増した感覚もない。
それでも、魔物の動きがはっきりと分かる。
右の前脚が地面を踏み、身体が沈む。
次に左へ重心が移る。
僕はその横を抜けた。
剣を振るう。
ザッ。
浅い。
刃が魔物の前脚を掠めただけだった。
「朝倉君!」
一ノ瀬さんの声が聞こえる。
失敗した。
そう思った。
でも――。
「ギ……?」
魔物が止まった。
「え?」
僕も足を止める。
魔物が自分の前脚を見る。
僕の剣が触れた場所。
傷は浅い。
血が僅かに滲んでいる程度だ。
なのに。
ドクン、ドクンと激しく脈打っていた血管が、その周囲だけ静かになっていた。
「何……?」
一ノ瀬さんが呟く。
魔物の前脚が僅かに細くなる。
膨れ上がっていた筋肉が、元へ戻っていくように縮んでいた。
僕にも分かった。
さっきまであの魔物から感じていた巨大な何か。
その一部が――消えている。
「朝倉君」
一ノ瀬さんが僕を見る。
「今、何したの?」
「……分からない」
本当に分からない。
ただ剣を振っただけだ。
いつもと違う何かが身体の中にあって、それが剣へ流れた。
それだけ。
巨大な齧歯類型がゆっくりと顔を上げる。
その視線が一ノ瀬さんから離れた。
「……え?」
初めてだった。
あれだけ一ノ瀬さんだけを追い続けていた魔物が、僕を見ている。
低い鳴き声が響く。
僕にはその意味なんて分からない。
それでも――。
なぜか一つだけ確信できた。
こいつは今、僕を敵だと認識した。




