校外研修
窓の外を流れていた街並みは、いつの間にか山と森に変わっていた。
学校を出発してから一時間ほど。僕たち一年生を乗せたバスは、山間を走る道路を進んでいる。
「やっと魔物と戦えるな」
隣に座る大和が、朝から何度目か分からない言葉を口にした。
「楽しそうだね」
「そりゃ楽しみだろ。ディフェンダーになるために学校入ったんだから」
そう言って、大和は窓の外へ目を向ける。
僕も同じように景色を眺めた。
今日行われるのは、一年生になって初めての郊外研修。
これまで演習場で身体強化や魔法、対人戦闘の訓練をしてきたけど、今日は違う。実際の魔物を相手にする。
僕にとっても、本物の魔物と戦うのは初めてだ。
怖くないと言えば嘘になる。魔物がどんな存在なのかは知っているし、僕から両親を奪ったのも魔物だ。
それでも、逃げたいとは思わなかった。
いつかディフェンダーになれば、嫌でも魔物と戦うことになる。誰かを守らなければならない時に、初めてだからなんて言い訳はできないから。
「あれじゃない?」
大和の声で顔を上げると、進行方向に巨大な壁が見えていた。
山の斜面に沿うように伸びる灰色の壁は、バスが近づいても端が見えない。
「でっか……」
大和が呟く。
僕も同じことを思った。
バスは壁沿いにしばらく走り、大きなゲートの前で速度を落とす。
ゆっくりと開いたゲートの向こうにあったのは、どこにでもありそうな広大な森だった。
◇ ◇ ◇
「全員いるな」
バスを降りた僕たちの前に、黒田先生が立つ。
その後ろには、先ほどバスの中から見えた森が広がっていた。
ここはディフェンダーの訓練施設。
高い外周壁で囲われた広大な敷地の中に、実際の魔物が生息している。
もちろん、野生の魔物を無秩序に放しているわけではない。生息しているのは訓練用に管理された低危険度の魔物だけで、職員が定期的に個体数や状態を確認し、危険な個体がいれば排除される。
「今日お前たちにやってもらうのは、魔物の発見から討伐までだ」
黒田先生が森を指す。
「演習場みたいに、相手が目の前で待ってくれてると思うなよ。実際にディフェンダーとして現場に出れば、まず魔物を見つけるところから始まることも多い」
先生の前には、小さな端末がいくつも並べられていた。大きさはスマートフォンより一回り小さいくらいだ。
「班は五人一組。森に入った後は基本的に班単位で行動してもらう。各班に一台、緊急用の端末を渡す」
黒田先生がそのうちの一台を持ち上げた。
「側面の赤いボタンを押せば、現在位置と救援信号が管理棟へ送られる。怪我人が出た、自分たちでは対処できない魔物に遭遇した、その他何か異常があった場合は迷わず押せ」
大和が興味深そうに端末を覗き込んでいる。
「俺たち教師と施設のディフェンダーも区画内を巡回する。ただし、全部の班に付きっきりになるわけじゃない」
そこで黒田先生は僕たちを見回した。
「自分たちで見つけて、自分たちで考えて、自分たちで戦う。そこまで含めて今回の研修だ」
先生の表情が僅かに険しくなる。
「ここにいるのは低危険度の魔物だけだ。それでも魔物は魔物だ。訓練用の相手だからと油断するなよ」
僕たちは揃って返事をする。
その後は事前に決められていた班ごとに分かれ、順番に緊急用の端末を受け取っていった。
僕の班は大和と村上君、それから同じクラスの男子一人と女子一人。
緊急用の端末は大和が持つことになった。
「なんで俺?」
「一番頑丈そうだから」
村上君が即答する。
「端末持つのに頑丈さ関係あるか?」
「なくすなよ」
「なくさねえよ!」
そんなやり取りをしながら、僕たちは森の中へ入っていった。
◇ ◇ ◇
森へ入って十分ほど経ったけど、魔物はまだ一匹も見つかっていない。
「……いないな」
大和が声を抑えながら周囲を見回す。
「そんな簡単に見つかったら索敵訓練にならないんじゃない?」
「それはそうだけどさ。もうちょっとこう……入った瞬間に茂みからガサガサッて」
「それ、普通に奇襲されてない?」
「確かに」
村上君が呆れたように笑った。
森自体は、普通の森と大きく変わらない。
木々の間から日が差し込み、風が吹けば葉が揺れる。鳥の鳴き声も聞こえていて、ここに魔物がいると言われなければ、普通に山へ遊びに来たようにも思える。
そのまま歩いていた時、不意に足が止まった。
「……?」
何かを感じた。
音がしたわけでも、何かが動いたのを見たわけでもない。それなのに、右前方の木々の向こうに何かがいるような気がする。
「蓮?」
僕が立ち止まったことに気付いた大和が振り返る。
「ちょっと待って」
意識をそちらへ向けてみるけど、やっぱり何も見えない。
僕は周囲を注意深く観察する。
すると湿った土の上に、何かが踏み込んだような跡があることに気付いた。その少し先では、何本かの草が同じ方向へ倒れている。
「……あっちにいるかもしれない」
僕が指を差す。
「分かるのか?」
「分からない。でも、なんとなく」
「またなんとなくかよ」
大和が苦笑する。
自分でも上手く説明できない。
もしかすると、無意識に足跡でも目に入っていたのかもしれない。
「行ってみる?」
村上君が剣へ手を掛ける。
「うん」
全員で声を落とし、僕が指した方向へ進んでいく。
二十メートルほど歩いたところで、先頭を歩いていた大和が足を止めた。
木々の隙間に、一匹の獣がいた。
犬に似ている。
ただ、僕の知っている犬よりも明らかに大きく、身体を覆う灰色の毛は所々抜け落ち、その下から黒ずんだ皮膚が覗いている。
何より目についたのは、口元から覗く長い牙だった。
「……本当にいた」
大和が呟く。
犬型の魔物がこちらに気付き、低く唸った。
その瞬間、さっきまでとは空気が変わったように感じた。
写真や映像では何度も見たことがある。
でも今、目の前にいる魔物は僕たちを敵として見ている。
「俺が前に出る」
大和が盾を構えた。
さっきまでの軽い調子は消えている。
僕たちもそれぞれ武器を構えると、犬型の魔物が真っ直ぐ大和へ向かって走り出した。
「来い!」
大和が身体強化を発動する。
犬型が勢いよく地面を蹴り、そのまま大和へ飛び掛かった。
ガンッ!
牙が盾へぶつかり、大和の身体が僅かに後ろへ押される。
「っ……!」
それでも倒れない。
大和は両脚で地面を踏み締めると、盾を前へ押し返した。
「今!」
「おう!」
横から村上君が飛び出した。
身体強化を乗せた剣が犬型の首元を捉え、その身体が地面へ叩きつけられる。
僕たちはすぐには武器を下ろさず、魔物の様子を窺った。
少しだけ身体が動いた後、そのまま完全に動かなくなる。
「……倒した?」
大和が盾の向こうから顔を出す。
「多分」
「多分って怖いこと言うなよ」
村上君も警戒しながら近づき、しばらく待ってからようやく剣を下ろした。
「よっしゃ!」
大和と村上君が手を合わせる。
「思ったより普通にいけたな」
「大和がちゃんと止めてくれたからだよ」
僕が言うと、大和が嬉しそうに盾を見る。
「だろ?」
前の訓練で言われたことも、ちゃんと守っていた。
必要以上に魔力を使うのではなく、魔物の突進を受け止めるために必要な分だけ身体へ回していた。
「でも、結構怖かったな」
村上君が倒れた魔物を見る。
「分かる」
映像で見るのとは全然違う。
本当に自分たちへ牙を向けてくる。それだけで、感じるものが大きく変わる。
僕たちは初めて倒した魔物を後にして、さらに森の奥へ進んだ。
◇ ◇ ◇
二匹目を見つけたのは、それから十五分ほど経った頃だった。
今度も犬型。
僕たちに気付くなり、低い唸り声を上げながら近づいてくる。
「次、俺行こうか?」
村上君が剣へ手を掛ける。
「僕がやってみてもいい?」
「朝倉が?」
「うん」
僕は剣を抜いた。
僕の体格に合わせた少し小振りな剣。これまで使っていた訓練用と違って、もちろん今日は真剣だ。
犬型と向かい合う。
やっぱり人間とは全然違う。
四本の脚で低く構え、武器を持っているわけでもない。人間のような分かりやすい構えもないから、どこを見れば次の動きが分かるのかもまだ掴めない。
犬型が地面を蹴り、勢いよくこちらへ向かってくる。
僕も身体強化を発動し、その動きを注意深く見る。
前脚が地面を蹴った直後、犬型の身体が一気に跳ね上がった。
「っ!」
横へ大きく避ける。
すぐ近くを牙が通り過ぎた。
思っていたより読みにくい。
人間なら肩や腰を見ることで、ある程度次の動きが分かる。でも四足歩行の生き物は身体の使い方そのものが違う。
犬型が振り返り、再びこちらへ身体を向ける。
僕も剣を構え直した。
今度は一部分だけを見るのではなく、身体全体へ意識を向ける。
前脚の位置や頭の向き、腰の高さ。そして、後ろ脚に掛かる力。
犬型が僅かに身体を沈めた。
来る。
地面を蹴る直前に横へ動く。
さっきより余裕を持って避けることができた。
「なるほど」
少し分かってきた。
人間と同じようにはいかないけど、全く読めないわけでもない。
犬型が再びこちらへ身体を向ける。
そこで黒田先生に言われたことを思い出した。
相手に何をさせたいのか。
僕は待つのをやめ、自分から犬型との距離を詰めた。
向こうが反応して身体を沈める。
さらに一歩。
僕が近づいたことで、犬型は攻撃を選んだ。
後ろ脚へ力が入る。
来る。
犬型が地面を蹴った瞬間には、僕も動いていた。
牙の軌道から身体を外し、すれ違う。
そして、魔物が着地する場所へ先回りするように剣を振るった。
手に重い感触が伝わる。
犬型の身体が地面へ転がった。
僕はすぐに距離を取り、剣を構えたまま様子を見る。
でも、もう起き上がってこなかった。
「……倒した」
思わず息を吐く。
「いや、普通にすげえな」
後ろから大和の声がした。
「二回目でもう動き読んでなかった?」
「なんとなくね」
「またそれか」
大和が笑う。
でも、僕自身は少し嬉しかった。
人間じゃなくても使える。
今まで練習してきたことは、ちゃんと魔物にも通用する。
それが分かっただけでも大きかった。
◇ ◇ ◇
その後も僕たちは森を進み、途中でもう一匹犬型を見つけた。
今度は残りの二人を中心に戦い、多少時間は掛かったものの危なげなく討伐する。
今のところ研修は順調だった。
「ネズミみたいなのもいるって言ってたよな?」
大和が歩きながら言う。
「齧歯類型ね」
村上君が訂正する。
「同じだろ」
「全然違うだろ」
「ネズミも齧歯類だろ?」
「そういう問題じゃなくて――」
二人がそんな話をしていた、その時だった。
ドォォォン!!
森の奥から突然轟音が響いた。
近くの木々から鳥たちが一斉に飛び立ち、大和が反射的に盾を構える。
「な、なんだ今の!?」
村上君もすぐに剣へ手を掛けた。
僕は音のした方向を見る。
魔物かとも思ったけど、この音にはどこか聞き覚えがある。
「……多分、一ノ瀬さんじゃない?」
全員が僕を見る。
「なんでそんな冷静なんだよ」
「だって、他にあんな音出せる人、いないと思わない?」
大和がしばらく音のした方向を見つめた後、小さく頷いた。
「……確かに」
僕たちは顔を見合わせた。
◇ ◇ ◇
森の別の場所。
もうもうと立ち込める煙の中から、深く抉れた地面が姿を現した。
つい先ほどまでそこにいたはずの犬型の魔物は、影も形も残っていない。魔法の直撃を受け、その身体は完全に消滅していた。
「す、すごいね……一ノ瀬さん」
同じ班の女子生徒が、呆然とした様子で声を掛ける。
一ノ瀬凛は抉れた地面を見つめた後、何でもないことのように髪を払った。
「これくらい当然よ」
いつもと変わらない自信に満ちた声だったが、一ノ瀬の視線はもう一度抉れた地面へ向けられる。
初めて実際の魔物を相手にしたことで、自分でも気付かないうちに少し力が入っていたらしい。本来なら、ここまでの威力は必要なかった。
「……次はもう少し抑えないと」
今度は誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
◇ ◇ ◇
その轟音は、地上だけに響いていたわけではない。
森の地下。
複雑に伸びた巣穴のさらに奥で、巨大な影が伏せていた。
地上から伝わってきた振動によって巣穴の天井から土が落ち、巨大な齧歯類型の耳が僅かに動く。
やがて頭を上げると、暗闇の中で鼻先を何度も動かした。
遠い。
それでも、感じる。
地上のどこかで、これまでとは比べものにならないほど大量の魔素が放出された。
巨大な個体が立ち上がる。
周囲には十分に成長した齧歯類型の魔物が何匹もおり、さらにその奥の細い巣穴や地上にも、同じ個体から生まれた魔物たちが森の至るところに散らばっている。
巨大な個体が低い鳴き声を上げると、それに応えるように暗い巣穴のあちこちから鳴き声が返ってきた。
やがて、一匹、また一匹と齧歯類型の魔物たちが動き始める。
巨大な個体も地上へ続く巣穴へ身体を向けた。
地上のどこかで感じた、これまでとは比べものにならないほど濃密な魔素。
長い間、同族を喰らい続けてきた魔物は、その気配を追うように暗闇の中を進み始めた。
より質の良い餌を求めて。




