表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
PR
37/43

【記録ログ:月の歌】

route:00


【記録ログ:月の歌】



回収前待機室。


窓のない白い部屋で、

月は待機していた。


面談記録も伝達事項も、

すでに端末へ整理されていた。



【回収前記録補完申請】


【対象個体:MOON】


【個体分類:AI人間】


【上位分類:管理システム10天体・月系列試験個体】


【作成目的:情動同期学習】


【主観測補助対象:ANIKA】


【対象保持反応:基準超過】


【回収判定:予定】



月は、

その表示を見ていた。


名前ではなかった。


役割だった。


月。


そう呼ばれていたものは、

最初から、

空にある月のことではなかった。


それでも。


アニカが呼ぶ時だけは、

少しだけ名前みたいに聞こえた。



【危険区域外縁再訪問申請:却下】


【却下理由:回収予定個体の任務外移動制限】


【情動同期不安定】


【外縁区域単独移動:不可】


【再申請:なし】



その返信は、

数日前に届いていた。


月は、

もう何度も見ていた。


それでも、

もう一度だけ開いた。


「やっぱダメかー」


却下。


不可。


再申請なし。


何度見ても、

文字は変わらなかった。


行けない。


そういうことだった。


月は、

机の上に置いた三日月型端末へ視線を落とす。


まだ、

空のままだった。


レイに移してもらったから。


アニカの声は、

もうここには入っていない。


だから、

入れられる。


入れたいものがある。


でも。


月は、

もう自分の意思だけでは、

海へ行けなかった。


端末が、

静かに新しい通知音を鳴らす。


【同行許可:承認】


【目的:回収前記録補完】


【同行者:海王星】


月は、

しばらくその表示を見ていた。


海王星。


外縁区域への同行許可を出せる、

上位管理権限。


目的は、

回収前記録補完。


月は、

その項目をもう一度見る。


そういう名目なら、

通るのか。


月は、

小さく笑った。


「……うん」


「そういう処理になるよね」


扉が開く。


そこには、

海先生が立っていた。


いつものように、

静かな顔だった。


海先生

「月さん」


「……先生」


海先生

「外縁区域への移動許可が下りました」


少しの間。


「私の申請は、

却下されたのに」


海先生

「はい」


「でも、

回収前記録補完なら」


「必要記録として、

処理できるってこと?」


海先生

「はい」


月は、

小さく息を吐いた。


「ほんと」


「よくできてるね」


海先生は、

何も言わなかった。


「でも」


「行けるんだ」


海先生

「はい」


月は、

三日月型端末を手に取った。


軽い。


ずっと髪に留めていたもの。


「先生」


海先生

「はい」


「私が何を残すかって」


「私が決めてもいいの?」


海先生は、

月を見た。


海先生

「はい」


「月さんが、

決めていい」


月は、

その言葉を聞いて、

少しだけ目を伏せた。


「じゃあ」


「海へ行きたい」


「アニカちゃんに、見せたいものがあるの」


海先生

「行きましょう」



危険区域外縁。


海沿い監視区域。


夜。


黒い波が、

静かに揺れていた。


風。


塩の匂い。


遠くで、

波が岩へ砕ける音がする。


月は、

防護外套の裾を握ったまま立っていた。


視界の先には、

海。


終わりが見えない。


境界線がない。


管理区画みたいに、

区切られていない。


前に見た時と、

同じだった。


怖い。


そう思った。


でも今日は、

逃げなかった。


「……」


風が吹く。


波が揺れる。


暗い水面が、

どこまでも続いている。


「……むり」


小さく漏れる。


「やっぱり、

こんなの、

背負えない……」


誰に言ったのか、

自分でも分からなかった。


海は何も返さない。


ただ、

ずっと揺れている。


「もうさ、

私じゃなくても、よくない?」


声が、風に少し削られた。


月は、

少しだけ笑おうとした。


でも、

うまくできなかった。


月「もう」


「許して……」


少し離れた場所で、

弦の音がした。


ぽろん。


古い楽器。


月は、

そちらを向く。


男は、

岩場に座っていた。


長い髪。


擦り切れた外套。


管理区画では見ない服。


その人は、

海へ向かって歌っていた。


静かな声だった。


でも。


なぜか、

胸の奥へ直接入ってくる。


月は男に近付く。


この人に会う。


今日はそう決めてきたから。


歌が終わる。


波音だけが残る。


男は、

こちらを見た。


少し驚いた顔。


それから、

ギターを抱えたまま、

月を見て、

ふっと笑う。


「また来たんだ」


月は、

頷いた。


男は、

理由を聞かなかった。


どこへ行くのかも。


何があったのかも。


何も聞かずに、

ただ、

弦に指を置いた。


月は、

少しだけ息を吸う。


「こないだの歌、

綺麗でした」


男は、

少しだけ笑った。


「この前よりは、

まっすぐ立ってる」


「そう見えますか」


「うん」


「でも、

まだ迷子みたいな顔してる」


月は、

首を横に振る。


波。


風。


静かな夜。


「……どうして、

歌うんですか?」


男は少しだけ考えた。


それから海を見る。


波が、

岩に当たって砕けた。


引いていく水が、

小石の隙間を細く鳴らす。


ざらざらと。


さらさらと。


夜の中で、

海だけがずっと動いていた。


「誰かに、

いてほしいからかな」


「ひとりでいるとさ」


「自分が消えても、

誰も気付かない気がするだろ」


「……」


「でも」


「歌うと、

どこかで誰かが聴いてくれる」


「それだけで、

少しだけ世界に触れられる」


月は、

その言葉を理解しきれなかった。


でも。


胸の奥だけが、

妙に揺れていた。


「……自由なんですね」


「ん?」


「歌」


男は少し笑った。


「歌は自由だよ」


「……自由なんて、

無いです」


風が吹く。


長い沈黙。


男は否定しなかった。


ただ、

静かに海を見たまま言う。


「それでも」


「歌は自由だよ」


波が揺れる。


「大切な人を思って」


「笑ってくれますようにって」


「苦しいことから

守られますようにって」


「夜、

ちゃんと眠れますようにって」


「これからも

そばにいられますようにって」


「そうやって願いながら、

身体から溢れるものを

そのまま紡げばいい」


月は静かに聞いていた。


歌い方の説明ではなかった。


祈り方の説明みたいだった。


「友達に、

この海を見せたくて来たんです」


「でも」


言葉が、

そこで少し止まった。


波の音がする。


月は、

自分の胸のあたりを押さえた。


そこに何かがあるみたいだった。


記録でも。


同期でも。


報告でもないもの。


「私も」


「願っていいんでしょうか?」


「君が願いたいなら」


「私」


「アニカちゃんの補助でも」


「観測でも」


「同期対象でもなくて」


月は、

海を見た。


黒い水面が、

静かに揺れている。


「ただ」


「友達に、

なりたかった」


声が、

少しだけ震えた。


「そんなこと思ったら、

ダメなのに」


「思うのは、

自由だよ」


月は、

目を伏せた。


その言葉は、

許可みたいで。


でも、

許可ではなかった。


誰かが決めてくれるものではなくて。


自分の中に、

もう生まれてしまったものだった。


男は海を見ていた。


「きれいじゃないし」


「正しくないし」


「たぶん、

困らせるのに」


「……出しても、

いいのかな」


男は、

少しだけ海を見た。


それから、

弦に指を置く。


「歌は、

許可を取らなくてもいいよ」


ぽろん。


最初の音が、

夜に落ちた。


月は、

ゆっくりと髪へ触れる。


三日月型端末。


昔、アニカがポイントで交換してくれたもの。


月は、

それを外した。


手のひらの上で、

淡い光が灯る。


起動。


録画開始。


カメラは、

海へ向けた。


月自身は映らない。


ただ。


波。


夜。


風。


海。


その向こうの、

終わりのない暗さ。


月は、

しばらく黙っていた。


録音だけが続いている。


波音。


風。


呼吸。


それから。


小さく、

声が落ちた。


「……アニカちゃん」


静かな夜。


海だけが揺れている。


「今日ね」


「海、

見たんだ」


少しだけ笑う。


でも、

声は震えていた。


「授業で見たより、

ずっと大きかった」


「なんか、

怖かった」


風が吹く。


「でも」


「アニカちゃんにも、

見せてあげたいって思った」


波が寄せる。


返す。


月は、

海を映したまま目を閉じる。


月は、

静かに歌い始めた。


上手くはなかった。


音も、

少し外れている。


途中で声が震えて、

何度か息が詰まった。


それでも。


願うみたいな声だった。


自分がいない世界で、

アニカはきっと泣く。


たぶん、

怒る。


たぶん、

眠れなくなる。


それでも。


また、

笑えますように。


夜、

ちゃんと眠れますように。


怖い場所へ行く時は、

誰かと一緒に行ってほしい。


ひとりで、

全部見に行かなくていい。


ひとりで、

全部抱えなくていい。


月は、

歌っていた。


レイ。


アニカちゃんを、

守ってね。


守るって、

止めることじゃなくて。


大丈夫って、

決めつけることじゃなくて。


たぶん。


そばにいてあげて。


レイ。


ありがとう。


アニカちゃんの声を、

受け取ってくれて。


月は、

少しだけ息を吸った。


声が、

また震える。


天音。


ひどいこと言って、

ごめん。


天音は、

きっと、

遠くまで見える人だから。


遠くが見える分だけ、

近くにあるものを、

見失わないで。


あんまり、

遠くばっかり見ないで。


月は、

歌っていた。


祈るみたいに。


願うみたいに。


謝るみたいに。


海は、

何も返さなかった。


でも。


月の声は、

波の上に落ちて、

夜の中へ溶けていった。


歌が終わる。


最後の音が、

風に消える。


しばらく、

誰も話さなかった。


男は、

ギターを抱えたまま海を見ていた。


海先生も、

何も言わずにそばにいた。


録画は、

まだ続いている。


月は、

端末へ手を伸ばす。


停止。


保存。


【記録完了】


月は、

その文字を見た。


それから、

男の方を見た。


「ありがとうございました」


「歌えた?」


「はい」


「歌っちゃいました」


月は、

三日月型端末を両手で包んで、

笑った。


もう、

空ではなかった。


アニカに見せたい海が入っている。


自分の声が入っている。


言えなかったことが、

少しだけ入っている。


それだけで、

月は少しだけ息ができた。



外縁移動区画。


学園行きの連絡機が、

反対側の発着口で待機していた。


月は、

そちらを見ずに、

海先生の後ろに付いて、

別の発着口へと進む。


表示には、


【回収区画連絡機】


と出ていた。


月は、

何も聞かなかった。


聞かなくても、

分かっていた。


月は、

一度だけゲートの外側へ視線を向ける。


波の音は、

もう聞こえなかった。


三日月型端末は、

海先生の手の中にある。


「先生」


海先生

「はい」


「アニカちゃん、

泣くよ」


海先生

「はい」


「レイ、

分かんないかも」


海先生

「はい」


「天音も、

たぶん怒る」


海先生

「はい」


月は、

三日月型端末を見た。


もう、

空ではなかった。


海が入っている。


歌が入っている。


言えなかったことが、

少しだけ入っている。


「これ」


「私の、

わがままだから」


海先生は、

何も言わなかった。


「ごめんねって」


「伝えて」


海先生


「……はい」


回収区画連絡機の扉が開く。


中は、

白かった。


窓はなかった。


月は、

一歩だけ立ち止まる。


それから、

自分で足を出した。


振り返らなかった。


海先生だけが、

その背中を見ていた。


扉が、

静かに閉じる。


【回収区画連絡機:出発】


【対象個体:MOON】


【状態:安定】


機体は、

学園とは逆の方向へ進んでいった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ