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route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
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35/43

月が見た海 中編

route:00


20話「月が見た海 中編」



居住区管理棟 医務室。


何日経ったのか、

アニカには分からなかった。


一日なのか。


三日なのか。


もっと長いのか。


眠っていたのか、

起きていたのかも、

よく分からなかった。


アニカは、

ぼんやりと壁面モニターを見る。


日付が表示されていた。


月が帰ってこなかった日から、

二週間が過ぎていた。


そう表示されれば、

たぶんそうなのだと思う。


けれど、

アニカには、

その時間の長さがよく分からなかった。


窓の外は、

何度も明るくなって、

何度も暗くなった。


照明は、

体調回復用の低い明るさに調整されている。


医務室は、

アニカが壊れないように、

毎日同じ状態を保っていた。


でも、

アニカの中は、

同じ場所に戻らなかった。


水も、

食事も、

決まった時間に運ばれてくる。


でも、

ほとんど食べられなかった。


講義通知も届いていた。


でも、

一度も開かなかった。


月の端末だけが、

枕元に置いてあった。


再生しては止める。


止めては、

また再生する。


月の声を聞くと苦しい。


聞かないと、

もっと苦しい。


アニカは、

布団の中で丸くなっていた。


端末の端に、

指をかけたまま。


何かを掴んでいないと、

自分の形までほどけてしまいそうだった。


扉が開く音がした。


アニカは、

顔を上げなかった。


海先生が入ってきた。


いつものように、

足音は静かだった。


白い医務室の中で、

その足音だけが、

少しだけ現実に聞こえた。


海先生

「アニカさん」


アニカは、

返事をしなかった。


海先生は、

少し離れた椅子に座る。


すぐには何も言わなかった。


急がせない。


問い詰めない。


ただ、

そこに座っていた。


しばらくして、

海先生の視線が、

枕元の端末へ向いた。


海先生

「月さんの端末ですね」


アニカは、

小さく頷いた。


海先生

「聴いてもいいですか」


アニカは、

端末を握りしめた。


嫌だった。


誰にも渡したくなかった。


でも、

ひとりで持っていることにも、

もう耐えられなかった。


アニカは、

ゆっくり端末を差し出した。


海先生は、

両手でそれを受け取った。


再生。


月の歌が、

医務室に流れる。


海先生は、

目を伏せた。


歌が終わるまで、

何も言わなかった。


最後の音が消えたあと、

医務室に静けさが戻った。


アニカ

「……どうして」


声が掠れていた。


「どうして、

帰ってこないんですか」


海先生は、

すぐには答えなかった。


アニカ

「回収って、

何ですか」


「居住者なしって、

何ですか」


「月ちゃんは、

どこにいるんですか」


海先生は、

端末を見つめた。


少しの間。


海先生

「……見に行きましょうか」


アニカは、

顔を上げる。


アニカ

「え?」


海先生

「月さんが、

最後に見た景色を」


アニカは、

意味が分からなかった。


最後に見た景色。


その言葉だけが、

遅れて胸の奥に落ちてくる。


月ちゃんが見たもの。


月ちゃんが、

ひとりで見たもの。


自分が知らないまま、

月ちゃんの中に残ったもの。


アニカは、

端末を握りしめた。


見たくない。


知りたくない。


そこへ行ったら、

本当に月が帰ってこないことを、

認めることになる気がした。


アニカ

「……見たくないです」


海先生は、

ただアニカの言葉を待っていた。


アニカ

「……でも」


月の歌が、

まだ手の中に残っている気がした。


アニカ

「見たいです」


海先生は、

静かに頷いた。


海先生

「では、

許可を取ります」



出発前。


外縁移動区画。


アニカは、

小さなバッグを持って立っていた。


中には、

月の端末が入っている。


海先生の隣に、

レイがいた。


その少し後ろに、

天音もいた。


アニカ

「……レイ、天音」


レイ

「同行許可が出ている」


天音

「僕もね」


アニカ

「どうして」


天音

「ひとりで行く場所じゃないから」


レイは、

アニカを見た。


レイ

「移動中の体調変化、

情動負荷、

行動停止の可能性がある」


「補助個体が必要と判断された」


天音

「言い方」


アニカは、

少しだけ息を吐いた。


笑えなかった。


でも、

そのやり取りがそこにあるだけで、

崩れそうな身体が少しだけ留まった。


海先生は、

レイを見る。


海先生

「レイくん」


レイ

「はい」


海先生

「卒業試験です」


アニカは、

顔を上げた。


レイも、

一瞬だけ処理を止めた。


レイ

「内容は」


海先生

「アニカさんを、

月さんが最後に見た場所まで連れていく」


レイ

「保護対象ですか」


海先生

「いいえ」


海先生は、

静かに言った。


「見届ける対象です」


レイは、

沈黙した。


海先生

「泣かせないことではない」


「止めることでもない」


「正しい言葉で、

早く終わらせることでもない」


レイは、

海先生を見る。


海先生

「壊れそうな個体を、

壊れたと判断せずに」


「そばにいること」


「それが、

今回の君の試験です」


レイ

「……了解しました」


天音は、

何も言わなかった。


アニカは、

その言葉の意味をまだ分からなかった。


でも。


レイが隣に立った。


天音が少し後ろにいた。


海先生が前を歩き出した。


それだけで、

アニカは足を動かした。



海沿い24居住区。


そこは、

月が実習で向かった場所だった。


白い居住棟。


静かな通路。


潮の匂い。


遠くから聞こえる、

水の音。


アニカは、

歩きながら何度も周囲を見た。


どこかに月がいる気がした。


角を曲がれば、

不機嫌そうに立っている気がした。


「あ、来たんだ」


そう言って、

少し照れたように笑う気がした。


でも、

月はいなかった。


海先生は、

居住区の奥へ進む。


居住区の連絡通路は、

少しずつ人の気配を失っていった。


白い壁。


一定の照明。


静かな床。


整っているのに、

どこか遠くへ向かっている通路。


案内表示が減り、

代わりに、

注意表示が増えていく。


【外縁接続路】


【許可個体以外進入不可】


【環境安定保証外】


【通過前審査必須】


アニカは、

表示を見上げた。


知らない表示ばかりだった。


長い連絡通路の先に、

審査区画があった。


海先生が、

認証端末の前で立ち止まる。


同行者情報が、

壁面表示に浮かび上がった。


【通過申請:承認済】


【引率個体:海】


【同行個体:ANIKA】


【補助個体:REI】


【同行個体:AMANE】


【サポーター同行:三名】


【目的:回収個体最終観測地点確認】


アニカは、

自分の名前を見た。


ANIKA。


そこに表示されているのに、

自分のことのように見えなかった。


審査音が鳴る。


ひとつ。


また、

ひとつ。


レイは、

アニカの隣にいた。


天音は、

少し後ろにいた。


海先生

「進みます」


長い通路が開いた。


その先は、

さらに静かだった。


居住区の音が、

後ろへ遠ざかっていく。


足音だけが、

細く響く。


アニカ

「どこに行くんですか」


海先生

「外へ」


アニカ

「外?」


海先生

「危険区域です」


アニカの足が止まった。


危険区域。


その言葉だけで、

身体が少し冷たくなる。


アニカ

「……なんで」


声が、

思ったより小さく出た。


アニカ

「月ちゃんは」


「月ちゃんは、

そこに行ってたんですか」


誰もすぐには答えなかった。


通路の奥から、

低い駆動音がする。


ゲートが近い。


海先生

「はい」


アニカは、

月の端末を胸に抱いた。


知らなかった。


月が、

そんな場所に行っていたこと。


自分が寝ていた朝に、

いつもの声で笑っていた月が、

危険区域へ向かっていたこと。


五日後に帰ってくると言った月が、

そこへ行っていたこと。


アニカ

「なんで」


もう一度、

そう言った。


答えを求めているのか、

ただ言葉がこぼれたのか、

自分でも分からなかった。


海先生は、

ゲートの方を見ている。


アニカは、

もう一度、

小さく息を吸った。


そして、

歩き出した。


外縁ゲート。


サポーターたちが合流し、

少し離れた位置に立つ。


白い扉ではなかった。


壁の一部が、

縦に淡く光っている。


通過可能範囲だけが、

細い線で示されている。


海先生が、

先に認証を通す。


【認証完了】


【通過者:海】


続いて、

レイ。


【認証完了】


【通過者:REI】


天音。


【認証完了】


【通過者:AMANE】


アニカの番になる。


アニカは、

足を止めた。


端末が、

静かに反応する。


【認証照合中】


【通過者:ANIKA】


【同行許可:有効】


【危険区域外縁ゲート:通過承認】


自分の名前が、

ゲートに表示されている。


アニカは、

それを見た。


ここを、

月ちゃんも通ったのだと思った。


月の名前も、

同じように表示されたのだろうか。


月も、

この光の前で、

少しだけ立ち止まったのだろうか。


それとも、

いつもの顔で通ったのだろうか。


【認証完了】


【通過者:ANIKA】


ゲートが、

静かに開く。


外の空気が、

流れ込んできた。


空気が変わる。


整えられた匂いが薄くなる。


潮の匂いが強くなる。


風が、

直接肌に当たる。


舗装された道が終わる。


土。


小石。


枯れた草。


遠くで、

鳥の声がした。


月の端末を胸に抱いたまま、

アニカは歩く。


その先から、

波の音が聞こえていた。




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