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route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
PR
33/43

【記録ログ:絶対なくさないで】

route:00


【記録ログ:絶対なくさないで】



それから、

二週間が過ぎた。


月は、

講義に出た。


任務にも出た。


アニカとは、

少しずつ話した。


甘いものの話もした。


レイにも、

いつも通り軽く返した。


天音の通知にも、

短く返した。


何も壊れていないように、

過ごした。


過ごせた。


夜になると、

少しだけ分からなくなった。


それでも朝には、

また普通に戻った。


端末の数値は、

少しずつ落ち着いていった。


【身体状態:安定】

【情動反応:基準内】

【任務継続:可能】


毎日、

大丈夫と表示された。


でも。


大丈夫と表示されるたびに、

月は少しずつ、

どこにも戻れなくなっていった。



アンドロイド科居住区。


夜。


廊下の照明は、

夜間基準まで落とされていた。


AI人間科区画も。


ほとんどの部屋は、

もう静かだった。


眠る個体のために、

学園は夜を作る。


でも、

アンドロイドは眠らない。


月は、

レイの部屋の前で立ち止まった。


手の中には、

三日月型の保存端末がある。


小さくて。


軽くて。


昔、

アニカがポイント交換でくれたもの。


月がずっと、

髪に留めていたもの。


月は、

それを少しだけ握り直した。


それから、

呼び出しに触れる。


短い認証音。


少し間があって、

中から声がした。


レイ

「入室許可を承認」


扉が開く。


レイの部屋は、

いつも通りだった。


間接照明。


記録棚。


透明容器。


分類済みの小物。


まだ用途の決まっていない保存具。


必要になる可能性があるもの。


まだ使われていないもの。


捨てられていないもの。


レイは、

机の前に立っていた。


「起きてた?」


レイ

「アンドロイドは睡眠を必要としない」


「知ってる」


レイ

「では、

質問の目的は」


「挨拶」


レイ

「了解」


月は、

少しだけ笑った。


レイは、

月を見る。


レイ

「訪問理由は」


「あー」


月は、

三日月型端末を持ち上げた。


「これさ」


「ちょっと、

データ移したくて」


レイ

「移行?」


「うん」


レイ

「複製ではなく」


「うん」


レイ

「理由は」


「空けたいから」


レイ

「保存容量の確保」


「そう」


レイ

「データ消去を伴う移行には、

理由確認が必要」


「じゃあ理由」


月は、

端末を見た。


小さな三日月。


何度も握ったもの。


怖い夜に、

胸元で抱いたもの。


アニカの声が入っているもの。


「これから、

入れるものがあるの」


レイ

「追加保存予定データ」


「うん」


レイ

「内容は」


「まだ内緒」


レイ

「内緒」


「そう」


レイ

「非開示情報として扱う」


「そうして」


レイは、

少しだけ沈黙した。


レイ

「移行先端末は?」


「……レイ」


レイ

「俺に?」


月は、

顔を上げた。


「え?今、俺って言った!」


レイ

「使用一人称を試行中」


「なんで?」


レイ

「使用一人称における対象との距離変化

について考察している」


「あー」


月は、

小さく笑った。


「レイが、

また変なことやってる」


レイ

「不適合か?」


「ううん、

いいじゃん」


レイ

「理由は」


「んー」


月は、

少しだけ首を傾げた。


「レイらしさが、

増えた感じする」


レイ

「レイらしさ」


「うん」


「前より、

ちょっと近い」


レイは、

その言葉を記録した。


【使用一人称:俺】

【対象者:月】

【対象者反応:肯定】

【補足評価:レイらしさが増えた】

【補足評価:前より、ちょっと近い】


レイ

「記録した」


「そういうとこ、

レイだね」


レイが少し止まる。


レイ

「……俺らしさ」


「うん」


「それも含めて、

レイ」


レイ

「では継続する」


「うん」


笑ったあと、

部屋はまた静かになった。


月は、

端末を両手で持つ。


「レイに預ければ、

絶対じゃん」


レイ

「絶対、とは」


「なくさない」


「必要ないって判断しても、

すぐ捨てたりしない」


レイ

「不要データは削除対象だ」


「でも、

レイは本当に必要ないか、

ちゃんと確認するでしょ」


レイは、

答えなかった。


月は、

机の上の透明容器を見る。


用途未定。


削除保留。


分類待機。


まだ分からないものが、

そこに置かれている。


「レイは、

まだ分からないものを、

置いておける」


レイ

「削除判断を保留しているだけだ」


「うん」


「それがいいの」


レイは、

月を見ていた。


月の端末ではなく。


月を。


短い沈黙。


レイの視界内で、

いくつかの数値が更新される。


【呼吸変動:安定】

【情動反応:低下】

【緊張反応:低】

【発話速度:通常範囲】

【視線揺らぎ:軽微】


レイは、

その表示を確認した。


レイ

「二週間前より、

情動反応が安定している」


「そう?」


レイ

「ああ」


月は、

少しだけ笑った。


「よかった」


その声も、

安定していた。


回復傾向。


通常応答可能。


会話継続に問題なし。


前回より、

よい状態だ。


レイは、

そのように記録した。


レイ

「移行データを確認する」


「うん」


月は、

三日月型端末を差し出した。


レイは、

両手で受け取る。


小さな端末だった。


レイの手の中では、

さらに小さく見えた。


接続台に置く。


細い光が走る。


認証。


読み込み。


保存領域展開。


【音声記録】


【短時間映像】


【個人保存データ】


【登録者:月】


【提供者:ANIKA】


レイの動きが、

ほんの少し止まった。


レイ

「提供者、ANIKA」


「うん」


レイ

「古い記録だ」


「うん」


レイ

「再生確認を行う」


「ちょっとだけね」


小さなノイズ。


それから。


アニカの声が流れた。


今よりずっと幼い声だった。


アニカ

『月ちゃーん』


月は、

端末を見なかった。


レイは、

音声を停止しなかった。


アニカ

『月ちゃん、

だいじょうぶ?』


幼い声。


いちばん古い音声。


まだ、

世界の仕組みを知らない声。


ただ、

月を呼んでいる声。


アニカ

『月ちゃん、

あそぼう』


月は、

少しだけ唇を結んだ。


レイが、

次の音声を再生する。


アニカ

『月ちゃん、

おやすみ』


少し間が空く。


アニカ

『月ちゃん、

早く帰ってきてね』


つい先月、

実習に向かう前の音声。


部屋の空気が、

ほんの少しだけ変わった気がした。


レイは、

音声を停止した。


月は、

まだ端末を見ていなかった。


レイ

「データ移行を開始する」


「うん」


レイ

「移行後、

元端末内の該当データは削除」


「うん」


レイ

「復元には、

移行先データが必要」


「うん」


レイ

「最終確認」


「本当に実行するか?」


月は、

少しだけ息を吸った。


それから、

頷いた。


「する」


レイ

「了解」



【データ移行中】


【照合中】


【破損確認:なし】


【移行先:優先保護領域】


【元端末内データ:消去】


【移行完了】



レイ

「移行完了」


「三日月型端末内のデータ領域は空だ」


「うん」


レイ

「移行データは、

俺の優先保護領域に保存した」


「ありがと」


レイ

「返却する」


レイは、

三日月型端末を月へ差し出した。


月は、

空になった端末を受け取る。


軽かった。


さっきまでと同じ重さのはずなのに、

少しだけ違う気がした。


「空いたね」


レイ

「保存容量は空だ」


「うん」


「これから入れるものがあるから」


レイ

「内容は?」


「まだ内緒」


レイ

「非開示情報を継続」


「うん」


月は、

三日月型端末を胸元に寄せた。


それから、

レイを見る。


「レイ」


レイ

「なんだ」


「絶対なくさないでね」


レイ

「ああ、保持する」


「違う」


レイの視線が、

ほんの少しだけ動いた。


「保持じゃなくて」


「保存でもなくて」


「保管でもなくて」


月は、

言葉を探した。


でも、

うまく出てこなかった。


「なくさないで」


レイは、

月を見ていた。


保持。


保存。


保管。


なくさないで。


差分はある。


でも、

定義はまだ不完全だった。


レイ

「対象は、

移行済みデータか?」


「うん」


「アニカちゃんの声も」


「私が持ってたことも」


「これが、

アニカちゃんからもらったものだってことも」


月は、

少しだけ視線を落とした。


「なくさないで」


レイ

「返却条件は」


「分かんない」


レイ

「保存期間は」


「分かんない」


レイ

「……分からない」


「うん」


月は、

小さく笑った。


「今のレイなら、

そういう曖昧なのも、

ちょっとだけ置いておけるでしょ」


レイは、

答えなかった。


「お願い」


「レイ」


部屋は、

静かだった。


外の海の音はしない。


虫の声もない。


満月も見えない。


でも、

月の声だけが、

そこにあった。


レイは、

三日月型端末の移行記録を見る。


それから、

月を見た。


レイ

「絶対に、

なくさない」


月は、

目を伏せた。


「うん」


「ありがと」


レイ

「削除対象から除外」


「優先保護領域へ保存」


「返却条件は未定」


「依頼文言」


レイは、

少しだけ止まった。


レイ

「絶対なくさないで」


月は、

笑った。


泣きそうな顔で。


でも、

笑った。


「そう」


レイ

「登録完了」


月は、

静かに頷いた。



帰る前。


月は、

レイの棚を見た。


透明容器。


古い紙片。


壊れた部品。


使い道の決まっていない保存具。


必要になる可能性があるもの。


まだ使われていないもの。


捨てられていないもの。


「やっぱり、

レイの部屋って良いね」


レイ

「非効率か?」


「ううん」


月は、

首を振った。


「安心する」


レイ

「理由は」


「まだ分からないものが、

ここにいられるから」


レイは、

棚を見る。


レイ

「削除判断を保留しているだけだ」


「うん」


「それがいいの」


月は、

扉へ向かった。


扉の前まで、あと数歩。


「ねえ、レイ」


月は、

振り返る。


「……あー、やっぱ、なんでもない」


言えなかった。


月は、

少し困ったように笑った。


レイ

「……了解」


「ありがと」


月は、

扉を開けた。


廊下の夜間照明が、

月の輪郭を薄く照らす。


レイは、

机の前に立っていた。


「じゃあね」


レイ

「おやすみ」


月は、

少し驚いた顔をした。


「おやすみって言うんだ」


レイ

「夜間離室時の挨拶として適切」


「そっか」


月は、

小さく笑う。


「おやすみ」


扉が閉まる。


レイの部屋に、

静けさが戻る。


レイは、

移行済みデータの保存先を確認した。


【優先保護領域】


【削除対象:除外】


【依頼者:月】


【依頼文言:絶対なくさないで】


レイは、

短い音声をもう一度再生した。


アニカ

『月ちゃん、

早く帰ってきてね』


対象は、

月。


自己ではない。


レイは、

それを確認した。


確認したのに。


音声が終わったあとも、

しばらくその場を動かなかった。



AI人間科居住区。


アニカの部屋の前で、

月は立ち止まった。


手の中には、

空になった三日月型端末がある。


中身は、

もうない。


アニカの声は、

レイに預けた。


絶対に、

なくならない場所へ。


だから今度は。


月は、

呼び出しに触れた。


少しだけ間があった。


扉の向こうから、

小さな足音が近づいてくる。


アニカ

「……月ちゃん?」


扉が開く。


アニカは、

寝る前の服を着ていた。


少し眠そうで。


でも、

月を見た瞬間、

目が覚めたみたいな顔をした。


アニカ

「どうしたの」


「寝てた?」


アニカ

「まだ」


「じゃあ、

ちょっとだけ入れて」


アニカは、

何も聞かなかった。


扉を開ける。


月は、

部屋に入った。


アニカの部屋は、

あたたかかった。


照明は少し落としてある。


机の上には、

読みかけの講義資料。


椅子には、

上着がかかっている。


寝台の端には、

小さなクッション。


いつもの部屋。


アニカの匂いがする部屋。


月は、

少しだけ息を吐いた。


アニカ

「月ちゃん」


「うん」


アニカ

「大丈夫?」


月は、

笑った。


「出た」


アニカ

「え?」


「それ、

最近よく言う」


アニカは、

少し困った顔をした。


アニカ

「言っちゃだめ?」


「だめじゃない」


月は、

寝台の端に座る。


三日月型端末を、

膝の上に置いた。


「だめじゃないけど」


「大丈夫って聞かれると、

大丈夫って言っちゃう」


アニカは、

黙った。


「だから今日は、

聞かないで」


アニカ

「……うん」


月は、

少しだけ笑った。


「ありがと」


アニカは、

月の隣に座った。


しばらく、

何も言わなかった。


部屋の空調音だけが、

静かに響いている。


アニカ

「月ちゃん」


「うん」


アニカ

「待っててって言ったから」


月は、

少しだけ目を伏せた。


アニカ

「待ってた」


その声が、

あまりにも素直で。


月は、

胸の奥が痛くなった。


「うん」


「ありがと」


アニカ

「戻れた?」


月は、

すぐには答えなかった。


戻る。


どこへ。


何に。


いつもの月へ。


アニカの隣へ。


学園へ。


月は、

少しだけ首を傾げた。


「途中」


アニカ

「途中?」


「うん」


「まだ、

途中」


アニカは、

それ以上聞かなかった。


月は、

三日月型端末を見る。


空になった端末。


「ねえ、

アニカちゃん」


アニカ

「うん」


「今日、

ここで寝ていい?」


アニカは、

少しだけ目を丸くした。


それから、

すぐに頷いた。


アニカ

「いいよ」


「やった」


月は、

少しだけいつもの声で言った。


アニカは、

寝具を少しだけ整える。


枕をひとつ増やす。


月は、

靴を脱いで、

布団の端に入った。


アニカも、

その隣に入る。


近い。


近すぎない。


でも、

ひとりではない距離。


月は、

天井を見た。


アニカ

「月ちゃん」


「うん」


アニカ

「明日、

どこか行くの?」


月は、

少しだけ息を止めた。


それから、

いつもの声に戻すみたいに言った。


「うん」


「ちょっと実習」


アニカ

「また?」


「うん」


アニカ

「大変だね」


「まあね」


アニカ

「いつ帰るの?」


月は、

少しだけ黙った。


空調の音がする。


アニカの呼吸が、

すぐそばにある。


「五日後」


アニカ

「五日後?」


「うん」


「五日後には、

帰ってくるよ」


アニカは、

月を見た。


月は、

天井を見ていた。


アニカ

「ほんと?」


「ほんと」


少しだけ間が空く。


「帰ってきたら、

甘いもの」


アニカは、

小さく笑った。


アニカ

「約束?」


「約束」


アニカ

「じゃあ、

待ってる」


その言葉が、

月の胸の奥に落ちた。


待ってる。


月は、

目を閉じた。


「うん」


「待ってて」


アニカ

「うん」


月は、

三日月型端末を、

枕元に置いた。


アニカは、

それを少しだけ見た。


それから、

部屋は静かになった。


アニカの呼吸が、

少しずつ深くなる。


月は、

目を閉じたまま、

その音を聞いていた。


昔、

アニカが録音してくれた声は、

もうこの端末には入っていない。


でも、

今のアニカの呼吸が、

すぐ隣にある。


月は、

それを聞いていた。


覚えておこうと思った。


記録ではなく。


報告でもなく。


ただ、

覚えておこうと思った。


「おやすみ」


声は、

とても小さかった。


アニカは、

半分眠ったまま答える。


アニカ

「おやすみ」


月は、

目を閉じた。


五日後には、

帰ってくる。


そう言った。


アニカは、

それを信じた。


月も、

信じたかった。




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