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route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
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27/43

保護対象

route:00


18話「保護対象」



第三講義棟。


小型演習室。


月が、

アニカの少し前を歩いていた。


いつものように、少しだけ急ぎ足。

いつものように、少しだけ不満そう。


アニカは、月の持つ端末を見た。


アニカ

「月ちゃん」


「なに?」


アニカ

「今日の講義って、月ちゃんの専門講義?」


月は、少しだけ得意そうに胸を張った。


「うん」


アニカ

「幼児個体学習?」


「正式には、幼体期情動安定および初期適性観測」


アニカは瞬きをした。


アニカ

「長い」


「長いよねえ」


月は笑った。


「だから、みんな幼児個体学習って言うの」


アニカは、講義室の扉を見た。


【幼体期情動安定基礎】

【担当:教育補助アンドロイド A-44】

【対象:月系統補助個体/保護観測課程選択者】


アニカは少し迷ってから言った。


アニカ

「私も、受けていい?」


月が振り返る。


「え、アニカちゃんが?」


アニカ

「うん」


「これ、そんなに面白くないよ」


アニカ

「月ちゃんが何を勉強してるのか、少し知りたい」


月は、しばらくアニカを見た。


それから、照れたように目を逸らした。


「……ふうん」


アニカ

「だめ?」


「だめじゃないけど」


月は端末を操作する。


【臨時聴講申請】

【対象:ANIKA】

【分類:観測継続個体】

【聴講許可:条件付き承認】


月は画面を見て、にっと笑った。


「いいって」


アニカも、少しだけ笑った。



講義室は、低い机が並んでいた。


通常の演習室より、天井が少し高い。


壁には、淡い色の図形が表示されている。


丸。

線。

家。

手。

顔。


子ども向け教材のようだった。


中央の投影領域には、いつものように白い文字が浮いている。


【幼体期個体分類】

【初期情動安定】

【親個体依存率】

【分離反応】

【適性観測開始時期】


アニカは、画面を見上げた。


かわいい部屋なのに。


言葉だけが、冷たかった。



担当アンドロイドが入室する。


成人型。

淡い灰色の制服。


声は穏やかだが、温度はなかった。


教育補助アンドロイド

「講義を開始します」


アニカは月の隣に座った。


「眠くなったら言ってね」


アニカ

「月ちゃんは眠くならないの?」


「なるよ」


アニカ

「専門講義なのに?」


「専門講義だからだよ」


月は小さく笑う。


アンドロイドが投影を切り替えた。


【本日の講義】

【居住区内ヒト幼体の発生許可と初期適性観測】


アニカは、少しだけ背筋を伸ばした。


発生許可。


その言葉が、妙に引っかかった。



アンドロイドは淡々と話し始めた。


教育補助アンドロイド

「居住区内で増やせるヒト幼体数は、年度ごとに決定されます」


投影領域に、居住区の図が出た。


小さな光が、いくつか灯る。


教育補助アンドロイド

「今年度、追加可能な幼体数」


光は、十二個だった。


教育補助アンドロイド

「申請親個体数」


次に、光は百を超えた。


アニカは、少しだけ目を細めた。


増えていい数より、欲しい数の方が多い。


その差が、最初から表示されていた。


教育補助アンドロイド

「人口許容量は、居住区維持率、資源、教育枠、保護観測枠を基準に算出されます」


「その後、申請親個体の正しさ積算値、公務履歴、情動安定値、危険履歴を照合し、基準到達個体のみが抽選対象となります」


投影領域に、流れが表示される。


【申請親個体】

【正しさ積算値】

【公務履歴】

【情動安定値】

【育児研修完了】

【危険履歴なし】

【抽選対象】


抽選。


そこへ辿り着くまでに、

いくつもの門があった。


月は、小さくあくびをした。


「ここ、眠くなるけど大事なとこ」


アニカ

「眠くなるのに?」


「大事だから眠くなるんだよ。言葉が硬いから」



アンドロイドは続ける。


教育補助アンドロイド

「ヒト幼体は、家庭の所有対象ではありません」


「保護対象です」


「同時に、将来の居住区維持候補個体です」


アニカは、顔を上げた。


その言葉が、胸の奥に引っかかった。


保護対象。


将来の居住区維持候補個体。


どちらも、間違ってはいない。


でも。


その間にあるものが、抜けている気がした。


アンドロイドは、別の表示を出した。


【幼体期教育担当区分】

【初期保育機関:ヒト/AI人間/幼体補助個体】

【学園移行後:教育アンドロイド】


月が隣で囁く。


「保育機関までは、ヒトやAI人間も関わるよ」


アニカ

「うん」


「でも、学園に入った後は、基本はアンドロイド」


アニカ

「どうして?」


月は、少しだけ肩をすくめた。


「ヒトやAI人間が教えるとね、好きになっちゃうんだよ」


アニカ

「好きに?」


「うん。期待したり、心配したり、この子はこういう子だって思い込んだりする」


月は、投影領域を見た。


「それが悪いわけじゃないけど、教育の判断には混ぜない方がいいってこと」


アンドロイドが続ける。


教育補助アンドロイド

「補足を承認」


「幼体教育において、ヒトおよびAI人間個体は情動介入値が高くなる傾向があります」


「そのため、学園移行後の基礎講義は、原則として教育アンドロイドが担当します」


「教育とは、個体を好むことではありません」


「個体が社会内で維持可能な判断を獲得するための補助です」


講義室は静かだった。


誰も疑問を挟まない。


月も、特に驚いた顔をしない。


アニカだけが、少し遅れて呼吸をした。



アンドロイドは、次の項目へ進んだ。


【親個体の役割】


初期情動安定環境。

生活基盤提供。

情動応答訓練。

言語獲得補助。

基礎信頼形成。


講義は淡々と進んでいく。


アニカ

「親って」


声が出た。


月が少しだけアニカを見る。


アンドロイドが反応する。


教育補助アンドロイド

「質問を確認」


アニカは、画面を見たまま言った。


アニカ

「親って、環境なんですか」


アンドロイドは、一秒だけ停止した。


教育補助アンドロイド

「定義します」


「親個体とは、幼体個体に対し、出生後初期段階における身体保護、情動安定、言語刺激、生活基盤を提供する主要接続個体です」


「そのため、教育分類上は、初期情動安定環境の一部として扱われます」


アニカは、小さく息を吸った。


アニカ

「一部」


教育補助アンドロイド

「はい」


アニカ

「親は、親じゃなくて、環境の一部なんですか」


教育補助アンドロイド

「教育分類上は、そのように扱います」


アニカは黙った。


間違ってはいない。


きっと。


子どもにとって、親は環境だ。


声も。

匂いも。

抱きしめる腕も。

眠る場所も。


全部、環境。


でも。


それだけなのだろうか。


月が、少しだけ困ったように笑った。


「アニカちゃん」


「言い方が冷たいだけだよ」


アニカ

「うん」


「でも、ちゃんと大事にするための分類だから」


アニカ

「……うん」


アニカは頷いた。


頷いたのに、納得はできなかった。



講義は続いた。


幼体の分離反応。

保育機関から学園への移行。

親個体接続の段階的弱化。

初期適性の仮分類。

情動安定補助。

危険反応の早期検出。


すべて、整っていた。


全部、子どもを守るための仕組みだった。


誰も間違っていない。


講義担当アンドロイドも。


月も。


この制度を作った誰かも。


たぶん。



講義後。


廊下に出ると、学園の空気はいつも通り整っていた。


月は伸びをした。


「終わったあ」


アニカは隣を歩く。


アニカ

「月ちゃんは、こういうのを勉強してるんだね」


「うん」


アニカ

「難しくない?」


「難しいよ」


月は笑った。


アニカ

「月ちゃんは」


「ん?」


アニカ

「子ども、好き?」


月は、すぐに答えた。


「好きだよ」


そして、少しだけ照れたように笑う。


「だって、泣く時にちゃんと泣くから」


アニカは黙った。


月は、慌てて手を振る。


「あ、別に大人が嫌いってわけじゃないよ」


アニカ

「うん」


「ただ、大人はね」


月は、言葉を探すように少し止まった。


「泣いてるのに、泣いてないって言うから」


アニカは、何も言えなかった。


月は、いつもの調子に戻る。


「でも、アニカちゃんが来ると思わなかった」


アニカ

「邪魔だった?」


「全然」


月は笑う。


「アニカちゃん、変なところで質問するから面白かった」


アニカ

「変だった?」


「うん」


アニカ

「どこが?」


「親って環境なんですか、のところ」


アニカは少しだけ顔をしかめた。


アニカ

「だって、変だと思ったから」


「うん」


月は頷いた。


「でも、そういうふうに分けないと、管理できないんだよ」


アニカ

「管理」


「うん」


月は、軽く言った。


「大事なものほど、管理しないと壊れるから」


アニカは、足を止めなかった。


でも、その言葉はずっと残った。


大事なものほど、管理しないと壊れる。


では。


管理されているものは、全部、大事にされているのだろうか。


それとも。


大事だから、壊される前に、形を決められてしまうのだろうか。


廊下の窓の外で、夕方の光が淡くなっていた。


月は、少し先を歩いている。


アニカは、少しだけ喉が詰まった。


月は気づかずに続ける。


「泣く子もいるし、怒る子もいるし、黙る子もいるよ」


アニカ

「……うん」


「でも大丈夫」


月は笑った。


「ちゃんと見るから」


その言葉は、やさしかった。


やさしかったのに。


アニカは、なぜか少しだけ怖かった。


「あっ!アニカちゃん!」


少し先で、月が振り返る。


「レイの部屋、寄ってく?」


アニカ

「レイの部屋?」


「うん。天音もいるって!」


月は端末を見せる。


【送信者:AMANE】

【本文:レイくんの部屋。変なもの増えてる】

【追記:月も見た方がいい】


アニカは少しだけ笑った。


アニカ

「変なもの」


「たぶん、レイの“必要”が増えたんだと思う」


アニカ

「必要」


「うん。レイの部屋、必要なものが多いから」


月は、いつもの調子で言った。


その声が少しだけ明るすぎるように、アニカには聞こえた。



レイの居住室。


扉が開くと、天音の声が聞こえた。


天音

「だからさ、これは何に使うの」


レイ

「乾燥保存用容器」


天音

「何を?」


レイ

「未定」


天音

「未定のものを保存する容器が、もう必要なんだ」


レイ

「必要になる可能性がある」


天音

「レイくん、ほんとそういうとこあるよね」


天音は床に座っていた。


レイは棚の前に立っている。


手元には、小さな透明容器がいくつも並んでいた。


アニカと月が入ると、天音が手を上げた。


天音

「おかえり。講義どうだった?」


月は肩をすくめる。


「眠かった」


レイが月を見る。


レイ

「専門講義では」


「専門講義だから眠いの」


レイ

「説明として不十分」


「気持ちの問題」


レイ

「記録不可」


「しなくていいよ」


月はそう言って、いつものように笑った。


アニカは、部屋の隅に置かれた古い紙片を見た。


前より少し増えている気がした。


レイの部屋は、相変わらず、壊れても古くなっても、すぐには捨てられないもので満ちていた。


天音が、アニカを見る。


天音

「で、アニカは?」


アニカ

「え?」


天音

「初めての幼児個体学習。どうだった?」


アニカは答えようとして、少し迷った。


アニカ

「……難しかった」


月がすぐに頷く。


「でしょ」


アニカ

「うん」


「でも、つまんなくはなかったんでしょ?」


アニカは月を見る。


アニカ

「うん」


月は少し嬉しそうだった。


「ならよかった」


天音が笑う。


天音

「月、専門講義に友達連れていけて嬉しそう」


「うるさいなあ」


月は天音を軽く睨んだ。


でも、その目は笑っていた。


「アニカちゃん、親って環境なんですかって聞いてたよ」


天音の表情が少し動いた。


天音

「へえ」


アニカ

「変だった?」


月は首を振る。


「変だったけど、アニカちゃんっぽかった」


アニカ

「どういう意味」


「そのままの意味」


天音が少しだけ笑った。


天音

「親かあ」


その言葉は軽かった。


でも、部屋の空気は少しだけ変わった。


アニカは、講義室の映像を思い出していた。


十二個の光。


百を超える申請。


条件を満たした個体だけが抽選対象になる。


子どもは、家庭の所有対象ではない。


保護対象。


同時に、将来の居住区維持候補個体。


間違っていない。


きっと、間違っていない。


でも。


アニカ

「子どもって」


アニカは言った。


アニカ

「たぶん、誰かのものじゃないんだよね」


月が頷く。


「うん」


アニカ

「でも、誰かと一緒にいたいんだよね」


月の表情が、少しだけ止まった。


「……まあ、そうだね」


アニカ

「親と離れたら、泣く子もいるって言ってた」


「うん」


「それでも、離した方がいい時がある」


月は、すぐに答えた。


すぐに答えられることが、少しだけ痛かった。


アニカは言葉を続ける。


アニカ

「でも」


月がアニカを見た。


「でも?」


アニカは、さっきから胸の奥に残っていた違和感を、うまく言葉にできないまま言った。


アニカ

「それって、違うよね」


部屋が静かになった。


月の目が、ほんの少しだけ揺れた。


「なにが?」


月の声は、まだ普通だった。


アニカは、すぐに失敗したと思った。


でも、言葉はもう出ていた。


アニカ

「離した方が安全でも」


「うん」


アニカ

「泣いてるなら」


「うん」


アニカ

「その子は、置いていかれたって思うかもしれない」


月の指が、端末の縁を握った。


アニカは続けた。


アニカ

「守ったことと、その子が悲しくなかったことは、同じじゃない」


月は黙った。


天音も黙った。


レイだけが、少し視線を動かした。


月は笑った。


「アニカちゃん」


笑っていた。


でも、さっきまでとは違った。


「それ、私に言う?」


アニカは息を止めた。


アニカ

「ごめん」


すぐに謝った。


でも、

何を間違えたのかは分からなかった。


「ううん。いいよ」


月は笑った。


笑おうとしていた。


少しだけ、間が空いた。


「……じゃあ、どうすればいいの」


アニカは答えられなかった。


「泣いてる子がいたら、見るよ」


声が少しだけ高くなる。


「親も見る」


「連れていく理由も見る」


「置いていかれる顔も見る」


声が少しだけ揺れた。


「全部、見るの?」


誰も答えなかった。


「……無理じゃん」


アニカは、月を見た。


月ちゃん。


何の話をしているの。


そう思った。


けれど、声にはならなかった。


アニカは、動けなかった。


自分は、ただ思ったことを言っただけだった。


守ったことと、悲しくなかったことは同じじゃない。


それだけだった。


でも月は、

アニカの知らない場所で、

ずっとその続きを持っていたみたいだった。


月は、

少しだけ、呼吸が乱れていた。


「ちゃんと見るよ」


「見たもの、全部報告しなきゃいけないから」


少しだけ、声が掠れた。


「報告したら、

そのあとどうなるかも、知ってるのに」


アニカは、息を吸うのを忘れた。


報告。


その言葉だけが、冷たく聞こえた。


月ちゃんが、何を見ているのか。

どこで、何を報告しているのか。


アニカは知らなかった。


知らないまま、触れてしまった。


「やるよ」


声が、小さくなった。


「やるために作られたから、やる」


「見るために作られたし」


「できるし」


月は、笑おうとした。


でも、もう笑えていなかった。


「AI人間って、そういうものじゃん」


アニカは、何も言えなかった。


それは、

正しい言葉のように聞こえた。


でも。


そんなふうに言ってほしくなかった。


月ちゃんが、

どこか遠くへ行ってしまう気がした。


天音が、小さく言った。


天音

「月」


その一言が、

たぶん悪かった。


月は、天音を見た。


目が赤かった。


「天音はいいよね」


天音の表情が止まる。


「ヒトだから」


部屋の空気が、


さらに冷えた。


「守られる側じゃん」


「選べる側じゃん」


「自分で決められるじゃん」


天音は、何も言わなかった。


言い返すための言葉は、


たぶんあった。


でも。


月が壊れそうに見えた。


「私たちは」


声が、

さらに小さくなった。


「役割があれば、ここにいられる」


「使われたら」


「まだ、一緒にいられる」


そこで、

月の目から涙が落ちた。


一粒だけ。


ぽろっと。


月自身が、

それを見て止まった。


「……え」


涙は、

もう一粒落ちた。


月は慌てて頬を拭った。


「違う」


誰に言ったのか分からなかった。


「違う、これは」


声が出なくなる。


「ごめん」


「ごめん」


それから、


部屋を飛び出した。



扉が開く。


閉まる。


音だけが、

妙に大きく残った。


アニカは、

動けなかった。


天音も、

動かなかった。


レイだけが、

閉じた扉を見ていた。


処理候補。


待機。

呼び戻し。

追跡。

第三者介入要請。


月個体の情動反応。

基準値超過。


単独移動。

非推奨。


レイは、

扉へ向かった。


アニカが顔を上げる。


アニカ

「レイ」


レイは振り返らない。


レイ

「追跡する」


その声は、

いつも通りだった。


いつも通りすぎた。


天音が、

低く言った。


天音

「行って」


レイは頷いた。


扉が、

もう一度開く。


レイが出ていく。


閉まる。


今度は、

静かだった。



部屋の中に、

静けさが戻ってくる。


レイの棚。


透明容器。


古い紙片。


使い道の決まっていない保存具。


必要になる可能性があるもの。


まだ使われていないもの。


捨てられていないもの。


アニカは、

それらを見た。


レイの部屋には、

捨てられなかったものが残っている。


壊れても。

古くなっても。

使い道が決まっていなくても。


ここには、

置いておける場所がある。


なのに。


月は、

出ていってしまった。


アニカは、

閉じた扉を見つめた。


何を言えばよかったのか、

分からなかった。


何を言ってしまったのかも、

まだ分からなかった。


ただ。


月の声だけが、

部屋の中に残っていた。


見たもの、

全部報告しなきゃいけないから。


廊下の向こうで、

足音はもう聞こえない。


アニカは、

閉じた扉を見つめたまま、

動けなかった。





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