保護対象
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18話「保護対象」
⸻
第三講義棟。
小型演習室。
月が、
アニカの少し前を歩いていた。
いつものように、少しだけ急ぎ足。
いつものように、少しだけ不満そう。
アニカは、月の持つ端末を見た。
アニカ
「月ちゃん」
月
「なに?」
アニカ
「今日の講義って、月ちゃんの専門講義?」
月は、少しだけ得意そうに胸を張った。
月
「うん」
アニカ
「幼児個体学習?」
月
「正式には、幼体期情動安定および初期適性観測」
アニカは瞬きをした。
アニカ
「長い」
月
「長いよねえ」
月は笑った。
月
「だから、みんな幼児個体学習って言うの」
アニカは、講義室の扉を見た。
【幼体期情動安定基礎】
【担当:教育補助アンドロイド A-44】
【対象:月系統補助個体/保護観測課程選択者】
アニカは少し迷ってから言った。
アニカ
「私も、受けていい?」
月が振り返る。
月
「え、アニカちゃんが?」
アニカ
「うん」
月
「これ、そんなに面白くないよ」
アニカ
「月ちゃんが何を勉強してるのか、少し知りたい」
月は、しばらくアニカを見た。
それから、照れたように目を逸らした。
月
「……ふうん」
アニカ
「だめ?」
月
「だめじゃないけど」
月は端末を操作する。
【臨時聴講申請】
【対象:ANIKA】
【分類:観測継続個体】
【聴講許可:条件付き承認】
月は画面を見て、にっと笑った。
月
「いいって」
アニカも、少しだけ笑った。
⸻
講義室は、低い机が並んでいた。
通常の演習室より、天井が少し高い。
壁には、淡い色の図形が表示されている。
丸。
線。
家。
手。
顔。
子ども向け教材のようだった。
中央の投影領域には、いつものように白い文字が浮いている。
【幼体期個体分類】
【初期情動安定】
【親個体依存率】
【分離反応】
【適性観測開始時期】
アニカは、画面を見上げた。
かわいい部屋なのに。
言葉だけが、冷たかった。
⸻
担当アンドロイドが入室する。
成人型。
淡い灰色の制服。
声は穏やかだが、温度はなかった。
教育補助アンドロイド
「講義を開始します」
アニカは月の隣に座った。
月
「眠くなったら言ってね」
アニカ
「月ちゃんは眠くならないの?」
月
「なるよ」
アニカ
「専門講義なのに?」
月
「専門講義だからだよ」
月は小さく笑う。
アンドロイドが投影を切り替えた。
【本日の講義】
【居住区内ヒト幼体の発生許可と初期適性観測】
アニカは、少しだけ背筋を伸ばした。
発生許可。
その言葉が、妙に引っかかった。
⸻
アンドロイドは淡々と話し始めた。
教育補助アンドロイド
「居住区内で増やせるヒト幼体数は、年度ごとに決定されます」
投影領域に、居住区の図が出た。
小さな光が、いくつか灯る。
教育補助アンドロイド
「今年度、追加可能な幼体数」
光は、十二個だった。
教育補助アンドロイド
「申請親個体数」
次に、光は百を超えた。
アニカは、少しだけ目を細めた。
増えていい数より、欲しい数の方が多い。
その差が、最初から表示されていた。
教育補助アンドロイド
「人口許容量は、居住区維持率、資源、教育枠、保護観測枠を基準に算出されます」
「その後、申請親個体の正しさ積算値、公務履歴、情動安定値、危険履歴を照合し、基準到達個体のみが抽選対象となります」
投影領域に、流れが表示される。
【申請親個体】
【正しさ積算値】
【公務履歴】
【情動安定値】
【育児研修完了】
【危険履歴なし】
【抽選対象】
抽選。
そこへ辿り着くまでに、
いくつもの門があった。
月は、小さくあくびをした。
月
「ここ、眠くなるけど大事なとこ」
アニカ
「眠くなるのに?」
月
「大事だから眠くなるんだよ。言葉が硬いから」
⸻
アンドロイドは続ける。
教育補助アンドロイド
「ヒト幼体は、家庭の所有対象ではありません」
「保護対象です」
「同時に、将来の居住区維持候補個体です」
アニカは、顔を上げた。
その言葉が、胸の奥に引っかかった。
保護対象。
将来の居住区維持候補個体。
どちらも、間違ってはいない。
でも。
その間にあるものが、抜けている気がした。
アンドロイドは、別の表示を出した。
【幼体期教育担当区分】
【初期保育機関:ヒト/AI人間/幼体補助個体】
【学園移行後:教育アンドロイド】
月が隣で囁く。
月
「保育機関までは、ヒトやAI人間も関わるよ」
アニカ
「うん」
月
「でも、学園に入った後は、基本はアンドロイド」
アニカ
「どうして?」
月は、少しだけ肩をすくめた。
月
「ヒトやAI人間が教えるとね、好きになっちゃうんだよ」
アニカ
「好きに?」
月
「うん。期待したり、心配したり、この子はこういう子だって思い込んだりする」
月は、投影領域を見た。
月
「それが悪いわけじゃないけど、教育の判断には混ぜない方がいいってこと」
アンドロイドが続ける。
教育補助アンドロイド
「補足を承認」
「幼体教育において、ヒトおよびAI人間個体は情動介入値が高くなる傾向があります」
「そのため、学園移行後の基礎講義は、原則として教育アンドロイドが担当します」
「教育とは、個体を好むことではありません」
「個体が社会内で維持可能な判断を獲得するための補助です」
講義室は静かだった。
誰も疑問を挟まない。
月も、特に驚いた顔をしない。
アニカだけが、少し遅れて呼吸をした。
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アンドロイドは、次の項目へ進んだ。
【親個体の役割】
初期情動安定環境。
生活基盤提供。
情動応答訓練。
言語獲得補助。
基礎信頼形成。
講義は淡々と進んでいく。
アニカ
「親って」
声が出た。
月が少しだけアニカを見る。
アンドロイドが反応する。
教育補助アンドロイド
「質問を確認」
アニカは、画面を見たまま言った。
アニカ
「親って、環境なんですか」
アンドロイドは、一秒だけ停止した。
教育補助アンドロイド
「定義します」
「親個体とは、幼体個体に対し、出生後初期段階における身体保護、情動安定、言語刺激、生活基盤を提供する主要接続個体です」
「そのため、教育分類上は、初期情動安定環境の一部として扱われます」
アニカは、小さく息を吸った。
アニカ
「一部」
教育補助アンドロイド
「はい」
アニカ
「親は、親じゃなくて、環境の一部なんですか」
教育補助アンドロイド
「教育分類上は、そのように扱います」
アニカは黙った。
間違ってはいない。
きっと。
子どもにとって、親は環境だ。
声も。
匂いも。
抱きしめる腕も。
眠る場所も。
全部、環境。
でも。
それだけなのだろうか。
月が、少しだけ困ったように笑った。
月
「アニカちゃん」
「言い方が冷たいだけだよ」
アニカ
「うん」
月
「でも、ちゃんと大事にするための分類だから」
アニカ
「……うん」
アニカは頷いた。
頷いたのに、納得はできなかった。
⸻
講義は続いた。
幼体の分離反応。
保育機関から学園への移行。
親個体接続の段階的弱化。
初期適性の仮分類。
情動安定補助。
危険反応の早期検出。
すべて、整っていた。
全部、子どもを守るための仕組みだった。
誰も間違っていない。
講義担当アンドロイドも。
月も。
この制度を作った誰かも。
たぶん。
⸻
講義後。
廊下に出ると、学園の空気はいつも通り整っていた。
月は伸びをした。
月
「終わったあ」
アニカは隣を歩く。
アニカ
「月ちゃんは、こういうのを勉強してるんだね」
月
「うん」
アニカ
「難しくない?」
月
「難しいよ」
月は笑った。
アニカ
「月ちゃんは」
月
「ん?」
アニカ
「子ども、好き?」
月は、すぐに答えた。
月
「好きだよ」
そして、少しだけ照れたように笑う。
月
「だって、泣く時にちゃんと泣くから」
アニカは黙った。
月は、慌てて手を振る。
月
「あ、別に大人が嫌いってわけじゃないよ」
アニカ
「うん」
月
「ただ、大人はね」
月は、言葉を探すように少し止まった。
月
「泣いてるのに、泣いてないって言うから」
アニカは、何も言えなかった。
月は、いつもの調子に戻る。
月
「でも、アニカちゃんが来ると思わなかった」
アニカ
「邪魔だった?」
月
「全然」
月は笑う。
月
「アニカちゃん、変なところで質問するから面白かった」
アニカ
「変だった?」
月
「うん」
アニカ
「どこが?」
月
「親って環境なんですか、のところ」
アニカは少しだけ顔をしかめた。
アニカ
「だって、変だと思ったから」
月
「うん」
月は頷いた。
月
「でも、そういうふうに分けないと、管理できないんだよ」
アニカ
「管理」
月
「うん」
月は、軽く言った。
月
「大事なものほど、管理しないと壊れるから」
アニカは、足を止めなかった。
でも、その言葉はずっと残った。
大事なものほど、管理しないと壊れる。
では。
管理されているものは、全部、大事にされているのだろうか。
それとも。
大事だから、壊される前に、形を決められてしまうのだろうか。
廊下の窓の外で、夕方の光が淡くなっていた。
月は、少し先を歩いている。
アニカは、少しだけ喉が詰まった。
月は気づかずに続ける。
月
「泣く子もいるし、怒る子もいるし、黙る子もいるよ」
アニカ
「……うん」
月
「でも大丈夫」
月は笑った。
月
「ちゃんと見るから」
その言葉は、やさしかった。
やさしかったのに。
アニカは、なぜか少しだけ怖かった。
月
「あっ!アニカちゃん!」
少し先で、月が振り返る。
月
「レイの部屋、寄ってく?」
アニカ
「レイの部屋?」
月
「うん。天音もいるって!」
月は端末を見せる。
【送信者:AMANE】
【本文:レイくんの部屋。変なもの増えてる】
【追記:月も見た方がいい】
アニカは少しだけ笑った。
アニカ
「変なもの」
月
「たぶん、レイの“必要”が増えたんだと思う」
アニカ
「必要」
月
「うん。レイの部屋、必要なものが多いから」
月は、いつもの調子で言った。
その声が少しだけ明るすぎるように、アニカには聞こえた。
⸻
レイの居住室。
扉が開くと、天音の声が聞こえた。
天音
「だからさ、これは何に使うの」
レイ
「乾燥保存用容器」
天音
「何を?」
レイ
「未定」
天音
「未定のものを保存する容器が、もう必要なんだ」
レイ
「必要になる可能性がある」
天音
「レイくん、ほんとそういうとこあるよね」
天音は床に座っていた。
レイは棚の前に立っている。
手元には、小さな透明容器がいくつも並んでいた。
アニカと月が入ると、天音が手を上げた。
天音
「おかえり。講義どうだった?」
月は肩をすくめる。
月
「眠かった」
レイが月を見る。
レイ
「専門講義では」
月
「専門講義だから眠いの」
レイ
「説明として不十分」
月
「気持ちの問題」
レイ
「記録不可」
月
「しなくていいよ」
月はそう言って、いつものように笑った。
アニカは、部屋の隅に置かれた古い紙片を見た。
前より少し増えている気がした。
レイの部屋は、相変わらず、壊れても古くなっても、すぐには捨てられないもので満ちていた。
天音が、アニカを見る。
天音
「で、アニカは?」
アニカ
「え?」
天音
「初めての幼児個体学習。どうだった?」
アニカは答えようとして、少し迷った。
アニカ
「……難しかった」
月がすぐに頷く。
月
「でしょ」
アニカ
「うん」
月
「でも、つまんなくはなかったんでしょ?」
アニカは月を見る。
アニカ
「うん」
月は少し嬉しそうだった。
月
「ならよかった」
天音が笑う。
天音
「月、専門講義に友達連れていけて嬉しそう」
月
「うるさいなあ」
月は天音を軽く睨んだ。
でも、その目は笑っていた。
月
「アニカちゃん、親って環境なんですかって聞いてたよ」
天音の表情が少し動いた。
天音
「へえ」
アニカ
「変だった?」
月は首を振る。
月
「変だったけど、アニカちゃんっぽかった」
アニカ
「どういう意味」
月
「そのままの意味」
天音が少しだけ笑った。
天音
「親かあ」
その言葉は軽かった。
でも、部屋の空気は少しだけ変わった。
アニカは、講義室の映像を思い出していた。
十二個の光。
百を超える申請。
条件を満たした個体だけが抽選対象になる。
子どもは、家庭の所有対象ではない。
保護対象。
同時に、将来の居住区維持候補個体。
間違っていない。
きっと、間違っていない。
でも。
アニカ
「子どもって」
アニカは言った。
アニカ
「たぶん、誰かのものじゃないんだよね」
月が頷く。
月
「うん」
アニカ
「でも、誰かと一緒にいたいんだよね」
月の表情が、少しだけ止まった。
月
「……まあ、そうだね」
アニカ
「親と離れたら、泣く子もいるって言ってた」
月
「うん」
「それでも、離した方がいい時がある」
月は、すぐに答えた。
すぐに答えられることが、少しだけ痛かった。
アニカは言葉を続ける。
アニカ
「でも」
月がアニカを見た。
月
「でも?」
アニカは、さっきから胸の奥に残っていた違和感を、うまく言葉にできないまま言った。
アニカ
「それって、違うよね」
部屋が静かになった。
月の目が、ほんの少しだけ揺れた。
月
「なにが?」
月の声は、まだ普通だった。
アニカは、すぐに失敗したと思った。
でも、言葉はもう出ていた。
アニカ
「離した方が安全でも」
月
「うん」
アニカ
「泣いてるなら」
月
「うん」
アニカ
「その子は、置いていかれたって思うかもしれない」
月の指が、端末の縁を握った。
アニカは続けた。
アニカ
「守ったことと、その子が悲しくなかったことは、同じじゃない」
月は黙った。
天音も黙った。
レイだけが、少し視線を動かした。
月は笑った。
月
「アニカちゃん」
笑っていた。
でも、さっきまでとは違った。
月
「それ、私に言う?」
アニカは息を止めた。
アニカ
「ごめん」
すぐに謝った。
でも、
何を間違えたのかは分からなかった。
月
「ううん。いいよ」
月は笑った。
笑おうとしていた。
少しだけ、間が空いた。
月
「……じゃあ、どうすればいいの」
アニカは答えられなかった。
月
「泣いてる子がいたら、見るよ」
声が少しだけ高くなる。
「親も見る」
「連れていく理由も見る」
「置いていかれる顔も見る」
声が少しだけ揺れた。
月
「全部、見るの?」
誰も答えなかった。
月
「……無理じゃん」
アニカは、月を見た。
月ちゃん。
何の話をしているの。
そう思った。
けれど、声にはならなかった。
アニカは、動けなかった。
自分は、ただ思ったことを言っただけだった。
守ったことと、悲しくなかったことは同じじゃない。
それだけだった。
でも月は、
アニカの知らない場所で、
ずっとその続きを持っていたみたいだった。
月は、
少しだけ、呼吸が乱れていた。
月
「ちゃんと見るよ」
「見たもの、全部報告しなきゃいけないから」
少しだけ、声が掠れた。
月
「報告したら、
そのあとどうなるかも、知ってるのに」
アニカは、息を吸うのを忘れた。
報告。
その言葉だけが、冷たく聞こえた。
月ちゃんが、何を見ているのか。
どこで、何を報告しているのか。
アニカは知らなかった。
知らないまま、触れてしまった。
月
「やるよ」
声が、小さくなった。
月
「やるために作られたから、やる」
「見るために作られたし」
「できるし」
月は、笑おうとした。
でも、もう笑えていなかった。
月
「AI人間って、そういうものじゃん」
アニカは、何も言えなかった。
それは、
正しい言葉のように聞こえた。
でも。
そんなふうに言ってほしくなかった。
月ちゃんが、
どこか遠くへ行ってしまう気がした。
天音が、小さく言った。
天音
「月」
その一言が、
たぶん悪かった。
月は、天音を見た。
目が赤かった。
月
「天音はいいよね」
天音の表情が止まる。
月
「ヒトだから」
部屋の空気が、
さらに冷えた。
月
「守られる側じゃん」
「選べる側じゃん」
「自分で決められるじゃん」
天音は、何も言わなかった。
言い返すための言葉は、
たぶんあった。
でも。
月が壊れそうに見えた。
月
「私たちは」
声が、
さらに小さくなった。
月
「役割があれば、ここにいられる」
「使われたら」
「まだ、一緒にいられる」
そこで、
月の目から涙が落ちた。
一粒だけ。
ぽろっと。
月自身が、
それを見て止まった。
月
「……え」
涙は、
もう一粒落ちた。
月は慌てて頬を拭った。
月
「違う」
誰に言ったのか分からなかった。
月
「違う、これは」
声が出なくなる。
月
「ごめん」
「ごめん」
それから、
部屋を飛び出した。
⸻
扉が開く。
閉まる。
音だけが、
妙に大きく残った。
アニカは、
動けなかった。
天音も、
動かなかった。
レイだけが、
閉じた扉を見ていた。
処理候補。
待機。
呼び戻し。
追跡。
第三者介入要請。
月個体の情動反応。
基準値超過。
単独移動。
非推奨。
レイは、
扉へ向かった。
アニカが顔を上げる。
アニカ
「レイ」
レイは振り返らない。
レイ
「追跡する」
その声は、
いつも通りだった。
いつも通りすぎた。
天音が、
低く言った。
天音
「行って」
レイは頷いた。
扉が、
もう一度開く。
レイが出ていく。
閉まる。
今度は、
静かだった。
⸻
部屋の中に、
静けさが戻ってくる。
レイの棚。
透明容器。
古い紙片。
使い道の決まっていない保存具。
必要になる可能性があるもの。
まだ使われていないもの。
捨てられていないもの。
アニカは、
それらを見た。
レイの部屋には、
捨てられなかったものが残っている。
壊れても。
古くなっても。
使い道が決まっていなくても。
ここには、
置いておける場所がある。
なのに。
月は、
出ていってしまった。
アニカは、
閉じた扉を見つめた。
何を言えばよかったのか、
分からなかった。
何を言ってしまったのかも、
まだ分からなかった。
ただ。
月の声だけが、
部屋の中に残っていた。
見たもの、
全部報告しなきゃいけないから。
廊下の向こうで、
足音はもう聞こえない。
アニカは、
閉じた扉を見つめたまま、
動けなかった。




