【記録ログ:返信のかわり】
route:00
【記録ログ:返信のかわり】
⸻
カフェエリア。
午後。
窓際の席に、
アニカと月は向かい合って座っていた。
テーブルの上には、
小さな焼き菓子と、
温かい飲み物。
月は、
フォークを片手に、
嬉しそうに皿を見ている。
月
「やっぱり、
帰ってきたら甘いものだよね」
アニカ
「約束してたもんね」
月
「してた!」
月は、
胸を張る。
「ちゃんと帰ってきたし、
ちゃんと食べる」
アニカは、
少しだけ笑った。
月は、
以前と同じように話している。
少し大げさで。
少し賑やかで。
少し、
何でもなかったみたいに。
アニカは、
カップを両手で包む。
アニカ
「こないだの満月が、
すごく綺麗だったからさ」
月
「うん」
アニカ
「私、
みんなにメッセージしたのね」
月のフォークが、
一瞬だけ止まった。
それから、
すぐに動く。
月
「あー……うんうん」
「私、
疲れて寝ちゃってたから、
翌日に読んじゃった」
アニカは、
小さく首を振る。
「気にしないで」
「ただ、
みんなでその瞬間に
一緒に見られたらいいなって思って」
月は、
焼き菓子を口に入れる前に、
少しだけアニカを見た。
アニカ
「レイからは、
返信なかったんだけどね」
苦笑い。
「無口だから、
何考えてるのか、
あんまり分からないなーって」
月は、
フォークを持ったまま固まった。
レイ。
無口。
何を考えているのか分からない。
月の脳内に、
帰還直後の記録が再生される。
⸻
帰還後。
月が、
荷物を抱えたまま通路を歩いていると、
端末に通知が入った。
【送信者:天音】
【本文:レイくんの部屋来て。今すぐ】
月
「え、なに」
続けて、
もう一通。
【本文:面白いもの見れる】
月
「嫌な予感しかしないんだけど」
それでも、
月は行った。
アンドロイド科居住区。
レイの部屋の前に立つと、
扉が開く前から、
わずかに甘い匂いがした。
月
「……なにこれ」
認証音。
扉が開く。
天音
「月ー!
こっちこっち。キッチン」
月
「着たよー」
「って、うげ!」
月は、
キッチンを見て固まった。
そこには、
鍋。
計量器。
温度計。
形の違う透明な容器。
成分解析用の小型端末。
複数の植物片。
糖度測定器。
そして、
いつも通り無表情のレイ。
月
「なにこれ!?」
「なにしてんのレイ!?」
レイ
「料理だ」
月
「いやいやいやいや」
月は、
キッチン全体を指さす。
「実験室じゃんこれ!」
「何に使うのこれ、やば!」
天音は、
壁にもたれて笑っていた。
天音
「でしょ」
「だから呼んだ」
月
「呼ばないでよ、
こんな事件現場に」
レイ
「事件ではない」
月
「事件だよ。
少なくとも料理ではないよ」
レイ
「料理だ」
月
「料理はそんなに波形出さない!」
レイは、
端末を操作する。
レイ
「糖度、粘度、香気成分、
加熱反応、毒性反応、
すべて測定対象だ」
月
「ほら、実験じゃん」
天音
「本人は料理って言い張ってる」
月
「なんで急に料理なの」
レイは、
手元の容器を目線まで持ち上げる。
透明な液体の中に、
薄い青緑色の葉が浮いている。
レイ
「アニカがDeeperのデモンストレーション中に、
一時的な神経負荷状態になったと聞いた」
月の表情が、
少し変わる。
月
「……アニカちゃん、
大丈夫なの?」
レイ
「身体状態は安定している」
「ただし、
回復補助には、
嗜好反応の利用が有効と判断した」
月
「嗜好反応?」
レイ
「対象は、
甘味摂取時に表情変化率が上昇する」
月
「え」
天音
「見てたんだ」
レイ
「観測範囲内だ」
月
「言い方」
天音
「完全に見てるじゃん」
レイ
「観測だ」
月
「はいはい、観測ね」
月は、
テーブルの上に並んだ材料を見る。
月
「で、
この草は?」
レイ
「星露草だ」
月
「名前だけ綺麗」
天音
「見た目は完全にやばい草だけどね」
月
「食べれるやつ?これ」
レイ
「食用判定済みだ」
月
「食用判定って言い方がもう食べ物じゃないんだよ」
レイ
「危険区域水源帯に自生する希少植物だ。
通常居住区には流通していない。
博士から譲渡された」
月
「博士、何くれてんの!?」
レイ
「香気成分に、神経負荷を下げる作用がある。
ただし、
加熱温度を誤ると香りが強く出る。」
月
「どれくらい?」
レイ
「森林区域に近い」
月
「お菓子で出していい単位じゃない」
レイ
「博士は、
外縁部では回復補助に使われることがあると言っていた」
月
「それを、
アニカちゃんのお菓子に入れようとしてるの?」
レイ
「神経負荷軽減用の甘味を作成している」
月
「だから、
それを世間では、
アニカちゃんのためのお菓子って言うんだよ」
レイ
「目的は神経負荷軽減だ」
天音
「はいはい、
神経負荷軽減ね」
天音は笑いすぎて
限界が近そうだ。
月
「で、
私は何しに呼ばれたの?」
レイは、
月の前に小皿を置いた。
そこには、
小さな焼き菓子のようなものが乗っていた。
色は、
淡いクリーム色。
表面には、
ほんの少しだけ青緑色の粉がかかっている。
月
「……なにこれ」
レイ
「試作品だ」
月
「まさか」
レイ
「試食してくれ」
月
「毒味じゃん!!」
天音が、
吹き出した。
天音
「あはははは!」
月
「笑ってないで止めてよ!」
天音
「いや、
面白すぎる」
レイ
「毒性反応は検出されていない」
月
「その言い方がもう怖いんだよ!」
レイ
「危険物探知、糖度測定、
温度管理、成分分析は機能として保有している」
「だが、
美味しい、という判定はできない」
月
「できないのに作ったの?」
レイ
「必要だった」
月は、
言い返そうとして、
少し止まった。
必要だった。
レイは、
いつもの無表情で、
本当にただ、
そう言った。
でも、
その目だけは、
まっすぐだった。
月
「……」
天音が、
にやにやしながら月を見る。
天音
「ね?」
月
「ね、じゃない」
レイ
「試食を頼む」
月
「……ちょっと待って」
月は、
焼き菓子を持ち上げる。
匂いを嗅ぐ。
甘い。
ほんの少し、
森みたいな匂いがする。
危険区域の夜に聞いた、
木々の音を思い出すような匂い。
レイ
「香気反応、許容範囲内」
月
「今、私で測った?」
レイ
「測定した」
月
「やめろ」
天音
「あははは!」
月は、
覚悟を決めて、
小さく一口かじった。
沈黙。
レイが、
月を見る。
天音も、
月を見る。
月は、
もう一口かじった。
レイ
「反応は」
月
「……悔しい」
天音
「お?」
月
「普通においしい」
レイ
「成功か」
月
「いや、
成功だけど、
成功って言いたくない」
天音
「なんで」
月
「レイがあまりにも実験室みたいに作ってたから」
レイ
「料理だ」
月
「まだ言う」
レイ
「改善点は」
月は、
皿の上の試作品を見る。
月
「甘さはいい」
「でも、
ちょっと香りが強い」
「アニカちゃんには、
もう少しやわらかい方がいいと思う」
レイ
「了解」
レイは、
すぐに端末へ入力する。
【香気成分、二十パーセント低下】
【焼成温度、再調整】
【糖度、維持】
月
「本気じゃん」
天音
「本気だよ」
月
「……」
レイは、
次の試作品を作る準備を始めている。
手つきは正確。
無駄がない。
でも、
何度も、
甘味の色を見る。
香りを確認する。
糖度を測る。
端末に記録する。
月は、
それを見ながら、
少しだけ笑いそうになった。
月
「ねえ、レイ」
レイ
「何だ」
月
「アニカちゃん、
喜ぶといいね」
レイは、
手を止めなかった。
レイ
「表情変化率の上昇が確認できれば、
目的達成だ」
天音
「ほんと、言い方」
月
「でも、うん」
月は、
試作品の残りを口に入れる。
「たぶん、喜ぶよ」
レイは、
返事をしなかった。
ただ、
次の記録欄に、
小さく追記した。
【想定反応:喜ぶ】
月は、
残った焼き菓子を、
もう一口かじった。
森みたいな匂いがした。
けれど、
危険区域でひとり眠った夜とは、
少し違った。
天音が笑っている。
レイが、
真顔で次の配合を入力している。
同じ森みたいなのに、
怖くない。
この森は、好き。
月は、
小さく息を吐いた。
月
「……帰ってきたんだなあ」
天音
「うん。
おかえり、月」
月
「ただいま」
レイ
「疲労反応が残っている。
休息を推奨する」
月
「このキッチン作った人に言われたくない」
天音
「あははは!」
⸻
カフェエリア。
月は、
フォークを持ったまま、
目の前のアニカを見る。
アニカは、
何も知らない顔で、
焼き菓子を少しずつ食べている。
アニカ
「どうしたの?」
月
「ううん」
アニカ
「なんか笑ってない?」
月
「笑ってないよ」
アニカ
「笑ってる」
月
「気のせい」
アニカは、
焼き菓子を見下ろす。
アニカ
「これ、
ちょっと不思議な香りするね」
月
「うん、
森みたいでしょ」
アニカ
「うん、でも、
優しくて落ち着く」
月は、
思わず口元を隠した。
アニカ
「なに?」
月
「なんでもない」
アニカ
「月ちゃん、
絶対何か知ってる」
月
「知らない知らない」
アニカ
「ほんと?」
月
「ほんと」
月は、
少しだけ視線を逸らす。
アニカ
「レイって、
本当に何考えてるのか分かりにくいよね」
月は、
今度こそ笑った。
アニカ
「え、なに?」
月
「そうかな?」
「意外と、
分かりやすいと思うけど」
アニカ
「そう?」
月
「うん」
月は、
焼き菓子を小さく割る。
レイが、
糖度を三回測り直していたこと。
香りを弱めるために、
配合を変えていたこと。
天音に笑われても、
手を止めなかったこと。
【想定反応:喜ぶ】
あの表示を、
なぜか消さずに残していたこと。
月は、
全部思い出した。
アニカ
「どういうところが?」
月
「んー」
月は、
少し考えるふりをした。
「観測って言いながら、
けっこう見てるところ」
アニカ
「見てる?」
月
「うん」
「ちゃんと、見てる」
アニカは、
少しだけ黙った。
それから、
焼き菓子をもう一口食べる。
アニカ
「……そっか」
月
「うん」
「たぶんね」
カフェエリアの窓の外は、
もう満月ではなかった。
けれど、
あの日の光は、
まだ少しだけ、
三人の間に残っていた。




