正しいの決め方
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第2話「正しいの決め方」
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アニカは歩きながら、課題を小さく読み上げる。
「課外授業は、実例観察を目的とする。」
前を歩いていたレイが、不意に立ち止まる。
それでもアニカは、視線を紙に落としたまま続ける。
「対象は、適合不良が報告された事例。」
アニカの動きも止まる。
「……回収になるかもしれない」
レイは無言で、目の前の端末に触れた。
——個体認証。
わずかな振動。
空中に、淡い表示が浮かぶ。
レイ「学園ID認証。車両使用許可を要請」
管制システム「認証済。優先度:学生。使用可能」
地面が、わずかに震える。
収納されていた支柱が持ち上がり、関節が展開する。
パタン、パタン、と連結していく。
空中に、一本の道が編まれる。
格納庫の扉が開く。
内部には、同一規格の機体が整列している。
月「ねえ、これ、どれ乗るの?」
レイ「個体差は存在しない。」
月「えー、じゃあ運転は?」
レイ「人間は操作不可」
「事故発生確率が排除できないため。」
月「……ふーん」
アニカは、少しだけ空を見上げる。
整えられた経路。
無駄のない構造。
——綺麗だ。
そう思った。
でも、
なぜか少しだけ、息が詰まる気がした。
レイが機体のシートに触れる。
——認証。
遅れて、月とアニカの識別情報が同期される。
機体に乗り込むと、静かに浮き上がる。
振動はほとんどない。
管制システム「地点:学園-地点K221経路確認。水星逆行期間を考慮。速度20%減少。自動走行開始。」
下に広がる街が、ゆっくりと流れていく。
整えられた建物。
均一な間隔。
歩く人間だけが、地面を使っている。
道は、ない。
ただ、歩くための地面だけが続いている。
上空に編まれた経路だけが、移動のために存在している。
月が、下を覗き込んだ。
「変なの。」
「なんか、スカスカ」
アニカも、視線を落とす。
確かに、空いている。
何もない。
——それが、正しい形。
アニカ「……前は」
小さく、呟く。
「地上を、走ってたらしいよ」
月が振り返る。
「なにが?」
アニカ「乗り物」
少しだけ考えて、
「……だったかな」
風が抜ける。
アニカ「みんな、別々の機体を持ってたって」
月「……別々?」
少しだけ首を傾げる。
「なんで?」
レイが答える。
「非効率だったため、廃止された」
月「ふーん」
少しだけ間。
「じゃあ、今の方がいいね」
風が抜ける。
上空の道は、迷いなく続いていく。
下には、ただ歩くための世界だけが残っていた。
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管制システム「目的地到達。」
減速。
振動は、ほとんどない。
機体が、静かに停止する。
空中に編まれていた経路が、わずかに揺らぐ。
支柱が、順に折り畳まれていく。
パタン、パタン、と音を立てながら、
地面へと収納されていく。
通りは、静かだった。
風の音だけが、きれいに抜けていく。
アニカは、少しだけ足を止める。
さっきまであったはずの経路は、
もう、どこにもない。
アニカ「……消えた」
月が振り返る。
「最初からなかったみたい」
レイ「経路は一時生成」
「不要時は解体後に収納される。」
月「ふーん」
あまり興味なさそうに、前を向く。
建物は、均一な間隔で並んでいる。
どの家も、同じ温度で整えられている。
違いは、ない。
レイが一歩、前に出る。
「入室許可を要請。応答をお願いします。」
わずかな間。
電子音。
ドアが静かに開く。
「いらっしゃい」
男は、柔らかく微笑んだ。
角度も、間も、完璧だった。
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「本日はお越しいただき、ありがとうございます」
声は穏やかで、揺れがない。
用意された言葉みたいに、整っている。
アニカは、ほんの一瞬だけ視線を止めた。
——清潔で綺麗な部屋。
そう思う。
でも、どこかで引っかかる。
「妻は、現在外出中なんです」
男は続ける。
「帰宅時刻は、13時03分。あと、12分ほどで到着されます」
レイが頷く。
「問題ない。課外授業へのご協力感謝します。」
月は、部屋を見回した。
「……静かだね」
その言葉どおり、家の中には余計な音がない。
包丁がまな板に触れる音だけが、規則的に響く。
男は、キッチンに立っている。
手元の動きに、無駄がない。
食材はすでに切り揃えられ、
火加減も、タイミングも、すべて計算されている。
「夕食は、妻の嗜好に合わせてあります」
鍋の中をかき混ぜながら、男は言う。
「過去の摂取履歴、体調データ、心理状態の推移をもとに、毎日献立を考えております」
香りが、ふわりと広がる。
食欲を刺激する、ちょうどいい温度で。
「すごい……」
思わず、アニカは呟く。
本当に、完璧だった。
月「……ふつうじゃん。」
レイ「支障なし。」
そのとき、
玄関の電子音が鳴る。
男が振り向く。
さっきと同じ、完璧な笑顔で。
「おかえり」
女が帰宅した。
少しだけ、疲れた顔で。
「……ただいま。」
靴を脱ぎながら、短く返す。
男はすぐに近づく。
「今日は、どうだった?」
「別に。」
そっけない返事。
でも、男の表情は変わらない。
「夕食は、君の好みに合わせてあるよ。栄養バランスも——」
「……ねえ」
女が、言葉を遮る。
ほんの少しだけ、空気が歪む。
「私、今日、あなたとの手続きに行ってきたのよ?」
男はすぐに頷く。
「大丈夫。ふたりで話し合った結果だ。」
「そういうことじゃなくて」
女は笑う。
笑っているのに、目が笑っていない。
言葉を探すみたいに、少し黙って。
「怒らないの?」
男は一瞬だけ考えたあと、
「怒る必要がないよ」
と、穏やかに答えた。
「それは、ふたりで話し合った結果だから」
完璧な答えだった。
正しい。
間違いは、どこにもない。
それでも——
女は、黙り込む。
アニカの目に、女の顔は疲れより落胆が滲んでいるように見えた。
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学園の生徒が帰宅した。
回収を依頼したことで、
そこに至るまでの経緯をデータとして保存する必要があった。
彼は、
両親が私のために発注してくれた存在だ。
公務に精を出す娘の体を心配して——
穏やかで、
優しく、
人の役に立つことが楽しい。
そんなルートマップで設計され、
人間の脳に焼き付けられた。
その身体は、
紛れもなく人間だ。
心臓も、体温も、呼吸もある。
彼は、
私のために生み出された。
彼が生まれてから過ごした時間のすべては、
私と共に生きるためにあった。
でも——
食卓の上には、整えられた料理。
温度も、見た目も、香りも、
すべて私好み。
「ねえ」
「私のこと、好き?」
——どうしてだろう。
彼は、迷わない。
「好きだよ」
即答。
「君は、最適なパートナーだ」
沈黙が落ちる。
女は、ゆっくりと椅子に座る。
「……そっか」
それだけ言って、箸を取る。
ひと口。
おいしい。
完璧に。
おいしい。
でも——
「……なんかさ」
ぽつりとこぼす。
「全部、わたしのため。」
顔を上げる。
「……なのに、なんでこんなに遠いの」
会話は、記録されていない。
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「以上。再生終了。」
静まり返った教室に、映像が流れている。
レイの記録領域から呼び出され壁面に投影されていた視界ログが停止した。
誰も、言葉を発しない。
画面の中の“正しさ”が、静かに揺れていた。
「……どう思った?」
先生の声が、柔らかく落ちる。
答えを求めているようで、求めていない声。
月が、すぐに口を開いた。
「ふつう」
あっさりと。
「あと、……つまんない」
隣で、アニカは少しだけ視線を落とす。
アニカ「完璧だと思った」
「でも、少しだけ——」
「息が詰まる気がした」
レイは、迷わない。
「問題ない。」
淡々とした声。
月「関係は安定している。衝突もない。満足度も維持されている~」
「でしょ?」
月が笑う
「だからやなんだってば。」
「それ、誰のための“好き”なの?」
アニカは、画面を見つめたまま、動かない。
月「あの部屋みた?なんか変だったじゃん!」
正しい。
でも——
それが、
どうして“回収”になるのかが分からない。
「……なんでだろ」
小さく、こぼれる。
「うまくいってるのに」
「うまくいってない感じ」




