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route:00  作者: レイレイ
第1章 学園編
PR
11/43

整いすぎた世界で

route:00


10話「整いすぎた世界で」


⸻


演習室での授業から

数日が経っていた。


アニカは

いつも通り講義を受け、

いつも通り課題を提出し、

いつも通り学園内を歩いていた。


けれど。


胸の奥に、

小さな引っかかりだけが残っている。


『それは、誰の願望ですか』


天音の声。


穏やかで、

責めているわけでもない。


ただ、

静かに置かれた問い。


その言葉は

何度もアニカの中で再生された。


自分は

間違えたのだと思った。


あの男性職員の未来を、

勝手に見た。


笑ってほしいと、

思ってしまった。


それは、

相手のためだったのか。


それとも。


自分が、

そうあってほしかっただけなのか。


「……」


アニカは

歩きながら小さく息を吐いた。


学園内はいつもと変わらない。


白く整った通路。


一定間隔で差し込む光。


壁面を流れる案内表示。


学生たちは

それぞれの端末を確認しながら

静かに移動している。


誰も、

アニカを責めない。


当然だった。


講義中に

他者と異なる意見を述べたからといって

責める個体はいない。


非合理的だからだ。


異なる観測結果が提示されたなら、

比較し、

検討し、

必要なら修正する。


それだけ。


AI人間も、

アンドロイドも、

そう作られている。


感情的な攻撃や、

不要な排除は、

学習効率を下げる。


だから。


誰も気にしていない。


誰も笑わない。


誰も、

責めない。


それなのに。


アニカだけが

まだ少し

あの演習室に残っているような気がした。



「アニカちゃん」



隣を歩いていた月が、

ひょいと顔を覗き込む。

「まだ引きずってる?」


アニカ「え」


「顔」

月は自分の頬を指でつついた。


「ずっと、

考えてる顔してる」


アニカは

少しだけ目を伏せる。

「……そんなに?」


「うん」

月は即答した。

「ずっと」


アニカは、

困ったように笑う。

「別に、責められたわけじゃないのにね」


「そうだよ」

月はあっさり頷く。

「誰も責めてないよ」


アニカ「うん」


月「でも、

アニカちゃんは責めてる」


アニカ「……え?」


月「自分で」


月は、

歩きながら前を見る。


「だから、苦しそう」


アニカは、

何も言えなかった。


月は時々、

何気ない顔で、

一番奥に触れてくる。


「でもさ」


月が、

ぱっと声を明るくする。


「考えすぎても、

処理落ちするだけだよ」


アニカ「処理落ち……」


月「そう。

一回、違うこと見よ!」


月は、通路の先を指さした。

「ほら」


アニカが視線を向ける。


共有ラウンジの横にある、

申請端末ブース。


その一基の前に、

レイが立っていた。


姿勢よく

無駄のない動作で

端末画面を操作している。


月が

少し目を輝かせた。

「あれって、

ポイント交換端末だよね?」


アニカ「うん」


「レイ、何してるんだろ」

月はもう、

そちらへ歩き出していた。


「月ちゃん、待って」

アニカも後を追う。


レイは二人に気づくと

端末から視線だけを上げた。


「何してるの?」

月が、

遠慮なく端末を覗き込む。


表示されていたのは、

家具申請画面だった。


立体表示の中に、

大きめの椅子が浮かんでいる。


深い背もたれ。


体を包むような曲線。


角度調整機能。


環境光連動。


姿勢補正。


長時間作業支援。


月が、

目を丸くした。

「椅子?」


「パーソナルチェアだ」

レイは、

淡々と答える。

「自室用に申請する」


アニカも画面を見る。


機能一覧の横に、

必要ポイントが表示されていた。


⸻


申請物:

【パーソナルチェア】


必要ポイント数:

【42,000】


⸻


アニカ「……え」


月が、

一歩近づく。

「必要ポイント多っ!」


アニカも、

思わず声を漏らす。

「すごいね。

こんなのと交換できるんだ」


この世界に、

"通貨"という概念は存在しない。


人口が統制され、

資源配分が管理された社会では、

生活に必要な衣食住は過不足なく分配される。


食事。

衣服。

住居。

医療。

教育。

活動に必要な標準端末。


それらは、

生存と社会維持のために、

基本供給として扱われている。


けれど。


それ以上に望むものがある場合。


個体は、

世界への貢献度に応じて付与されるポイントを使い、

追加物資や設備を申請する。


規範に沿った行動。


研究レポート。


合同授業への協力。


社会改善案。


公務以外での有益な観測提供。


それらが、

ポイントとして記録される。


欲しいものを、

自由に手に入れるわけではない。


必要性と貢献度に応じて、

個体は申請を行う。


それが、

この世界の交換形式だった。


月は、

レイの画面を見たまま口を開けている。


「レイ、

こんなにポイント持ってるの?」


レイ「合同研究分が、

まとめて入った」


「おー!すごい!さっすがアンドロイド科ー!」

月が、

両手を上げる。


レイ「処理案件数が多いだけだ」


「それをすごいって言うんだよ」

月は、

けろっと言う。


アニカは、

椅子の立体表示を見つめた。

「レイって、

自分の部屋でそんなに作業するの?」


レイ「する」


アニカ「どんな部屋なの?」


レイ「標準個室だ」


月が、

じっとレイを見る。

「絶対違う」


レイ「何がだ」


月「標準個室って言い方する人の部屋は、

絶対に標準じゃない」


レイ「根拠がない」


月「ある。私の直感」


レイ「信頼性が低い」


「えー」

月は、

アニカの方を向いた。



「見たいよね?」



アニカ「え?」



月「レイの部屋!」



アニカは

少しだけ迷う。


確かに、

気になる。


レイの部屋。


レイが、

どんな空間で過ごしているのか。


あまり想像がつかなかった。


真っ白で、

物が少なくて、

端末だけが整然と並んでいる。


そんな部屋を、

なんとなく思い浮かべていた。


「……少し」

アニカが答えると、

月は嬉しそうに笑った。


月「ほら!」


レイは、

数秒沈黙した。


それから、

申請画面を閉じる。


レイ「十五分以内なら許可する」


「やった!」

月が、

小さく跳ねた。


⸻


レイの自室は、

アンドロイド科居住区の端にあった。


通路は静かで、

人の気配が少ない。


扉の前に立つと、

レイが認証を通す。


短い電子音。


扉が、

音もなく開いた。



「わ」



月が、

最初に声を上げた。



アニカも、

思わず足を止めた。



部屋は、

白くなかった。


静かな色。


深いグレー。


古い木材のような質感。


金属。


ガラス。


壁際には、

大小さまざまな観葉植物が置かれている。


背の高いもの。


小さな鉢。


蔦が垂れるもの。


葉の丸いもの。


窓際には、

光を追うように並んだ細い葉。


どれも、

整えられすぎていない。


それなのに。


部屋全体が、

妙に気持ちよかった。


窓から入る光は、

薄いフィルターを通って、

柔らかく広がっている。


古い紙媒体の本。


無機質な端末。


透明な記録ケース。


小さな鉱物標本。


役目を終えたような、

古い部品。


用途の違うものが、

いくつも並んでいる。


統一感はない。


それなのに、

なぜか落ち着く。


まるで。


「古くなったから」

「壊れたから」

という理由だけでは、

何も捨てない部屋みたいだった。



月が、

目を輝かせた。


月「やば!」

部屋の中へ入る。


「センス良すぎる!

この部屋好き!」


アニカは、

ゆっくり部屋を見回した。

「……意外」


レイが、

視線を向ける。

「何がだ」


アニカ「もっと、

白い部屋かと思ってた」


レイは、

数秒沈黙した。


「どこからデータを拾い、

どう広げていくかの傾向は固定されていない」


「そのため、

視野は広く確保している」


アニカは、

小さく目を細める。

「……それ、インテリアの理由なの?」


レイ「そうだ」


即答。


その答えが、

余計によく分からなかった。


アニカは

窓際の植物を見上げる。

「植物多いね」


レイ「空気循環効率が向上する」


即答。


「あと、

葉の揺れが視界ノイズになる」


「ノイズ?」

アニカが聞き返す。


レイは植物を見る。


「完全固定空間は、

思考が閉じやすい」


「そのため、

微小変化を置いている」


「また難しいこと言ってる」

アニカは笑った。


月は

棚の前でしゃがみ込んでいた。


「これ何?」


指さしたのは、

透明なケースに入った、

小さな古い部品のようなものだった。


レイが近づく。


「旧世代の入力補助デバイスだ」


月「入力補助?」


「指先の圧力変化を信号化し、

外部端末に送信する。

現行型と比較すると処理精度は低いが、

使用者ごとの癖が残りやすい」


「へぇ」

月は、

ケースを覗き込む。

「それが面白いの?」


レイ「入力誤差の残り方が個体差の記録になる」


「同一情報を入力しても、

使用者によって圧力、

速度、

間隔に差異が出る」


レイは

淡々と続ける。


「つまり、

処理結果だけでなく、

処理過程の揺れが残る」


「旧式だからこそ、

個体の癖が消えきらない」


「そのため、

観測資料として有用だ」


月は、じっとレイを見た。

「…おぉ」


レイ「何だ」


月「めっちゃ好きなんだね」


レイ「必要だからだ」


即答。


月は、

にやっと笑った。


「いや、

そういうのを”好き”って言うの」


レイ「…不明」


月「不明、じゃない!」


レイ「使用目的がある」


月「それも含めて、”好き”」


レイは

少し眉を寄せた。

「定義が曖昧だ」


月「だから定義するの」


月は、

人差し指を立てる。


「みんなで同じ言語使った方が、

分かりやすいでしょ?」


レイは

黙って月を見る。


月は

得意げに続けた。


「好きとか嫌いとか、

感情って

意味じゃなくて、

定義するものなの」


「何回も何回もそれを考えてる」


「目で追う」


「欲しくなる」


「集める」


「捨てない」


「必要って言いながら、

ずっと近くに置いてる」


月は、

ケースを軽く指さした。


「それは、

”好き”」


アニカは、

少し驚いて月を見る。


月の言い方は、

とても軽い。


けれど。


不思議と、

核心を突いている気がした。


レイは、

しばらく黙っていた。


それから。


「一理ある」


月が

ぱっと笑う。


「でしょ?」


レイ「検討する」


月「そこは認めてよ」


レイ「検討する」


「かたーい」

月が笑う。


アニカも、

つられて少しだけ笑った。



その時。



レイの視線が、

ふと動いた。



一瞬だけ。


アニカを見た。



「……?」

アニカは、

首を傾げる。


「何?」


「いや」

レイは視線を戻す。


「未分類項目があった」


アニカ「未分類?」


レイ「まだ定義していない」


アニカは、

よく分からないまま瞬きをした。


月は、

そのやり取りを見て、

にまっと笑う。

「ふーん」


レイ「何だ」


月「べつにー」


レイ「不審」


月「レイもね」


レイ「理解不能」


月は、

楽しそうに笑った。


アニカは、

その様子を見て、

胸の奥がほんの少し軽くなるのを感じた。


さっきまで、

あんなに沈んでいたのに。


この部屋の空気は、

少し違う。


整っているのに、

固定されていない。


静かなのに、

冷たくない。


不思議な部屋だった。



その時。



部屋の端末が、

短く震えた。


レイが視線を向ける。


壁面の一部が光り、

立体映像へ切り替わる。


そこに現れたのは。



「レイくーん」



柔らかな声。


黒い制服。


淡く整った顔立ち。



天音だった。



アニカの体が、

わずかに固まる。


講義の日の記憶が、

一瞬で戻ってくる。


『それは、誰の願望ですか』


胸の奥が、

小さく縮む。


天音は、

そんなアニカを見つけると、

少しだけ目を細めた。


「あれ?」


「その子は、この間の」


アニカは、

咄嗟に姿勢を正す。

「こ、こんにちは」


「こんにちは」

天音は、

穏やかに笑う。

「また会えましたね」


レイが、

間に入るように口を開いた。

「用件は」


「ちょっと行き詰まっちゃって」

天音は、

何でもないことのように言う。

「力を貸してくれないかな」


レイ「学園接触制限により、不可」


「ん?」


天音は、

少しだけ首を傾げる。


「……ああ、今そこにAI人間科の子がいるからか」


「なるほど」


「そっか」


天音は、

にこりと笑った。



「じゃあ、

今から行くね!」



映像が切れる。



沈黙。



月が、

ぽかんとする。


「……え?」


アニカも、

同じ顔をしていた。


「今から?」


レイは、

静かに端末を見ている。

「来る」


「止めなくていいの?」

アニカが聞く。


レイ「止まらない」


即答だった。


月が

吹き出した。

「なにそれ」


⸻


数分後。


扉の認証音が鳴った。


レイが操作するより早く、

扉が開く。


黒い制服が、

静かに室内へ入ってきた。


「こんにちは」


天音は、

まるで普通に招かれた客のように、

柔らかく微笑んだ。


月が、

目を丸くする。


「え、開けた?」


天音「開きました」


月「…いや、そうじゃなくて」


アニカ「入っていいんですか?」


天音「今、入れています」


アニカ「答えになってない……」


レイが、

低く言う。

「入室記録は残る」


「うん」

天音は、

全く悪びれない。

「だからレイくんの部屋に来た」


レイ「何故」


天音「レイくんがいると、

だいたい処理が整うから」


月が

小声でアニカに囁く。


「この人、やばいね」


アニカは

小さく頷く。


「うん……」



天音は、

二人の方を向いた。


「ああ、そうだ、

僕のことは、

天音って呼んでください」


アニカは、

一瞬止まる。


「え」


天音「ヒト科所属、

とかだと長いでしょう」


月は

あっさり笑った。

「じゃあ天音!」


「はい」


「私は月」


「知っています」


「知ってるの?」


「この間、

同じ演習室にいましたから」


「覚えてたんだ」


「印象的だったので」


月は、

少し嬉しそうにする。


アニカは、

迷いながら口を開いた。


「……天音」


名前を呼ぶと、

天音はアニカを見る。


「はい」


その視線に、

アニカは少しだけ緊張した。


けれど、

天音はただ穏やかに笑っていた。


講義の時のように、

問いを突きつけてくるわけではない。


それが逆に、

少し不思議だった。


天音は、

部屋を見回して大きく息を吸って吐く。


「相変わらず、

レイくんの部屋は居心地がいいなあ」


「前にも来たことあるの?」

月が聞く。


「ありますよ」

天音は、

何でもないように答える。


「ヒト科でも、

レイくんの人気は高いですから」


「人気?」

アニカが、

思わず聞き返す。


レイは、

黙っている。


天音は

楽しそうに続けた。


「合同研究や講義で、

よく指名されています」


「処理精度が高くて、

感情応答も安定していて」


「余計なことを言わない」


わずかな間。


「便利です」


月が吹き出す。

「便利って言われてるよ、 レイ」


レイ 「…」


天音が、

穏やかに微笑む。


「非常に便利です」


月 「強化された」


アニカも、

思わず笑った。


天音は

楽しそうに続ける。


「だから、

ポイントも多いんです」


月は、

ぽんと手を打った。


「そっか!

だからあんなにポイント持ってたんだね」


アニカは

レイを見る。

「すごいね」


レイ「処理案件数が多いだけだ」


「またそれ」

月が笑う。

「そういうのを、

すごいって言うんだよ」


レイは、

少しだけ黙った。

「検討する」


月が

声を上げて笑う。


天音は

窓際へ歩いていった。


部屋の光を受けて、

黒い制服が静かに沈む。


その黒は、

演習室で見た時ほど異物ではなかった。


けれど。


この部屋の中でも、

やはり少しだけ、

違う空気を持っている。


天音は、

窓の外を見ながら言った。

「ここ、

落ち着くね」


レイが答える。

「視界情報が固定化しないよう調整している」


月がすかさず言う。

「また始まった」


アニカも、

少し笑う。


月「レイって、

なんでもそういう言い方するよね」


天音は、

くすっと笑った。

「でも」


その声が、

少しだけ静かになる。


「そういう場所、

今の世界だと少ないから」


空気が、

ほんの少し止まった。


アニカは、

天音を見る。


「少ない?」


「うん」

天音は、

窓の外を見たまま答える。


「どこも、

よく整ってる」


「安全で」


「清潔で」


「正しくて」


「過不足がない」


月が、

首を傾げる。

「いいことじゃないの?」


「いいことですよ」

天音は、

あっさり頷く。


「とても」


「だから、

息苦しい」


アニカは、

目を瞬かせた。



ヒト科。



この世界で、

最も尊重される分類。



決定権を持ち、

最も正しくあることを求められる存在。



その所属である天音が。



息苦しい、

と言った。



「ヒト科って……」

アニカは、

言葉を探す。


「どういう場所ですか?」


天音は、

少し考える。


それから。


「綺麗な場所です」


静かに言った。


「正しいし、

静かだし、

完成してる」


柔らかな声。


「だから、

ときどき壊したくなる」


月が、

思わず声を上げる。

「怖っ」


天音は

笑う。


「怖いですか?」


月「怖いよ」


「そう」

天音は、

楽しそうに頷いた。


「月は分かりやすいね」


「え、褒めてる?」


「観測しやすい」


「褒めてない!」


アニカは、

思わず笑った。


けれど、

胸の奥に、

小さな震えが残っている。


壊したくなる。


その言葉が、

なぜか離れなかった。


天音は、

アニカの方を向く。



「アニカ」



名前を呼ばれて、

アニカは少し背筋を伸ばした。


「はい」


「この間のこと、

まだ考えていますか?」


呼吸が、

少しだけ止まる。


月が、

ちらりとアニカを見る。


レイも、

端末から視線を上げた。


アニカは、

一瞬迷った。


でも。


「……考えてます」


小さく答えた。


「私、

間違えたのかなって」


天音は、

責めるでもなく、

慰めるでもなく、

ただ聞いている。


アニカは続けた。


「本人が望んでいるかどうかも、

聞いてないのに」


「笑ってほしいって、

思ってしまったから」


静寂。


月が、

口を開きかけて、

閉じる。


レイも、

何も言わない。


天音だけが、

少しだけ目を細めた。


「あなたは」


静かな声。


「その人を、

見ようとしたんでしょう?」


アニカは、

顔を上げる。


「え?」


天音は、

植物の葉を指先で揺らす。


「この世界って、

よく出来ていますよね」


「正しくて、

優しくて、

安定している」


「だから、

誰も揺らさなくなる」


「揺れないものは、

とても安定しますから」


葉が、

小さく戻る。


「時々、

本当に動いているのか、

分からなくなる」


静かな目。


「でもあなたは、

少し揺らした」


アニカが、

目を瞬かせる。


天音は、

ほんの少しだけ笑った。


「あなたはこの間」


「止まった答えの外を見ようとしたでしょう?」


穏やかな声。


「だから少し、

気になったんです」


その言葉は、

褒め言葉なのか、

観測結果なのか、

よく分からなかった。


でも。


不思議と、

前みたいに苦しくはなかった。


月が

ぱっと手を上げる。


「はい!」


全員が月を見る。


「私は、

今楽しいです」


「急に何故」

レイが言う。


月は、

胸を張った。


「変な人が増えたから!」


アニカが、

思わず吹き出す。


天音も、

楽しそうに笑う。


レイだけが、

少しだけ沈黙したあと、

言った。

「分類は概ね正確だ」


月が、

さらに笑う。

「認めた!」


部屋の中の空気が、

少しだけ柔らかくほどけた。


アニカは、

その空気の中にいた。


笑い声。


端末の微かな駆動音。


植物の葉を揺らす空調。


窓から入る淡い光。


黒い制服の天音。


棚の前で楽しそうにしている月。


静かに端末を操作するレイ。


全部が、

少しずつ違っている。


正しく整った教室とは違う。


模範解答の表示領域とも違う。


けれど。


ここは、

不思議と苦しくなかった。


ほんの数日前まで、

ただの学園だったはずなのに。


今は。


少しだけ、

知らない場所みたいに見える。


でも。


悪くない、

とも思った。


月が、

レイの棚からまた何かを見つける。

「ねぇ、これも好きなやつ?」


レイ「必要な資料だ」


月「好きなやつだ」


レイ「…検討する」


月「まだ検討するの?」


天音が、

静かに笑う。

「レイくんは慎重だから」


「天音は慎重じゃないの?」

月が聞く。


天音は、

少しだけ首を傾げた。


「僕は」


わずかな間。


「壊してから考える方が、

見えるものが多いと思ってる」


レイが、短く言う。

「危険思想だ」


天音「便利な思想だよ」


レイ「危険」


天音「レイくんがいるから大丈夫」


レイ「根拠がない」


「あるよ」


天音は、

穏やかに微笑む。


「だいたい何とかしてくれる」


レイは、

黙った。


月が

小声でアニカに言う。


「ねぇ、

あの二人絶対前からこんな感じだよ」


アニカは

小さく笑う。


「うん」


その笑いが、

自分でも少し意外だった。


アニカは、

窓の方へ視線を向ける。


淡い光が、

部屋の中に落ちている。


息を吸う。


さっきより、

少し深く入った。


⸻息がしやすい。


そう思った。






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