誰かといる未来
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11話「誰かといる未来」
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朝。
居住区第七ブロック。
一定温度に保たれた空気が、
静かな通路を満たしている。
遠くで、
空調調整音が小さく鳴っていた。
一定間隔。
一定音量。
狂いなく。
この世界に、
一斉登校という概念はない。
始業ベルも。
朝の通勤ラッシュも。
全員が同じ時間で動く必要がないからだ。
各個体の
睡眠効率。
活動特性。
学習リズム。
思考ピーク。
それぞれに合わせて、
生活環境そのものが調整されている。
各自室では、
窓外映像を任意設定できる。
実景を映してもいいし、
好きな空や時間帯を投影することもできた。
アニカの部屋の窓が
ゆっくり明るくなる。
起床時間に合わせて、
朝焼けに近い光量へ
自動調整されている。
窓の外には、
淡い朝の光。
気温。
湿度。
照度。
すべて
居住個体の活動効率に合わせ
細かく調整されている。
アニカは、
ゆっくり目を覚まし、
小さく息を吐いた。
静かだった。
静かすぎるくらいに。
端末を開く。
通知が一件。
【本日も泊まり学習です】
【朝食は各自でお願いします】
送信者名は、
月。
短い定型文。
別に、
珍しいことではない。
月は以前から、
定期的に泊まりがけで
講義を受けている。
自分たちはAI人間だ。
発注元からのオーダーに沿うよう設計され、
その通りに成長しているか試されている。
月には月のオーダーがある。
それでも。
隣室が空室な朝は、
少しだけ静かだった。
アニカは、
そのままキッチンへ向かう。
カップへ、
温めたミルクを注ぐ。
少しだけ、
砂糖を多めに入れた。
白い湯気。
柔らかな甘い匂い。
その時。
端末が、
もう一度小さく振動した。
【最近の思考停滞傾向を確認】
【軽運動区画の利用を推奨します】
数秒。
アニカは、
表示を見つめた。
責める言葉ではない。
むしろ、
個体を気遣うための通知。
けれど。
どこか、
観測されている感覚だけが残る。
アニカは、
小さく端末を伏せた。
そのまま、
ソファへ腰を下ろす。
カップを、
両手で包む。
端末音声が、
自動ニュースを読み上げ始めた。
「現在、
冥王星逆行期間に伴い、
所属依存型個体の情動変動率増加が
確認されています」
「特に、過去1年間で
独立行動を選択した個体において」
「自己否定傾向、
離脱衝動、
将来不安の増加が観測されています」
アニカは、
ぼんやり聞いていた。
「継続個体と離脱個体の差について、
現在も長期観測が続けられています」
コクリ。
甘いミルクを飲み込む。
アニカは、
ぼんやり窓を見る。
一年前。
まだ今ほど、
悩んでいなかった頃。
決められた “正しい” を選ぶ。
それだけでよかった。
「……今より、
考えること少なかったな」
静かな部屋。
「結果可視化以前の離脱率上昇が
問題視されています」
「技能単位で生活維持可能な個体群の
生存率上昇が確認されています」
「冥王星逆行期間は約半年」
「この期間は短期成果ではなく
長期技能蓄積行動が
推奨されています」
ニュース音声だけが続いていく。
「居住区外に作られた
AI人間を用いた
人類進化再現実験施設では――」
「旧人類が辿ったものとは異なる系統を持つ、
新たな人類系統の発生が確認され、
研究者たちから
注目を集めています」
「現在、
知能発達速度および
社会適応性について
観測が続けられています」
その瞬間。
壁面投影が、
自動的にニュース映像へ切り替わった。
【危険区域関連情報】
【居住区安全基準に基づき
視覚共有モードへ移行】
アニカは、
少しだけ顔を上げた。
灰色の森林地帯。
外部研究区域。
危険区域。
「自然区境界にて
大型捕食個体の移動を確認」
「現在、
危険区域管理チームによる
誘導を実施中――」
巨大な影が、
木々の奥を横切った。
「並行して、危険区域研究補助員として
居住区維持不適合個体の
追加導入を開始しました」
人類は、
自然を完全には排除しなかった。
けれど。
完全に受け入れもしなかった。
共存するために、
どちらも壊さないために、
境界線を引くことにした。
住居区外。
制御不能領域。
それが、
危険区域。
月が以前、
「外って怖いよね」と言っていたのを、
思い出す。
アニカは、
ニュースを読み上げる端末を止めた。
少しだけ、
息を吐く。
「今日は、
どの授業を受けに行こう」
本日開講されている講義一覧へ
視線を向けた。
⸻
講義棟。
第三区画。
アニカが廊下を歩いていると。
「アニカさん」
静かな声。
海先生だった。
相変わらず、
感情の読みにくい穏やかな顔。
アニカは、
少しだけ姿勢を正した。
「はい」
海先生は、
静かに端末を閉じる。
「この間の件だけど」
アニカは、
一瞬だけ呼吸を止めた。
ヒト科。
天音。
授業への乱入。
接触制限。
海先生は、
淡々と続ける。
「本来、
ヒト科とAI人間科の接触は
卒業直前個体を除いて制限されてる」
「……はい」
「ただ」
わずかな間。
「今回については、
そもそも授業中に
ヒト科個体を入室させてしまった
こちら側にも非がある」
「だから、
今回は処罰なし」
アニカは、
小さく息を吐いた。
海先生は、
そのまま続ける。
「それと」
「天音くんから要請が出ていてね」
「要請?」
「レイくんの個室であれば、
接触許可を出してほしいって」
アニカは、
少し目を瞬かせた。
海先生は、
穏やかな声のまま続ける。
「考慮した結果、
条件付きで許可されました」
「双方に偏りなく
見識を広げること」
「必ずレイくんも同席して
会話内容の傾向を提出すること」
アニカは、
少し苦笑した。
「レイ、
嫌がりませんでしたか?」
海先生は、
ほんの少しだけ目を細める。
「最初は沈黙していましたよ」
「でも」
「ポイント付与対象になるって言ったら、
即答で了承しました」
アニカは、
思わず吹き出した。
「現金なアンドロイド……」
言った瞬間。
どこか、
身体の奥が
小さく引っかかった。
現金。
……どこで聞いた言葉だっただろう。
海先生は、
そんなアニカを見て、
わずかに視線を和らげた。
空気が、
少し軽くなった気がした。
「そういえば」
海先生が、
ふと思い出したように言う。
「この間、
レイくんがライブラリの
間接照明ページを
ずっと見ていたんですよ」
「え?」
「スタンド部分が大きく湾曲しているデザインでね」
「空間に変化が出るから良いらしい」
「そう言っていました」
アニカは、
少しだけ笑った。
なんとなく、
想像できる。
レイの部屋。
植物。
光。
揺れる影。
固定されすぎない空間。
それすらも
設計の一部なのだとしたら。
あれはきっと、
レイなりの配慮なのだろう。
⸻
昼。
カフェエリア。
アニカは、
同じ科の知人に誘われてやってきた。
期間限定紅茶。
淡い柑橘の香り。
湯気が、
ゆっくり揺れる。
【LIMITED】
小さな表示。
この世界では珍しい、
終わりが決まっているもの。
「美味しい……」
思わず、
小さく声が漏れる。
「でしょ?」
相手が笑う。
アニカは、
もう一口飲んだ。
その瞬間。
ふと、
思った。
今度、
みんなにも飲ませたい。
月。
レイ。
それから、
天音。
レイならきっと、
完璧に美味しく淹れるだろう。
アニカは、
端末を開いた。
「これ、
茶葉って申請できる?」
「できるよ」
相手が答える。
「端末から申請すれば
部屋まで届けてくれたよ」
「そっか」
アニカは、
小さく頷いた。
なんとなく、
みんなで飲んだら
楽しそうだと思った。
今は、
それぞれ別の場所にいる。
月は泊まり学習。
レイは、
きっとまた
自室で何かを調べている。
天音は、
どこかで
世界を揺らしているのかもしれない。
その姿を想像して。
アニカは、
思わず小さく吹き出した。
その瞬間。
ふと、
気づく。
自分は今。
次にみんなと会う時間を、
少し楽しみにしている。
以前の自分なら、
そんなことは考えなかった。
誰かと過ごす未来を、
こんなふうに
自然に想像することも。
また集まった時に、
「これ美味しかったよ」とか。
「こんなの見つけた」とか。
そんな小さなことを、
話せたらいいと思った。
窓の外では。
穏やかな風が、
木々をゆっくり揺らしていた。
アニカは、
その空気を
静かに
胸いっぱいに吸い込んだ。




