第三章-3
そして、比嘉は──森岡玲二は語り始めた。
「塔の設置に際し、『装置』に対しては感情を司る側頭葉の神経を直接刺激する案があったが、これは望む効果が得られなかった。仮に成功していたなら先々代市長があんな悲劇の演出をする必要などなかったのだから、これは結果からも明らかな話だ。感情により精神の出力度合いが変わることは確かだったが、機械的な刺激では思うようにいかなかった。現実にはより複合的な要因が存在するのだろうな」
「そこで俺が考えたのが、記憶の保存領域──これも側頭葉にあるのだが──から映像を抽出し、視覚的イメージを解析する機能を持つ後頭葉に受け渡す方法だ。だが膨大な記憶の平野から望む映像イメージを抽出する技術は確立されていなかったし、当時存在していたプロトタイプ機材は塔に持ち込めるようなサイズではなかった」
「だが透子を状況を思えば暢気に技術開発を待つ時間などない。結局、俺がやれたのは原始的なことだけだった。一旦透子の凍結状態を解除し、状況を説明し、持ち込んだ記録映像を見せる。それだけだ。無論、映像は透子が一番喜ぶだろうものにしたが、この時俺は既に、ポラリスの一部を切り捨てることを決めていた」
「癇に障る話だが、喜怒哀楽の感情の中で一番引き出しやすいのが哀しみだというのは事実なのだ。映像を見た透子はひどく喜んでくれたが、では英一や俺が『処理』された時のあいつの哀しみ具合と同等レベルだったかと問われれば、やはり及ばないように思えた。そのためポラリスのバリアが大きく減衰し、侵入した星幽体に大ダメージを受けることを覚悟していた」
「だが透子は言った。声は出せなかったが、笑って『大丈夫』とな。そして俺にもう一度自分を凍結させるよう促した」
「どのみち悩んでいる時間はなかった。既に外では星幽体の襲撃が始まっているはずだった。正直言えば俺はポラリスがどうなろうと知ったことではない。こんな棺桶都市はいずれ消え失せるべきだと思っている。だが今は棺桶であっても居場所が必要だった。透子もそれを望んだ。だから俺はあいつを凍結処理にかけ、再びデネブのバリアは発動した」
「だがここで予想外の事態が起こった。バリアが減衰していなかったのだ。正確には多少の差はあったかもしれないが、以前と殆ど同じ範囲をデネブは覆っていた」
「後の観測結果もこの現実を補完した。透子から生み出されている精神の『圧』、その値が以前とほぼ同レベルにあったのだ。こんな事例は今までに存在しなかった。他の者へ行ったという臨床実験──これもまたコロニー創生期の闇と言えるものだが──それらのデータが示すのは、喜びの最大値が哀しみのそれに及ばないということ。実際、先々代市長はこのデータを基に行動していた。だが透子のケースはそれを覆した。それに、あの時透子は笑って言ったのだ。大丈夫、とな。つまり彼女は、この結果を予想していたことになる」
「だが俺には理解できなかった。だからベガとアルタイルに対して同じことを試したのには、俺個人の知的欲求を満たす目的があったことも否定はしない。そして結果は、透子と同じだった。ベガとアルタイルは今も、設置当初と変わらない範囲でのバリア出力を維持している。変化があったことに気付く人間は誰一人いないだろう。無論、一時的にバリアが消失したことについてかなり激しく突き上げを食らったがな。その辺は、故人である先々代市長に悪役になってもらった。個人的な意趣返しの意味もあったが」
「ともあれ、こうして疑問だけが残った。いったい透子は、石黒崇は、クロエはなんなのか? 何が俺達と違うのか? この問いに対する明確な答えは俺の中にもない。ただ荒唐無稽な推測だけがある」
「ベータは人類の進化を見守り、お前という存在を見出した。だがアルファは? 奴は一千万の星幽体を狂わせ、ノアを滅ぼした。だが本当にそれだけか? あの高次元の存在が、そんな人類の芽を摘むことだけを目的とするものか? しっくりこないのだ。存在のレベルと行動のレベルが噛み合わない」
「だが時間軸を中心に捉えてみると見えてくるものがある。アルファによって星幽体が狂い、人類が危機に瀕したさなかに出現した、奴らに対する耐性を持つ人間達。ウィルスに対してワクチンが作られたかのようなタイミングで生まれた、『どこか違う人間達』。それも少数ではない、各コロニーに分散したため実感が沸き難いが、透子のような人間は数十人単位で存在する。はたして、これだけの数が突然現れたことを偶然と言えるのか? アルファの意図をそこに見る方が妥当ではないか?」
「……言っておくが、これはアルファのことを認める発言では全くない。奴を擁護するつもりなど微塵もないし、その思惑で透子が生まれたなどと考えるだけで不愉快だ。だが相手は人類の倫理観などとっくに捨て去って独自のルールで生きる高次元意志だ。『このようなこと』くらいは仕出かしかねないとは思っている」
「──最後は蛇足だ。ただ、お前はベータに監視される立場にある。アルファからも何らかの接触が今後行われるかもしれない。その時のために、こんな見方もあるのではないか、程度の意見として今の話を聞いておけ。……思ったより長くなってしまったな。もう時間がない。俺からの話は以上だ」
◇
時間にすれば5分にも満たない内容だった。だが、情報量の多さを英一は処理しきれず、話が終わっても何も反応することが出来なかった。
玲二は2本目の煙草に火を点した。おそらく、この煙草を吸い終える前に市庁舎の電源が復旧する。もはやそれだけの時間しか残されていないのだ。
彼は天井に向けて煙を吐き出すと、背後に立つ英一に告げた。
ああ、そうだと、たった今気付いたように。なんでもないことのように。
「そうだ、英一。お前はこれ以降、金輪際俺のことを父親と思うなよ」
「なんだって?」
「言ったとおりだ。口にするのは勿論、心の中でも思うな。これまで通り俺とお前は他人だ」
「な、なんでだよ……俺が、俺が『こんな』だからか?」
英一は腕を広げ、玲二に向かって一歩近づいた。だが、それ以上足が進まない。近づいて拒絶されるのが恐ろしかった。人間以外のものになり果てていた自分は、とっくに家族の一員たる資格も失っていたのだろうか。
だが、玲二の回答は違った。
「卑屈になるな、阿呆。別人に成り代わった俺だって今となっては亡霊みたいなものだ。幽霊のお前と亡霊の俺と、大した差などあるまい。更には透子まであの有様なのだぞ。これ以上似合いの家族がどこにいる」
「なら、なんで……」
「察しはついているくせに聞くな。他の者に知られないようにするためだ。俺がお前の父親であることが公となれば、確実に俺は破滅する。今の俺の立場はそれほど危うい。そうなったら──お前の母親を救ってやれなくなる」
「だ、だからって」
「だからも何もない。いいか、『この俺』は過去の亡霊と思え。森岡玲二は死んだ。それが唯一つの事実だ。わかったな」
「わ……わかるわけないだろう!」
英一は怒鳴った。ふつふつと煮えたぎるものがあった。たった15分だ。たった15分で、この男は家族との縁を断ち切ろうとしている。──他ならぬ、その家族のために。
英一には想像を絶していた。いったいどれほどの思いなのだろう。どれほどの決意をその胸に押し隠しているのだろう。名を捨て、顔を捨て、過去を捨て、彼はこれから全ての時間を、1分1秒たりとも例外なく、己を比嘉宗平と偽りながら生きていくことを誓ったのだ。妻も息子もいるこのポラリスの中で。決してそれを表に出すことをせず。
「あんたは……親父は、それでいいのかよ!」
だが、玲二は──動じた風もなく煙を吐いた。
「15分だ」
「え?」
「15分、お前の父親となることが出来た。それで充分だと思っている」
「──だ、だったら!」
英一は堪えきれずに叫んだ。泣きそうな顔をして、泣きそうな声をしている自覚があった。
「だったら、こっち向いて顔くらい見せろ!」
「無理だ。俺は父親の顔なんてしたことがないからな。わからないんだよ」
玲二の顔は、煙草の火でかすかに照らされていた。だが英一からはその表情は見えない。背を向けられていては、ほんの僅かに横顔の端が目に入るくらいで、父親が今どんな顔をしているのかを見ることが出来ない。
それなら──こっちから近づいてやる。
英一が、一歩を前に踏み出した。
玲二が、煙草の灰をとん、と灰皿に落とした。
そしてその時──部屋のライトがぱ、ぱ、と灯った。
「あ……」
英一は呆然と天井を見上げた。玲二は背中を向けたままだ。時間が──皮肉にも──止まったかのようなフロアに、やがてばたばたとした音が響いてくる。
それは職員達の靴が鳴らす足音だった。
「市長! 無事ですか!」
「ああ──」
玲二は椅子をくるりと回し──その直前、英一は咄嗟に彼に背中を向けた。
彼の顔を見ないようにした。
「こちらは無事だ」
背中越しに聞こえる彼の声。
それは『比嘉宗平』の声であり。
「……こちらの少年は?」
職員が訝しげな顔で市長に尋ねた。
だが比嘉が何か答えるより先に、英一が口を開いた。
平然と。穏やかに笑みを浮かべて。『かつての彼の父親』がそうしたように──感情全てを押し殺して。
「──すみません、自分は対星幽体部門の者です。停電で迷ってるうちに扉の前まで来てしまったら、市長が中に入れてくれたんです。──すぐに出て行きます」
◇
英一は市庁舎を飛び出した後、全速力で走った。
今の彼は、以前よりも更に速く走ることが出来る。もっと言えば、どんな速さを出すことも出来る。だが、人の姿を保てる限界内に留めている。偏に、まだ病室で眠りについている少女を悲しませないために。
向かう先はデネブだった。彼にはどうしても確かめたいことがあった。ために、脇目も振らず道を駆け抜け、橋を渡り、墓地を貫いて森に至る。
塔の前にはさすがに警備の人間がいた。だが、隙がないではなかった。今のポラリスは人手が圧倒的に足りないのだ。最重要施設の1つであっても、潤沢な人員を投入する余力はないのだ。
英一は裏手に回り、靴を脱いでから一気に跳躍した。塔の外壁の壁にトカゲのように張り付き、せり出した窓の上枠に足を引っ掛け更に飛ぶ。
3回ほどそれを繰り返して最上階の窓に張り付いた彼は、鍵の状態を確認しようとして窓を軽く押し──なぜか鍵が開いていることに気付いて、怪訝な顔になりながらも室内へと滑り込む。
『柱』の前に立った彼は、先日ベガでそうした時のように天井近くを見上げた。その視線の先には、やはり同じようにカプセルがあり──女性の姿が内部に見える。
(──母さん)
女性は──透子はたしかに微笑んでいた。玲二の話したことに偽りはなかった。これが、デネブの姿なのだ。北極星を導き、時には織姫と彦星をも見守る白く美しい鳥の。
だが英一が確かめたいことはその先にあった。母を見上げながら──しかし彼ははたと気付く。
(どうすればいいんだ、これ?)
自由に姿を変えられる彼は、最早人外の化け物だ。だが、今からしようとしていたことを、どのようにすれば実現できるのか、彼には見当がつかなかった。
と、そこに思わぬ助けが入った。室内の一隅で小さな渦が巻き起こったかと思うと、それは次第に人型の高さとなって、やがて一人の少女の姿を形作る。英一の知る限り、このようなことが出来る存在は一人しかいなかった。すなわち、
「ピエレッタ!」
「シアよ、シア」
忽然と現れた少女は、英一の様子を見て眉尻を情けなさそうに落とした。
「やっぱり案の定だったわね。鍵も開けておいてあげて正解だったみたいだし。直情的というか単細胞というか、これが人類の進化の可能性とか言われても冗談みたい」
「いやそれは、俺も冗談だと思いたいんだが……」
「まあいいわ、助けてあげる。こういうのは魔術の領分だからね。──はい、上を見て。『彼女』のことだけを考えて──」
英一は、言われるがままにカプセルを見上げる。と、その視界が不意に翳った。はっきりと目を開けて、天井高くのライトの光が瞳に降り注いでいるのを感じるのに、なぜか視界だけは暗がりに支配されていた。
「安心していいわ、すぐに見えるようになるから。──あの人の見ているものがね」
ピエレッタの言うとおり──英一の目には、今、カプセル以外のものが映り込んでいた。カプセルだけではない。フロアの天井も、ピエレッタの姿も一切が消え、全く別の、ある一つの光景だけが彼の視界に映し出されていた。
それは──
「あ……」
英一は知らず声を出していた。だがそれを聞く者はこの場にはいない。ピエレッタは魔術の発動を確認するや、たちまちに姿を消していた。英一にはわからないことだったが、さきほど現れた彼女自体、本物ではなく遠方から放たれた幻影だったのである。
だがいずれにせよ、英一には周囲を気にしている余裕はなかった。彼の目は、自分の中でのみ知覚出来ている光景に釘付けになっている。
その、ありふれた光景に。
◇
英一は、『その光景』を見ながら──玲二の言葉を思い出していた。
そうだ、あいつはデネブで母さんにしたことをベガとアルタイルでもやったと言っていた。
けれど、母さんが相手だったからこそ出来たことがあったはずだ。だって、その相手が一番幸せを感じる映像なんて、他人にはわかるはずがないし、そもそもそんな映像を手に入れられるわけがない。手当たり次第に色々な映像を見せる時間だって勿論ない。
けど、違ったんだ。誰もが一番の幸せを感じる瞬間というものはある。そしてそれは間単に入手できる。だって、親になった者なら、誰だってその瞬間を映像として残しておきたいと思うに決まっているのだから。
真っ白い部屋。
風になびくカーテン。
そして、ベッドの上で立てた枕を背に微笑む女性──。
その女性の胸には、さっき生まれたばかりの赤ん坊が抱かれている。
女性はその赤ん坊を見つめながら、優しく、けれど何よりも強く、誓うのだ。
この先何があっても、この子の幸せを守るのだと。
それこそが自分の幸せなのだと。
そしてその部屋には、女性と赤ん坊を見守るもう一人の姿があって。
──なんだよ、嘘吐きめ。ちゃんと父親の顔してるんじゃないか……。
英一は映像の中で、『彼』にそう毒づいた。




